第六十三話 心装VS心装
1/27追記
感想欄で指摘が多かったので魔法の設定を一部変更しました
……最近こんなんばっかりだな( ̄▽ ̄;)
①地水火風の魔法はいずれも七十八を至高とする→第九圏を至高とする
つまり「弱 第一圏→第二圏→(中略)→第九圏 強」となります
②詠唱の際の「○○の六十六」というような番号呼びはなくします
「ソラ、ソラ…………空? ほう、ほほう?」
クラウディアが叫んだ名前を聞いた老爺は、興味深そうに見えない目を細める。
長年、御剣家に仕えてきた老爺にとって、ソラという名前はおおいに聞きおぼえがあるものだった。
偉大なる剣聖の、卑小なる息子――御剣空。
「カナリアに流れてきておったのか? じゃが……」
老爺の声に疑問が宿る。
ソラと呼ばれた人物からは激流のような勁が感じられる。
轟々と音を立てて身体を巡り、大気を震わせる力の脈動。
試しの儀さえ超えられなかった凡骨と同一人物とはとうてい思えない。
このあふれんばかりの勁は間違いなく心装を会得した者のそれだった。
幻想一刀流は門外不出の武術。幻想一刀流とかかわりのない人間が心装に至ることはありえない。
であれば、やはりソラは空なのだろう。
もっとも、空は正式に幻想一刀流を学んだわけではない。そんな人間が独力で心装を会得したのだとすれば、それはそれで信じがたいことではあった。
老爺は愉快そうに低い声で笑う。
面白い、と思ったのだ。
老爺と空に接点はなく、追放された宗家の嫡子に思い入れなどない。
だが、空が力を得るためにどん底からはいあがり、心装を会得したというのなら――その事実には敬意を表しよう。
なんとなれば、それは老爺自身もかつて通った道であるからだ。
「御剣空殿とお見受けする。拙僧は青林旗士が一人、慈仁坊と申す。先日は空殿とはつゆ知らず、名乗りもせずに失礼いたした」
それは老爺――慈仁坊にとっては最大限の敬意を込めた物言いであった。
もっとも、襲撃者という立場、しかも周囲には公爵家の主従が倒れている状況を考えれば、人を食った態度だと受け止められて当然である。
無視されても仕方ない。
だから慈仁坊は相手が応じざるを得ないよう、次の言葉を付け加えた。
「クラウディア・ドラグノートを呪いしは姉のアストリッド・ドラグノートに相違なし――拙僧の助言は役に立ちましたかの?」
それを耳にした姉妹が弾かれたように慈仁坊に顔を向け、次いで空に視線を向ける。
これに対し、空は軽く肩をすくめた。
「役には立ちましたね。御坊のように濁りきった魂の持ち主が名指しでアストリッド様を犯人だと訴える。それはつまり、アストリッド様が潔白である証拠ですから」
「ヒヒヒヒ! それは慧眼というべきですな。竜牙兵ごときに歯も立たず、島を追放された御方がずいぶんと成長なされたようで」
嘲弄がたっぷりと込められた悪罵に対し、空は等量の悪意で応じる。
「なに、追放されたというなら御坊も似たようなもの。立場は私と大して違わないでしょう」
「ヒヒヒヒヒヒ! これは思いもよらぬ言葉かな。カナリア攻略を一手に任された拙僧と、追放された御身のどこに共通点がございましょうや? もしただいまの言葉が妄言でないとおっしゃるのなら、無知蒙昧なこの身にぜひぜひご教授いただきたい」
「なに、簡単なことです。御坊が真に戦力として御剣に必要とされているのなら、島の外に出されるわけがありません」
そう言うと、空は唇を曲げて慈仁坊を見据えた。
「当主たる剣聖を筆頭に、青林八旗の心装使いはすべて鬼ヶ島の守りに就くのが御剣家の軍法なり。そうしなければ、鬼門からあふれでた魔物によってたちまち島の守りは喰い破られてしまう。例外となる心装使いは入隊したての若者か、戦う力を損なった傷病者、あるいは発現した心装の能力が島での戦いに堪えぬ者」
そういった者たちは使命を帯びて島を出る。
島では戦えずとも、外の魔物や、まして人間相手なら十分以上に戦力になるからだ。
いわば戦力外の有効活用。
口うるさい帝国の要求を彼らに片付けさせる一方、精鋭をもって島の守りを磐石ならしめる――それが今代の御剣当主のやり方であることを空は知っていた。
「今この場に立っている。それだけで御坊の力、御坊の立場は知れるのですよ。私が追放された身ならば、御坊は左遷された身。ほら、たいした違いはないでしょう?」
「ヒヒ、世迷言を。拙僧のレベルは七十三ですぞ? こう申しては何じゃが、若ごときと同列視されるのは心外ですじゃ」
「その心装を見るに、御坊の力は音と呪詛に特化している様子」
「……ぬ?」
「霊園からこの邸にまで届くのであれば、これほど有用な遠距離攻撃はないにもかかわらず、御坊が島での戦いに不要とされたのは何故か? それは御坊の力が一定以上の勁の持ち主には通じないからです」
「……」
「勁とはすなわち体内で生成される魔力。私程度に通じない技が、鬼門の魔力を帯びる島の魔物に通じるはずもない。すなわち、御坊にできるのは己より弱い者をいたぶることだけです。どれだけレベルが高かろうと、そんな相手を恐れる理由はありません」
きっぱりと断言する空。
そうして、その手に握った黒刀を一閃させる。
次の瞬間、百を超える陶器が一斉に割れるような音が公爵邸の庭に鳴り響いた。
◆◆◆
それは慈仁坊の魔力によって顕現していた瓦崗寨の黒壁が、無数の破片となって砕け散る音だった。
空が放った颯――飛ぶ斬撃によるものである。
千々に砕けた壁の欠片は、地に落ちるや雪のように溶けて消えていく。
自身の最強の盾が、ただ一刀でこっぱみじんに砕け散ったことを知った慈仁坊は白濁した両眼を剥いた。
だが、驚いている暇はなかった。
粉々に砕かれた壁の向こうから、黒刀を振りかざした空が躍りかかってきたからである。
公爵邸の壁に寄りかかっていた慈仁坊に退路はなく、手にしていた琵琶――心装・死塚御前で相手の斬撃を受け止める。
二つの心装がぶつかり合った瞬間、死塚御前から絹を裂くような叫喚が発せられた。
それは死塚御前に備わっている自動反撃。ドラグノート父娘を制した音響攻撃を数倍にも高めたもの。
並の相手であれば一撃で鼓膜を突き破られ、耳から血を噴出させてもだえ苦しんだに違いない。
だが、空は平然と死塚御前の反撃に耐えた――いや、意にも介していなかった。
先に空が推測したとおり、死塚御前の音響攻撃は一定以上の勁量の持ち主には通じないのである。
このままでは押し負ける。
心装同士のつば競り合いを演じながら老爺は悟る。悟ると同時に、その口から甲高い哄笑がほとばしった。
「ヒッヒヒヒヒヒ! 愉快、実に愉快! こころゆくまでクラウディア・ドラグノートをなぶろうとしていた拙僧の方が、逆に苦境に立たされるとは! ままならぬが人生、なればこそ愉しからずや! よかろう、ここからは本気で参ろうぞ!」
言うや、慈仁坊は怪鳥のように吼えた。
途端、空の身体が何かに突き飛ばされたように後方に吹き飛んだ。
慈仁坊が至近距離から空に勁砲を浴びせたのである。
空が扱える初歩の勁技を慈仁坊が扱えない道理はない。
空に与えたダメージは軽微であるが、慈仁坊は気にしなかった。肝要なのは相手との距離を稼ぐこと。空が体勢を立て直すより早く、慈仁坊は次の詠唱を開始していた。
「『鉄騎鋼兵号して百万、傷兵老馬篭るは辺寨』」
その詠唱は素早く正確であり、なにより精緻であった。編まれた魔力が寸分の狂いなく魔法を構成していく。
この場に魔術師がいれば、慈仁坊のそれが魔術師の到達点である聖賢レベルの詠唱であると感嘆したであろう。
「『鉄なく糧なく水尽きて、されど旌旗はなお折れず。集うは雑兵、誓うは革命。瓦を積みて壁となし、崗を穿ちて壕となせ。其は不落の寨たり――瓦崗寨』!」
詠唱を完了させた瞬間、慈仁坊を中心に黒い壁――否、城壁が現出する。
詠唱破棄による部分的な顕現ではなく、慈仁坊の周囲をぐるりと取り囲むように現れた城壁は、先ほど砕けた黒壁とは厚さから高さから密度からすべてが違っていた。
それは、小なりといえども一個の砦であった。
「これは拙僧の最強の盾。たっぷりと魔力を込めたゆえ、先刻のように一刀で砕けるとはゆめゆめ思わぬことですじゃ。これで若の攻撃は拙僧に届かず、しかし拙僧の攻撃は若に届く」
慈仁坊は咽喉を震わせるようにして笑った。
「ヒヒ。若よ、先ほど拙僧を恐れる理由がないとおっしゃっていましたな? まさかまさか、あの程度のことを見抜いただけで拙僧に勝てるおつもりであったのか? であれば、一を識りて二を知らずとは、まさに今の若のためにある言葉! たしかに拙僧の心装には限界がござるが、それを補う術はござる。そも、能力が一つしかないなどといつ申し上げましたかな!」
言うや、慈仁坊は次の詠唱を開始した。
「『木は朽ちよ、草は枯れよ、土は腐れ』」
響く老爺の詠唱。
そして、それと同時に聞き慣れないもう一つの声が、もう一つの魔法を唱え始めた。
「『その血は煮えたぎり、その髪は燃え盛り、その眼は沸き返る』」
それは心装が発する声だった。慈仁坊の手の中にある死塚御前が、悲鳴にも似た声で詠唱を紡いでいく。
「『舞うは灰燼、満ちるは瘴気』」
「『纐纈の城、髑髏の椅子。翻るは叛逆の旗、倒れ伏すは凶刃の贄』」
二重詠唱。それが慈仁坊の心装が有するもう一つの能力だった。
「『膿みて爛れて腐乱せよ――糜爛穢土』!」
「『血眼炎手、我が敵に死の抱擁を――火炎姫』」
慈仁坊の詠唱の完了と共に第七圏の土魔法が発動し、公爵邸の庭が急速に腐敗しはじめた。
瓦崗寨が展開している場所を起点として、庭の土がぐじゅぐじゅと音をたててぬかるんでいく。
門と玄関を結んでいた石畳さえ腐蝕魔法の影響から逃れることはできず、粘土のごとき粘着質の物質へと変化していった。
綺麗な緑色だった芝は瞬く間に暗紫色の枯れ草へと姿を変え、鼻が曲がるような悪臭があたりを覆う。
次いで響いたのは、公爵家に仕える者たちの狼狽の声だった。
腐蝕した庭は底なし沼と化し、その場にいる者たちを土中へと引きずりこもうとする。腐った土に足をとられた者たちは、とり餅についた昆虫のように抗えば抗うほど深みにはまり、動きを縛られていった。
逃げようにも、すでに庭の全域が老爺の魔法によって汚染されていて逃げる場所がない。
同じことは空にも起こっていた。
しかも、空に対しては死塚御前が生み出した十を超える炎の触腕が唸りをあげて迫っている。
勁で強化された身体ならば避けることはできるだろう。
だが、それをすれば炎は身動きのとれない他の者たち――特にドラグノート父娘に向かうことは明白である。
空の視界の中で、慈仁坊の口が三日月の形に開かれた。




