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第百三話 再会(中)


「クリムト!!」



 室内に一歩いっぽ足を踏み入れた瞬間、クライアが悲鳴にも似た声をあげて床を蹴った。駆け寄った先には敷きつめられた草の上に寝かされたクリムトの姿がある。


 クリムトのかたわらには姉弟とおぼしき鬼人の姿があったが、おそらくクライアの目に二人は映っていなかっただろう。


 姉弟は突然飛び込んできたクライアに驚き、警戒する素振りを見せたが、カガリが姉弟の名を呼んでその動きを制した。それによれば、姉の名はラン、弟の名はヤマトというようである。



「クリムト……ああ、クリムト!」



 弟の名を呼ぶクライアの声には深い喜びがあふれていたが、同時に、同じくらい強い悲しみに満ちていた。


 喜びは言わずもがな、死んだと知らされていたクリムトが生きていたことに対して。


 悲しみの方は、せっかく生きていてくれたクリムトが、今にも息絶えてしまいそうなくらい衰弱していることに対してだった。



「……これは」



 ウルスラがきつく眉根を寄せてうめく。たぶん、俺もウルスラと似たような表情を浮かべていただろう。


 横になったクリムトの顔は血の気を失い、蒼白を通り越して土気色に変じていた。何者かによって切り落とされた右腕は化膿かのうし、えたような異臭を放っている。


 負傷による消耗のせいだろう、頬は痩せこけ、首や手足の肉も削げ落ちていた。力なく開かれた口からは、喘鳴ぜんめいのようにか細い呼吸音が漏れており、その事実がかろうじてクリムトの生存を伝えてくれた。



「ぬ、これはいかん! カガリ様、急ぎ大量の湯と白布をご用意くだされ!」



 そう声をあげたのは鬼人の医者ソザイである。ソザイは足早にクリムトに歩み寄ると、テキパキとした動きで応急処置をはじめた。すぐさまクライアがそれを手伝い、やや遅れてランが加わる。


 俺はと言えば、黙って三人の姿を見ているだけだった。


 これは応急処置には三人もいれば十分だと判断してのことである。ただ、俺はもともとクリムトの生死に重きを置いておらず、その無関心さがこの場の行動を消極的なものにしている面もあった。


 クライアの心情を思えば、クリムトが助かってくれるに越したことはない。しかし、だからといって俺が献身的に助けてやる義理もない。クリムトだって、俺に甲斐甲斐しく看護されることなんて望んでいないだろうしな!


 念のために付け加えておくと、俺はすでにクライアに『血煙ちけむりの剣』特製ポーションを渡しており、クリムトへの使用についても一任するむねを伝えている。


 これ以上のことを求められる筋合いはない、というのが偽らざる本心だった。





 ――結論から述べると、クリムトは一命をとりとめた。


 といっても全快したわけではなく、良くいって小康状態というところだが、少なくとも今日明日に命が尽きてもおかしくない、という状態からは脱することができた。 


 俺のポーションが効いたこともあるが、ソザイの医術がそれだけ優れていたのだろう。実際、もしソザイがいなかったら、ポーションの力だけでクリムトを救えたかどうかは微妙なところである。


 クリムトがああまで衰弱した原因は、右腕を切り落とされたことはもちろん、意識を失ったことでけいによる防御を張れなくなった点が大きかった。結果、クリムトの身体は鬼界の瘴気しょうきむしばまれ、短期間のうちに急速に衰弱してしまったのである。


 これまで何度か述べてきたが、竜の血入りのポーションは劇薬だ。強力であるがゆえに、使用者にも害を与えてしまう。俺が鬼界に持ってきたポーションはミロスラフの手で調整がなされているが、それでも今の衰弱しきったクリムトの身体に負担をかけてしまうことは避けられない。


 それこそ、ポーションを飲ませたせいでぽっくりってしまうこともありえた。


 クリムトを助けるためには、まず衰弱の原因である瘴気しょうきを取りのぞき、その上でポーションの使用に耐えうるまで回復させる必要があった。


 むろん、俺にそんな医術の心得はない。かつて、呪いで苦しむクラウディア・ドラグノートを救った魂付与ソウルドナーという回復手段があるにはあるが、クリムト相手に使う気はかけらもなかったので、その意味でもソザイの存在は大きかったといえる。


 ソザイが治療に用いた薬湯や傷薬はすべて植物の葉っぱや根っこ、くきや皮、さらには動物の角や甲羅などで作られた生薬しょうやくであり、魔法のたぐいは一切用いられていないという。化膿した右腕の処置もすべてソザイが手作業でおこなった。


 治療に先立って室内に焚き込めたこう――瘴気しょうき避けの効力がある――もソザイが自力で調合したというから大したものである。


 ともあれ、クリムトは窮地を脱した。後は体力の回復を待って鬼ヶ島に連れ戻せば、弟を助けてほしいというクライアの願いをかなえたことになる。


 これにて一件落着、めでたしめでたしだった。


 ――いやまあ、そんなわきゃないのであるが。


 クリムトが鬼界に来た理由はわかっているが、大興山にいた理由まではわかっていない。


 中山に敵対する陣営に身を置いていたのは中山王を討つためだったと思われるが、そもそもクリムトはどこで中山と崋山の関係を知ったのだろう。あてもなく大興山までやってきて、たまたま反乱に出くわしたわけでもあるまい。


 それに、崋山の側がクリムトを受けいれた理由も気にかかる。ランとヤマトの姉弟はずいぶんクリムトに懐いているようだが、これも俺の知るクリムトの人柄からは想像しにくいことだった。


 そのあたりを調べるためにも、事情を知っていそうな姉弟やカガリから話を聞きたいところである。普段であれば、クリムトや御剣家がどう動こうと知ったことではないのだが、帝都で皇帝が口にしていた「三百年の怨讐おんしゅう」という言葉もある。さすがに今の状況に無関心ではいられなかった。


 しかし、なにぶんにも俺たちは人間だ。今はアズマの許可があるから中山領を出歩けているが、捜していたクリムトが見つかった以上、さっさと帰れと言われても仕方ない。


 少なくともドーガはそう思っているだろうし、遠からず中山からの退去を求めてくるに違いない。間違っても鬼人族の秘事を明かすつもりはあるまい。


 あの武人の牙城をいかにして突き崩すべきか、俺はおおいに頭を悩ませることになった――もっとも、幸か不幸か、その悩みが長続きすることはなかったのだが。



◆◆



「――カガリ、それは真か?」



 砦の奥まった一室。かつて崋山の将が利用していた部屋で向かい合ったドーガとカガリは、互いに緊張をあらわにしたまま言葉を交わしていた。


 カガリは兄の問いかけにはっきりとうなずいてみせる。



「ああ、いくら俺でもこんな性質たちの悪い冗談は口にしないさ、ドーガにい。崋山の反乱軍の背後には光神教がいた。崋山に金と物を流していたのはあいつらだ。振斗しんとってやつがランたちの前ではっきり認めたらしい」


「むう……カガリ、試みに問うが、中山と光神教の紐帯ちゅうたいを断ち切るための謀事はかりごとという可能性はないのか? おさなしとはいえ、あれらは崋山王家の正統の血を引く者どもだ。その程度の腹芸はやってのけるのではないか」


「正統の血といっても、あのふたりは王族としての教育はほとんど受けてないと思うぞ。こう言っちゃなんだけど、王子王女としては平々凡々だ。崋山が滅び、反乱も潰えた今になって、中山と光神教の仲を裂く気概なり、執念なりがあるとは思えない」



 カガリの言葉にドーガは無言でうなずいた。もとより、あの姉弟の出まかせであると本気で考えていたわけではない。


 ドーガは苛立たしげに膝を打った。



「鬼界が統一されれば、それだけ鬼人族は力をつける。鬼人族が力をつければ、それだけ光神教の影響力が薄れる。それを嫌って中山と崋山をはかりにかけていたか」


「そんなところかな。光神教全体がひとつの意思で動いているのか、一部の派閥がそう考えているだけなのかは分からないけどな」


「獅子身中の虫めが! わしらを虚仮こけにした報いは受けてもらわずばなるまい」



 そう吐き捨てたドーガは、ここで不意に顔色をかえて立ち上がった。



「いかん! 我らが裏切りに気づいたことを知れば、連中は本殿におもむいたハクロを狙うであろう。西都にいる兄者も狙われるやもしれん!」


「ああ、それについてはたぶん大丈夫。少なくとも、アズマにいはもう知ってる」


「なに――ああ、先の報告で符牒ふちょうを用いたのだな?」



 符牒ふちょうとは隠語、ようするに合言葉のことである。ドーガの言うとおり、カガリは書状に符牒を仕込んでアズマに事の次第を伝えていた。


 これは中山の王族、つまり四兄弟しか知らないものであり、仮に他者が盗み見ても気づくことはない。


 カガリは大興山から立ち去った蔚塁うつるいが使者を襲う可能性も考え、複数の配下にそれぞれ違う道のりをたどらせるという細心さも見せていた。



「こうしてドーガにいを寄こしたってことは、アズマにいに何か考えがあるんだろう。ハクロにいについては、まだ裏切りのことは知らないはずだけど――」



 そこまで言って、カガリは軽く肩をすくめる。



「相手が誰であれ、あのハクロにいが不意をつかれるとは思えないな。だいたい崋山と門番、それに光神教が裏でつながっているかもしれないって最初に言い出したのはハクロにいだぜ? ドーガにいもおぼえてるだろ?」


「む、たしかにそうであるな」



 出陣に先立って西都でおこなわれた話し合いのことを思い出し、ドーガはゆっくりとうなずく。


 話し合いの内容を忘れるほど時がたっているわけではない。それでも過去のハクロの発言にとっさに思い及ばなかったのは、ドーガが少なからず光神教の裏切りに動揺している証であったろう。


 ドーガは人間嫌いであり、光神教の信徒でもない。昨今の光神教の怪しい動きも耳にしている。それでも、三百年の長きにわたって共に過酷な鬼界を生き抜いてきた者たちに対し、同胞意識はたしかに存在するのである。


 頑固であるが情にも厚い。そんな兄を見ながら、カガリは内心で今後の動きを考える。


 実のところ、ドーガが大興山にやってきたのはカガリにとっても予想外の出来事だった。カガリはごく当然の思考として、ドーガはいまだに門の方にいると考えていたのである。


 そのドーガが大興山にやってきた。しかも、アズマから何も伝えられずに、である。


 おそらくアズマは自身をおとりにして光神教の動きを引き出すつもりであろう。そのことを伝えれば、ドーガは間違いなく西都に残ろうとする。だからアズマは、あえてドーガに詳しいことを知らせずに大興山に送り出したに違いない。


 となると、ここで自分とドーガが急いで西都に戻れば、アズマの計画を狂わせてしまうかもしれない。カガリはそう考えた。


 だが、その一方で、蔚塁うつるいとじかに対峙したカガリはアズマの身を案じた。書状の中で儺儺式ななしき使いの脅威は伝えておいたから、アズマが敵をあなどって不覚をとるようなことはないだろうが、それでもアズマはドーガやカガリほど強くはない。


 それに光神教徒は王府の中にもいる。暗殺の危険はいたるところに存在するのだ――カガリがそこまで考えたときだった。


 カンカンカン!! と甲高い警鐘の音が砦の内外に響き渡る。


 間を置かずに「敵襲!」の声がカガリたちの部屋まで飛び込んできた。敵といっても崋山兵はすでに降伏しており、門番たちは門を守って動かないのだから、残るは魔物、魔獣のたぐいしかいない。


 カガリの推測どおり、このとき大興山に押し寄せてきたのは魔物の群れだった。巨大な蜂を思わせる姿は、玄蜂げんほうと呼ばれる獰猛どうもうな飛翔型の魔物である。




 その玄蜂げんほうに追われるように――あるいは引き連れるように、鬼面をかぶった人物も一路いちろ大興山を目指していたのだが、見張りの目は空を飛ぶ魔物に向けられており、この時点で鬼面の人物の存在に気づいた者は誰もいなかった。


 

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