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思い思う日Ⅱ





 二〇一九年五月八日木曜。

 見上げる空は雲ひとつない快晴。

 まさに絶好のライブ日和なのかもしれない。


「お、今日もやってるねぇ雫君」


「おはようございます」


「おはよう」


「今日も精が出ますね」


「まぁな。こちとらまだまだ現役だってんだ」


 目の前の人物は最近になって知り合いになった近所に住むご老人で、といっても自身が老いているとは決して思っていないが、そんな人でよくこの河川敷で会う人物でもある。

 朝の早い時間にこうして運動しているという点においては確かに老人離れした体力を持ってはいるのだろう。

 目算で七十は難くない年齢だ。


「でもほんとよくお走りになってますよね。体痛くならないんですか?」


「なめてもらっちゃ困るなぁ。俺だって雫君の相手くらいはできるさ」


「それはさすがに……」


「お?なんだ?やっぱりこのおいぼれが、とか思ってるのか?」


「違いますって。杉野さんじゃなくても難しいって話ですよ」


 杉野さんはそんな言葉にも豪快に笑って見せる。


「大した自信じゃねーの。よし、ここは一つコース一周で勝負といこうや!」


 そうして俺より前にここで鎮座していた杉野さんは改めて体を動かすといったように屈伸から軽やかにして見せた。

 重々しさなんて一切感じさせないあたり、健康なのが一目でわかるほどだ。


 でもさすがに二キロだけといっても勝負という体でやるとなると体がもたないのではと杞憂してしまう。


「ほんとにやります?」


「あたぼうよ!っと、それと手なんか抜かなくていいぜ。漢と漢の勝負よ」


「漢って……。どうなっても知りませんよ?」


 そして一緒に走り出した俺と杉野さん。


「え、ちょ……」


 そんな声が聞こえた時にはおおよそ七割を意識してスピードを出していた。

 コースは途中公園内を通って一周する周回ルート。

 俺はそこまで利用することはないんだが、度々公園内で休憩したりしてたりはするから、ルート自体は多分あっていると思う。




 そうして一周を終え、元の位置に戻ったころには結構体もほてり、全身があったまっていた。

 呼吸も少し乱れているようにも感じた。

 

「たった二キロのはずなんだけどな……」


 そう自分に言いながら近くのベンチに座る。

 すぐに呼吸は整ったものの、どこか腑に落ちない。

 

 それから二分と経とうとするころ、肩で息をして走ってきた杉野さんを見つける。

 まだ距離があるからどうしてもそのスピードに目が行きがちだが、十分早いペースで帰ってきていた。


「はぁ、はぁ、速いな……雫君は」


「これでも伊達に毎日走ってないですからね」


「俺、も、もうちょっとはやれるか、と、思ったんだがなぁ……」

 

「十分いいペースだったと思いますよ?」 

 

「いいんだ、いいんだ。この老骨の意地なんだしな。次の機会にでもまた一緒に走ってくれると助かる」

 

 そう言葉にした頃には杉野さんも呼吸を整えた頃で、十分いつもの風格を感じさせる。

 とは言ってもものの一ヶ月だけ。

 それだけの間柄でしかないのだが、それなりに杉野さんの人となりはみえてくる。

 基本的に豪快な性格をしているし、一回言葉を交わせばわかるくらい実直な人でもあるから。


「時に、雫君は今いくつだい?」


「十八です」


「若いねぇ、まだまだ人生これからだ」


 杉野さんにそう言葉にされてしまうとどうにも反応し難いが、人生の大先輩として言葉の重みはたしかにあった。


「雫君はよく朝にこうしてきているようだけど、それは毎日?」


「そう、ですね。運動しないと落ち着かなくて」


「そうか」


 杉野さんは言葉の節をそう短く摘み取る。

 


「杉野さんはなぜ?」


「この歳にもなると、朝にどうしても目が覚めちまうんだ。それに動いていないとどんどん体が壊れていっちまう。歳には勝てないもんさ」


「杉野さんは凄いですね」


「今のを聞いてそう思うところなんてあったか?」


 少し含み笑いをして見せる杉野さん。

 

「うーん、どうでしょう」


「どうって、なんだそりゃ」


「なんていうか、生き様?みたいなものを俺は感じたんです」


「生き様、か」


「背中で語る、を体現してるなって思うんです」


「雫君には見せられなかったようだがな」


 顔の節々に皺を作ってくしゃりとした笑顔をして言っていた。

 杉野さんのあまり出さない顔に少し驚いていた。

 ここまで温厚な笑みをする人だったのかと思うほどには。


「でも、生き様か。いい言葉だ」

 

 杉野さんはどこか噛み締めるようにそう呟くと俺の方に目を寄せる。


「雫君は俺の目から見ても特殊だし、一際目立つだろう」


「……まぁそれなりに」


「そうだろうな。俺とは正反対だ。でもそんなやつだから俺には考えられねぇ苦労や苦悩があるってことも知ってる。……だから、絶対俺みたいな奴にはなるな」


「え?」


「ーーいや、なんでもねぇよ。ただ頑張れって話さ。俺は娘にも孫にも顔向けできやしない奴なんだ。そんなクソ野郎の背中を生き様なんて言ってくれた奴なんて初めてなのよ」


「……杉野さんは真っ直ぐな人だと俺は思ったので」


「ククク、そうか。そう言ってくれるか」


「過去のことは知りませんが、今のあなたは少なくとも俺には尊敬できる人なんですよ?胸張ってくださいよ」


「そこまで言われちゃいつまでも後ろにいるわけにもいかねぇよな」


 杉野さんはどこかその腰を軽そうに持ち上げて、背筋をピンと伸ばして俺の前へと躍り出る。

 顔をパンパンと叩いて少しの整理運動をした後杉野さんはいつものような豪快な笑顔でいう。


「もう一本!今度は俺の背中を眺めてろよ!」


「望むところです」


 そうして俺らはまた走り出した。

 俺にとってどこまでも真っ直ぐだった杉野さんは理想であり、尊敬できる人だったんだ。

 たとえその言葉が嘘だったとしても、想いだけでも偽りたくはない。


 そうしてユナイトファーストライブの日の朝を迎えた。




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