第十三景【桜】
繰り返す刹那の邂逅。
今年もまた始まる、この数日。
私にとっても大切な数日。
誰かにとっても特別な数日。
傍らを通り過ぎる人々を眺めながら、私は今日もここにいる。
季節を問わず、天気のいい日によく見かける老夫婦。いつもふたり連れ添って歩いている。
周りの景色の移り変わりを楽しみながら、ゆっくり、ゆったり。流れる時の早さが違うのではないかと思うほど緩やかに。
だから私の変化に最初に気付いたのもこのふたりだった。
私の傍で立ち止まり、嬉しそうに見上げて。今年も咲き始めたね、と顔を綻ばせる。
ほんの数輪咲いただけ。ほとんどの人が気付かない、変化の兆し。
それに気付いてくれるのは、ふたりの余裕とおおらかさからなのか。それとも、私のことをいつも気にかけてくれているからなのか。
わからないけれど、私も嬉しい。
それからは来る度に増えた花を喜んでくれるふたり。
いつの季節も、いつの年も、変わらず私を見上げてくれるふたり。
今年も精一杯咲くからね、と。
私もふたりに語りかける。
ジョギング中の男の人も、雨でない限りは毎日のように私の横を通っていく。
いつもまっすぐ前を見据えて走るその人が私を見ることは少ないけれど。花が咲き始めてからは、通りがかりに横目で見てくれているのは知っている。
今日だって、見上げて、少し笑ってくれた。
今年もこの季節が来たんだなって、そう話しかけてくれてるみたいに。
花が増えるにつれて私を見る回数が増えて。満開になったらいつもと違う姿で家族と来てくれるのも毎年のこと。
その時だけはゆっくりと、穏やかな顔で私のことを見てくれる。
まだ数日かかるけど。
今年も待ってるね。
朝と夕方に自転車で通る学生さん。
慌てた様子の時もあるけれど、朝はいつも大体同じ時間。楽しそうだったり、疲れていそうだったり、色んな顔をしてるけど、あまり私を見はしない。
だけど花が増えだしてからは、見てくれることも増えたみたい。
朝に通りかかる時間が少しだけ早くなって。走る早さは少しだけゆっくりになって。
この間は帰り道に止まってくれた。
まだ半分くらいしか咲いてないけど、それでも止まって見上げてくれた。
夕方の空の下だと何色に見えてるのかな、なんて。そんなことを思いながら見ていると。
考え込むように見上げてたその顔が、次第にちょっとすっきりしたような、そんな顔に変わって。
また前をまっすぐ見て、自転車を走らせていった。
何を思ったのかは、私にはわからないけど。
希望に満ちたその顔が嬉しかった。
天気の良い日には、よく小さな子を連れた若いママも来てくれる。
パタパタ駆けていく子どもを追いかけたと思ったら、座り込んで何かを見ているその子を優しい顔で見守って。
時には抱き上げて、まるでお互いの顔を見せ合うように、その子と私を近付けてくれる。
花に向けて伸ばされる小さな手。
真剣な目で目一杯伸ばして。届かぬ花を握るように、きゅっとその手を握りしめて。
ただそれだけを、楽しそうに繰り返す。
そして、その手に花が触れぬように、でもできるだけ近付けてくれるママ。
子どもを見るその顔も、私を見るその顔も、どちらも幸せそうに綻んで。
同じような顔を向けてくれることがとても嬉しい。
来年もまた、もう少し大きくなったその子と一緒に来てくれたらいいなと思いながら、手を繋いで帰るふたりを見送った。
暑くも寒くもない時期にはたまに見かけるけれど、花が半分を過ぎた頃からは毎日のように近くのベンチでお昼を食べるスーツ姿の男の人。
黙々と食べては、ふと気付いたように私を見て。はっと時計を見てから、また食べ始める。
ここにいるのは食べ終わるまでの短い時間。それでも時々真下に来て見上げてくれる。
遠くから見る私と、近くから見る私。
どちらが好みなの、だなんて聞けないけれど。
ベンチから私を見る顔も、ここで見上げてくれる顔も、どちらも嬉しそう。
困るかもしれないから、聞かない方がいいのかな、なんて。
ゆっくり歩くおばあさんと女の人。どこか似た顔付きは、母と娘だと示すよう。
おばあさんの歩調に合わせて、気遣うように手を添えて。ゆっくり歩いて、ゆっくり止まって。
私を見上げるその仕草も、目に映る花に笑みを見せるのも、本当にゆったりとして。
引っ張ってではなく、自然に緩み伸ばされたような時間。その分私も長く咲いていられるような、そんな気にさえなる。
そんなおばあさんを、急かすこともなく、待つこともなく、ほんの少しだけ先を歩く女の人。
おばあさんを気にしながらも、一緒に私を見て笑う。
もしかしたら、私はふたりにずぅっと昔に会っているのかも。
そんな風に思えるほど、懐かしそうに私を見てくれている。
もしそうだったなら。
とても嬉しくて。
少し切ない。
満開になった私の下に朝早くから大きなシートを敷いて、何人もの人が座ってる。皆楽しそうに話しては嬉しそうに笑って。
あとからあとから人が来ては、久し振りって言い合って。
食事を囲んで座り込んで、懐かしそうに顔を見合わせる。連れてこられた小さな子たちがシートの上を駆け回って、落ちた花びらを拾い集めては誰かに降らせてはしゃいでいる。
満開に咲き誇った頃を見計らって、毎年繰り返されるこの逢瀬。毎年立ち寄る人もいれば、暫く振りの人も初めましての人もいる。
もちろん一番のお目当てが私じゃないことなんてわかってる。
でもそれでいいの。
私が皆で集まる理由になれて。
私が皆で集まる場所になれて。
私が皆で集まる時間に、ほんの少しの彩りを加えられるなら。
それでいいの。
私の下、ひとりの男の人が佇んでいる。
寂しそうに見上げる瞳に映るのは、私だけれど私じゃないもの。
何が見えているの?
誰が見えているの?
風に吹かれて舞う花びらの中。
私のうしろに見えているのは何?
泣いてるみたいに微笑んで、じっと私を見上げて。
何かを探すように、何かを求めるように、私ではない何かを見ている。
そのうちに、何か小さく呟いてから。
視線を落として、また上げた時には柔らかな笑みになっていた。
今その瞳に映るのは私?
それともまだ私ではない何かを見ているの?
もちろん応えはないけれど。
息をついてから立ち去っていく、その背を見送った。
嬉しそうに走る小さな犬と、引っ張らないよう並んで走る飼い主さん。
私の下はお散歩コース。季節を問わず通ってくれる。
ころころふわふわ、そのまま転がっていってしまいそうなその子は、いつものように私の下でぴたりと止まって。
怪訝そうな目をして見上げている。
どうしたのって聞いてみたら、尻尾をパタパタ、嬉しそうに振ってくれた。
伝わってくる気持ちは単純なものだけど、その分たくさん。
楽しいと、嬉しいと、飼い主さんのことが大好きなの、と。
そうなのって言ったら、そうなのって言いながら、私の下を跳ね回って。
一緒に跳ね上がる花びらに気付いて、不思議そうにしていた。
そんなその子を見る飼い主さんも、本当に優しい顔で。
あなたも大好きなのねって。そう聞いてみた。
もちろん返事はないけれど。
落ちてくる花びらを追いかける男の子。踊るみたいにあっちこっちにフラフラとして、一生懸命捕まえようとする。
宙を握ったその手の中に花びらがあると、飛び上がって喜んで。
なければ少し、悔しそうな顔をして。
何度も、何度も。
本当はきれいな花のままで落としてあげられればいいんだけど。少ししかできなくてごめんねと謝りながら。
私の周りをくるくる回る男の子。
一緒に踊っているみたいで嬉しかった。
強い風に、花びらが舞う。
集まると桜色の花も、花びらは空に舞うと白く。
風に吹かれ、風に攫われ、風に舞い。
青い空を白く染めるほど埋め尽くすには、私だけでは足りないけれど。
手を伸ばすように、風に乗せる。
花の最後を迎えても、私の最後ではないけれど。
花の最後を迎えると、集う人々はいなくなってしまうから。
また、少し寂しい日々が来る。
だから最後に風に乗せる。
私の想いを風に乗せる。
その中にひとり立つ女の人が。
吹かれ飛ぶ花びらを目で追い、そっと微笑み。
何も言わずに去っていった。
皆何かを抱えながら。
時には通り過ぎ、時には立ち止まり。
私の姿に何かを想い、私の姿に何かを重ね。
それぞれの中の答えを探し、迷い、見つけて。
そうして日々に還っていく。
見上げるだけの人も。
見渡し微笑む人も。
見もせず楽しむ人も。
見つめて言葉に詰まる人も。
誰も等しく、還っていく。
ここに残る人はいなくても。
残された想いとともに、私はまた花を咲かせる。
ここに来る人がいなくなっても。
巡る季節の先々で、私はまた花を咲かせる。
あなたたちにとっても。
私にとっても。
ほんの刹那の出逢いだけれど。
これからも。
私は変わらず、ここにいるから―――。
咲く期間は短くても、なんだか身近な花というイメージです。
景色の描写は最低限にしたつもりなので、読んでくださる方の思い思いの場所と重ねてもらえたらいいなと思います。
近所にお花見スポットが多いので、気合いを入れて準備してというよりは、お散歩ついで、帰りついでに見ることがほとんどです。
桜のトンネルをくぐったり。
少し上から見渡してみたり。
橋の上から木のてっぺんを間近に見たり。
対岸から見たり。
川面に流れる花びらを眺めたり。
外れにある一本を見上げてみたり。
下を歩いていくのも、自転車で走り抜けるのもいいですよね。
たくさん並んでいるのも圧巻ですが、ただ一本あるだけでも惹きつけられる。
桜ってそういう存在なのかなぁ、と思います。
そう在れるのがほんの短い花の時期だけっていうのがまた、なんだか切なく。




