第14話 ふたりの鬼人
空はルナマリアの助言を受けてベルカへ発った。
同じカナリア王国といってもベルカははるか西方の都市であり、往復にはそれなりの日数を要する。藍色翼獣であるクラウ・ソラスに乗れば、ごく短期間で往復できるとはいえ、それでも数日はかかってしまう。
その間、カガリはティティスの森からイシュカの邸宅に戻っていた。森で見るべきところは見たので、残った時間は人間の街の観察兼食べ歩きにあてようと考えたのである。
そんなカガリの案内をしたのがスズメだった。
スズメにとってカガリは父母以外で初めて会った同族である。ほんの何ヶ月か前まで森でひとりで生きてきたスズメは、他者との付き合いがあまり得意ではなかったが、同族への関心はもちろんある。
カガリの闊達な性格も手伝って――というよりカガリの方から積極的にスズメに話しかけた結果、ふたりは普通に会話する分には問題ない関係に収まっていた。
「いやー、人間の街は食べる物食べる物みんなうまいなあ! 西都の屋台も気に入ってたけど、正直こっちとは比べ物にならない」
右手に川魚の串焼きを、左手に蜂蜜と果物のパイを持ったカガリが感心したように言うと、こちらは両手でパイを持ったスズメが表情に興味を浮かべて尋ねた。
「そうなんですか?」
「ああ。こっちの屋台の食い物は向こうじゃ王族の食い物だ」
そう言うや、カガリはあーんと口を開けてパイにかぶりつく。かなり大きめに切ってもらった三角片の焼き菓子が一瞬で半分以上なくなってしまった。
次いで、カガリは同じように川魚の串焼きにかぶりつき、骨ごとばりぼりと豪快に噛み砕いてからニカリと笑う。
「甘い物を食った後だと塩味が引き立つ。そして、塩辛い物を食った後だと甘さがより引き立つ。我ながら完璧な組み合わせだな」
いつまでも食べていられそうだ、と子供のように目を輝かせながら話すカガリを見て、スズメはくすくすと笑みをこぼす。
スズメから見ればカガリは二歳年上なのだが、その言動は三人の子供たち――アインやツヴァイ、ドーラと大して変わらない。
大きな弟ができたような気分になりながら、スズメは自分も蜂蜜パイをはむはむと美味しそうにかじった。
そうしながら、ふと空に連れられて森を出たときのことを思い出す。あのときのスズメも、今のカガリのように見る物、聞く物、食べる物に目を輝かせていた。
スズメはそのことをカガリに告げる。
「私も、森を出たばかりの頃はこの街の賑やかさと豊かさに驚きました」
「スズメはずっとあの森の中で生きてきたんだよな。あそこからこの街に来たら、そりゃ驚くしかない」
そう言った後、カガリはスズメを案じるように声に優しさをまとわせる。
「……鬼人族はこっちだと迫害の対象だと空から聞いてる。つらい目に遭わなかったか?」
「大丈夫です。あのときは空さん、シールさん、ルナマリアさんがずっと守ってくれましたから」
その言葉どおり、スズメはイシュカに来てからというもの、鬼人であるという理由で危険な目に遭ったことはほとんどない。
今も空とシールに買ってもらった鳥打帽をかぶって角を隠しているが、これは気に入っているから着用しているだけであり、帽子をかぶらなければ外出できないというわけではなかった。
当然と言えば当然だろう。スズメは竜殺しのクランである『血煙の剣』の一員であり、カナリア王国に強力な解毒作用を持つ果実をもたらした功績で国王じきじきに褒詞をさずかったこともある。
スズメに手を出すことは、一に竜殺しを敵にまわし、二にカナリア王国を敵にまわす愚行と言ってよく、イシュカにおけるスズメの安全は幾重にも保障されていた。
くわえて、スズメはミロスラフに魔法を習い、セーラ司祭に格闘術を習い、シールと共にクランに持ち込まれた依頼をいくつも解決した気鋭の冒険者でもある。不心得者が襲ってきても自力で撃退できるくらいの実力はとうに持っていた。
「……それでも、空さんには遠く及ばないのですけど」
スズメはそう言って力なく息を吐いた。
森で暮らしていたときより強くなったことは間違いない。以前、ベルカ行きに同行させてもらってからは、空もスズメに対して遠慮なく役割をふってくれるようになった。
今のスズメはもう庇護されるだけの存在ではない。
――ただ、本当の意味で空の役に立てているかと問われれば、首を横に振るしかなかった。
それほどに空の成長は著しく、スズメがどれだけ懸命に努力しても空との差は開く一方だ。
だからといって努力をやめるつもりはもちろんないが、ときどき夜空に浮かぶ月をつかむにも似た虚しさを感じることも事実である。これはスズメだけではなくシールも感じていることであり、ふたりはときどき互いの部屋で愚痴をこぼしあっている。
空に対する愚痴ではなく、力のない自分たちへの愚痴だ。
そんなスズメに対して、カガリは不思議そうに首をかしげた。
「遠く及ばない、か? そんなことはないと思うが」
「……え?」
「もちろん空はすごい奴だが、スズメも十分にすごいと思うぞ。もう同源存在とは会っているんだろ? 同源存在に会えたなら、心装を修得するまで階ひとつを余すのみだ」
心装さえ修得してしまえば、空との差を一気に縮められる――そう口にするカガリの声に気休めの響きは一切ない。当たり前のことを当たり前に指摘した、そんな感じだった。
だが、スズメにとっては晴天の霹靂である。心装の修得はスズメとシールにとって念願とも言えるもの。自分がそこに近い場所にいるとはまったく思っていなかった。
スズメは戸惑いをあらわにしながら口をひらく。
「あ、あの! 私が同源存在に会っているというのはどういう意味ですか?」
「そのままの意味だぞ。自覚がないってことはまだ話せていないのか? そうだな……夢の中で見上げるほどの巨人とか、しゃべる動物とか、赤い眼の鬼人とか、そういったものに会ったことはないか?」
「あります!」
思わず声を高めるスズメ。以前、ベルカにおもむく前に空に話した「夢の中に出てくる血のように赤い眼をした人」と、カガリの例えは明らかに符号していた。
実のところ、空からも赤目が鬼神である可能性は教えられている。ただ、空の情報は他者からの伝聞であり、それも無理やり口を開かせて得たものだから必ずしも信用できるわけではない、とも言われていた。
実際、夢に出てくる赤目はスズメに話しかけるでもなく、かといって襲ってくるでもなく、じっとその場にたたずんでいることが常で、スズメは赤目が鬼神であるという確信を持てずにいたのである。
だが、同じ鬼人族であり、自身で心装を修得しているカガリの言葉には確かな説得力があった。
スズメは逸る自分の心を抑え込むように胸に手を当てると、慎重にカガリに問いかける。
「あの、そういうのって見るだけで分かるものなのですか?」
「んー、人によるかな。スズメの場合は同族ってこともあるが、たぶん同源存在が俺に近いんだと思う」
カガリの同源存在は饕餮。鬼神蚩尤に最も近いと言われる悪神である。
その饕餮とスズメの同源存在は近いものだとカガリは感じていた。
蚩尤に近い同源存在はそれだけ強いというのが鬼界の常識である。そして、二本角の鬼人女性は一本角の鬼人男性よりも保有する魔力が多いというのも常識だった。
スズメが戦闘と心装に習熟すれば自分に迫る戦士になる、とカガリの直感は告げている。それこそ三百年前、幻葬の志士を率いて蛇を封じたアトリのようになれるかもしれない。
――まあ、スズメみたいに優しい娘が俺や空の域に達するのはなかなか難しいと思うけど。あ、でもアトリも戦っていないときはおしとやかだったって話だし、案外可能性はあるのか?
カガリは内心でひとりごちる。
強者との死合を望んでやまないカガリは、スズメが望むなら助言や協力を惜しむつもりはなかった。
そこには同胞に対する好意とは別に、中山の王弟としての打算も含まれている。
空にも言ったが、スズメが空に惹かれているのは傍目にも明らかだ。その想いを行動に移さないのは、弱い自分は空にふさわしくないという引け目があるからだろう。
心装を修得することで自信を得たスズメが空と結ばれてくれれば、人間である空に偏見を持つ同胞も態度をやわらげるはず。そうなれば移住もずいぶん楽になる――カガリはそう考えていた。
もっとも、そのことをスズメに伝えるつもりはない。年若い同胞の純粋な恋慕に打算を混ぜ込むのは無粋もいいところだ。
他方、カガリは空に対しては上記のことを伝えていた。これは「空は自分の想いに打算を混ぜられたところでまったく気にしない。むしろ、そういう考え方もあるんだと伝えた方がスズメを意識するようになる」と読んでのことだった。
一緒に風呂に入ったとき、スズメに一目ぼれしたのか、と尋ねてきた空の不安そうな顔を思い出してカガリはけらけらと笑う。
不意に笑い出したカガリを見て、スズメが不思議そうに首をかしげていた。
1/25(木)18時よりコミックアース・スターで溝口隆一郎先生による新コミカライズが始まります
それにともなって旧コミカライズの電子配信は終了となります(購入済の方は今後も引き続き読めるそうです)
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