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第1話 変化

単行本第8巻、7月14日(金)に発売です!


挿絵(By みてみん)


 朝、まだ夜も明けやらぬ時刻に目を覚ましたシールは、ごしごしと目をこすりながら部屋の窓を開ける。


 すると、首筋がぞくっとするほど冷たい空気が室内に入り込んできて、山猫オセロットの獣人である少女は反射的に肩を縮めた。



「うう、最近めっきり冷え込んできたなー」



 ソラがクライア・ベルヒと共に帝都へ発ってから二ヵ月あまり。季節は秋から冬へと移り変わり、イシュカの街も朝晩は凍るような寒さに覆われるようになった。昼になれば多少寒さがやわらぐとはいえ、それでも防寒着は手離せない。


 最近は街路を歩く人の顔もどことなく重苦しく、憂鬱そうに見える。


 少し前までイシュカはアザール王太子とさく妃の婚儀の影響で往来する人が増え、魔獣暴走スタンピード以前の活況を一時的ながら取り戻していた。その熱は婚儀が終わった後もしばらく続いていたのだが、本格的な冬の到来によって婚儀の余熱もすっかり冷めてしまった感がある。


 はぁ、とシールがため息を吐くと、その吐息はたちまち白く染まった。それを見たシールはそそくさと窓を閉めて朝の冷気を遮断すると、手をこすりながら部屋を出る。


 静まり返った廊下に自分の足音だけがコツコツと響くのを聞きながら、シールは一階に下りていった。現在『けむりの剣』の邸宅にいるのはセーラ司祭と三人の子供たちを除けば、シールとスズメの二人だけだ。


 ミロスラフ、ルナマリア、ウィステリアはティティスの森に出向いてレベル上げに励んでおり、クラウディアは何やら用件があると言って王都のドラグノート邸に戻っている。セーラ司祭の娘のイリアは西方のベルカに滞在しているため、やはりここにいない。


 冒険者の先達であるミロスラフたちがいない分、自分がしっかりソラの留守を守らなければならない――シールはそう思っていた。


 ただ、そう思う一方で心細さもぬぐえずにいる。ソラがこの家を留守にするのはよくあることだが、二ヵ月近く音沙汰がないのは初めてだ。


 ソラにかぎって万一のことなどないと信じているが、それでも折に触れて不安がシールの心を侵蝕する。冷たく重苦しい冬の天気もその不安を助長していた。



「……ソラさん、早く帰ってこないかなあ」



 誰にともなくつぶやきながら台所に向かったシールは、そこで自分より早く起きていたセーラ司祭に挨拶をする。



「おはようございます、セーラさん」


「はい、おはようございます、シールさん」



 長い黒髪を頭の後ろで結わえた法神教の司祭がシールを見てにこりと微笑む。台所には起き抜けの空腹を刺激する良い香りが漂っており、すでに朝ごはんの下ごしらえが終わっていることを告げていた。


 シールはかなり朝が早い方なのだが、それでもセーラ司祭より早く起きられたためしがない。


 毎日すごいなあと尊敬の念を新たにしつつ、シールはテーブルの上に置かれた大きなかいおけをよいしょと持ち上げた。


 飼葉桶に入っているのはセーラ司祭がクラウ・ソラスのためにつくっている朝ごはんであり、これを朝一番で厩舎に持っていくのがシールの務めのひとつだった。



「それじゃあクラウ・ソラスに朝ごはんを持っていきますね」


「ええ、お願いします」



 セーラ司祭の声に送られて、シールは飼葉桶を抱えて厩舎に向かう。桶には酢漬け肉が満載されており、けっこうな重量だった。『けむりの剣』に入る前のシールであれば、持ち上げるだけで精一杯だっただろう。


 だが、ソラのクランの一員として日々訓練や依頼に励んでいるシールのレベルは、すでに一人前の冒険者と呼んでも差し支えない域に達している。したがって、飼葉桶を持って運ぶくらい大したことではなかった。


 シールが厩舎の中に入ると、藍色インディゴ翼獣ワイバーンが長い首を地面につけて眠っている。


 その顔がどことなく不貞ふてくされているように見えるのは、たぶんシールの気のせいではないだろう。ソラが長らく不在であるため、このところクラウ・ソラスはとかく機嫌が悪い。


 ときおり独りでティティスの森に飛んで行っては手あたり次第に魔獣をほふっているのは、おそらく八つ当たりだと思われる。



「クラウ・ソラス。朝ごはんだよー」



 シールが声をかけると、クラウ・ソラスはやや面倒くさそうに片目だけをひらいてシールを見た。


 普段はごはんと聞くともう少し嬉しそうな反応を示すのだが、まだ眠たいのか、あるいは今朝は食欲がないのか、いずれにせよ反応はかんばしいものではない。


 ただ、その塩対応もシールが持ってきたごはんの中身に気づくまでだった。


 ツンと鼻を刺す酢の匂いに気づいたクラウ・ソラスは「ぷいー!」と声をあげて長い首を持ち上げる。今日のごはんが好物の酢漬け肉であることを察したのだ。尻尾がバンバンと床を打っているのは喜びをあらわす仕草である。


 そんなクラウ・ソラスを見て、シールは内心で「現金だなあ」とこっそり笑いながら、食いしん坊の魔獣の前に飼葉桶を置く。


 待ってましたとばかりに桶に鼻づらを突っ込むクラウ・ソラスを横目に、シールは厩舎内の掃除にとりかかった。厩舎が終われば庭、庭が終われば門前の街路など、掃除する場所には事欠かない。


 朝食後はクランに持ち込まれた依頼を解決するために動かなければならないので、掃除はなるべく朝のうちに片付けてしまいたいシールである。


 幸い、今は厄介な依頼は持ち込まれていないが、厄介事というのは前触れなく訪れるものであることを、シールはすでに経験として知っていた。なので、時間的な余裕があるに越したことはない。何の根拠もないことだが、今日あたり何か起きそうな気がする――などとシールが考えていたときだった。


 それまで無心に食事をしていたクラウ・ソラスが、不意に飼葉桶から頭をあげて厩舎の外を見る。そして、嬉しげにぷいぷいと鳴き始めた。


 シールが知るかぎり、誇り高い藍色インディゴ翼獣ワイバーンがそんな反応を示す相手はひとりしかいない。


 気づけばシールは厩舎の外に飛び出していた。門のところに駆け寄って内側からかんぬきを外し、そのまま街路に出る。


 そこでシールは夢にまで見たソラの姿を見つけて、歓喜で顔を輝かせた。


 向こうも門から飛び出してきたシールに気づいて手を振っている。シールはタタッと街路の石畳を蹴ってソラの前まで駆け寄ると、満面に笑みを浮かべて口をひらいた。



「ソラさん、お帰りなさい!」


「ただいま、シール。二か月も留守にしていて悪かったな」



 ソラはシールの頭を撫でながら「元気そうで何よりだ」と微笑む。


 そんなソラの笑顔を間近で見たシールは思わず息を呑んだ。ついでに、ピキーン、と身体を硬直させてその場に立ち尽くしてしまう。



「――っ」



 シールはソラの笑顔に見惚れていた。


 ソラの顔を見ているだけで頬が勝手に赤くなり、胸がどきどきと高鳴って止まらない。


 別段、ソラの容姿が二か月の間に大きく変わったわけではない。以前よりも多少髪が伸び、顔つきが精悍せいかんになっているが、目に見える変化と言えばそれくらいだ。


 にもかかわらず、シールはソラから目を離せなかった。髪型や顔つきといった表面的なものではなく、内面におけるソラの大きな変化をシールは直感的に感じ取ったのである。


 それは五感に優れる山猫オセロットの獣人としての直感であったし、ソラに想いを寄せるひとりの女の子としての直感でもあっただろう。


 シールを見て微笑むソラの顔は、以前と比べると何かが確かに取り除かれていた。


 それが何であるのか、言葉にして説明することは難しい。


 もともと、シールにとって世界で一番カッコいい男性はソラであったが、二か月前のソラと今のソラを比べたとき、より好ましく映るのは今のソラである。何故そう思うのと言えば、今のソラは二か月前よりもずっと自信に満ち、幸せそうに見えるからだ。


 顔を真っ赤にして固まってしまったシールを見て、ソラは不思議そうに首をかしげる。シールはそのことに気づいてあわてて口をひらいたが、何を言えばよいやらわからず、ぱくぱくと口を開閉させることしかできなかった。


 このままではソラに変な子だと思われてしまう。そう焦ったシールは、目をぐるぐると回転させた末に戦略的撤退を敢行することにした。物事に行き詰まったときは逃げるのもまた一つの道である、とミロスラフも言っていたし!



「ス――」


「す?」


「スズメちゃんたちにソラさんが帰ってきたことを伝えてきますッ!!」



 そう言ってペコリと頭を下げたシールは、きびすを返すや脱兎のごとく庭に駆け戻り、そのまま一目散に家の中に駆け込んでしまった。


 ソラは目をぱちくりとさせて、邸内に消えていくシールの後ろ姿を見やる。


 ややあって、ソラは何かに思い当たったように後ろを振り向いた。そこにはクライアとウルスラ、カガリの三人がいる。


 ソラはシールが逃げ出した理由を悟って申し訳なさそうに頭をかいた。



「そうか。初対面の相手がいる前で女の子の頭を撫でるのは配慮に欠けていたな」



 いつもなら人前で頭を撫でるような真似は控えるソラだったが、お帰りなさいと告げるシールの顔があまりにも嬉しそうだったので、ついつい人目をはばからず頭に手を伸ばしてしまったのである。


 後で謝らなければ、と反省するソラを見て、後ろの三人はそれぞれの表情で苦笑していた。



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反逆のソウルイーター第8巻7月14日発売
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