木下水月の憂鬱Ⅶ
「って、そういえば先輩がなんか顔色悪くなったのって今週からでしたよね……。もしかして私に雫君のことを聞いてきたのって、雫君と何かあったりしたからなんですか?なんかどうにもただのバイト先の先輩後輩とは思えないんですけど……」
一ノ瀬は今になっていきなり鋭いことを言う。
確かに何かあったといえばあっただろう。
「ーーまず安心してくれていいけど、私は別に雫君と恋仲とかではないからね」
その言葉に驚くようにして反応して見せる彼女はなんでって顔を浮かばせていた。
「こういうのは先に言っておいた方がいいと思ってね。違う?」
「い、いえ。そうかもしれませんが……。でもなんで……?」
「なんでも何も、君の相談相手は私だったんだよ?君の元カレと再会してしまって……っていう話を聞いた私が、君の心情をわからないとでも思ったかい?それにその元カレを私は知っているんだ。一ノ瀬が実際のところ何を抱えているのかは知らないけど、わざわざ相談までしてくるところを見ると側からではバレバレとは思わないかい?」
その言葉で彼女は耳まで真っ赤にして恥ずかしがっていた。
たとえ相手が誰であろうと、元カレのことで相談しようと思うまで相手のことを想っているのなら、そんなの気づかないはずもない。
「な、なんか急に恥ずかしくなったんですけど……。もしかして先輩ずっと私がそう思ってること知って……?」
「――まあそうだね。よっぽどその人のことが好きなんだなって思ったよ」
「うぅ……。恥ずかしい……」
心底その顔を赤く染め上げてしまった。
本来なら相談する相手が当事者ではないからよかったのに、あとから私が実は知り合いであると言ってしまっては仕方もない。
少し悪い気もするが。
それからも二人でぽつぽつと並んで歩いた。
「それで、さっき一ノ瀬が聞いてきたことだけどね。実はバイト先でちょっとトラブルがあったのさ」
すこし開けた公園が目の前にあったためそこで話さないか、と私は一ノ瀬を誘う。
少し長くなりそうだから。
「この公園……」
彼女は少し感慨深くなったような表情をして見せるが、すぐに彼女はいったい何があったんですか、と聞いてきた。
私もこれから一ノ瀬の話を聞こうというのだから、私だけ言わないのも不公平だろう。
私は公園のベンチに座り、隣に一ノ瀬が座ったのを確認するとバイト先で厄介な客が現れたことから説明した。
私の後輩が恐喝されているところに雫君が割って入り、少し話を交わした後にその男を言いくるめたと思ったら、その男が道路に突っ込みそれをいつの間にか雫君が助けていた。
とそこまで話し終えると彼女はあきれたようにため息をついて見せた。
「変わったと思ってましたけど、何かとそういうことに首を突っ込むところは変わらないんですね」
彼女は昔を懐かしむように遠くを見て言っていた。
「それでね、私たちは警察が来てからやっと知ったんだけど、その男実はニュースでもやってた横領の犯人だったってわけ」
その言葉を聞いて何かに引っかかったように彼女は首をかしげる。
「あれ、それって金曜日の話なんですよね?」
「あぁ」
そこで何かひねり出すかのようにうなっていたが、おもむろにスマホを取り出すと少しいいですか、と言われた。
そして何か調べているところで唐突に声を出して腰を上げていた。
「それってもしかして、このスーパー従業員の話ですか!?」
「ん?スーパー従業員?」
「そうですよ!横領犯が捕まえられたことがネットニュースに取り上げられたときに、その現場で一つの動画が拡散されてたんです!どこかで似たような話をきいたと思ったらそこだったなんて」
「え、待って?そんな拡散されてることなの?」
「いえ、事件自体はそこまでだったはずなんですけど、そこの現場らしい場所で撮影された動画がツイッターでめっちゃバズったんです。そこには結構引きで映っているせいで背格好くらいしかわからないものなんですけど、いきなり路地から飛び出してきた男を追いかけている男が凄い動きで助け出してるものだったんです」
そういって彼女はその動画を見せてくれた。
そこに映っていたのはまぎれもなく私たちがアルバイトで言っている飲食店であったことからも本当なのかもしれない。
それにおそらくうちと道路を挟んで向かい側の建物の二階、三階あたりから撮影されていることもあって、よく状況が俯瞰できるが雫君が警察に言っていた内容に一致していた。
警察も半信半疑といった状況で私もそうだと思っていたのだが、彼があそこまで怪我をする何かをしていたことには疑ってはいなかったため、無茶をしていただろうことは知っていた。
でもまさか本当にこんなことをしていたとは。
「それにネットニュースの記事では横領犯が自殺を図ろうとしたところを、店の従業員が助けたことによって事件発覚に至った、と書かれていてそれとこの動画を合わせてスーパー従業員って呼ばれているんです。まぁほとんどの人はCGだとか編集だとかで信じてはいなかったんですけど、スーパー従業員っていう名称だけがこの動画とともに独り歩きして拡散されていったんですよ」
「多分雫君の話を聞く限りでは事実だろうね、これは。なぜこんな場面を撮影していたかは置いとくとして」
私がこの動画を見るにあたって一番の疑問に感じたのもそこだ。
あの日はあそこで特別な何かがあったわけでもない。
何か動画をとる目的でもなければ撮影など本来しないはずであるが。まぁこればっかりは疑問に思ったところで仕方ない。
「やっぱり本当なんですか!?……ってことはこれをやったのも片桐君ってこと!?」
「そういうことになるね」
ようやく事実を認識したかのように彼女は驚いて見せたが、ずっと私は雫君の話をしていたのだから驚く前に気づいてほしかったものだ。
そうしてひとしきり彼女は興奮し終えると、なんの話でしたっけと、始まりへと戻ってきた。
「それで、先輩は片桐君と何があったんですか?」
「あぁ、そうだな……。何かあったのかといえばあるかもしれないというくらいかな」
その言葉を聞いてようやく私は雫君に対する私の考えを整理していた。
おそらく初めて。
ずっと自分一人でどうにかしようだとか、助けたいんだとかそんなことを言うことで、決して他者にこの問題について関わらせようとしてこなかった。
初めは雫君がどこか危ういところがある、と他人に言ったとしても信じてくれないだろうと思っていたから。
それにそれを言う相手もいなかった。
でも次第に私の思考のどこかで私しか助けてあげられないんだと、思考を固めてしまっていた。
私が彼のことを知り、私が彼のことを分かってあげられればそれでいいのだと。
でも、それではダメだった。
結局雫君は自分を仮初の姿で覆って、彼の持つあらゆる感情を自分の中に押さえ込んでしまったのだから。お姉ちゃんのように。
もしかしたら、私は関わるべきじゃなかったんじゃないかとか、何をしていたら良かったのかとか、そんなことを考えるようになって。
これから何をすればいいのかもわからなくなっていた。
なら結局は私はどうしたかったのだろう。
雫君の過去を知れたとしよう。雫君が本当の意味で雫君であることができたとしよう。
もしそうなっていたなら、私は彼の何?彼は私の何?
彼は私の守るべき対象?私が勝手にお姉ちゃんとその境遇を重ねているだけなのに。
彼が放って置けないただの先輩?私が恩着せがましく接しているだけなのに。
ただの先輩ですら私にはなれないというのに。
一ノ瀬は昔の雫君はみんなから惹かれている存在であると言った。
好きなことをしている時の笑顔は絶えないと言った。
そんな雫君が本来の彼であったとするのなら、私は彼とどうあろうとしたのだろう。
『私が君に恋してるって言ったら信じてくれるかい?』
ふと私の中で、私の声で、反復される。
彼からすぐに否定されたことでもあるし、私自身否定していたかったことだ。
でも、ふとそう考えてしまえば納得してしまうほどの説得力が、この言葉にはあって、もし本当にそうなのだとしたら、私は、私は雫君が……。
「先輩!?本当に何があったんですか……?」
「え、どうしたんだい……?」
「だって先輩……泣いてるじゃないですか」




