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嵐の前の静けさⅣ


 ように思われた。

 

 いつものように配信が閉じられる空気になったものの、画面は一切閉じられずに紫音の体がまだ動き続け、マイクもまだ入っている。

 配信が終わったためにすでに話し声は聞こえないが紫音が椅子から立ち上がった音や、小さな衣擦れの音までマイクは拾っていた。


 とどのつまり、紫音は配信を切り忘れていたのだ。


「ん?」


「あれ」


「配信切れてなくね?」


「おーい」

 

「シオンー」


「まだついてるぞー」


「放送事故か!?」


 時刻は二十二時とそれなりの時間。

 紫音にとって普段この時間はいろいろと作業していることが多い。

 例えば次の配信のサムネイルという一番に印象付ける一枚の絵をつくることだとか、些細な企画的な配信をする場合にはそれに使う素材の確認とか環境を整備したりしている。


 しかしこの日に限って紫音はそういった作業のほとんどをすでに終わらせてしまっていた。

 故に紫音はこの瞬間にすぐにパソコンへと目を配らせていればなにか変わっていたかもしれないが、その場から離れてしまう。


「おーい」


「まじで事故じゃん」


「せめてマイク切ろ!!」


「ヤバイって」


 そんなリスナーの声も届いてはいない。


 紫音はおもむろに普段使いのスマホを手にとり、なにかを検索し始めた。

 その間にも紫音の配信はただ流れている。


 その画面に現れるのは今日収録に行ったときに紙で印刷していた台本原本のデータだった。

 紫音自身、柚月さんになにがあったのかは大いに気なる問題ではあった。

 しかしそのことや小倉についてのことはすでに運営へと連絡済みで紫音からはなにかすることはできなかった。

 柚月とも連絡は通じず、配信前になってもその姿を表さなかったのだから。


 だからせめて紫音は自分のできることで柚月さんの助けにならなければならないのだと思っていた。

 あんなにも柚月さんは何かに怯えて、何かにひどく苦しんでいた。

 そんな姿を彼女がしているなんて、彼女には似合わないのだとそう紫音は思った。


 今日収録をしたこの台本、柚月さんが思う紫音をこの台本に描いてくれていた。

 少し不安に思いながら、多分自分が適任ではないのだろうことなど分かっていて、それでも。

 そんな柚月さんの作品を、彼女を苦しめた男が汚すことなんてあってはならないのだと、そう紫音が考えた頃には動いていた。


「お?」


「気づいたか?」


「顔が動いた!」

 

 紫音はパソコンの前に座り、録音のソフトを立ち上げる。

 その時に他のソフトの状況なんかはその一切が情報として入ってきていいなかったという。


「あれ?」


「おーい」


「気づいて!!」


『よし、やるか』


 紫音はその声が配信に乗っていることなど毛ほどにも思っていない。

 だからたったの一言でも、自分に喝を入れる声がリスナーにとっては驚愕に値したのだ。


「ん!?!?」


「声違う?」


「違うタイプのイケボだ……」


「オフではこんな感じなん?」


「ちょっと低めのボイス、よき!!」


 そして紫音は柚月の思う紫音を頭に思い浮かべ、一度目を瞑る。

 その様子を片唾を飲みながら見守るリスナー。


 そんな均衡を緩やかに破ったのは、紫音の声だった。


『こんにちは。今日はどうだった?楽しかった?』


「ん?」


「なんか始まったぞ」


「なになに!?!?」


「いつもの声だ」


『へぇ〜、そっか。そうなんだ。……俺も最近楽しくなくてさ。この時間だけが唯一の癒しなんだ』


「まじでなに!?」


「ドッキリか?ドッキリなのか!?」


「声良すぎる……///」


『ん?そう?君がそういってくれて嬉しいな。この場所、この時間だけが俺の癒しだから』


「えっ」


「声劇?」


『どうしたのか?だって?……ん〜、特に何かあったわけじゃないんだけどね。ちょっと嫌なことがあったんだ。あ〜、君には関係ないよ?俺が勝手にそう思ってることだから』


「まじでなにーーー!?」


「尊死するぅ」


「なんだ?公開収録か!?」


『聞かせて欲しいって、いうわけないじゃん。俺はいつだって君の大切な人でありたいからさ』


「なにそれーーー」


「キャッ、イケメン///」


「い、いい!」


『そうだ!どうせだから次の休みに新しく建ったカフェに行こうよ。あそこの雰囲気って結構いいんだよね〜』


「本当なに!?!?」


「殺しに来てる!?」


「表情もめっちゃ豊かやな」


『はぐらかさないでって、別にはぐらかしてないよ。俺ってそこまでコーヒー好きなわけじゃないんだけどさ、ここのコーヒーなら……いや君と一緒に行けたらおいしいと思うんだ。なんとなくだけどね』


「そ、そんな顔で話しかけないで……」


「ち、ちかいよぉ」


「カッコイイ」


『そんな顔しないでよ。君はもっと、こう、笑った顔の方が似合うよ?こうやって』


「アアアアアアア」


「好きぃぃ」


「かっこいい!!!」


『むぅ、なんでそんな顔するのさ。……えっ?うん、まぁ確かに。初めて会った頃は考えられないかもね。でも、今は今でしょ?こうやって笑いあえる関係なんだよ?そうしてた方がずっと楽じゃん』


「声がいいとここまでイイなんて……」


「なんだろう、この感じボイスかな?」


「もう、音声作品じゃん」


『ほら、行こ?時間も少ないんだし。ほら!』


 そうして配信を切り忘れた紫音の公開収録が始まってしまった。

 他愛のない会話もどこか本当にしているような自然な感じを醸し出し、まるで本当に誰かと喋っているかのような間の取り方をする。

 そんな声に惑わされて、次第にコメントする手も止まって、これが配信の切り忘れだということをみんなが忘れてしまうくらいの時間がたった。

 それは三十分だったかもしれないし、ゆうに一時間を超えていたのかもしれない。

 でもみんなはそんなことを考えてなんかいなかった。


 そしていつのまにか紫音の声が聞こえなくなって、リスナーもその余韻に浸かっていた。

 下手なセリフじゃ見ている側にとっても羞恥を生みかねないような公開収録。

 しかし今回は誰もがそんなことをかけらも思っていなかった。

 それも一重に紫音の演技力の所以。

 そして柚月の思う紫音のキャラクター性が生んだことだった。


 紫音はそんな台詞の一つ一つを言い終え、どこか満足げに目を瞑る。

 紫音の家にある急造のマイクでは、スタジオで撮ったような深みのある声や伸びなんかが表現できていないことはわかっていた。

 しかしそれでも紫音は自分自身で柚月の台本を描くことによって、二人の作品としたかった。


 紫音は台本を目に通した初めから気づいていた。

 柚月の思う紫音というキャラクターは確かになんでもできる人に変わりはなかった。

 でも、どこかで弱さを孕んでいて、それをどこかで相手にさとらせてしまうような脆さも持っているのだと。

 そう言われているような気がしたのだ。

 まるで紫音が紫音である前の姿のようなそんなものを。


 しかし紫音はそんな弱さなど持っていない。

 だから始めはどこか迷いがあった。

 あのスタジオでの環境も相まって、紫音にとって納得のいく収録ではなかったのだ。


 それに拍車をかけるように柚月の尋常ならざるあの表情。

 紫音にとってその顔は見ていられるものではなかった。

 せめてそんな顔だけはして欲しくない、というそんな思いがとっさに紫音をもう一度撮る道へと駆り立てたのだ。


「お、終わった?」


「待て待て、これって切り忘れなんだよな?ほんとはみちゃダメなやつなんだよな??」


「もしかしてこれほんとにボイスか?」


「ボイスってなんだ?」


「シチュエーションボイスっつってライバーがそのシチュエーションに合わせてセリフをいう、いわゆる音声作品。つまり本来は営利目的の品だから有料」


「紫音大丈夫かな」


『これで……いや、もうちょっと……』


「わ、びっくりした」

 

「紫オフライブじゃん」


「誰紫オフライブってw」


「紫オフライブは草」


「てかもう声質から違うのは気のせい?」


「いや、ほんと別人みたいなんだが地声?」


『これでいいかな……』


  そんな声が配信上から聞こえた時、また他の音も小さく聞こえる。

 スマホの着信音である。


『はい、もしもし……』


『…………』


『ん?配信が……』


『…………』


『ん?んんん?』


「お、気づいたか!?」


「やっとか」


「よかった……、よかったのか?」


『ご、こめん!!!配信切り忘れた!!じゃあ改めておつかれオン!!!グッバイ!!!』


「おつかれオン!」


「おつかれ〜」


「まだ大事じゃなくてよかった」


「俺らはなんか得しちゃった」


「体あり!!」


「勢いがww」


 そうして紫音はちょうど台本を一通り録音し終えたところで、柚月さんからやっとの連絡が入った。

 電話の声は紫音側からしたらかなりの大声ではあったが、幸いマイクには拾われずにことなきを得た。

 とはいっても本来有料で配信するはずのコンテンツを事故という形で公開してしまったのはまずいことではあるため、一概に問題ないわけでもなかった。


 運営からも注意が出たが、気をつけるようにという一言のみで、特におとがめもなく事態は収まった。

 それからしばらくして紫音と柚月は通話をつなぎながらサポートが足りていなかったとか、意識が足りていなかっただとか互いに謝り合う。

 どちら側も自分が悪いと思っているあたり、互いに申し訳なさを生んでしまうのも仕方ないことではあった。


 ただ、その時に出た数時間前の柚月の話題には答えることのないままこの通話も終えてしまう。



 紫音が後から聞いた話によると、収録スタジオで紹介された新人の小倉はもともと仕事に対する態度が悪かったらしい。

 今回柚月とのいざこざがあり、また仕事内容についてユナイトの運営から連絡が入ったらしく、当人の処遇としてはまだ試用期間中ということもあり、部署の方が変わる対応を相手方はした。


 そうして次回からの紫音の担当も変わり、マネージャーとの不祥事を鑑みて、スタッフは女性となったらしい。

 今回のボイスについては結局のところ全て配信に残ってしまったため、後日編集を加えた上で無料公開する形になった。

 その動画をサンプルとして活用するらしい。


 もともと他の人たちより短いということもあり、その方法を持ってこの事態をのりきることができた。


 リスナーからしてみれば、一体どういうものが販売されているのか不透明だったものが、事故であっても今回公開されることで興味に繋がることもあった。

 ファンとしてどうしても欲しいとは思っていたが、どういうものなのかがはっきりしない人にとっては十分決断するに値する材料にもなっていたようだ。

 

 そんな偶然の産物ではあったが、紫音の配信切り忘れの事故はせいぜいツイッターのトレンドに並ぶ程度で納められた。

 紫音にとってはそのことに内心ほっとしていたものの、通常の場合かなりの事故として扱われるものが七々扇紫音というキャラクター性によって特に騒がれることもなく沈静化したことを物語ってもいた。



 そして結局、紫音はなぜ柚月があんな顔をしていたのかもわからないまま眠りにつく。


 その日見た夢はどこか暗い世界が広がっていた。




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