第二十七話 決別
『父君の命令ゆえ、あなたを配偶者として迎えることは許容しましょう。ですが、許容できるのはそこまでです。この身に触れることは許しません。たとえ指の一本といえども』
壮麗なるアドアステラ帝国の皇宮で初めて顔を合わせた第三皇女は、開口一番、王太子に向かってそう告げた。
そして、涼しげに微笑みながら先を続ける。
『いずれ父君か兄君の子を養子として迎え入れます。その子を世継ぎとし、私が後見人となって国を動かしましょう。あなたは王ではなく王配(女王の夫)になると心得なさい』
目の覚めるような美貌の皇女は心地よい声で将来の計画を語っていく。ただし、心地よいのは声音だけで、内容は峻厳としか言いようがない。
皇女が口にしているのは相談ではなかった。要望でもない。夫となる相手を今から押さえつけておくための駆け引きですらない。
そこにあるのは、すでに決定した事を告げる事務的な滑らかさだけだった。
『閨房のことで不満があるなら他の女性を連れてきなさい。案ずることはありません。誰を迎えようと、何人迎えようと、私は反対しませんので。聞けば、私との婚儀のために婚約を破棄した方もいたそうですね。その方を迎えるのもいいでしょう』
そういって第三皇女は立ち上がる。ためらいのない態度が、言うべきことはすべて言った、と言外に告げていた。
席を立ち、背を向け、扉の向こうに消えていく結婚相手を見ながら、王太子は一言も発することができなかった。もっといえば、王太子は席についてから一度も口をひらいていない。
これがカナリア王国の王太子アザールと、アドアステラ帝国の第三皇女咲耶との初顔合わせだった。
その後、アザールはすぐにカナリア王国への帰路についたのだが、当然のごとく馬車の中で不満を爆発させた。
こんなことは聞いていない、話が違う、とまくしたてるアザールに対し、随従のコルキア侯爵は真剣な顔で応じる。
――皇女は国を出ることに対して不安があり、それが言動に影響を与えているだけである。夫となる男性を試す意味もあるだろう。むきにならず、寛大に受け止めていれば、いずれ皇女の態度も軟化する。感情的になって言い争えば、その分だけ皇女の心が離れるだろう。皇女が父帝に「自分が粗略に扱われている」と訴え出れば、両国間の関係は悪化し、最悪の場合、出兵の引き金にもなりかねない。そんな事態を避けるためにも皇女の言動に目くじらをたててはいけない……
侯爵に懇々と説かれたアザールは多少の理解を示したものの、それでも不快感はぬぐえなかった。
王太子として何不自由なく育った身だ。自分より上といえば父であるカナリア王だけ。そんなアザールにとって、自らを見下す皇女を妻として迎え入れ、なおかつその機嫌をとらねばならないという事実はあまりに重すぎた。それも一時のことではない。これから先ずっと、なのである。
鬱屈は国に戻ってからも続き、父王に対して婚儀の再考を訴えたりもしたが、この期に及んでそんな我がままが通るはずもなく、父王に一喝されただけで終わった。
さらに不満をつのらせるアザール。
クラウディア・ドラグノートが王宮にやってきたのはそんなときだった。
久しぶりに――それこそ一年ぶりに顔を合わせたクラウディアは、アザールが思わず息をのむほどに美しくなっていた。
もともと健康的で溌剌とした美少女だったが、今はそこに女性らしい淑やかさが加わって少女の魅力をより際立たせている。呪詛や病魔の陰はどこにも見当たらない。
それを見たアザールの脳裏に第三皇女の姿がよみがえった。
あの高慢な皇女に比べれば、クラウディアの方がはるかに好ましい。婚約者だった時分、アザールは文武において己にまさるクラウディアの存在を厭わしく思っていたが、クラウディアは常に一歩も二歩も引いてアザールを立ててくれていた。
当時のアザールにとってはそれすら不愉快のタネだったが、今は違う。
クラウディアならば、妻となった後も自分を夫として立ててくれるだろう。帝国の皇女に追従して自分を軽んじることもあるまい。それどころか、自分のために皇女の高慢な態度をとがめてくれるかもしれぬ。
アザールが婚約を破棄したのはクラウディアが呪いに冒されたからだ。その呪いが解かれたのだから、再び婚約を結ぶことに支障はないはず。それに、貴族社会において呪詛に冒されたというのは醜聞だ。再度の婚約は、その醜聞をたちまちのうちに払い落とすに違いない。王太子妃の座にはそれだけの名誉がある。
クラウディアを第二夫人に、という思い立ちはアザールなりの好意だった。
アザールはこの好意が受け入れられると信じて疑わなかった。過去のクラウディアは意地らしいほど献身的にアザールに尽くしていた。あれは自分に対する愛情の深さであり、それは今でも色あせていないはず。アザールの申し出を聞いたクラウディアは、ようやく自分の気持ちが通じたと感激の涙を流すに違いない――そんな風に考えていたのである。
このことをアザールから伝えられたとき、父王トールバルドはわずかに眉根を寄せた。
さすがに父王は息子ほどのんきではない。婚約破棄にともなう公爵家の怒りを理解していたし、クラウディアを呪った帝国との婚儀を決めたことに対し、ドラグノート公やアストリッドが不信を抱いていることも感じ取っていた。当然、それはクラウディア本人も同様であろう。
今になって王家から婚姻を申し入れたところで公爵家の不興はおさまるまい。第一夫人から第二夫人に格下げした婚姻となればなおさらで、余計に公爵家との仲がこじれることになりかねない。
ただ、このまま問題を放置しても結果はさしてかわらない。時が経つほどに君臣の溝は大きく深くなっていくだろう。どこかで一歩踏み出さねばならない――そう考えていた国王にとって、アザールの言葉は渡りに船だった。
そうして国王が考えたのが、アザールとクラウディアの二人を教皇の介添え役に命じることである。共に介添え役をつとめている間に二人の仲が修復されればよし。駄目だったとしても、国王がドラグノート公爵家に対し、以前とかわらぬ信頼を寄せていることを周囲に示すことはできる。
はじめから婚儀だ復縁だと騒ぎ立てず、公爵家に配慮を示す形でクラウディアとアザールの仲を修復する。それが国王の狙いだった。
ただ、公爵本人やアストリッドを介せば、クラウディアが病み上がりであることを理由に介添え役を辞退されてしまうかもしれない。だから、二人に教皇の護衛を命じて王都を離れさせた。
クラウディア一人では国王の招請を拒みにくい。教皇の介添え役という名誉を与えようとしているとあってはなおさらだ。たとえ気がすすまなかったとしても、きちんと王宮に参じるだろう。
国王の狙いは図に当たった。
ただし、図に当たったのは王宮に招くまでで、それ以外の狙いはすべて外れてしまう。
満面に笑みを浮かべたクラウディアが、親しげにひとりの青年の手をとって王宮に現れたとき、国王と王太子は目をみはって押し黙るしかなかった。
◆◆◆
王宮に入った俺とクラウディアが案内されたのは、謁見の間ではなく、こじんまりとした一室だった。
もちろん、こじんまりといっても王宮の他の部屋に比べればの話。室内の調度は豪華で手入れも行き届いている。クラウディアによれば、国王が気の置けない者たちと話をするときに使われる部屋なのだとか。
王族が歓談を楽しむための談話室、みたいなものなのだろう。国王はまだ今回の一件を廷臣の耳目に触れさせたくないらしい。
してみると、介添え役やら第二夫人やらはまだ思いつきの段階なのかもしれない。クラウディアの父であるドラグノート公がどちらにも関与していないことからも、その可能性は高かった。
国王はまず当人であるクラウディアを直接説きふせ、その後、娘の口を借りてドラグノート公を説得するつもりなのかもしれない。この推測が当たっているとすれば、国王とドラグノート公との関係はずいぶん拗れている。
俺からすれば、変に小細工をするよりも、面と向かって公爵と話をした方がいいと思うのだが……ドラグノート公から請われて対話するならともかく、国王が請うてドラグノート公と対話するというのは、国王の面子的に難しいのかもしれない。
ドラグノート公爵家には恩も義理もある。できれば大事にはならないでほしいものだ。
そんなことを考えつつ隣を見ると、クラウディアがにこにこ笑いながら俺の左手を握っていた。王宮に入ってからというもの――もとい、公爵邸を出てからというもの、ずっとこの調子である。
これはクラウディアの提案によるものだった。というのも、俺とクラウディアの関係はあくまで見せかけ。クラウディアが俺の家に入ることで「あの二人は婚約関係にあるに違いない」と周囲に思わせるだけで、正式に婚約するわけではない。つまり、国王や王太子に対して「ボクたち婚約してます!」といえば嘘になってしまうわけだ。であれば、言葉ではなく態度で親密さを見せつけるしかないではないか! ――という公爵令嬢の熱弁の結果、こうしてずっと手をつないでいる次第である。
握りっぱなしでけっこう汗ばんできているのだけど、クラウディアはまったく気にする様子がない。ときおり、にぎにぎと力を入れたりと、どこか楽しんでいる風さえある。
ちなみに国王と王太子が部屋に入ってきてからも、クラウディアの手がほどかれることはなかった。俺と手をつなぎ、ソファの上でぴったりと身を寄せているクラウディアを見て、王族二人がなんか変な顔をしている。
……王族の前でこれみよがしにベタベタするって、無礼とか不敬とかに当たらないのかな? ま、まあ公爵令嬢であるクラウディアのやることだ。ぎりぎりの線を見計らっているに違いない――見計らっているよね?
クラウディア以外の全員が戸惑う中、はじめに口をひらいたのは国王トールバルドだった。
「わざわざ呼び出してすまぬな、クラウディア」
「恐れ入ります、陛下」
「それに、ソラ。そなたとはずいぶん久しぶりだ」
「は! お久しゅうございます、国王陛下」
クラウディアがぺこりと頭を下げ、俺もそれにならう。国王に促されてソファに座った後も、にこにこ顔のクラウディアと戸惑い顔のその他、という構図は変わらなかった。
またしても国王がその沈黙を破る。
「正直なところ、この場にソラがいるとは思わなかった。二人はどのような関係なのだ?」
国王の視線が、つながれたままの俺とクラウディアの手に向けられる。
この状態を見て「どのような」も何もないと思うが、まあ国王としてはそう訊くしかあるまい。
クラウディアが弾んだ声で答えた。
「もうじきボクはイシュカの彼の家に移り住むことになっております、陛下」
「……ほう、そうなのか?」
「はい!」
うなずいたクラウディアは、ここで笑みを消して真剣な表情を浮かべる。
「本来ならば、もうイシュカに移住しているはずだったのですが……ティティスの森で立て続けに異変が起きたことをうけ、父と相談して時機を延ばしたのです。陛下にはいずれボクの口からご報告しなければ、と考えていましたところ、はからずも今日のお召しを受けて、良い機会と存じて彼と共に参上いたしました」
「ふむ……ソラは藍色翼獣を手なずけた勇士であるとはいえ、一介の冒険者であることに違いはない。そなたもパスカルもずいぶんと思いきったものだ」
国王の目がちらと俺に向けられる。
以前にも少し述べたが、先の王都騒乱で慈仁坊を討ったのは表向きドラグノート公ということになっている。これは俺とドラグノート公で相談して決めたことだ。当然のように、国王は俺が魂付与でクラウディアを助けたことも知らない。
その国王の目から見ると、クラウディアがこれほどまでに俺を慕っているのも、ドラグノート公が掌中の珠を一介の冒険者に与えようとしているのも奇異にうつるわけだ。
これに対し、クラウディアはくすりと微笑んだ。
「陛下、竜殺しと縁を結ぶことをためらう家がございましょうか」
この言葉に反応したのは国王ではなく王太子だった。
十三歳の王太子は睨むように俺を一瞥した後、身を乗り出すようにしてクラウディアに話しかけた。
「クラウディア! お前は知らないようだが、その者の竜殺しの功績はまだ公に認められてはいない。偽功なのではないか、という疑いがあるのだ。偽・竜殺しとさげすむ声もある!」
「おそれながら殿下、そのことは存じております」
「ならば!」
我が意をえたり、とさらに身を乗り出す王太子。そのまま卓を乗り越えてクラウディアに抱きつきそうな勢いである。
そんなかつての婚約者に対し、クラウディアはにこりと微笑んだ。
「さもしい言葉です」
「……なに?」
「神話に名を残す猛毒竜。それが出現したティティスの森に彼は――ソラさんは足を踏み入れた。竜に挑むために、です。それだけで竜殺しを名乗る資格があるとボクは思います。ソラさんを謗る者のうち、いったい何人があの時ティティスの森に足を踏み入れたのでしょうか?」
クラウディアの反論に、王太子が鼻白んだように口をつぐむ。
そんな王太子を、クラウディアはじっと見つめた。
「竜に挑んだ者の言葉を、竜に挑まなかった者が否定することはできません。偽・竜殺しとは、あの日、あの時、あの森にいなかった者たちが生み出したさもしい言葉。取るに足らない誹謗と心得ます」
ゆるぎない口調に室内がしんと静まり返る。
王太子は顔を真っ赤にして口を引き結んだ。クラウディアがさもしいと断じたのは、あくまで俺を偽・竜殺しと謗る者たちである。
だが、その誹謗に乗っかろうとしていた王太子は、自分が非難されたように感じたに違いない。
このとき、国王が口をひらいたのは、おそらく息子をかばうためだった。
「ソラのことを信頼しているのだな、クラウディア」
「はい、陛下。心から」
国王はクラウディアの声を聞き、顔を見て、すっと目を閉じる。そして、何かを思い切るように大きく息を吐き出した。
「……かなうならば、そなたを娘と呼びたかったのだがな」
「身にあまるお言葉です。ご期待に沿えず、申し訳ございません」
「聖下の介添え役については引き受けてもらえようか?」
「我が公爵家にとっても名誉なこと、つつしんでお引き受けいたします」
クラウディアは丁寧に頭を下げる。さすがに国王じきじきの願いを二つとも蹴飛ばすわけにはいかない、と考えたのだろう。非公式の場とはいえ、国王の面子を丸つぶしにしてしまうからな。
――もしかしたら、これはこれで国王の目論見どおりなのかもしれないが、まあそこまで深読みする必要はないだろう。
その後、用件を済ませた国王は静かに部屋を出て行った。王太子も父王に続いたが、父王が部屋を出た後も部屋に残り、扉の前でこちらに背を向けてたたずんでいる。
はて、何をしているのだろう、とクラウディアと二人で首をかしげていると、王太子は憤然とした顔でこちらを振り返った。そして、睨むように俺たちを――いや、クラウディアを見る。どうやらクラウディアが声をかけるのを待っていたらしい。
「クラウディア! あれだけ尽くしてくれたのに……お前は本当にこれでいいのか!? もし、その男なり、公爵なりに無理やり言うことを聞かせられているのなら――」
「殿下」
「なんだ!? やっぱりお前は――」
「ボクは今、幸せです。殿下もどうか咲耶様とお幸せに」
静かに告げた後、クラウディアは深々と頭を垂れる。敬意を示すその動作が、決別を告げる動作に見えたのは――たぶん気のせいではなかっただろう。




