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第7話 急報


 カナリア王国の王都ホルス。


 夜、クローヴィス公は自身の邸宅でひとり晩酌を楽しんでいた。


 量は飲まない。グラスに一杯だけだ。長寿を保つために常日頃節制しているクローヴィス公にとって、毎夜の晩酌は自らに許す数少ない贅沢の一つだった。


 三十年物の白ワインの封を切り、窓から見える王都の夜景をさかなに老公爵がグラスを傾けると、水晶クリスタル製のワイングラスが室内の灯火を反射して鈍くきらめく。


 鼻をつき抜ける豊潤な葡萄の香りと、喉を焼きながら臓腑へと流れ落ちていく酒精アルコールの感覚が心地よい。


 クローヴィス公はくっと喉を震わせて喜悦の表情を浮かべたが、残念ながらその喜びは長続きしなかった。


 不意に慌ただしく部屋の扉が叩かれたからである。


 せっかくの楽しみを邪魔されたクローヴィス公は器用に右の眉を跳ね上げ、無粋な臣下を叱責しようとした。


 だが、状況が状況なだけに急報が入ったのかもしれないと考えなおし、扉の外に向けて「入れ」と声をかける。



「失礼いたします、閣下!」



 入ってきたのはクローヴィス家のさいだった。三十年以上も公爵家に仕えている忠臣である。


 小心で才気走ったところのない人物だが、余計な意見を言わず、命じられたことを過不足なく実行できる点をクローヴィス公は評価していた。


 その家宰が狼狽をあらわにしながらクローヴィス公の前に立っている。



「何事だ、騒々しい」



 配下の動揺にひきずられないように、クローヴィス公は努めて冷静に報告をうながす。


 これに対して家宰は動揺を残した口調で応じた。



「ドラグノート公爵領より急報が入りましてございます! の地に差し向けていた私兵部隊が壊滅したとのこと!」


「……イネスはどうした? 討たれたか?」


「は!」



 肯定の返事を聞いたクローヴィス公は沈痛な表情を浮かべた。


 イネスはクローヴィス公の私兵部隊の指揮官である。これまでクローヴィス公はこの私兵部隊を使って帝国の情勢やコルキア侯ら親帝国派の動向を探っていた。親帝国派の勢力を削ぐために非合法な働きを命じたこともある。


 決して表に出すことのできない影の部隊。


 今回もクローヴィス公は彼らをドラグノート公爵領に送り込み、婚儀の混乱を利用して無頼者たちを扇動させた。その結果、ドラグノート公爵領をはじめとした王国東部を混乱させることに成功する。


 先の報告では、野盗討伐のために出陣したドラグノート軍は帝国を刺激することを恐れてマリス山に手を出しかねている、とのことだった。このまま可能なかぎりにらみ合いを続けて公爵領の混乱を長引かせる、とイネスは報告で述べていたのだが、どうやらドラグノート軍の方が一枚上手であったらしい。


 もとよりドラグノート公麾下の正規軍と、表に出せない私兵部隊では数も練度も違いすぎる。この結果は十分に予想できたことだった。


 クローヴィス公は目を閉じて亡き配下に語りかける。



「イネス、命を賭して我が国に尽くしたそなたの功績、決して忘れぬぞ。帝国を排除した暁には必ずやそなたの汚名をすすぎ、王国騎士としてとむろうてやるゆえ、しばし泉下で待っているがよい」



 クローヴィス公が死者の冥福を祈っていると、家宰が不安そうに口をひらいた。



「閣下、これからいかがなさいますか?」 


「計画に変更はない。パスカルを王都から出せなかったのは誤算だが、イネスたちには帝国製の武具を与えている。あれらは死して帝国の陰謀の証拠となったのだ。後はわしの仕事よ。必ずや陛下を説いて帝国にくみする愚か者どもをこの国から叩き出してくれよう!」



 クローヴィス公が力強く断言すると、その語気に力づけられたように家宰の表情がわずかに明るくなる。


 しかし、この夜、クローヴィス公爵邸にもたらされた急報は一つだけではなかった。



「閣下、ダレン閣下!」



 大きな声と共に再び部屋の扉が叩かれる。


 声の主は相当に慌てていたようで、公爵の返事も待たずに部屋の中に飛び込んできた。この邸宅で働く若い執事のひとりだ。


 直属の上司である家宰が部下の無礼を咎めようと口をひらきかけたが、それより早く執事は叫ぶように危急を告げる。



「申し上げます! ただいま正門に近衛騎士団があらわれ、至急ダレン閣下に王宮に参内さんだい願いたいと申しております!」


「近衛が参内さんだいせよと? この夜更けに至急だと?」



 クローヴィス公が眉間にしわを寄せて確認すると、執事は蒼白な顔でうなずいた。



「は! 陛下じきじきのご命令である、と近衛の指揮官は申しております!」



 それを聞いたクローヴィス公が窓から外の景色を見やると、公爵邸を取り囲むように松明の火が動いているのが見えた。鈍く光っているのは近衛騎士の白銀の鎧か。


 近衛騎士が夜間、完全武装で邸宅を取り囲んだ上で王宮に呼び出す。それは謀叛人に対するやり方だ。間違っても三代の国王に仕えた宿老に対する扱いではない。



「閣下……」



 家宰が声を震わせながらクローヴィス公を見やる。


 今回の計画が国王に漏れたと考えているのだろう、その目は恐怖に揺れていた。


 対するクローヴィス公は早々に決断を済ませて落ち着いた声を出す。



「陛下のお召しとあらば是非もなし。近衛にはすぐに参るゆえ、しばしそこで待てと伝えよ。陛下も身支度を許さぬとは仰るまい」


「よろしいのですか、閣下?」


「かまわぬ。むしろ良い機会よ。誰が陛下をたぶらかしたかは知らぬが、帝国に与する者であるのは間違いないのだ。陛下の御前でそやつを論破し、帝国にすがって国を保とうとする陛下のもうひらいてさしあげようぞ」



 自身の正しさを信じて疑わないクローヴィス公は自信に満ちた表情で王宮にのぼる準備をはじめる。


 家宰は主の身支度を手伝いながら、不安げに表情を曇らせていた。





 近衛騎士に護衛されて――あるいは連行されて王宮に参内したクローヴィス公は、そのまま謁見の間に連れて行かれる。


 そこではカナリア国王トールバルドが玉座に腰を下ろしてクローヴィス公を待っていた。



おお叔父おじうえ、このような時間に呼びつけてすまぬな。火急の事態につき、大叔父上の意見を聞きたかったのだ」



 落ち着いた声音で国王がクローヴィス公に語りかける。


 近衛騎士の物々しい態度とは対照的な国王の穏やかさに、クローヴィス公はわずかに目を細めながら片膝をついた。



「陛下のお召しとあらば槍が降ろうとも駆けつけるのが臣下の務めでござる。それに比べれば、陽が落ちてから呼び出される程度のことは何ほどのこともござらぬ」



 そう言ってからクローヴィス公は謁見の間を見渡す。


 警護の近衛騎士を除けば、謁見の間にいる人間は片手の指で数えられる。トールバルド王、クローヴィス公、ドラグノート公と王太子妃のさく、そしてもうひとり。


 クローヴィス公の視線の先には見覚えのない壮年の騎士が立っていた。いかにも歴戦の剣士といった厳つい容貌をしているが、まとっている鎧は近衛騎士のものではない。もっと言えばカナリア王国のものでもない。


 それは教会騎士――法神教に属する騎士が身にまとう聖鎧せいがいだった。


 クローヴィス公はかすかに眉根を寄せる。ドラグノート公と咲耶妃の存在は予想の内にあったが、教会騎士がこの場にいるとは思っていなかったのである。


 カナリア王国は帝国と違って法神教を国教としていない。国王が言うところの「火急の事態」に、どうして国と関わりのない教会騎士がしゃしゃり出てきたのか。


 クローヴィス公の鋭い視線に気づいたのだろう、教会騎士が慇懃いんぎんに一礼して自らの名前を告げた。



「クローヴィス公爵閣下にはお初にお目にかかる。カリタス聖王国ノア・カーネリアス教皇にお仕えするゼラムと申す。このような場ではありますが、見知りおき願いたい」



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