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木下水月の憂鬱Ⅲ

 

 だから私はお姉ちゃんと同じ瞳をした雫君を救いたいと思った。

 お姉ちゃんがふとしたときに見せていたあの悲しい瞳をして欲しくなくて、美しくあった雫君に美しくあってほしいと願った。


 しかしそれも叶わない。


 今の雫君は私が何もしてあげられなかったお姉ちゃんのようだった。

 それも私が関わる前よりも圧倒的に。

 自分の本心を隠して、雫君にとって何者でもない自分というのをどこかに押さえ込む。

 一見してみれば立ち直ったかのように思えるものも、何もかもがお姉ちゃんと一緒だ。

 お姉ちゃんの時は何もしなかったから本心を隠し、雫君の時は何か余計なことをしてしまったから仮初の姿で自分を覆ってしまった。

 

 そんなの私が悪い以外に何が言える。

 私のせいでどっちにとっても最悪な状態を生み出させてしまったのだから。



 雫君、私はどうすればよかったの。





 翌日、その翌日と日々は過ぎていく。大学もあれば、バイトもある。

 でもそんな日々もこれまでどこかに彩りを感じていたはずだった。言わずもがな、雫君の存在だったのだろう。

 あんなに綺麗でなんでもできて、優しくて紳士的なのにどこかほっとけない。

 そんな存在であった雫君は、もうどこにもいなかった。


「こんにちは、水月先輩。今日もご苦労様です」


「こんにちは、雫君」


「顔色悪いですけど、大丈夫ですか?ちゃんとご飯食べてます?配達ばっかりに頼ってちゃダメですよ」


「ありがとう、肝に銘じておくよ」


「ほんとですか?昨日も聞いた気がしますけど」


 少し微笑むようにして笑って見せた青年は側からみればどこか憑き物が取れたような表情に見えるだろう。

 何せこれまでの彼は愛想笑いはして見せても、どこか自然に漏れ出たような柔らかい笑みなど浮かべていなかったのだから。


「ねぇ、最近片桐君変わったよね〜」


「うん、なんて言うか、とっつきやすくなった」


「そうそう、前より距離が近くなったって言うか、話しやすいみたいな?」


「ね!あっ、片桐君こんにちは〜!」


「こんにちは、先輩」


 そうして彼はこの場にいる全員と挨拶を交わしたあと、更衣室へと向かっていた。

 これまで全員と挨拶はするものの、どこか上辺だけなのだろうことは周囲がなんとなく気付いていた。

 でも彼が一度仮初の殻を被ってしまえば、こうも周りの反応が変わるとは思わなかった。

 みんなにとってこの変化は間違いなく良いもので、多分私以外の誰から見てもいい変化と呼ばれるものなのだろう。

 本人のことを度外視すれば。


「はぁ〜、今日もかっこいいなぁ」


「あれだけ容姿が整ってたらモデルとかやってそうだけど、片桐君って何やってるのかな?」


「そういえば、私たち片桐君のこと何も知らなくね?」


「やっぱりアイドルとか?」


「そういえば雛っち、こないだ片桐君に助けてもらったんでしょ?なにか聞かなかったの?」


 休憩室でシフト前の時間で待機している女子高生の二人が、同じく待機していた雛森ちゃんに話しかけていた。


「いや、助けてもらったけど、特に話とかしなかったから……。そういうことはあんまり……」


 雛森ちゃんはこの二人と同じ学校の同級生らしいが、その仲はあまり良好ではないらしい。


「ちぇっ。どうしようかなぁ。どうせならバイト帰りについて行ってみる?」


「えっ、でも片桐君自転車だよ?」


「そこはほら、私たちも自転車借りてこっそりと……」


「だ、ダメだよ!」


「あ?」


「先輩のプライベートまで詮索しちゃダメだよ……!」


 雛森ちゃんはどこか消え入るような声で二度目の叱責を加えた。


「なに、そんなマジになってんの。冗談に決まってるじゃん。雛っちってば冗談通じないんだね」


「ちょっと」


「なにさ。ほら行こっ」


 そんな風にしてホールの方に向かった二人組。そうしてここに残ったのは私と雛森ちゃんの二人となった。


「あの子たちもよくあんなこと言えるわね」


「木下先輩……」


「雛森ちゃんだって怖い思いをしてたのに」


「ーーいえ、いいんです。私っていっつもこうですから」


 彼女は顔の横から伸びた髪をいじるようにして言っていた。


「こうって、さっきみたいに注意しちゃうところ?」


「そうです。私ってどうしてもああいうことを聞くと反射的に言葉にしちゃって」


「いいじゃない」


「え?」


「いいじゃない、それでも。私なんてこいつキモいなって思ったら真正面からキモいっていうくらいするもの」


「そ、それはまた違うんじゃ」


「そう?自分が思ったことを言っちゃうっていう点では同じだけどね」


 彼女は目を点にしたかのような顔をしていた。


「それとも、雛森ちゃんはこのまま放っておいて雫君をストーカーさせておいてよかったの?」


「よ、良くないです」


「ならいいじゃない」


「でも、彼女らは冗談だって」


「そう?少なくとも私と雛森ちゃんが冗談だって思わなかったんなら、その冗談が下手だったってわけね。彼女が全面的に悪いじゃない」


 彼女はどこかその瞳を輝かせながら言っていた。


「そんな考え方、したことありませんでした」


「そう?便利よ、こういう考え方。特に私みたいに思ったことを言っちゃうタイプは」


「参考にします!」


 勢いよく立ち上がったものだからコーヒーをこぼしてしまうかと思ったが、そうはならなかったのでよかった。

 案外シミを落とすのは面倒くさい。できれば洗濯しないで済むほうがずっと楽だ。

 それに、彼女のまるで尊敬している先輩に向けるような目を見てしまっては仕方もない。


「じゃあそろそろ入ろうか」


「はい!」


 私が紙コップをゴミ箱に捨てたのと同時くらいだっただろうか。裏口の扉がノックされたのが聞こえた。


「誰でしょう?」


「とにかく私が対応しておくから先に行きな?」


 彼女はお願いします、と言葉を残してからホールに向かった。

 私はそれを見送るようにして裏口のほうへ向かう。

 するとそこから顔を出してきたのはトレンチコートに身を包んだ男性だった。


「こんにちは。私はこういったものなのですが、今日は取材のために参った次第です」


 そういうと男は懐から名刺を一枚だし、私に渡した。そこにはよく聞く新聞会社の名前と男の名前が書かれていた。


「すみません、店長を呼んでくるのでそこで座ってお待ち下さい」


「ご丁寧にどうも」


 そう言って私は男を休憩室の一角に案内して座らせる。

 そして店長を呼びつけ記者の人が来ているというと、すぐさま部屋から飛び出して休憩室の方に向かって行った。

 それを見送ったあと、私はいつものようにバイトのホールに向かった。

 

 とくに雫君ともこれといった会話もせず、でも何となく変わってしまった雫君を私が避けてしまっていた。

 結局あの人は何のために来ていたのかは知らないままに、その日は過ぎ去って行った。


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