第十一景【飴】裏
混ぜ込む気持ち。
バターの香ばしい香りが満ちるキッチンで。
三種類六個ずつ、十八個のカップケーキを真剣に見つめ、なつきはそれぞれ一番きれいにできたひとつを選んで大事に大事に袋に詰める。
何度も何度もレシピを読んで。
何度も何度も作ってみて。
見飽きるくらい見ているはずなのに、やはり目の前に並んだ三つは特別に見えた。
バレンタインデーに陽からブラウニーをもらった。
男子の陽が用意してくれていたことにも、それが手作りの菓子であることにも、どちらにも驚いて。
言い訳ばかり並べ立ててこそこそとチョコレートを買っただけの自分が恥ずかしくなった。
あまりに恥ずかしくて、ブラウニーをもらったことへのお礼も、チョコレートを受け取ってくれたことへのお礼も言えなかったから。
翌日にまた、陽を待った。
驚く陽に、チョコレートに添えられなかったメッセージカードを手渡して。
それから一ヶ月。
毎日ではないけれど、陽はまた庭に来てくれるようになった。
今までと同じ。横に並んで、少し話すだけ。
日が傾いてからはまだ肌寒く、暮れだしたら暗くなるのが早いから、あまり長くはいてもらえないけれど。
それでも、自分にとっては特別で、大事な時間だった。
ホワイトデーには自分も手作りの菓子を返そうと決めていた。
同じブラウニーでは芸がない。クッキーではお手軽すぎる。しかしあまり凝ったものも作れない。
基本的なレシピの載った本を買ってきて、出来上がりの写真と工程を見比べて。そうしてようやくカップケーキに決めた。
難しくなく、大袈裟でもなく、適当すぎず。
混ぜ込むものを変えれば見映えもよくなり種類も増える。
そう決めてからは本当に何度も作ってみた。
陽みたいにたくさん詰めたかったのだが、小さく作ると溢れたりきれいに飾れなかったりと上手くいかず、結局はよく見る手乗りサイズになった。
混ぜ込むものもどれにしようか取っ替え引っ替え試してみて。チョコチップとドライストロベリー、そして、レモンピールにした。
陽と同じオレンジピールは、なんだか少し恥ずかしくて使えなかった。
バレンタインデーに感じた気持ち。
冬の間に会わなくなった陽を待つ寂しさと。
戻ってきてくれる陽を待つ嬉しさと。
なんとなく特別だとはわかっていたけれど。
好き、とは違うと思っていたのに。
でも渡されたブラウニーを前に込み上げる気持ちは、もうごまかしようがなくて。
そうして自分の気持ちが見えた途端に、今度は陽の気持ちが気になった。
もらえないと思っていたから自分から渡そうと思ったと言った陽。しかし、どうして渡そうと思ったのかは教えてもらっていない。
庭へ来ていたことへのお礼のつもりだったのかもしれない。
本当は自分ひとりにではなく、両親の分もと思っていたのかもしれない。
あとになってそんなことを気にしても、もう聞けず。
勇気を出して渡したメッセージカードにも、来てほしいなど書けるわけもなく、遠回しにああ書くのが精一杯だった。
この一ヶ月の間、ドサクサに紛れて一度だけ陽の手を握ってみても。時々いつもより半歩近付いてみても。ただそれだけで、何も変わらない。
陽といる時間は特別で大事で嬉しくて。
ちょっとだけ、苦しかった。
『今日はホワイトデー、皆様は―――』
女性アナウンサーの声とともにテレビに映し出される菓子をぼんやり見ながら、なつきは朝食を食べていた。
お返しのカップケーキは昨日焼いて用意してある。あとはいつものように金柑の木にリボンを結んでおけばいい。
準備万端で登校したのに、学校に来てからも妙な高揚感は抜けなかった。選んだ三つはあれでよかったのかと不安になり、喜んでもらえるかなと期待しては頬が緩む。
授業が終わると急いで帰り、部屋でいつもの時間になるのをソワソワしながら待っていた。
昨日今日と陽とは学校で挨拶をしただけだったが、金曜に来てくれていた時に一度帰ってから来ると聞いていた。
それでもトートバッグに紙袋を大事にしまって、いつもの時間に庭に出る。
ここを通ると遠回りになることは知っていたが、なんとなく通ってくれる気がしていた。
だから庭を覗き込んで声をかけてくれた陽の姿を見た時は本当に嬉しくて。
嬉しくて、仕方なくて。
「待ってるね」
すぐに戻ると言ってくれた陽に、素直な気持ちが自然と出た。
暫くで陽は戻ってきてくれた。少し息が上がる様子に、急いで来てくれたのだと嬉しくなる。
「ごめん。おまたせ」
おまたせ、の言葉が妙に嬉しく恥ずかしく。熱の上がる頬に、気付かれないかと心配にもなる。
「ううん。こっちこそ、何度もごめんね」
ごまかすようにそう言ってから、自分を見ている陽と目が合った。走ってきてくれたのだろう、顔が少し紅潮している。
どちらからともなく微笑み合ってから、陽が鞄から紙袋を取り出した。原っぱで遊ぶ猫の姿が描かれた袋は、陽が持つとなんだか更にかわいく見えた。
「はい。今回はちゃんと買ってきたから」
差し出しながらの陽の言葉に思わず笑う。バレンタインデーの時も買ってきたものでなくてごめんと謝られたが、あれだけ作れるのだからもっと自信を持てばいいのにと思う。
「ブラウニー、美味しかったよ」
そう言うとなぜか一瞬だけ拗ねた顔を見せた陽から、礼を言って紙袋を受け取った。
「かわいい」
このかわいい袋に入った菓子を陽が自分に渡すために買ってきてくれたのかと思うと、なんだか特別かわいい。
嬉しすぎて暫く惚けて眺めてから、なつきは今日の自分の使命を思い出した。トートバッグから紺色の紙袋を取り出し、陽へと差し出す。
「私からも」
「俺にも?」
本当に驚いた顔の陽に、当たり前でしょ、と笑う。受け取ってくれた陽は袋を上から覗き、がばりと顔を上げた。
「これって、飛田が…」
「うん。作ったよ」
「ホントに???」
「どういう意味…」
手作りとわかってくれたことを喜んだのも束の間、続けられた言葉に拗ねた声が洩れる。
しかし袋を覗き込む陽はどこか嬉しそうに見え、それ以上は続けられなかった。
仕方ないなぁと内心思ってから、自分も陽からもらった袋を覗き見る。猫の絵の描かれた箱の上に何かがころんと載っていた。オレンジ色の丸から猫耳が生え、赤いリボンが結ばれた白い棒が刺さっている。
(飴…って……)
「今見ていい?」
考え込んでいたところでの陽の声に、なつきは飛び上がりそうなくらい驚いた。
「う、うん、もちろんっ!」
焦るなつきに少し怪訝な顔をしつつも、陽はカップケーキをひとつずつ丁寧に取り出して見始めた。ひとつ、またひとつと見るにつれ、本当に幸せそうに陽の表情が緩んでいく。今まで見たことがないくらい嬉しそうなその笑顔に、さっき驚いた時など比べ物にならないくらいドキドキしていた。
今朝のテレビに映し出されていたカップケーキのように、きれいにクリームを盛ることも、かわいく飾ることもできなかったのに。
埋もれかけのレモンピールに溶けてしまったチョコチップ。自分に作れたのは、その程度のものなのに。
こんなに喜んでくれるんだと、泣きたいくらいに嬉しくなる。
「ありがと。すごいな」
顔を上げた陽が、まっすぐ自分を見つめてそう言ってくれた。
赤くなっていることを自覚しながら、美味しかったらいいんだけど、と笑って返すのが精一杯だった。
帰る陽を見送ってから、なつきは自室で陽からのお返しを開けてみた。
細長い箱には猫の顔型に焼いた、プレーンとチョコと苺のマドレーヌ。
そして、オレンジ色のロリポップ。
「かわいい」
自分が好きそうなものを探してくれたのだろうかと嬉しくなる。
そして。
ロリポップの棒をつまんでくるくる回す。揺れる赤いリボンに頬が緩む。
朝の番組で観た、ホワイトデーのお返しの意味。
マドレーヌ。そして、飴。
もちろん陽が知っているとは限らない。けれど。
箱入りのマドレーヌから溢れ零れたようなロリポップ。
陽から零れた気持ちのように思えて嬉しかった。
今回は悩んだ末に【飴】です。
【バター】で上げようか、本当に最後まで悩みました。こちらはまた後日に。
飴。流石に棒付きは食べませんけど。
高校の時からのど飴を始め、飴にはお世話になっておりました。昔はあんまり乗り物に強くなかったので、特にバスや車に乗る時は必須の勢いでした。今はかなり大人になったのでマシに。きっと色々とニブくなったのですね…。
持ち歩いても食べにくいご時世になりましたので、最近は食べる機会も減ってきましたが。好みなのを見るとついつい買ってしまいます。そして食べきる前にベタベタになる。
缶ドロップのハッカ味。真っ白のヤツです。
嫌いって話もよく聞くのですが、小池は缶の中ではあれが一番好きです。
ハッカ味ばっかり入った缶も確か売っていたので、そっちを買えばいいのに。何故かそれは買わず…。




