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木下水月の一幕


水月さんは決心しました


「綾香。私はやっと決心がついたよ」


「え?」


「お姉ちゃんとちゃんと話してくる」


 私は隣で今流行りのタピオカミルクティーとやらを嗜んでいる綾香に向かってそれはまぁ唐突にそう言いだした。


「それ、今言うことかな……。いいことなんだろうけど。というかずっとそのことを悩んでたの?水月」


「あぁ、ごめん。せっかく遊んでたっていうのに」


「別にいいよ。まぁ私はそれよりもっと煩悩にまみれてたしね」


 綾香はどこか顔を紅潮させて言った。

 なんでも私が悩んでいる原因がもっと俗なことで悩んでいると思っていたらしい。


「ほーう?」


「あぁやっぱなし!めんどくさくなる気しかしないから!」


 綾香はそう言って矢継ぎ早に進んでしまった。

 最近良くない方向に感が鋭くなっているせいで、こういう時に察してしまうのが玉に瑕だ。


「ほら、お姉さんとちゃんと話し合うんでしょ。私は水月の親友なんだから、一緒に悩むくらいさせてよね」


 でも、それよりもっと大きな魅力があるせいでどうも邪険にできない。


 私はそれに微笑んだ。


「ありがとう」



 

 時刻は夕方。

 私は珍しく今までお姉ちゃんからしか訪れてこなかった、という暗黙の了解を破ってお姉ちゃんが住んでいるアパートへと向かっていた。

 私が高校から卒業する頃、もうすでにお姉ちゃんは私のためだと言って社会に出ていて、一度でさえお姉ちゃんの部屋へと立ち入ったことがない。

 だから今のお姉ちゃんがどんな生活をしているんだとか、どんな食事をとっているのだとか、一方的に聞かされていただけで実際には見たことがなかった。


 私みたいに見栄だけ張ってUEとか、コンビニ頼りな生活を送っていないといいんだけど。


 かくいう私もお姉ちゃんが寄ってくる時には食事を作って見栄を張っていた。

 私のために社会に出て働いてくれているお姉ちゃんに対して、少しでもそういていたかったから。

 だから雫君に言っていたこともあながち間違いじゃない。


 得意というわけでもないんだけどね。



 そして私はついにお姉ちゃんの住むアパートの前にたどり着いた。


 そういえばお姉ちゃんは会社に近いところにアパートを構えたって言っていたっけ。


 だからだろうか。

 そこまで寂れていなし、どちらかというと新築くらいのイメージがつくような場所だ。

 街頭で暗くもないし、大通りを挟めばすぐに社宅が並ぶような場所が近い。

 妹としても不安に思わざるを得ない場所だったらどうしようか、と思っていたことが杞憂に終わってよかった。


 しかし、杞憂であってほしかったこともあったのだ。


 私は扉の前まで近づくと、インターホンを鳴らす。


「あれ……いないのかな」


 一向に出る気配のない部屋から、インターホンの音だけが響いていた。


 私が間違えてるのかと思って表札も確認するが、そこにはしっかりと「木下柚月」と書かれているし、間違いようがない。


 私は意を決したようにドアノブを捻っていた。

 鍵がかかっているなら外出しているはずだし、これでいなかったらまた後日やってこようと。

 連絡してもよかったが、どうしてもお姉ちゃんとは腹を割って話したかった。

 だから連絡を入れずにありのままのお姉ちゃんと話がしたかったのだ。


「開いてる?」


 私はドアノブをそっと捻ると、ドアが開き始めていた。


「お姉ちゃん?いるのー?……入るよ?」


 鍵を閉めていない以上、外出はしていないはず。

 それに、この通路を抜けた先で何かが光っている気配も感じたから、そこにきっとお姉ちゃんはいるんだと思った。


 私は恐る恐るといった感じで玄関に入り、そしてやっと気づいた。

 そのおかしさに。


 異臭?


 まるでいくつもの鼻につく食べ物が混ざり合ったようなそんな匂い。

 

 そしてそれを根拠づけるようにその足元には、脱ぎ捨てられたスーツが転がっている。

 私はそれに目を瞑る。


 できれば杞憂であってほしかったことだ。



 私はつき当たりのドアを勢いよく開けると、ソファで寝転がってスマホを凝視するお姉ちゃんの姿が目に映る。

 それも、私が勢いよく入ってきたことも分かっていない様子でただ、スマホを眺めていた。

 耳にはイヤホンをして、服はラフな格好。


 いかにもな自堕落な様子だった。


「お姉ちゃん!!」


「っ!?水月!?」


「かわいいかわいい、妹の水月だよ。お姉ちゃん」


「いや、これはその。あれで」


「ひとまず、掃除しよっか」


 私は微笑んだつもりだったがお姉ちゃんはどこか怯えたような表情だった。

 

「は、はい」



 それから五分が経ち、十分が経ち、三十分がようやく経った頃、おおよそのものが片付けられた。

 物が散乱して、台所に食事が溜まっていたくらいだからまだよかった。

 それにここ数日の蓄積でもあったからどうということもなく整理できる範囲だった。


 いつも、ということではなさそうで少しホッとしたことは心の内にとどめておこう。


「それより、水月。一体なんで急に」


「うーん。ちょっと話したいことがあってね。来ちゃった」


「来ちゃったって、全く。今の僕はあんまり見られたくないんだけどなぁ」


「ん?」


「いや、なんでもない。っとそれよりお茶でも出そうか」


「あ〜、じゃあ緑茶で」


「残念。麦茶しかないよ」


「じゃあそれで」


「はいよ」


 お姉ちゃんはそう言って台所の方へと向かったのを確認して、私はソファの方へと駆け寄った。


 なぜって?

 だって私の入室に気づかないほど集中して何かを見ていたのだから、気にならないはずがない。

 あいにくお姉ちゃんはスマホをつけっぱなしにしていたし。


「これは……ライブ?」


 何やらカラフルな棒を持った人たちが前に並んでいて、スクリーンには多くの照明を当てられた五人組が映っている。


「って、こんなことしてる場合じゃなかったんだった!」


 私がそれをのぞいている時に台所の方からそんな声がしたのと同時に、お茶の入った容器を溢れるくらいの勢いで持ってきていた。


「これってライブ?」


 私は足早に戻ってくるお姉ちゃんにそう聞いた。


「あぁそうだよ。それも僕が所属している会社のね」


「そうなの!?」


 そういえば私はお姉ちゃんがどんな会社に行っているのかも知らなかった。


「そうさ、今や人気のアイドルさ」


「まさか、お姉ちゃんがタレント事務所に勤めてるなんて」


「ま、実際にはちょっと違うんだけどね。どうせだし、一緒に見ないかい?」


「う、うん」


 お姉ちゃんは「ちょっと待ってて」と言うと、準備をする間スマホのイヤホンを取ってスピーカー状態にさせて私に座っているよう微笑んだ。

 どうやらテレビで映してくれるらしく、その準備に手間取っているようだった。


 ただ、そんなお姉ちゃんの表情はどこか誇らしげで、それより晴々とした笑顔をしていた。


 多分、この子達の歌がそうさせているのだ。

 私じゃ決してこんな風にはしてあげられなかった。


「あれ、これって……」


 これまでカメラが引きだったせいか、わからなかった。

 この画面に映っている五人。

 その五人も画面上で動いている。


「気づいた?それがちょっと違うところさ。その子たちはバーチャルユーチューバーって言う、僕の勤める場所のタレントさんだよ」


「バーチャルユーチューバー……」


 その言葉を聞くとどこか反射的にあの、七々扇紫音、という男が頭に浮かんでしまう。

 あの日以来、どうしても頭から離れない、雫君と瓜二つの画面上の男。

 

「水月も知ってはいる……みたいだね」


 ようやくというようにお姉ちゃんは腕を伸ばしてチャンネルを動かすと、テレビの画面にはさっきまでスマホで流れていた映像がテレビに流れ始める。


「よし、どう?たまには姉妹水入らずにこういうのもオツだろ?」


「そうだね」


 なんだか、漠然とだが、私はそれが綺麗だって思った。

 映像として綺麗だとか、そういう話じゃなくてただ、あの空間がなによりも綺麗でそしてあの歌声がなによりも綺麗だった。


 なんだろう、この胸を締め付けるようなこの感覚は。

 まるで諭されてるみたいに、私に語りかけてくるみたいだ。


ーー本当に君には向き合う覚悟があるのか?


 と、そう問われてるみたいに。

 だってあの歌を歌っている彼女らはなによりも自信にあふれていて、なによりも自分を表すことに長けているようだったから。

 何かを伝えて、そして伝わってきたこの荒波が私を揺さぶっている。


 今までの歴史が君という人を示していたではないかと。

 目を背けた結果、今になって赦しを乞うのかと。


 でも、そんなことに悩んでいた私こそおかしかった。

 何よりまっすぐに向き合うことがどれだけ心救われるのかを知った。


 きっとここに映っている彼女らもそうなのだ。


 何よりまっすぐなのだ。


 綾香に会うことができなければ決して気づくことができなかったこの感情。

 綾香に会うことができなければきっと一生言うことが出来なかったお姉ちゃんへのこの言葉。

 

 赦しを乞うわけじゃない。

 向き合う覚悟がどうこうなんかもってのほかだ。


 私は私の言葉を私の声で何よりもまっすぐに伝えたい。


「お姉ちゃん」


「なに?」

 

 お姉ちゃんはどんな顔をするだろう。

 今、彼女らに見せているような目を輝かせる笑顔を見せてくれるだろうか。

 それともまるでなんでもないことかのようにどこ吹く風という表情で飄々とした態度でいるのだろうか。

 いや、それはないか。

 いつだってお姉ちゃんはお姉ちゃんだったから。


 だから私はこう言うんだ。

 今までずっと言えなかったことを。



「いつも、私を守ってくれてありがとう」


 そして、


「私のお姉ちゃんでいてくれて、ありがとう」



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