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第十二景【空】

 ただ、ありがとうと。

 平日だというのに人で賑わう繁華街。ビルとビルを繋ぐ歩道橋を渡りながらふと視線を巡らせる。

 歩道橋が掛かるのはまっすぐに続く大通りの真上。灰色に白とオレンジの線が引かれた道の両側にはまだ新芽も出ていない寒々しい木々が居並び、更に覆い被さるようにビル群が連なって付き沿う。目線の高さそのまま、果てに見える青空は四角く切り取られながら自分の真上まで繋がり、同じく反対側へと伸びていた。

 時刻はちょうどお昼時。

 きれいに晴れ渡った空に、帰るつもりだった足の向きを変えた。

 幸い今日はまだ少し時間もある。

 百貨店の食料品売場に向かいながら。

 もう一度、空を仰いだ。



 地下のパン屋で奮発するというほどでもないけれど、お気に入りのパンと惹かれたパンとを買って。百貨店内にいくつもあるエレベーターのうちの特別な二基を待つ。途中何度か止まってはさも当然の営みであるかのように人を吸い込み吐き出しながら、エレベーターは最上階の十二階、屋上テラスへとやってきた。

 ベビーカーを押した若い母親のあとに続き、エレベーターを降りる。

 むっと立ち込める熱気は、エレベーターホールが天井まで全面遮光ガラスのようなもので囲まれているからだろう。温室やサウナを思わせる空気だった。

 少し不快感を覚えながら自動ドアに向かうが、一歩外に出ただけで纏わる空気が一気に変わった。

 穏やかに吹き抜ける風に自然と表情が緩む。

 横長のテラスはそれほど幅もなく、突き当りはここより高いビルの壁。しかしそれでも開放感があるのは、どこを見ても目に入る緑のお陰なのかもしれない。

 一面クリーム色の板張りの床。通路沿い、壁際には細長く、少し広い場所には丸くスペースを取られた植栽に沿って茶色いベンチが並ぶ。

 常緑の下草の緑にも、木や土の茶色にも馴染む自然な色は、尚更この空間を一体化させているのだろうか。

 安全と景観を天秤にかけた結果なのだろう、外側には透明の壁が何枚も接ぎ合わせるように並んでいる。黒い支柱が目立つお陰か、僅かに暗く色を落とされているせいか。近寄ると遥か下方に道路を行き交う車が見えるが、よく見るアクリル床ほどの恐怖感はなかった。尤も、周りにここより高いビルが連立する中だというせいもあるだろうが。

 広がる空を遮るようなビルの合間からは続く街並みが見え、遠くその果ては霞む山に突き当たる。山の上には晴れ渡った空。こちらから見ればまっすぐに、目線の高さの空があった。



 お昼時ということもあり、そこかしこで昼食を取る人々がいた。ひとりの人も、ふたりの人も、景色の一端になるかのように穏やかな様子で思い思いの過ごし方をしている。

 人の少ない日陰を選び、ベンチに腰掛けた。アラカシと札のかかった木の下、通路の向こうには控えめに植えられた草木。その向こうに見える景色は無機質なビルと目線の高さの青空。

 買ってきたパンとペットボトルのコーヒーを取り出し、ぼんやりと目の前の空を見ながら食べる。

 十二階、下で見るより近い空。

 冬より温かく、夏より淡い、透き通る水色の春の青空。

 穏やかな風が抜けていく。

 パンをひとつ食べ終わったところで少し辺りを見回すと、アラカシの隣にはすべて葉を落とした木があった。かけられた札にはヤマザクラと書かれ、寒々しく見えるその木にはまだ固そうではあるが蕾がついている。

 その枝の上に見える空も。

 目線の高さに見える空も。

 どちらも等しく、同じ青。



 パンを食べきり、息をつく。

 すぐ真下は繁華街だというのに、その喧騒など聞こえてこない。

 僅かに耳に入ってくるのは、空調の室外機だろう機械音と時折通る飛行機の音。そして、遠くから微かに音響信号の音。

 日常の音であるのに、この景色の中では逆に現実味のない淡い音。それを聞くともなしに耳にしていると、突然チィチィと鳥の鳴き声が降ってきた。

 立ち上がり振り返る。

 揺れるアラカシの木の枝に、小さな黄緑色の体が見えた。枝を渡り、何かを啄むその鳥。特徴的な目の周りの白い模様から、メジロだとわかる。

 アラカシの緑の葉より僅かに淡い黄緑が見え隠れする様子を暫く目で追う。いつの間に飛んできたのか、二羽になったメジロは近付いたり離れたりと忙しなく動き、やがて連れ立ってどこかへ飛んでいった。

 束の間の邂逅を楽しみ、再びベンチに座ろうとした時。今度はもう少し大きな鳴き声が聞こえ、顔を上げた。

 視界を横切る影を追う。黒っぽいそれは半弧を描いて再び前を通り、少し離れた木に止まった。ピィヨピィヨという鳴き声の通りの名を持つヒヨドリ。こちらも二羽、追いかけ合うように去っていった。

 短い間に立て続けの思わぬ来客。行く末を追うように巡らせた視線の先には、まだ上へと聳える壁と木々の合間をすべて埋め尽くす空。

 お昼の抜けるような青空と。

 遠くに僅かな白い雲と。

 零れる木漏れ日と。

 吹き渡る風と。

 暫く見上げ、もう一度座った。



 周りはビル群、ここより高い建物も多い。それなのになぜか拓けて見える空を暫く眺めていたが、そろそろコーヒーも尽きることだしと立ち上がる。

 戻りがてら縁まで行くと、ビルの圧迫感が増して眼下の道路も目につくようになる。やはり街中なのだと当たり前のことを思いながら、再び離れて歩き出す。

 エレベーターホールへと向かう途中で出会ったサンシュユの黄色い花は、まだ彩りの少ない庭園に一際鮮やかな装いを加えていた。傍に置かれてあった庭園の情報ボードには、庭園内に植えられている植物の名や開花時期が書かれてある。春の花の開花は四月頃のものが多く、三月半ば過ぎの今はまだ見られない。暦の上ではもう春だとしても、花咲く春にはもうしばらくかかりそうだ。

 エレベーターホールの前まで来ると、その少し先、広くなった奥にある朱い鳥居が目に入った。商いをするビルや工場などによく見かける、商売繁盛を願った稲荷神社。自然な色合いばかりの庭園の中、朱塗りの鳥居は異質でありながら不思議と馴染んでいた。

 足を止めて少し考え、そちらへと向かう。数段だけの階段を登り、正面に立った。

 朱色の鳥居も金色の扁額も色鮮やかで、まだ新しいものだとわかる。その奥、一段高い場所に置かれた社殿は、同じく朱塗りの欄干に、左右二基の背の高い灯籠とともに囲まれ鎮座していた。

 社殿のうしろが少々厳つく場違いな銀色の金属板で塞がれているのは、もしかするとビル群の屋上という立地ならではの強風から守るためなのかもしれないが。これがなければ鳥居の社殿の奥に青空が見えていただろうと思うと、少々惜しい。

 近付いてみると、鳥居や賽銭箱などの真新しさに比べ、社殿自体にはそれほど新しさは感じない。こうして間近で見ることがなかったので気にも留めていなかったが、社殿自体は昔からのもので、そのほかは数年前の改装時に新設されたのかもしれない。

 社殿の扉の左右には小さな狐の像が置かれていた。遣いの狐もまた、社殿とともに長くここにいるのだろう。

 社殿の前で見上げると、うしろから張り出た鉄骨の隙間に青空が見える。

 いつもはここまで来ることも、こうしてゆっくり眺めることもない光景。この際と思い、賽銭箱に小銭を入れる。

 社殿の前、向き合ってみたところで、お願いすることなど何もないが。

 強いて言うなら。

 今日、いい天気でよかった。

 気持ちいい日でよかった。

 青空で本当によかった。

 ここに来てよかった。

 自分ではどうしようもないことだから。

 この日にただありがとうの気持ちだけ。



 今回は【空】です。

 見上げるのもいいですが、高いところとか、電車の中とかから遠くを見た時の。目線の高さの空が好きです。


 夕方から夜にかけて、色の移ろうあの時間帯の空が一番好きで。学生時代は電車からぽへ〜っと眺めていました。

 ベランダが西向きなので、西日は少々厄介ですが、夕暮れを見るにはいいんですよね。

 緑を挟まず自然に青から黄色、オレンジへ。自然の色の境目は、いくら目を凝らしてみても本当にわからない。でもだからこそ惹かれ見惚れるものなのかもしれませんね。

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― 新着の感想 ―
[一言] デパートの屋上、懐かしいです……学生の時とか、友達と時間を潰すためによく行っていました。 お金がなくても入れるし、のんびり過ごしてただひたすらおしゃべりしていた記憶があります。 高層ビルから…
[一言]  目線、なのですね。  鳥のように、取り囲む空。  地を這うもののように、見上げる空。  色だけでなく、立ち位置からも、違う空々が!!
[良い点]  見上げる空も、高い場所から平行もしくは見上げる空も好きです。高所恐怖症ですが、下を見なければ大丈夫なんです笑。  薄暮、逢魔時。夕暮れから、夜が降りる空。  わかります。冬野も好きです…
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