他愛のない日常Ⅴ
「げっ、なぜあいつらが……」
「あれ、水月先輩の知り合いですか?」
男は水月にそう問いかけた。
綾香と水月が知り合いであろうことは知っていた男だが、ここまでの有名人と知り合いであるのかが疑問として引っ掛かったのだ。
「あぁまぁ知り合いっちゃ知り合いかな。一応大学の同期だからね」
そんな水月の心底嫌悪を隠そうとしない表情を見て、男はなるほどと言ってその関係についてあらかたわかった。
「にしても、なんでここにいるんだ……?」
「先輩が呼んだんじゃないんですか?」
「違うよ。天地がひっくり返ってもそれはないね。私のバイト先なんて教えていないはずなんだが」
「それなら接客は水月先輩がします?知り合いということですし」
「いいや、遠慮しとくよ。どうにも私が行くと拗れそうだからね」
まるで水月の瞳は獲物を狙うときの野生動物的な眼をしているのを男は見てしまう。
そのせいで少し足が竦んでしまったのは仕方なかったのだと男は結論づけた。
「ん?あれってもしかして浅野緑!?」
すると他の客を接客していた件の女子高生である東雲が、声を上げて見つめていた。
そんな視線に気づいたのか、緑は周りを見渡して自分を見ていた東雲の存在に気づくとウインクまでしてみせる。
「わぁああ」
そんな声を上げてお冷のトレイを持つ手を一気に顔へと持っていってしまったものだから、男の目の前でトレイが綺麗に落ちる。
それを男が間一髪で受け取ったから大事にはならなかったものの、彼女は自分がトレイを落としたことにさえ気づいていない。
「ちょっと、仮にも仕事中なんだけど?」
そんな様子に隣で仁王立ちしている水月は、叱責しないわけにはいかない。
事実、東雲はそんな様子にふてくされた様子と、まるで反省していない様子で表面上謝罪する。
「ごめんなさ~い。次からはちゃんとしま~す。ってか片桐君ごめんね?迷惑かけちゃって」
「ちゃんと反省してるなら別にいいんですが、仮にも仕事中はちゃんとしましょうね?」
そんな東雲の様子にも男は微笑むようにして言葉にする。
彼女はポーッとした恍惚とした表情でうなずく。
その様子はきっと誰から見てもしっかりと忠告を聞いたような様子ではないのだが、当の男はそれでもいいとさえ思っていた。
「う、うん。あ、ありがと」
「今度からはしっかりしましょうね」
「わかった。ちゃんとする」
そういって男は東雲がホールの注文したテーブルに戻っていくのを見守る。
「はぁ、雫君はこれでいいの?」
「いいと思いますけどね。これでちゃんと仕事をしてくれるようになるというなら」
「君がいいならいいけどね。でも、優しさだけが求められていることではないんだからね?結局は問題を先送りにしているだけ……いやそれは、まぁいいか」
「……覚えておきます」
そうして水月もまた、ホールの人の渦へと飲まれていった。
それを見送りながら、男も注文が入ったテーブルへと向かう。
「お、片桐君じゃん!また会ったね」
「ごめんね?緑さんってこういう人で……」
「別に構いませんよ。ではお伺いします」
「じゃあ、私はこれとこれ」
「うーん私はこれかな?」
「以上でよろしいですか?」
「あと、君の連絡先を教えてくれるかい?」
「ちょ、緑さん!何言ってるんですか!?」
「いいだろう?別に減るもんではないし」
「場所を考えてくださいよ!これじゃあナンパしてるみたいじゃないですか!!」
「む、それは心外だな。では……早く連絡先を渡せ」
「言い方の問題じゃありませんからね!?」
「これも違うか。う〜ん、ではやはり綾香のスマホから勝手に……」
「それに至っては犯罪ですよ!?」
「あぁわかってるわかってる。で、どうなんだい?片桐君」
二人はあいも変わらずテーブルを挟んで一種のじゃれあいのようなものに興じる。
それを男はどう反応すればいいのかわからないと言った風であるが、綾香なりの誠意が見えたこともあり、この場はことなきを得ようといつも通りの対応に移る。
「では注文の確認をさせていただきます」
「ん?」
「………で間違いありませんか?」
「あぁ、じゃなくて。連絡先!交換しないかい、と言っているんだが?」
「なんでそんながめつく求めてるんですか!彼は今仕事中ですって!」
「いやここは綾香の保護者として私がこやつを見定めなければならんのだよ!だから渡しておいた方が得だぞ?」
「ちょ、本当にどうしたんですか緑さん!」
今この空間において、この地帯はどうしても視線を浴びがちになる。
この飲食店の一番人気の男と、人気読者モデルの二人が相対しているからだ。
それに加えて、どこか異様な雰囲気を感じ取っている周囲はコソコソと小言で話し始める。
「やっぱり有名人といっても片桐君には一目惚れしちゃったのかな!?」
「いやこれはやっぱり三角関係!?恋の匂いがする!」
「隣に立つと余計美男美女カップルって感じでイイ」
「尊い……」
とはいってもその内容は実に他愛もない個人の妄想の範疇ではあった。
そんな声に導かれながらも、男は少しその笑顔をひつかせて、やがてため息を漏らす。
「緑さんでしたっけ?有名人ならそれなりの自覚を持った方がいいんじゃないんですか?」
男はそんな言葉でどこか緑を絆すようにしていった。
ポケットからはスマホを取り出し、そして彼女へと渡す。
「キャー!これってOKってこと!?」
「え!?そういうことなの!?」
「すごーい、こんなところ生で見ちゃったよ、」
そんな声が聞こえたり聞こえなかったりするその数秒間で、男の目の前でスマホを操作する緑はようやくそれを返す。
「ちょ、緑さんっ!片桐君……本当にごめんね?」
「いや、いいんだよ。……でも、ここは飲食店。公共な場なのでもう少し節度をもってもらえるとこちら側も助かります」
「……あぁそうだね。その端正な顔に免じて許してやらんでもない」
「ちょっと、本当にどうしたんですか緑さん。迷惑かけてるのは私たちの方なんですからね!?」
綾香はそんなふうに緑を必死に宥めるようにしてこの場を治めた。
そのときの様子は綾香からしてみればかなり稀有に映っていた。
何せ彼女と再開したのもつい数刻前のことで、お互いに高校の時とは違う何かを感じ取っていたからだ。
緑はそんな違う何かをここへやってきてから機敏に感じ取り、それが目の前にいる男のせいだと思っていたからこうも邪険な態度を取った。
本来の彼女はいわゆるムードメーカー。
どんな人に対してもおんなじ接し方をするし、男女共に好かれる存在なのだから。
綾香にとってそんな彼女が唯一の緑だから、その動揺が大きく出たのも仕方がなかったのだ。
しかし、そんな空気も時間が解決してくれたようで、飲食店から出る頃には入ってきた時と同じ様な仲のいい先輩後輩といった感じであった。
そんな様子を男はなんでもなかったように見守り、今日という日もまた終わり行く。
「まったく厄介な客が来たもんだよ」
「まぁ確かにそうですね」
「ん?まるでそうは思ってないみたいだが?」
「いや彼女らを見ていると本当に互いを尊敬しあってる関係なんだなって、そう思ったんです」
「……まぁ先輩後輩という意味で言ったら私たちだって負けてないだろう!なぁ雫君!?」
「そうですね」
男は少し微笑んだようにして見せた。
どうやら水月はどこか本当の意味でつきものが晴れたような顔をしているのだから。
まるで出会ったばかりのころのように。
「水月先輩」
「ん?なんだ?」
「そのお守り、俺がまだ高校に入る前にもらったものなんです」
「な、なんだいきなり……!?返せって言ってももう返さないからな!?」
「いやそんなこと言いませんって。ただちょっと知っておいてほしかったんです。もともとはそのお守りは俺がお母さんから本当の意味でもらったものなんです。なんでもこのお守りには特別な何かがあるらしいんです」
「え、や、やっぱり返してほしいんだろう……。そんなこと言われたら私は返しちゃうぞ?」
「いや、違いますから!ただ知っといてほしいんですって!このお守りはいつも俺の心のたすきだったんです。だから今度は水月先輩に持ってもらいたいって思ったんですよ」
「そ、そんなこと言われたら……もう受け取るしかないじゃないか……」
男は水月にそう言った。
男にとってそのお守りは貴重なものなのだと、そう言ったのだ。
それを託すということはそう意味なのだと。
普通ならだれか大切な人にと。
そう思うものなのに。
男はそんな感情で渡したのではない。
では一体なぜ渡したのか。
それは多分男でさえわかっていなかった。
どこか遠くを見つめている男。
そんな男の後ろ姿をどこか恋慕の視線で見続けていた水月に男は気づかない。
気づくことはない。
それがゴームデンウィーク前最後の日だった。
これで木下水月の憂鬱に繋がります!




