第2話 風呂場の語らい
鬼ヶ島を発った俺とクライア、ウルスラ、カガリの四人は夜を日に継いで『法の街道』を駆け、アドアステラ帝国を抜けた。
カナリア王国領に入ってからも、やはり寝る間を惜しんでイシュカを目指し、早朝、日も明けやらぬ時刻に我が家に到着する。
これほどまでに帰路を急いだ理由はしごく単純。早く帰れば、それだけ早く移住問題に取り掛かることができるからである。
つけくわえれば、俺がイシュカを空けていた二か月の間、留守を守ってくれている面々に何か変事が起きていないか気になった、という理由もあった。
幸い、後者に関しては今のところ杞憂に終わっている。シールもスズメも、セーラ司祭も三人のチビたちも元気だった。
不在だったミロスラフとルナマリア、それにウィステリアは二日前からティティスの森におもむき、魔獣退治に励んでいるという。
それを聞いた俺はちょうどいいと思い、カガリを連れてそちらに向かうことにした。ティティスの森は鬼人族の移住地候補の筆頭だ。カガリに現地を見てもらい、あの森が鬼人族の移住地としてふさわしいかどうか判断してもらわなければならない。
カガリが首を縦に振ればカナリア王国と交渉を始める。カガリが首を横に振ればティティスに代わる新たな移住地を探し出す。
ぶっちゃけ、新たな移住地の当てなんかないので、カガリには是非とも首を縦に振ってほしいところである。まあ、ティティスの森がどれだけ危険であっても、鬼界に比べればはるかにマシだから大丈夫だとは思っているが。
そんなことを考えつつ俺は朝風呂の支度にとりかかった。ティティスの森に行く前にひとっ風呂あびてさっぱりしたかったのである。
なお、一番風呂は女性旗士ふたりに譲ろうと思ったのだが、双方から「空様(御館様)をさしおいて一番風呂なんてとんでもない!」と断られたので、おとなしく自分が最初に入ることにした。
ちなみにカガリも一緒である。中山の王弟は生まれてはじめて見る檜風呂に興味津々の様子だった。
「木で大きな桶をつくって湯を満たしてるのか。なんとも贅沢だなあ。ここらじゃこれが当たり前なのか?」
俺が渡した垢すり布で身体を拭いていたカガリが尋ねてくる。
俺は同じ布で身体をこすりながら応じた。
「ここらでも贅沢な行為だと思われてるよ。この家にあるのは単純に俺の趣味だ」
「趣味かぁ。アズマ兄やドーガ兄は好きそうだな、こういうの」
カガリはここにいない兄たちの名前を出しながら風呂桶を手に取ると、湯舟のお湯をすくった。
そして、うひゃー、とはしゃぎながら頭から湯をかぶる。
「ぷはあっ! 確かにこれは癖になりそうだな! 西都でもつくって――いや、無理か。鬼界でこんな風に水を使ったら、貴重な水を無駄使いするなってハクロ兄に頭を蹴り割られる」
そう言ってカガリはけらけらと笑う。
その後、一足先に湯舟につかったカガリはここでも感心しきりで、しばらく子供のように笑っていた。
ややあって、カガリは何かを思い出したように俺を見て口をひらく。
「そう言えば、あのスズメって同胞のことだけど、空とはどういう関係なんだ?」
「関係?」
唐突な問いに俺は首をかしげる。
スズメとは風呂に入る前に顔を合わせたのだが、シールと同じように「お帰りなさい」と言った後、顔を真っ赤にして俺から視線をそらしてしまった。
シールの頭を撫でてしまった反省を踏まえ、スズメに対してはそういう行為をしないように己を戒めたのだが、どうやら効果がなかったようである。
その際にカガリとも引き合わせたのだが、ふたりはそれぞれ名乗った程度でまだほとんど言葉を交わしていない。
そのカガリがどうして俺とスズメの関係を気にするのだろうか。俺は内心で疑問に思いながらカガリの問いに答えた。
「クランの――ええと、俺が立ちあげた組織の仲間だな」
カガリにクランと言っても意味が通じないだろうから、なるべくわかりやすい言葉で説明する。
すると、それを聞いたカガリはふむふむとうなずきつつ問いを重ねてきた。
「それだけか? 恋仲だったりしないのか?」
「いや、そういうことはないな」
スズメは議論の余地なく可愛い女の子であるし、大人になれば間違いなく美女になると確信している。健気で気立ても良く、好きか嫌いかでいったら間違いなく好きな相手だ。
しかし、だからといってスズメ相手に恋や愛をささやいたことはないし、スズメからその種の想いを伝えられたこともない。
スズメに向けた俺の感情の大部分を占めるのは庇護欲だ。
三歳で父を失い、六歳で母を失い、それからずっと過酷なティティスの森で生き抜いてきた女の子にはぜひとも幸せになってもらいたい。
もしスズメに好きな人ができたら、俺は全力でスズメの恋を応援するだろう――まあ、スズメの相手には相応の器量を求めますけどね! 少なくとも、俺を倒せるくらいの相手でなければスズメを任せることはできない。
そこまで考えた俺は、ここで不意にある可能性に思い至ってカガリを見た。
「む。もしやカガリ、スズメに一目ぼれでもしたのか?」
カガリが相手なら、まあ認めてやらんこともないというか、認めざるをえないというか、そもそもスズメが選ぶ相手に俺が父兄面してケチをつける権利なんてないというか、とにかくそんな感じで、反対する気はない。ないのだが、何故だか胸にもやもやとしたものが浮かんでしまう。
俺がそんな風に内心でもだえていると、カガリは何故だか呆れたような表情を浮かべた。
「何を言ってるんだか。確かに可愛い子だとは思うけど、あんな風に言葉と態度の両方で空のことが好きだって主張してる子に懸想するわけないだろ」
「んん? そ、そうだったか?」
「どう見てもそうだったぞ。尻尾の子のときにも思ったけど、空はもう少し色恋のことを学んだ方がいいな」
「…………お、おう」
見るからに色気より食い気なカガリに真顔で諭され、割と本気で落ち込む俺。
そんな俺に同情したわけでもないだろうが、カガリはすぐに話を進めてくれた。
「俺が空とスズメのことを恋仲かって尋ねたのは、空に鬼人の嫁を迎える予定があるかどうか知りたかったからだ。中山の中にもまだ空のことを疑っている奴はいる。異なる国、異なる種族を婚姻で結びつけるのは古来から伝わる定石のひとつだろ?」
それを聞いた俺はなるほどとうなずく。
ようするに政略結婚というやつだ。御剣家の当主である俺が鬼人の妻を迎えれば、俺が今までの当主とは違うという証明になる。カガリたちも同胞をまとめやすくなるはずだ。
本来であれば、俺に嫁ぐのは中山王家の姫であることが望ましいが、聞いたかぎり今の中山王家に姫はいない。なので、カガリは同族であるスズメにその役割が期待できるかどうか確かめたかったのだろう。
その結果、何故か俺がダメージを受けることになったのは釈然としないが、シールやスズメとの関係を考える良いきっかけになったと考えることにする。
父を倒したことで剣における自信を取り戻すことはできたが、カガリの言う色恋における自信はなかなか得ることができない。シールやスズメが俺に好意を寄せてくれていることは前々から気づいていたが、どうしても「こんな良い子たちが本当に俺なんかを?」という思いが胸をよぎってしまう。
なにしろ俺はつい先日まで、強くなるためと称して複数の女性と肌を重ねていた身だ。特にシールは思いっきりその相手だったわけで、俺は何度となく夜の床でシールの魂を喰っている。
そのシールからまっすぐな好意を向けられると、どうしても戸惑いが先に立つのである。
――とはいえ、やったことの責任は取らないといけないわけで、そろそろ腹をくくるべきかもしれない。
俺は小さくため息を吐いてから、先刻のカガリにならって風呂桶に湯を満たす。
そして、それを自分の頭に勢いよくぶっかけた。




