163話 九門家
少し時をさかのぼる。
式部を倒した空が鬼界に去り、御剣邸は次期当主の座をめぐって騒擾の渦に飲み込まれていた。
だが、議論は日をまたいでも決着がつかず、旗士たちは結論を明日に持ち越さざるを得なくなる。
九門淑夜は他の旗士たちが御剣邸を辞すのを見届けた後、みずからも自邸に戻った。
襖をあけて自室に入った淑夜は、そこで胸に溜まったものを掃き出すように大きなため息を吐く。そして、畳の上に置かれた座布団にゆっくり腰を下ろすと、しばらく何事か考え込んでいた。
まもなく淑夜は夜番の家人に命じ、一足先に帰宅していた弟の祭を部屋に呼び出す。
兄に呼び出された祭は時をおかずに部屋にやってきた。
「兄上、お呼びとうかがいました」
「夜分遅くにすまない、祭。君に話しておかなければいけないことがあってね。そこにすわってほしい」
淑夜が目の前に置かれた座布団を示すと、祭は神妙な顔でそこに腰を下ろした。
常は皮肉げな物言いが目立つ祭だが、兄に対してはそういった態度はとらない。というより、とれない。
九門家の兄弟は十歳以上年齢が離れており、祭にとって淑夜は兄というより父に近い。兄弟の父親である先代当主は祭が物心つく前に亡くなっており、祭は兄の庇護の下で育ったのである。
また、愛妾の子である祭は正妻――淑夜の実母――に疎まれていたのだが、淑夜は年の離れた異母弟を可愛がり、母親からかばい続けてくれた。
槍術を教えてくれたのも、同源存在との付き合い方を教えてくれたのも淑夜である。これでは兄に頭があがるはずがない。
祭は正座をして兄に向き合うと、真剣な表情で問いかけた。
「兄上、お話というのは?」
「もちろん、今家中を騒がせている御仁のことだよ。率直に聞くが、祭は空殿のことをどう思っているんだい?」
「狂人、ですかね」
ためらうことなく断じる祭の顔は真剣そのものだった。
淑夜はそんな弟の顔を興味深げに見ながら問いを続ける。
「空殿が御館様に向けた言葉――『三百年前、鬼人族が龍を討った功績をかすめとり、救世の英雄を僭称した御剣一真の末裔』、あれについてはどう思う?」
「鬼神に魂を売るついでに人間の尊厳も売りとばしたんでしょう。そうじゃなきゃあんな言葉を吐けるわけがない」
「彼の語ることは信用できない、と?」
「ええ、まったく。まあ御館様を倒した強さだけは認めますがね。今のあいつは人間の形をした化け物だ。あれを当主に据えたりしたら御剣家は今代で終わるでしょうよ」
主家への不敬ととられかねない物言いであったが、それは祭の偽らざる本心だった。そのことがわかったのか、淑夜も弟の発言を咎めようとはせず、ただ静かにうなずくにとどめる。
そんな兄を見て、祭は怪訝そうに眉をひそめた。
「どうしてそんなことを俺に聞くんです? 兄上だって似たようなことをお考えでしょうに」
「祭が今の空殿のことをどう見ているのかを知りたかったんだ。今後のためにもね」
「今後のため?」
祭は戸惑った表情で淑夜を見た。兄が言わんとすることがさっぱりわからなかったからである。
淑夜は戸惑う弟に対して真剣な表情で言った。
「結論から言おう。祭、空殿の言ったことは本当だ。少なくとも、僕はそう判断している」
「…………冗談にしては出来が悪いですね」
「往々にして現実は物語よりも奇であるものだよ」
それを聞いた祭は睨むように兄を見据える。淑夜も落ち着いた眼差しで弟の顔を見返した。
しばしの間、九門家の兄弟は互いの顔を見続ける。
ややあって、祭は根負けしたように小声で兄に問いかけた。
「……証拠があっての話ですか?」
「物証はないね。あるのは口伝だけだ。代々の九門家当主にのみ伝えられてきた一子相伝の口伝だよ。それを君にも伝えておこう」
それを聞いた祭が困惑したように眉間にしわを寄せる。
「それは兄上の子に伝えるべきものでしょう。俺なんかに伝えてしまったらまずくないですか?」
「かまわないよ。初代様は刻が来るまで当主のみで語り継いでいくように、と言い残された。僕が思うに、その刻とは今だ。であれば、これ以上口伝を秘しておく必要もない」
そう言って淑夜が語り出したのは、御剣一真と御剣仁に仕えた九門家初代が遺した三百年前の出来事だった。
方相氏の下で冷遇される御剣家、父と叔父の戦死によって当主になった一真、幻葬の志士の台頭、仁の出奔。
青林島における龍の出現、仁の仲間である鬼人族のアトリと光神教の神官ソフィア、仁たちが編み出した幻葬一刀流、龍との戦いにおもむく仁たち、ただひとり生きて帰ってきたソフィア、そして鬼人族の弾圧。
そういった種々の出来事が初代の視点から語られていく。
その話の中で、祭は大陸の鬼人族掃滅を指揮したのが自身の先祖であることを知る。
掃滅と言えばもっともらしいが、実際は戦えない女子供も標的にする虐殺行為である。心装の使い手を無力化するために川や井戸に毒を投げ込むことも辞さなかった。
歴代の九門家の旗士の多くが毒や呪いにまつわる心装を会得するようになったのは、初代の手によって殺された鬼人たちの恨みと無念が呪いとなって九門家を侵蝕した結果なのかもしれない。
呪いは当事者の身の上にも降りかかり、初代は原因不明の病によって三十になる前に衰弱死する。その死に顔はひどく苦しげだったという。
どうして初代は鬼人虐殺の指揮をとったのか。
それは主君である御剣一真の悪名を少しでも肩代わりするためだった。
青林島の戦いで弟の仁を失った後、一真は人が変わったように冷酷に振る舞うようになり、配下の中には「魔に憑かれたようだ」とささやく者もいた。
初代は一真の変貌には仁の死以外にも理由があると考えていたが、一真は決して配下に心の内を漏らそうとしない。初代にわかったのは、一真は確固たる決意と信念によって血泥の中を歩こうとしている――それだけだった。
そして、それだけわかれば十分だった。たとえ血塗られた道であろうとも、主君がその道を進むと決めたのなら、それを支えるのが臣下の務めだ。
鬼人の呪いが自身に降りかかるのは初代の望むところだった。その分、一真へ向けられる呪いは少なくなる。その程度のこともできないのでは、御剣家のために家も名も、命さえも捨てた仁にあの世で合わせる顔がなかった……
祭に初代の口伝を語って聞かせた淑夜は、次の言葉で口伝を締めくくった。
「『一真様が何のために権道を歩まれたのかはわからない。だが、いつか必ずその真意がわかる日が来る。九門の家はその刻が来るまで命を賭して主家をお守りせよ。そして、刻が至ったならば、主家と共に真なる敵を討ち果たすべし』――以上が初代様が遺した言葉だ」
すべてを聞き終えた祭の顔は、少なくとも表面上は平静を保っていた。
黄金世代のひとりは皮肉っぽく唇を歪めて言う。
「失礼ながら、なんとも手前勝手な遺言ですね。迷惑をこうむる子孫のことをまるで考えちゃいない」
「遺言というのは得てしてそういうものだよ、祭。もちろん君に初代様の意志を継ぐよう強要するつもりはない。君は君の信じるものを信じればいい。ただ、九門家にそういう口伝が伝わっていることを知っておいてほしかったんだ」
そこで淑夜は一息つくと、冗談とも思えぬ口調で付け加えた。
「僕が死んでしまったときのために、ね」
「やめてください、縁起でもない」
祭は顔をしかめて淑夜を睨む。
九門家の当主は苦笑しながら言葉を続ける。
「もちろん僕も死ぬつもりはないよ。ただ、昨今の情勢を考えるとそうなっても不思議はないとも考えている。空殿が当主になれば鬼門をひらいて鬼人族を解放するはずだ。そうなれば、初代様がおっしゃっていた『真なる敵』が姿を見せる。初代剣聖ほどの使い手が戦いを避けざるをえなかった相手がね」
「……本当にそんなものがいるとお考えで? 今の話を聞くに、うちの先祖が主君を神聖視するあまり、ありもしない敵を妄想しているように思えてならないんですが」
権力を前にして人格が変わる人間などいくらでもいる。幻想種との戦いに打ち勝った初代剣聖は、鬼人族の排除と方相氏からの独立、一挙両得を目論んで賭けに出たのではないか。そして、その賭けに勝って世界を救った英雄の栄誉を得た。
祭はそれを悪いことだとは思わない。騙された奴が間抜けなだけだ。
自分の家の先祖もその騙されたクチではないのか、と祭は疑っていた。
淑夜はそんな弟の考えを否定せず、穏やかにうなずく。
「その可能性も考えられるね。ただ、真実がどうあれ、三百年の幽閉に耐えてきた鬼人族は止まらないだろう。つまり空殿も止まらないということだ。この先、大陸は未曾有の混乱に包まれる。何が起きても対処できるように準備は整えておこう」
淑夜の言葉に祭は無言でうなずく。
その目は犀利な光を放ちつつ、新たに得た知識を慎重に噛み砕いている様子だった。




