第百十七話 方相氏滅亡
あけましておめでとうございます(遅
「いったい何がどうなっておるのだ!?」
鬼界東部に位置する光神教の本拠地――世に「本殿」と呼ばれる都市の一画で、初老の男性が声高に叫ぶ。
男性は本殿に四人しか存在しない大司教のひとりだった。方相氏に属する人物であり、教皇の側近として権勢を振るってきた過去を持つ。
常は冷静沈着をもって知られる人物であるが、いま大司教の顔を覆っているのは色濃い動揺と狼狽だった。
大司教の平静を乱す原因は窓の外から響いてくる剣戟の音である。一つや二つではない。十や二十でもない。少なくとも百を超える金属音が四方から迫っている。それはこの場にいる者たちが完全に包囲されていることを意味していた。
と、卓を挟んで大司教の対面に座していた白髪の老人が、こちらも動揺をあらわにしながら声を張り上げる。
「どうなっているかを聞きたいのはわしらの方だ! なぜ教会騎士が方相氏に剣を向ける!? 余の者は知らず、教会騎士を動かせるのは聖下のみ! そして、聖下の補佐をするのが大司教たるおぬしの役割ではないか! 教会騎士が動いているのに、大司教が何も知らぬことなどありえぬわ!」
老人の主張を聞いた者たちは一斉にうなずき、疑いの眼差しで大司教を見やる。
この場にいるのはすべて方相氏の有力者であり、その多くは六十歳を超えている。中には七十歳、八十歳に達している者もいる。一方、大司教はまだ五十代に留まっており、にもかかわらず、この場の首座にすわっている。その事実が大司教の過去の暗躍ぶりを如実に物語っていた。
大司教自身、自覚があるだけに疑いの目を向けられても反論に窮してしまう。
ただ、今回の一件にかぎっていえば、大司教はいかなる策も弄していなかった。先ほどの叫び声は間違いなく本心からのもの。大司教は周囲の視線を振り払うように、バンッ、と卓を叩くと、内心の苛立ちを声に乗せた。
「知らぬものは知らぬとしか言いようがない!」
「知らぬですむことか!」
ふたたび白髪の老人が声を高める。この老人もまた有力者のひとりであり、もっといえば儺儺式使いのひとりである。
齢八十を超えているため、さすがに現役ではなかったが、蔚塁の相談役として氏族内で大きな発言力を持っていた。
老いてなお脂ぎった相貌は権勢欲に満ち、両の目は疑念と敵意を湛えて大司教を睨みつけている。その表情のまま、老人は舌鋒鋭く大司教を難詰した。
「蔚塁様亡き後、氏族の混乱をまとめられるのは己しかおらぬと高言したこと、忘れたとは言わさぬぞ! この危急にときに動けずして何が長か!?」
「それはわしを長と認めた者がいうことだ! たしかにわしは蔚塁様――否、蔚塁めの後を継ぐことを望んだが、おぬしら儺儺式使いはそれを真っ向から否定したではないか! おぬしらに長としての責任を問われる筋合いはない!」
大司教はそう言い返すと、老人と、老人の左右に座る者たちを憎々しげに睨みつける。
方相氏の内部勢力は大別してふたつに分けられる。儺儺式を修めた武官と、儺儺式を修めていない文官だ。前述したように老人は前者に属しており、大司教は後者に属していた。
大司教はさらに言葉を重ねる。
「そもそも、聖下のお怒りの原因は間違いなく此度の失態にある。あれだけの手間と金をかけた反乱を中山の小僧にあっさり潰され、あまつさえ光神教が関与していた事実を知られてしまった。おぬしら儺儺式使いの怠慢が今日の危機を招いたのだ! 己の失態を棚にあげて吼えるでないわ!」
この大司教の激語にのせられたように、それまで大司教に集中していた視線が儺儺式使いたちに向けられはじめる。
それを受けた儺儺式使いたちの表情は様々で、ある者は顔をしかめ、ある者は視線をさまよわせ、ある者は目をつむり、ある者は薄笑いを浮かべた。反応は様々であるが、ひとつ彼らの共通点を挙げるとすれば、それは大司教の言葉に共感をおぼえた者はひとりもいない、という点であろう。
ここで白髪の老人がふたたび口をひらく。
「見当違いも甚だしいわい。失態を犯した振斗めはとうに死んでおる。聖下が失態の罪を問うたのは、長である蔚塁様ただおひとりじゃ。そして蔚塁様はすべての責任を一身に負い、聖下に首を差し出された。その潔い進退を諒とされたからこそ、聖下は蔚塁様以外の者を処罰しようとはなさらなかったのだ!」
それが今になってにわかに教会騎士を動かし、方相氏を排除しようとするなど、どう考えても合点がいかない。教皇が理由もなく変心したと考えるよりは、方相氏の長になりたい何者かが、この期に乗じて邪魔者を除くべく策を弄したと考えた方が得心がいくというものだ――老人は大司教を睨みながらそう告げた。
これに対して大司教は憤然と言い返す。
「たわごとだ! だいたい、おぬしらは儺儺式を修めたことを鼻にかけ、常日頃傲然と他者をあごで使っておるではないか。であれば、このような時に率先して責任をとるのが当然であろう? それをせず、振斗と蔚塁の二人に罪をなすりつけて平然と生をむさぼっておるなど言語道断! ただちに蔚塁めを見習って聖下に首を差し出すがよいわ!」
日頃の鬱憤を吐き出すように声を高める大司教。
方相氏において儺儺式を修めた者と修めていない者との確執は根深い。
前者は後者を「安全な本殿から指図ばかりしたがる臆病者」とあざけり、後者は前者を「剣を振るうばかりで大局を見る目を持たぬ猪武者」と軽んじる。
振斗や蔚塁が大興山で失態を犯したと知ったとき、大司教は内心で手をうって喜んだ。教皇が失態の罰として蔚塁に死をさずけたときも、これで自分が方相氏の頂点に立つことができる、とほくそ笑んだものである。
当然、残りの儺儺式使いを自害に追い込んだところで胸が痛むことはない。それで教皇の怒りが解けるなら願ったりだ――そんな大司教の意を察したか、他の文官からも賛同の声がもれはじめる。
しかし、むろんというべきか、儺儺式使いたちは大司教の言葉に従おうとはしなかった。
「馬鹿も休み休み言うがよい。己が失態を犯したというならともかく、同輩の失態にまでいちいち責任を負わされてたまるものか」
「同意する。そも、聖下は大司教に何もおっしゃらずに教会騎士を動かしたのであろう? つまり大司教は聖下に無視されたのだ。そんな人間が仰々しく聖下のご深慮を語ることこそ滑稽である」
「カッカッカ! そのとおり、そのとおり! だいたい連座する者が必要というのなら、わしらよりもおぬしこそ適任ではないか、大司教。おぬしら文官は常日頃、わしらに外での汚れ仕事を押しつけて、自分たちは安全な本殿でふんぞり返っておるのだ。このような時にこそ、その肥えた身体を動かして事態を収拾するべきであろう。違うかや?」
この儺儺式使いたちの言い分に大司教は即座に反駁し、またそれに対して儺儺式使いが言葉を返す。
口論が文官対武官の様相を帯びてきたこともあり、双方が双方を贄にせんと声を嗄らし、唾を飛ばして責任を押しつけあう。議論は瞬く間に熱を帯びていき、それに反比例して内容は空疎になっていった。
今このときも兵刃が迫っているというのに、日頃の不満、憤懣をぶつけあうばかりで誰も建設的な対策を打ち出さない。打ち出せない。
端的にいって、それは迫りくる破局から目を背ける現実逃避にすぎなかった。
ただ、それも仕方ないといえば仕方ないこと。
方相氏は光神教の傘の下、鬼界における三百年を過ごしてきた。光神教の暗部をつかさどり、鬼人、人間を問わず光神教の邪魔者を葬り去る教皇の懐刀として。
三百年前の真実を知り、教皇の正体を知る唯一無二の股肱の臣。
自分たちは他の配下とは格が違う、と方相氏は信じていた。事実、光神教は方相氏を重用し、多くの特権を与えてきた。そうして三百年の年月を閲した今このときになって、突如として刃を向けられたからといって、即座に昨日までの認識を改められるものではない。
――これは何かの間違いではないか。
――誰かが自分を謀っているのではないか。
――ここで教皇に歯向かうような言動をすれば、それを理由として裁かれてしまうのではないか。
そんな疑念とも希望ともつかない思いが、口論をさらなる泥沼にひきずりこもうとしたとき、その声は聞こえてきた。
『百家争鳴とはこのことですね。姦しいこと』
声高に言い争いを続ける者たちの耳に、その声はひどく場違いに響いた。
冷たくも清らかな声音はあたかも詩を吟じているかのようで、殺気だった場の空気にはいかにもそぐわない。
双方を揶揄するような内容だったこともあり、本来であれば発言者に対して周囲から罵声と叱責が浴びせられたであろう。
だが、この場で発言者を非難する者はいなかった。全員が声の主を知っていたからである。
「教皇聖下!」
「おお……よくぞお越しくださいました、聖下!」
「やはり此度の一件は聖下の深慮遠謀があってのことだったのですな!」
それらの声に応えるように、まるで宙から滲み出るように教皇はその場に姿を現した。
光神教の白い神官服を身にまとい、顔は面紗で覆われている。顔を隠しているため、容姿や年齢は判然としないが、神官服を下から押し上げる膨らみが教皇の性別を言外に物語っていた。
光神教最高指導者の、あまりにも唐突な出現。高速歩法か、瞬間移動か、あるいはまったく未知の術式なのか。儺儺式使いたちでさえ教皇の気配を感じ取ることはできなかったが、そのことに驚く者はここにはいない。
教皇はそれができる存在なのだということを、方相氏に連なる者たちは知っていたからである。
慌てて膝をつく面々に対し、教皇は厳かに告げた。
『先の大戦から三百年。アトリが施した結界は日に日に強度を弱めており、まもなく我らが神は忌まわしき縛鎖から解き放たれるでしょう。浄世の刻です』
それを聞いた方相氏の間から、おお、と感嘆の声がわきおこる。
もっとも、その声は多分に追従の響きを帯びていた。今このときにも教会騎士の攻撃は止まっておらず、そのことは外から響いてくる剣戟の音が物語っている。
兵を差し向けておきながら自ら姿をあらわし、語りかけてくる。教皇の意図は奈辺にあるのかと訝りながら、大司教はおそるおそる口をひらいた。
「聖下。我ら方相氏に連なる者ども、来る再臨の日に備えてこれまで以上に練磨を重ね、聖下のお役に立てるよう努める所存にございます」
『殊勝なことです。その誠心をもって過去の罪業は許しましょう。あなたがた方相氏は心置きなく浄世の先駆けとなりなさい』
「罪業? 先駆け? 聖下、それはいったい――――――い?」
教皇の奇妙な言動に疑問をおぼえた大司教が、相手の真意をたずねようとする。
途端、すぅ、と音もなく大司教の首に線が走り、その線にそって首がずれた。顔に疑念を浮かべたまま、大司教の頭部は鈍い音をたてて床へと落ちる。
ややあって、頭部を失った大司教の首から音を立てて鮮血があふれでる。
静寂が恐慌にとってかわるまで、かかった時間はごくわずかだった。
「だ、大司教!?」
「聖下、何をなさいますか!?」
悲鳴じみた疑問に対して答えは返ってこなかった。
言うべきことはすでに言った。そう告げるように教皇は不可視の攻撃を繰り出して、次々とこの場にいる者たちの首を断ち切っていく。
まだ無事な者たちも、事ここにいたってようやく現実を受けいれた。自分たちは光神教に、教皇に切り捨てられたのだ、と。
その認識は瞬く間に憤激へと転じ、彼らはそろって声を荒らげた。
「三百年の忠誠をただ一度の失態で切り捨てるおつもりか! それはあまりに不実でありましょう!」
「人の血肉を捨てた者は、心まで化生になり果てるとみえる。我らの協力なくして光神教が成り立つとお思いか!?」
「さてはこのために蔚塁様に死を授けたな、女狐! ちょうどよい。ここで貴様を斬って泉下の長への供物にしてくれよう! 儺儺式灼刀 赤螺旋!」
声に、あるいは刃に怒りを乗せて教皇に食ってかかる者たちに対し、教皇がとった行動はただひとつ。
パチン、と胸の前で手を叩いたのである。それだけで口を動かしていた者は口を、武器を抜こうとしていた者は腕を、それぞれ封じられた。
「な!?」
「むッ」
「ぐ、馬鹿な! 礙牢は効いておるはず……!」
方相氏の半分は命を失い、半分は動きを封じられた。いつの間にか外の戦闘は終結していたらしく、室内に静寂が満ちる。
ややあって教皇の冷厳な声が静寂の帳を破った。
『浄世とはまつろわぬ者どもを討ち果たし、世界を浄める神の大業。もとより方相氏が力不足であることはわかっていました。これよりは――いえ、三百年の昔から変わらず、私が恃みとするのは御剣家ただひとつ。私は彼の家と共に大願をかなえます。長きにわたる代役、ご苦労でした」
その言葉――特に御剣家の名前を耳にした瞬間、武官文官を問わず、生き残っていた者の目に雷火を思わせる激情が走る。
だが、彼らがそれを言葉にするより早く、教皇がもう一度手を叩いた。直後。
ぐしゃり、と。
大きな果実を踏み砕くにも似た音が室内に響き渡ると、その後はもう、いかなる物音が生じることもなかった。
目的を遂げた教皇は、はふ、と小さく息を吐き出すと、ゆっくりと西の方角を向く。中山の都 西都がある方角だ。
次いで面紗の下から発された声は、方相氏に向けていた冷ややかなものとはまったく異なる響きを帯びていた。
囁くように小さく、夢見るように甘く、教皇はこの場にいない者に向けて語りかける。
『やっと、やっと三百年前の過ちを正すことができる。もう一度、あなたとお会いすることができる。共に手をたずさえ、あの日、あの時、あの場所で失ったものを取り戻しましょう』
そう言うと、教皇は最後に小さく付け加えた。
――私の仁様。




