偶像の形Ⅶ
それにしても実に不思議な子だった。
名を圭と名乗った、見た目は女の子でありながらその実直で誠実な性格を持つ根っからの善人の男の子。
その容姿にコンプレックスを持っていながらも、他人のことを一番に考えられる人格者でもある。
そしてそんな子の幼馴染がよりにもよって男性恐怖症の女の子であるときた。
これには驚かずにはいられないものだ。
公園で詩織さんに聞かれていた時も決してその子については話していなかったし、よっぽどその子のことを大切に思っているのだろう。
きっとその子も圭くんのことを大事に思っているはずだし。
互いに思いあえるような素敵な関係だ。
互いに思いあうような関係か……。
その言葉に俺はどうしても内心笑ってしまう。
皮肉にも、世の中そんな関係がそう多くないから。
というより、そんな関係であることのほうが稀と言ってもいいほどだ。
漫画のような、アニメのような関係がそう簡単に現実に存在などしてはいないのだから。
そう思っている中、そういえばと思い出すように、初めて圭くんから彼女が男性恐怖症であることを聞いた時からわずかに感じていた違和感を思い出していた。
男性恐怖症と聞いて何かが引っかかっていたのだ。
まるでどこかで聞いたような?
それともどこかで振れていたような、そんな感じを。
ふと俺に浮かんだ光景はいつかのような蒼白な顔をした柚月さんの姿だった。
――ちょっと触れられたくらいだろうが。
確か小倉といった男が放った言葉だったか。
あの時はあんな男の放った言葉なんて意にも介していなかったが、そんなようなことをいっていた気がする。
俺がたったの数分の間離れた時にしか二人になる時間がなかったにも関わらず、柚月さんはあんなにも正気を乱していた。
その、ことの大きさからもっとひどいことがあったのだと勝手に解釈していたが、あの男、小倉のいうように、本当にただ触れただけなのだとしたら?
そこまで考えついたあたりで、俺は多分その引っ掛かりの正体を感じ取っていた。
というより、案外身近な部分に違和感を感じていたものだと、拍子抜けさえした。
でも、もしその違和感が俺の思っていた通りのことなのだとしたらいくつか筋が通らない話がある。
だって柚月さんはこれまで一度たりともその気配を見せたことなどなかったのだから。
むしろ男女構わず自分から積極的に関わっていこうという意志さえ感じていた程だ。
そんな人が、本当は男に触れられるだけでも顔を蒼白にしてしまうほどの男性恐怖症だというのか?
その時、俺の手に収まっていた青色のサイリウムが音を立てて地面に落ちた。
それに俺は一気に正気に戻されたような気分に陥る。
そうだ、今日は他でもない柚月さんの代わりにライブに来たんだ。
その分楽しまなければ損だ。
それに、詩織さんにも言われたはずだろう?
このライブの空気感を全身で、感じるのが醍醐味なのだと。
俺はそう自分に言いかけて、自分の座席の方へ向かう。
そして俺は自分の当てられた座席に腰を下ろした。
どうやらスクリーンを正面から見られる中ごろの場所らしい。
ゆるやかな傾斜もあるから、前の人で邪魔になることもないのだろう。
多分一番といっていいほどよく演者たちが見える場所だろう。
こんな場所をとってなお、柚月さんは俺に譲ってくれたとは。
本当に感謝しかない。
ライブが終わったらすぐにでも連絡しておこう。
この位置から俺が入ってきた入口を見てみれば、その人並みが一向に途切れることなく続いているのを見て、その人数に改めて意識する。
何せおおよそ一万人が入れるこの会場が満席になるのだから。
今はまだ空席が多いが向こう一時間とたたないうちに、人で埋め尽くされるのだ。
どうなるのかさえ、想像もつかない。
もしかしたら、いい体格の人に挟まれる可能性もあるかもしれない。
そして一時間が経ったがそうはならなかった。
なったらなったで面白くはあったが、ないに越したことはない。
それなりにふくよかな男性と、もう片方には連れと二人で来ているのだろう女性が隣に配置していたぐらいだ。
俺が思った以上に女性もいたから、そうむさ苦しい空気が溢れていたわけでもなかったのは救いである。
そしてついに照明がその明かりを失い始め、会場が暗転としだす。
自然と周りの狂騒が穏やかになり、舞台が暗闇に閉ざされた時にはシン、と静まり返った空間ができていた。
隣で息を呑むような音が聞こえて、それがあたかも普通の音のように大きく聞こえるのだ。
さっきまでスマホでそれぞれ思い思いの推しを覗いていた人も、今はそのスマホの光を一切感じさせない。
等しくただ一つの光景を皆待ち望んでいた。
その瞳はどこまでも輝かしく、さながらハイライトが際立つほどの純真な目がそこには多くあった。
隣のふくよかな男の人も。
友達と二人なのだろう女性たちも。
きっと詩織さんや大輝さんも。
そして圭くんも、きっと。
みんなただ一点のステージを今か今かと見守っているのだ。
俺もその光景をどこかぼんやりとする視界で眺めた。
そしてその暗闇の中に一筋の光が現れる。
それは真っ直ぐにディスプレイの方へと伸びていた。
そこから澄んだ歌声とともに現れたのはユナイト所属ライバーの親分。
そしてブイチューバー界の一番星でもある、キミノスイ本人だった。
まだバーチャルユーチューバーという界隈が成立する以前からその存在を世界に知らしめていた、いわゆるブイチューバーの母とも言える人であるキミノスイ。
バーチャルユーチューバーが多くの人を巻き込んだ二〇一八年時で既に五十万人というチャンネル登録者数を誇り、その澄んだ歌声と普段のはつらつな性格とのギャップも人気を博している。
俺からすれば大先輩にあたる人でもあり、そしてこのユナイトという企業の看板でもある人だ。
そんな彼女がただ一人、暗い世界の中で澄んだ歌声を響かせている。
それはまるで彼女を照らす一筋の光であるように、俺に、そしてみんなに向けられた歌だ。
その一言一言が俺の胸を奮い立たせるように躍動しているんだ。
「私は伝えたいのだ」と、歌を通してでも伝わってくるその想いのために。
あれ、おかしいな。
この曲は聞いたことがあるはずなのに、全くの別物の曲に聞こえる。
悲しくて、つらくて、何を支えに歌えばいいのかわからない女の子の嘆きの歌。
そんな歌があたかも彼女の、キミノスイの人生を語るように聞こえさせていた。
ただの音じゃない。
人に自分を訴えているようなそんな音の集合だ。
俺はその光景を前に目を閉じた。
あぁ、これが感じるってことなのかと。
音の響きが全身を揺らし、音の意味を全身で感じるのだ。
感じてしまえるのだ。
そしてきっと彼女は自分を歌っている。
キミノスイを歌っているのではない。
キミノスイを通して自分を歌っているのだ。
それがなぜか痛いほどに伝わってくる。
「これが私なんだぞ!」
と。
「私という存在を胸に刻め!」
と、澄んだ歌声でサビを歌う。
その歌声は透明感のある透き通ったものなんかじゃなく、全てを自分色で染め上げた青色だ。
色で表現されるなら間違いなく。
それに俺は共感しているのか?
感動しているのか?
なぜか伝わってくる言葉の節々が胸に突き刺さる。
なぜだ。
なぜ俺はこんなにも痛みを感じている?
わからない。
「次の曲は私だけじゃありません!私たち、五人です!」
「曲名は、自分らしくあること」
でも、そんなことよりこの歌を美しいと思ってしまった。
歌だけじゃない。
観客のみんなでさえその美しさの一部で、みんなの持つペンライトがいっそう輝いて見えた。
俺は手元のサイリウムを折る。
ーーライブって言うのはね、理屈じゃないんだ。
たまにはそれに溺れるのもいいのかもしれない。
キミノスイ
ん?




