木下水月の憂鬱Ⅵ
そのあと一ノ瀬と二人きりになりながらも、帰り道を並んで歩きながら話を交わしていた。
その話題は決まって雫君のことが多くなってしまったが、私にとって今はあまりその話題についてうまく会話を交わすことができているかわからなかった。
そんな私に気付いたようにして一ノ瀬は語りかけてきた。
「一体今日はどうしたんですか?あんまり先輩らしくありませんでしたよ?」
「そ、そうかな?」
「えぇ。今だってどこか魂が抜け落ちてるような感じでした。いつもみたいな冗談だって一度も見せなかったじゃないですか。それじゃあ、ただのクールな美人さんじゃないですか!」
最後に語気が荒くなっていたような気がしなくもないが、前半部分にあたっては確かにそうだった。
今彼女と話していても私はどこか話半分だし、あまり相手を気遣った言葉も、自然と出てこなかった。
周りから見れば冗談も一切見せなかったと見えてしまうのだろう。
「確かに、そうかもしれないな」
「もしかして、こないだの雫君の話を聞いたことに何か関係しているんですか?」
「しているといったらしているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない」
「なんですか、それ」
一ノ瀬はその整った顔を微笑ませていた。
そんな彼女が雫君の元カノだったことを考えれば、どこか至極当然だったかのように考えてしまう。
そういえば、私は雫君が今彼女がいるのかどうかとか、そんなことすら知らなかった。
私はまだ本当に彼のことを知らないんだ。
彼の住所も、経歴も、業績も、彼の過去さえも少し知っただけで、それで知った気になっていた。
口先では何も知らないと謳っておきながら、本心ではどこか知った気になっていた。
彼は単純にすごい人なんだと。
どこかに闇を抱えていて危うい状態の彼を救ってやれるのは、とってつけた過去を知った風になった私だけなのだと。
本心ではそう思っていたのかもしれない。
でも、私は彼の好きなものすら知らない。
嫌いなものすら知らない。
なんで彼が表情を隠していたのかも知らない。
なんで彼がバイトをしているのかも知らない。
なんで彼は自分が認められていることに傷ついているのかも知らない。知らない、知らない、知らない、知らない。
私は彼のことなど何も知らない。
それを時間のせいだとか、何かのせいにはしたくなかった。
全ては私の責任で、私が彼のことを深く知ろうとしなかったせいで、適当に彼の居場所に踏み込んで荒らしてしまったのだと。
彼に直接聞くことは彼を傷つけることだと思った。
それでも直接聞けば、親身に寄り添えたかもしれない。
彼を知っている人物に全てを聞くことで彼の過去が全てわかると思い込んでいた。
そんなはずもないのに。
私には彼のことを守ると言う資格すらなかった。
「ねぇ、一ノ瀬は雫君の好きなものって知ってる?」
「え、好きなものですか?中学の頃からいろんなことをやってましたけど、片桐君自身が好きっていってたのはお母さんのご飯って言ってましたね」
「じゃあ、嫌いなものは?」
「え、なんですかこれ?……嫌いなものは、確か、ないって言ってました。何かを嫌いになることは、何か損することになるじゃんって。全てを嫌いじゃなくなればなんでも楽しめるしいいだろうって」
一ノ瀬は唐突に聞かれた質問に疑問を覚えながらも答えてくれた。そう、答えられた。
「でもこんなの中学の頃の話ですから、今なんかじゃ全然違うと思います。片桐君も変わってましたから」
「雫君はやっぱり中学の頃とは違っていたのかい?」
「最初はそうでもないかなって思ってたんですけど、やっぱり全然違いましたよ。先輩には話しちゃいましたけど、中学の頃はみんなの中心に立っているようなリーダーシップがあって、自分の好きなことをやっている時はそれはもう楽しそうにして笑顔が絶えないんですもん。みんなそんな片桐君に惹かれていましたよ」
「そして今の彼と出会ってやっぱり違うと?」
「はい。なんだか雰囲気が違って、どこか寂しそうでしたもん。……でも、そうなってしまったのもきっと私のせいなんです」
一ノ瀬からはこの間、私が雫君の先輩だと明かして彼がどんな人だったのかを聞かせてもらっていた。
彼は中学の時サッカー部に所属していて、ポジションはフォワードを務めていたこととか、その一方でピアノもすごい腕前で文化祭とか合唱コンクールでもその才覚を見せていたんだとか。
彼自身誰にでも分け隔てなく接するような人だったから、自然とクラス人達の中も良くなって校内一の絆を持ったクラスとして三年間君臨していたそうな。
一ノ瀬はそんな彼のことを恍惚とした表情で語っていたものだから、思わず惚気話を聞かされたとも思っていたっけ。
ただ一通り彼のことを話し終えた一ノ瀬はその表情に曇りを見せ始めていた。
これまで一ノ瀬自身が出てきていなかったこともあって、多分そのことに触れるのだろうと思っていた。
案の定彼女が話してきたのは中学二年生の頃の話で、彼女らが付き合っていた一年間についてだった。ただ、この間はどこか不明瞭な説明でどこか上な空だったものだから、あまり追求はしなかったのだが、彼女が自分を責めるのはこの一年間に何かあったからと捉えるのが自然なのだろう。
「一ノ瀬。本当のところを教えてくれないか。この間私は君に無理を言う形で聞いたのは申し訳なかった。その時はいち早く知りたいと思ってたんだ。なんとしても。そんな私に気付いてどこか濁した説明をしていたんだろう?一ノ瀬は」
「……わかっちゃいました?先輩がすごい剣幕をするから教えちゃいましたけど、本当は私が言っていいことじゃありませんし、みんな知ってることなら話もいいかなって。少し話しすぎちゃった気もしますけど……。それにちょっとあの時の先輩怖かったですし……」
「いや、それについては今更ながらにごめんね」
「あぁいえいえ、短い間ですけど先輩のことはちゃんと信頼してるので。怖いと言ってもちょっと涙が出たくらいですもん」
「本当ごめん」
あの時はなんとなく何かしてなければいけないような気がしていたから。
その焦りがどこか表情で出てしまっていたのだろう。
実際にその杞憂は杞憂ではなかったのだから。




