第二十六話 王宮へ
ドラグノート邸に招じ入れられた俺は、クラウディアの宣言どおり公爵家を挙げて歓迎された。
クラウディアはもちろんのこと、公爵家の家臣たちも熱心に俺をもてなしてくれたのだ。この分ならひとりでやってきても門前払いされることはなかっただろう。この点もクラウディアの言うとおりだったわけで、実にありがたいことである。
ドラグノート公爵家はカナリア王国筆頭貴族の家柄。その邸宅で賓客扱いされている事実に若干の居心地の悪さを感じるものの――場違い的な意味で――自分の行動を高く評価されて嬉しくないはずがない。ドラグノート公爵家に対する俺の評価は高まる一方だった。
残念だったのはドラグノート公とアストリッドが不在だったことだが、これはまあ予想どおりである。
予想どおりといえば、アザール王太子と咲耶姫の婚儀も、やはり王宮で大変な問題になっているとのことだった。
もともと、二人の婚儀を強力に推進していたのは帝国派貴族のコルキア侯。この侯爵は先の慈仁坊の一件で大きく立場を弱めていたが、魔獣暴走や幻想種出現によって生じた混乱に乗じることで、再び政治的な立場を強化した。
つまり、婚儀を名目として帝国の多大な援助を引き出すと共に、ここで婚儀を取りやめれば帝国が婚姻政策から軍事侵攻に舵を切ることを示唆して、一気に婚儀を推し進めたのである。
当然、反発する声も大きかったが、他ならぬ国王トールバルドが決断をくだした。
ただでさえカナリア王国の国力はアドアステラ帝国に及ばない。そこにきて今回の大混乱である。この状況で帝国軍の本格的な侵攻をうければカナリア王国に勝ち目はない。
それならば婚姻によって軍事衝突を回避し、なおかつ相手の非に目をつむるかわりに多額の援助を引き出して、それを復興資金にあてる方が得策である――国王の決断はコルキア侯の献策に沿ったものだった。
これによって両国間の婚儀は正式に決定されたのだが、国王の決定に反発する廷臣も少なくなかった。中には憤激のあまり実力で婚儀を打ち壊そうとする者もいるらしく、ドラグノート公はそういった過激な動きをおさえるために王宮に詰めっぱなしであるという。
アストリッドは団長不在の竜騎士団の実質的な指揮官として、カナリア各地を飛びまわって治安維持にあたっており、こちらも公爵邸に戻ってくるのは数日に一度あるかないかといった具合らしい。
ひととおりの事情を語り終えたクラウディアは、はう、と小さく息を吐いた。
「家に帰ってきたときの父様と姉様は、いつもひどく疲れた様子なので心配です」
「たしかに、聞いているだけで大変さが伝わってきますね」
俺は難しい顔で腕を組む。できれば公爵家に力を貸してあげたいが、俺はこのあとベルカに行って獣の王を捜索しなければならない。これはティティスの森やケール河の汚染を食い止めるために必要なことだ。
それに、イシュカではスズメやシールが俺のことを心配しているはず。なるべく早く帰って安心させてあげたい、という事情もあった。
この状況でクラウディアに対し、出来もしない助力をほのめかすのは不誠実というものだろう。
――ここはあれだ、大急ぎでイシュカに帰ってスズメたちに顔を見せた後、勁全開でベルカに向かおう。そこでベヒモスを倒して大急ぎで戻ってくれば、心置きなくクラウディアたちを助けることができる。よし、そうしようそうしよう。
そんなことを考えていると、客間の扉がトントン、トンとノックされた。
クラウディアは軽く首を傾げてから、俺に「すみません」と言い置いて扉へ向かう。ひらかれた扉から顔を見せたのは公爵家の執事で、手には一通の書状が握られていた。
どこか苦々しげな執事の顔を見るに、吉報というわけではなさそうである。
クラウディアと執事の間で交わされる小声の会話。別段、盗み聞きするつもりはなかったが、両耳をふさぐほど興味がないわけではなかったので、いくつかの単語が耳に飛び込んできた。
その中に「王太子殿下」や「国王陛下」という言葉が含まれていて、俺は反射的に眉をひそめてしまう。
国王トールバルドにせよ、王太子アザールにせよ、呪いに苦しむクラウディアを婚約破棄という形で切り捨てた者たちだ。特に王太子は婚約者という立場にありながら、病床のクラウディアを気遣う手紙のひとつも寄越さなかったと聞く。
クラウディアに好意を抱く俺としては二人に――特に王太子に対して良い感情を持ちようがない。
戻ってきたクラウディアの顔に翳りを見つけたことで、その感情はいやおうなしに高まった。
と、そんな俺の視線の先で、クラウディアが残念そうに口をひらく。
「ソラさん、申し訳ありません。もっとお話をしたかったのですが、陛下からお召しがありました。ボクは急ぎ王宮に参じなければなりません」
「そうですか、私のことはどうかお気になさらずに――しかし、陛下からのお召し、ですか?」
俺は首をかしげる。
クラウディアによれば、ドラグノート公はこのところ王宮に詰めっぱなしであるとのことだった。国王が公爵家に用事があるのなら、王宮にいるドラグノート公を呼び出せばよく、わざわざクラウディアを招く必要はない。
それなのに国王は公爵邸に使者をつかわした。つまり、国王の用事は公爵家ではなくクラウディア個人にあるということ。先ほどの言葉から推測するに、その用向きは王太子に関わることなのだろう。
婚約を破棄した王太子が、父親経由でクラウディアを王宮に呼び出している。それが喜ばしい事でないのは執事やクラウディアの表情が物語っている。
そこまで考えた俺は、このまま言葉を続けるべきか否か、少し迷った。
前述したとおり、俺は王都に長居するつもりはない。そんな俺が事情も知らずにしゃしゃり出て、事態を引っかきまわすのは避けるべきだろう。かえってクラウディアに迷惑をかけることになりかねない。
そもそも、クラウディアから助けを求められたわけでもないのである。ここは余計なことをせず、おとなしく引き下がるべきだろう。そう思う。
――ただ、その一方で、ここは引き下がるべきではない、という気持ちがあるのも確かだった。ドラグノート公とアストリッドの不在を見計らったかのような呼び出しが気になるのだ。
脳裏をよぎったのは、いつぞやクラウ・ソラスを献上せよと迫ってきた年若い王太子の顔。あのときも王太子はドラグノート公やアストリッドを避けていた。
今回の一件に踏み込むべきか、引き下がるべきか。
自問する俺。自答は一瞬で返ってきた――ガンガン踏み込め、と。
俺はこほんと咳払いした後、神妙な顔で口をひらいた。
「クラウディア様、率直におうかがいします。間違っていたら申し訳ないのですが――」
「はい、なんでしょう?」
「振られた相手から復縁を求められて困ってたりします?」
宣言どおり率直に訊ねると、クラウディアの口から、ぶふ、と変な音がもれた。
「ソ、ソラさん? あの、それはどういう……?」
「具体的に申し上げると、王太子殿下から言い寄られて困っていませんか、という意味です」
この問いかけに対し、クラウディアはあわあわしながら、なんと答えたものかと迷う素振りを見せた。
ややあって心を決したらしく、困ったようにこくりとうなずく。
「はい、実はそうなんです……あの、どうしてわかったんですか?」
「すみません、先ほどクラウディア様が執事の方と話しておられるときに、王太子殿下という言葉がちらと聞こえてきまして。はじめに申し上げたとおり、クラウディア様はとてもお綺麗になられていました。その上で、以前にお会いした王太子殿下のお人柄を考え合わせて、そういうこともあろうかと推察した次第です」
俺の答えを聞いたクラウディアは、なるほど、と真剣な顔でうなずいてから、くすりと微笑んだ。
「ふふ、やっぱりソラさんが無位無官の民間人だと主張するのは無理がありますね。見事な推理です」
「お褒めにあずかり恐縮です。それで、ですね。もしクラウディア様がお嫌でなかったら、私を王宮に連れて行っていただきたいのですが、いかがでしょうか?」
「……よろしいのですか?」
ためらいがちな問いかけに、大きくうなずいてみせる。
「もちろんです。ヒュドラのせいで延び延びになっていますが、クラウディア様を『人質』にする話、まだ立ち消えになったわけではありませんからね」
俺が以前の話を持ち出すと、クラウディアは申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうな、そんな表情を浮かべた。
独身男性の家に未婚の姫を迎え入れることで、二人が婚約関係にあることを周囲に示す案。他にもいくつかの狙いはあったものの、あの話の主眼は今回のような事態を防ぐことにあった。
少しばかり遅くなってしまったが、この機会に俺とクラウディアが連れ立って王宮を訪れ、将来的な同居を公言すれば十分な効果が期待できるはずだ。これなら王都に長居することなくクラウディアを助けることができる。
問題は王太子が諦めなかった場合だが――以前にクラウ・ソラスを要求してきたとき、王太子は「献上せよ」とは言ったものの、無理やり奪うような真似はしなかった。強引ではあっても横暴ではない。そういう人物ならば、無理やりクラウディアをものにしようとはしないはずだ。
もしこの推測が外れ、王太子が俺とクラウディアの仲を引き裂こうとしたら――そのときは、カナリア王国の王太子殿下は罪にふさわしい罰を受けることになるだろう。
「そういえば、クラウディア様。陛下のお召しということでしたが、用件は何だったのですか?」
まさか息子と復縁してほしいと書状で伝えてきたわけではあるまい。そう思って問いかけると、クラウディアはすっと表情を引き締めた。
「数日後に聖王国から教皇聖下がおみえになるのですが、その際の介添え役(世話係)を王太子殿下と二人で務めてくれないか、とのことでした」
それを聞いた瞬間、俺は思わず目をみはった。
聖王国の教皇といえば一人しかいない。『復元』や『神格降臨』といった神域の奇跡を行使する法の神殿の最高責任者。聖王国には他にもいくつかの神殿があるが、教皇を名乗っているのは法神教だけである。
教皇は聖王国の事実上の指導者でもあり、アドアステラ帝国とも関係が深かったはずだ。ヒュドラの毒を防ぐ結界魔術の存在を教えてくれたのも教皇だったと聞いている。
その教皇がまもなく王都にやってくる、とクラウディアは言う。結界魔術を施すためか――いや、まだ必要な触媒は見つかっていないはず。となると、今回の婚儀を取り仕切るためか。国と国との婚姻だ、教皇みずからが出張っても不思議はない。
ただ、婚儀のためにしてはカナリア王国に入るのが早すぎる気がする。式はまだ一ヶ月近く先なのだ。もしかしたら他に何か理由があるのかもしれない。
――そんなことをあれこれ考えながら、俺は公爵家から借りた礼服を着ていった。
その後、クラウディアと共に馬車に乗って王宮へ向かう。馬車に乗る前も、乗っている最中も、降りた後も、クラウディアはずっと笑顔だった。




