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悠久の記憶Ⅱ



 そしてまた件の七々扇紫音という男の配信を覗こうとしている。

 綾香はその一つの大きな気がかりを持ったまま、緑のスマホに映し出された画面を見ようとする。

 

『じゃあおつかれオン〜、また明日ね!』


「おつかれ!」


「おつかれオンーーー!」


「明日楽しみ!」


「体あり!」


「お疲れ様ーーー」


 そこで聞こえてきたものと映し出されたコメント欄から察するに、ちょうど配信を終えた頃らしい。


「なんだ、ちょうど終わったのか」


「そう、みたいですね」


「そういえば結局初配信も途中までしかみれなかったし、これから見ないか?結局罰ゲームになにやったのかずっと気になってたんだよな〜」


「え、そろそろ帰んなくていいんですか!?そろそろ日が変わっちゃいますけど……」


「ん?今日は泊めてくれるんだろ?」


「ちょ、え?待ってくださいよ!うちベッド一つしかありませんし、第一準備もなにもしてませんよ!?」


「ってことはオーケーってことだね?高校の頃は結局お泊まり会とかできなかったけど、こういうの夢だったんだよねぇ〜」


「そういえば、緑さんが男装用の衣装っていって渡してきた私服がまだ残ってるんですけど、どうするんですか?」


「まだ捨ててなかったの!?いやぁ、綾香を私と同じサイズの衣装で男装させるのは出来なさそうだったから腹いせに押し付けただけなんだけどね」


 心底びっくりしたような顔で緑は呟いた。


「え!?なんですかそれ!?私ずっと持ってたんですからね!?こっちにきてからもいつか返せるかなって思って持ってきてたんですから!!」


「ごめんごめんって。そうかっかしなさんさ。可愛い顔が台無しだぞ?」


「誰のせいですかぁ!!」


 そんなやりとりが二人の間で行われている一方、緑のスマホはまだ依然と起動し続けていた。


「あれ?緑さん。まだそれ続いてません?」


 そこに綾香の視線が交わって、ようやく二人の間でまだ配信が終わっていないことが認識される。


「ん?……見方がわからんが、コメント欄的には切り忘れてるみたいだな。切り忘れるってなんだ?」


「配信のことを枠、とも読んでましたし、配信の終了を枠を切るっていうんじゃないですか?」


「なるほど……。じゃあこいつ今配信終わってると思ってるってこと!?ヤバ、個人情報ダダ漏れじゃん。今電話とかきたらどうするんだろ」


 そんなことを緑がいうと少し綾香の中で一つ気になることができてしまう。

 もし今、片桐君に連絡したら?

 という、浅ましきことだ。


 それでもし、今この画面の向こうにいる七々扇紫音がスマホを起動してメッセージを返したり、電話を返してくれたらどうする?

 

 ただ、そんなことを考えるより先に一つの結論が何者でもない七々扇紫音から与えられてしまった。


『よし、やるか』


「!?」


「!?」


 紫音のなんでもない一言だ。

 でも、この一言でも十分に察することができてしまうのが綾香である。

 そして緑もまた気づいていた。


 明らかにこれまでの紫音とは違う声色で、どこかクールな様子と爽やかさを感じさせる声質。

 これまで些細ではあるが聞いてきた紫音の声はどこかひたむきな実直さと、それとどこかに感じさせるハスキーな青年さを交じり合わせたような声質なのだ。

 だからこの一瞬でも全く違う声が聞こえてきたのだから気付かないはずもない。


 この声がさっき聞いていた片桐雫が普段出している声質で、こういう特徴的な声色をしていたということを。


「綾香、聞いたか?……私はどこかで聞いたことのある声だったぞ」

 

「き、気のせいじゃないですか……?」


 ただし、気づいた二人の様子は互いに異なっている。

 一方はその事実を受け止めてなお動揺している。

 そしてもう一方はどこか憎しみを込めたような瞳で睨んでいた。


 そんな形相をしている緑を見てしまっては、どこか安易に肯定してはいけない雰囲気を綾香は敏感に感じとっていたのだ


「そうかな?私には今この瞬間、完璧にアイツと重なったがな」


「ちょ、緑さん……なんでそんな顔してるんですか……?」


「ん?そんな顔してたか?……すまない。顔に出てしまっていたか」


「……なんでそんなに片桐君を……。さっきあったのが初めてだったはずでしょう……?」


「そうだけどね、でも私にはわかるよ。あの男が猫かぶってることくらい」


 その時綾香はどこか心当たりがあるような引っ掛かりを覚えた。

 そう、水月とあの公園で泣きあった日、水月が言っていたことにそんなことがあった気がする。

 今の彼はみんなの思う片桐雫で、私の知ってる彼でも水月の知っている彼ではないのだということを。


 でも、私はその変化を未だに感じられないでいた。


「なんで……そう思うんですか?」


 それなのに、緑は感じ取ったという、どこか今の彼が仮面をかぶっていることを。


「…………勘だよ」


 緑は答えてくれそうにない。


「それより……」


 綾香がそう言葉を紡ごうとした時だった。


『こんにちは。今日はどうだった?楽しかった?』


 緑のスマホから音が鳴り出した。

 紫音のものだ。


「また、声が変わった」


「や、やっぱり違ったんじゃないんですか……?さっきのは聞き間違いで……」


「まぁ、正体が分かったところで私が見なくなるだけだから、どうあってもいいけどね。あの男の気味の悪さに比べれば」


「そうですか」


「……いや、ごめん。こんな話するつもりはなかったんだけどね。ちょっと頭を冷やさないと、水もらえるかい?」


「あ、はい」


 綾香は空になったコップに水を満たしてからまた同じ席に戻った。

 そこには紫音のものと思われる音声はただ虚しく流れているだけだった。

 緑も聞いてはいるだろうが、多分もう眼中にないといった様子だ。


 でも、そんな空間で流れ続ける紫音の声はどこか綾香の心を靡かせた。

 この声で想像される風景と人物はどうしても紫音のはずなのに、多分どこか弱さを孕んでいる片桐雫を綾香は連想していた。

 どこか不安げで、何かに怯えている。

 けどそれを言ってくれるから、私は安心できるのだ、と。

 そう思わせてくれるような声。


「あぁ、そうか」


 綾香はそこで気づいた。

 男が、片桐雫が完璧であることになにも疑問を思っていなかった自分に。


 中学とは変わっていた片桐君。

 でも本質は変わらなくて、みんなに優しくて人気者で、それより、完璧だった。


 そんな完璧な男であるとずっと綾香は望んでいた。

 でもそんな人なんていないんだ。

 そう綾香が思い立てば、どこか男の微細な変化に気づき始める。


 一度目にあった時の片桐君の瞳はどこか不安げだったって自分も感じたはずだ。

 二度目にあった時の雨に打たれていた片桐君も、どこかその心がちぐはぐとしていたと分かっていたはずだ。

 そして今日、会ってみればまるで中学の頃のように完璧でみんなに好かれていた。


 綾香は思う。

 なぜ男がそう完璧であることを当然と思っていたのかを。


 私だって水月だって緑さんだって、片桐君だって、どこかで自分が自分である限り不安だって感じる。

 でも片桐君はそうではなかった。

 まるで仮面をかぶったように。


ーー仮初の姿で自分を覆って、あらゆる感情を押さえ込んでしまっている。


 ふといつぞやの水月の声が綾香には聞こえた気がした。

 そうか、これが水月の言っていたこと。

 そして緑さんが直感的に感じたことなんだ、とようやく綾香は気付く。


 結局は私の勝手な理想が彼の本質を捉えさせてくれなかったのだ。

 なら今から知ればいい。


 きっとあの時の水月はこのことを言っていて、きっとこのことを本質的に私に伝えたかった。

 それを今、ようやく気づいたのだ。

 だから私はやっと水月と本当の意味で親友になることができる。

 そして、片桐君に想いを伝えて、せめてどこかで本当の彼を見出して見せるんだと、そう綾香は決意する。




「緑さん!寝ましょう!」


「ん?あ、あぁそうだな?いい時間だしな」


「緑さんにはいつか聞くことができたので今日とは言いませんが、覚悟して待っていてくださいね!!」


「い、いきなりどうした……!?よくわからんが分かったから、そう無防備な格好を無闇に晒すな!着替え中だろ!」


「ほら!緑さんも着替えるんですよ!!」


 綾香は手で防御する緑の手を強引に押し除け、早く着替えましょうという。


「ちょ、ま、待て…!」


 緑が少し大袈裟な拒否反応を見せると、これまで均衡していた力が傾き、両方尻をつく形で転んだ。


 そして緑の服が半分ほど脱げているのを綾香が確認すると、すぐにその肌を隠されてしまう。


 その時、綾香は見てしまった。


 緑の背中に痛々しく残る複数の傷跡を。



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