150話 無敵
瀑布のごとき嘯り水の水圧を押し返して宙に躍り出た瞬間、父と光神の周囲で業火が煌めき、立て続けに爆発が発生した。
先ほど俺が放った火炎姫が空中で軌道を変えて両者に襲いかかったのである。もちろん偶然の産物ではなく意図して起こしたものだ。勁の制御とはすなわち魔力の制御。今の俺ならばこの程度の芸当はたやすい。
とはいえ、第五圏の魔法では父にも光神にもダメージを与えることはできない。俺が望んだのはほんの少しの牽制、それだけだった。
爆発の隙間を縫うように父に肉薄した俺は、そのまま勢いを止めずに強烈な斬撃を叩き込む。
接近戦を挑んだのは、初手で虚喰を凌がれた記憶がまだ新しかったからだ。『成』によって勁を高めた今ならば、距離があっても勁技が通じる可能性はあるが――距離を置けば向こうは再び奥伝を釣瓶打ちしてくるだろう。接近戦はそれを封じる手段でもあった。
「はああああッ!!」
自然と気合の声がほとばしった。
宙空を裂いて迫るソウルイーターの黒刃を剣聖は巧みに躱していく。黒刃と剣聖の身体の間には薄紙一枚分の隙間さえない。
それほど巧妙で、だからこそ危険な回避を重ねながら、剣聖は当たり前のように反撃を繰り出してきた。
攻撃に注力しているところに針のように鋭い斬撃を浴びせられ、俺の頬で血がはじける。
直後、背後から光神の気配が肉薄してくるのを感じた俺は、父への攻勢を中断して戦いの相手を切り替えた。
激突する黒の刃と光の剣。閃く剣光が雷霆のごとく視界を灼き、終わらない剣戟が轟音となって耳を圧した。
俺の心装、父の宝刀、光神の光剣。三者が持つ三本の剣刃が激しくぶつかり合い、絡み合い、離れてはまた交錯して宙に無数の軌跡を描き出していく。
時に猛々しく、時に精妙に、息つく間もなく繰り出される三つの剣撃は、そのすべてが必殺の威力を秘めている。俺たちは並の剣士なら一合ともたないであろう致命の斬撃を打ち込み、受けとめ、受け流し、いつ終わるとも知れない攻防を織りなしていった。
空中で巧みに位置を入れ替えながら剣戟を続ける俺たちの姿は、傍から見れば舞踏を演じているように見えたかもしれない。
今の俺は『成』によって限界以上に勁を高めており、なおかつ鬼界での修行によって高めた勁を制御できている。一対二の状況で互角に戦えているのはそのためだ。
立て続けに奥伝を浴びせられ、防戦一方だった状況から脱することができたわけで、切り札を抜いた甲斐はあったと言ってよいだろう。
しかし、この形勢は一時のものである。『成』による時間制限がある以上、時が経てば経つほどに俺は追い詰められていく。
どこかで突破口を見つける必要があった。
それはつまり剣聖か光神のどちらかを倒すということだ。
剣聖であれ、光神であれ、『成』の効果が続いている今ならば一対一で押しきることができる。だが、俺が相手を押し切ろうとするとき、決まって敵の片割れがそれを阻み、傾きかけた天秤を元に戻してしまう。
おそらく、向こうは俺の時間制限に気づいているのだろう。
こちらの急激な勁の上昇が諸刃の刃であることを見抜き、意図的に今の均衡状態を維持することで時間を稼ぎ、間接的に俺を追い込んでいるのだと思われる。
この推測が正しければ、俺は劣勢をはねのけたつもりで別の袋小路に追い込まれたことになる。
奥伝の連続行使で敵を追いつめる戦いが剛の戦い方だとすれば、相手の弱点を見抜いて綿で首を絞めるように追いつめる戦い方は柔のそれだ。
ただ強いだけではなく、戦闘の運び方が巧い。これもまた剣聖が剣聖である所以なのだろう。
やはり、どちらか一方を片付けて一対二という状況を打破しないとどうにもならない。俺はあらためてそう思った。
問題はどちらを倒すかであるが、普通に考えれば剣聖一択である。光神は同源存在なのだから、剣聖さえ倒せば消える。それゆえ、まず狙うべきは剣聖だった。
剣聖の得物が笹雪――ただの刀であることも俺が有利に戦える材料になる。真っ向から刀身をぶつけ合えば、笹雪の刃を砕き割ることも可能であろう。
――俺がそう考えた瞬間、こちらの考えを見抜いたかのように笹雪の刀身が黒く染まった。ソウルイーターの刀身と同じ漆黒の輝き。
相手の剣に宿った黒光に、先の七つの奥伝に優る高密度の勁を感じ取った俺は、反射的に防御の構えをとった。
その防御の上から黒の猛撃が襲いかかってくる。
「幻想一刀流 太陰の型 玄之太刀」
ソフィア・アズライトが放った白之太刀、ゼノン・クィントスが放った朱之太刀と並ぶ、四象に属する奥伝勁技。
その威力は先の二者と一線を画していた。
「ぐ、ぎ――おおおおッ!?」
巍巍たる城壁のごとく迫ってくる巨大な影。受けとめた、と思ったのはほんの一瞬だった。
心装にのしかかる凄まじいまでの圧力に、俺はたまらず後退を強いられた。『成』で勁を高めてなお押されたのである。
「チッ!」
舌打ちして何とか威力を受け流そうとこころみたが、あまりの猛威にそれもできない。わずかでも今の体勢を崩せば、その瞬間に敵の勁技が心装を弾きとばしてしまうとわかったからだ。
剣聖が放った玄之太刀は、まるでそれ自体が意思を持っているかのように、ひたすら俺を磨り潰さんと押し寄せてくる。ソウルイーターには魔力や勁を吸収する能力があるのだが、精緻に編まれた剣聖の勁技の前ではほとんど効果を発揮しなかった。
今、俺の目には小山のごとき黒亀が映っている。四神と称される四体の霊獣のひとつ、玄武の姿。
それが相手の勁圧に呑まれたゆえに見た幻なのか、あるいは俺が成長したゆえに見抜けた奥伝の真髄なのかはわからない。
ただ、ソフィア教皇やゼノンと戦ったときにはこんなモノは見えなかったから、やはり剣聖が打って初めて勁技が真価を発揮した、と考えるべきだろう。
「ハハッ」
懸命に相手の攻撃を耐えしのぎながら、俺は小さく笑う。
相手の弱点を見抜いて綿で首を絞めるように追いつめる柔の戦い方? 見当違いもはなはだしい。父は初めから徹頭徹尾、俺を力で押しつぶすつもりだった。時間切れで勝利を狙うような戦い方など念頭になかったに違いない。
向こうの戦い方が受け身に思えたのは、『成』によって俺の力がどれだけ上がったかを量るため。それを量り終えたから四象の型を繰り出してきた。
となれば、次に来る攻撃もおのずと予測できる。
『幻想一刀流 少陽の型 青之太刀』
後背から迫り来る勁圧は父が放った玄之太刀に等しい。
全力で父の勁技を防いでいるため、後ろを確認することはできなかったが、それでも俺は蒼穹を思わせる青い竜が襲いかかってくる姿を幻視した。
玄にせよ、青にせよ、こんなものをまともに食らったら防壁や復元など関係なく、俺の身体は粉微塵に砕け散ってしまう。
それほどの威力の攻撃をふたつ同時に躱すことはできない。受け流すこともできない。
だから、受けとめることにした。
「四劫の二――『住』」
俺がそう口にするのと、青之太刀が背中で炸裂するのはほぼ同時だった。
ただの斬撃とは異なる凄まじい衝撃。かつてソフィア教皇は「巽・坎合して少陽となる」と語っていたが、青之太刀はまさしく狂い飆と嘯り水を足しあわせた威力だった。いや、もしかしたらそれ以上だったかもしれない。
そんなものの直撃を食らったのだ。それまでかろうじて保っていた玄之太刀との均衡は一瞬で崩れ去り、俺は背後から青之太刀の、正面から玄之太刀の、それぞれ直撃を食らう羽目になった。
いずれもただ一刀で幻想種を屠れる高威力の勁技が、俺を標的として激突する。
直後、空間がねじりきれるような異音と共にすさまじい爆発が起きた。常人であれば一瞬で骨まで熔け落ちたに違いない光と熱の乱舞。
そんな爆発の中心にいる俺が無事で済むはずがない。たとえ復元能力を持っていたとしてもだ。
――おそらく光神はそう考えたに違いない。
何故そう思うのかと言えば、明らかに光神が構えを解いたからだ。父がいまだに構えを解いていないのに、である。
このことから光神が独立した思考で動いていることは間違いないだろう。今さらと言えば今さらだが、これが確定しているか否かで採れる選択がかわってくる。
俺は光神の存在に剣聖攻略の糸口を感じながら、爆発の中心から躍り出た。
四劫の一が勁を増大させる奥義であるならば、四劫の二は増大した勁を防御に転じる奥義である。ふくれあがった勁を全身にめぐらせて、一時的にではあるが飛躍的に防御力を高める金剛の守り。
むろん、無敵というわけではなく、こちらの勁を上回る攻撃を受ければ当然のように負傷する。事実、光神に躍りかかった俺の背と胸には、それとわかるくらい大きな刀傷が深々と刻まれていた。
皮を裂き、肉をえぐり、骨を砕いて臓腑をえぐったその傷は、常人であれば容易に致命傷になっていただろう。というか、俺にとっても普通に致命傷だ。
それでも、即死さえしなければ復元能力が使える。
俺は剣聖が放った四象級の奥伝をふたつ同時に食らいながら、切り札である『住』の守りと、ソウルイーターの再生能力で耐え凌いだのである。
そして、勝利を確信して構えを解いた光神に襲いかかった。今こそが千載一遇の好機であると、誰に言われずともはっきり理解していた。
「幻葬一刀流 震の型 神鳴」
高々と振りかぶったソウルイーターの黒刃が猛々しい雷光をまとう。震の型は俺にとって初めて目にした奥伝であり、初めて我が身で受けた奥伝でもある。
イシュカでゴズの神鳴を見て、鬼界でソフィアの神鳴を見た。それをもとに鬼界での一か月で実用に耐えるまで磨き上げ、切り札の一枚として秘していたのだ。
もっとも、父や光神の奥伝を見た後では、俺のそれはあまりに粗すぎてとうてい切り札と呼べる域には達していなかったが、それでも威力で言えば俺の勁技の中でも最上位である。
振り下ろされた黒雷は、俺を仕留めたと信じ込んでいた光神の頭部をはっきりと捉えた。
――ズガンッッ!! という落雷のごとき轟音が響きわたる。
これ以上ない手応えが刀身を通して伝わってきた。並の相手であれば、この一撃で頭蓋が消し飛び、全身が消し炭になっていたに違いない。そう確信できる一刀だった。
だが。
「――ッ!」
光に包まれた光神は、この一撃を受けても消し飛ぶことはなく、消し炭になることもなかった。それどころか、俺の震の型を受けた次の瞬間には、すでに反撃の体勢に移っていた。
全身が淡々しい光に包まれている光神は、顔の造作も、着ている衣服も判別できない。当然、傷の確認も不可能なので、はっきりと断言することはできないが――おそらく無傷だった。
これ以上ないタイミングで、これ以上ない一撃を叩き込んだというのに手傷を負わせられなかった。俺はぎりっと奥歯を噛みしめながら、相手の体勢が整う前に次撃を叩き込む。
「幻葬一刀流 離の型 瞋り火」
ソフィア教皇が放った四つの奥伝のひとつ。雷刃が通じないのなら炎刃だ、とばかりに放ったふたつ目の奥伝は今度も確実に敵を捉えた。会心の手応え。
しかし、これも通じなかった。強いて言うなら、わずかに光神の体勢を崩しただけに終わった。
どういう仕組みかは分からないが、光神に剣は通じない。そのことを確信した俺は、相手が体勢を立て直すわずかな隙間を縫って相手に肉薄すると、ここが先途とばかりに三度目の攻撃を叩き込んだ。
「四劫の三――『壊』!」
『成』によって高めた勁を防御に用いるのが『住』ならば、その勁を攻撃に用いるのが『壊』である。
相手が生物であれ、無機物であれ、その内側に勁を送り込んで破砕する勁打の究極形。文字通りの意味での必殺技。
光神がどのような原理で奥伝の直撃を防いだのかはわからないが、『壊』を防ぐことはできない。
もし、光神が『壊』すら防ぐようならば、それはつまり光神にはいかなる攻撃も通じないということである。
――そんな俺の考えは、次の瞬間に現実のものになる。
確かに放ったはずの『壊』は光神にいかなる効果もおよぼさず、剣聖の同源存在は光り輝きながら俺の前に在り続けている。
これ以上ない好機に、これ以上ない攻撃を続けて三度叩き込み、それでも相手は無傷だった。自慢ではないが、すべて幻想種を一撃で屠れる威力の攻撃である。
躱されたのならともかく、すべて直撃した上で無傷なのであれば、結論はひとつしかない。
俺はハッと乾いた笑い声をあげた。
「本当に無敵か」
そう言えば、と俺は光神に関する神話の一節を思い出した。
光の神バルドルは神々の中でも抜きん出て賢明で美しく、また優しかったとされている。
そんなバルドルはあるときから夢を見るようになった。自らが死ぬ夢である。
これを案じたバルドルの母神は世界中の生物、無生物にバルドルを傷つけないことを約束させる。こうして、バルドルはいかなる攻撃も受けつけない神になった――そんな神話だった。
もう少し早く思い出していれば、とも思ったが、神話に出てくるバルドルと同源存在である光神の能力が一致するとはかぎらない。仮に、もっと早くバルドルの神話を思い出していたとしても、俺は相手が本当に無敵であるかどうか確かめるために同じ行動をとっただろう。
ともあれ、『壊』や奥伝でも光神を傷つけられないことは確定した。この事実をもとにもう一度剣聖との戦いに臨むしかない。
隠していた切り札は今の戦闘で使い果たした。正確に言えばもう一枚、ソフィア教皇が使った白之太刀も切り札として使えるよう鍛えあげてあるが、余人なら知らず、父を前にしては俺の勁技は切り札たりえない。たぶん、あっさり防がれて終わるだろう。
四劫にはもうひとつ『空』という奥義があるが、これは青林旗士でいうところの空装であり、俺は鬼界での一か月でその領域にたどりつくことはできなかった。ゆえに切り札はもうない。
対して父の方は、八形四象二儀一極という十五の型のうち、まだ六つを残している。当人も同源存在もぴんぴんしており、しかも同源存在の方はいかなる攻撃も受け付けない無敵存在ときている。
こうなると、俺としては父を狙うしかないのだが、それは向こうも予測しているだろう。間違いなく厳しい戦いになる。
なにせ、単純な事実として、俺はすべての切り札を使っても父に一太刀浴びせることすらできなかったのだ。これ以上ねばったところで、それは悪あがきにすぎないのではないか。そんな考えも脳裏をよぎった。
――それでも、諦めるつもりなんて微塵もないんだけどな。
すべての切り札を使っても、父に一太刀浴びせることすらできなかった。それは事実である。
だが、俺が父に心装を抜かせたのも事実なのだ。しかも、十五の型のうち、実に九つもの奥伝を使わせた上でこうして生きている。
かつて竜牙兵に打ち負けた俺が、剣聖相手にここまで戦えるようになったのである。これは誰に恥じる必要もない立派な戦果であろう。誰が認めずとも、俺は俺自身を認めることができる。
自らを認め、信じること。すなわち自信。
かつてソフィア・アズライトに「欠けている」と指摘されたものを、俺は今たしかに自分のものとしていた。ゆえに諦めることはない。諦めるどころか、今にいたっても身体の奥底から滾々と気力が湧いてくるくらいだ。
むろん、剣聖は気力だけでどうにかなる相手ではない。『成』の効果はまもなく切れる。どれだけ気力があっても勁が尽きれば戦えない。そのことは十分に理解していた。
だから、湧きあがる気力と、残っている勁のすべてをこれからの数分に注ぎ込む。父と戦うことのできる最初で最後の機会を、塵ひとつ分も余すことなく活かし切る。
そう決意した俺は、ソウルイーターの柄を握りしめてニヤリと笑う。
視線の先で、父の口元にも同じような笑みが浮かんでいるのが見えた。




