第二十四話 婚儀
鬼ヶ島を離れた俺は『法の街道』を西へ西へと進んだ。来たときとはうってかわって足取りは軽く、心も軽い。ついつい鼻歌がこぼれてしまうほどだ。
端的にいえば、俺は浮かれていた。
今回の帰郷、逗留期間は一日にも満たない短いものだったが、得たものは多かった。自身の成長も、到達すべき高みも確認できた。
その上で鬼神を倒してレベルを上げることができたのだから、浮かれてしまうのも仕方ないだろう。
今の俺のレベルは『30』で、この数字を頭で思い描くたび、顔が勝手に笑み崩れてしまう。にやにや笑いながら鼻歌まじりに歩く俺は、まごうことなき不審人物であったろう。ときどき、すれ違う旅人が気味悪そうに俺を避けていたし。
街道警備の帝国兵と出くわしていたら、問答無用で詰め所まで連行されていたかもしれない。そういった事態に遭遇することなく、帝国とカナリア王国との国境に到着することができたのは幸運だった。
――まあ、その幸運がこの先も続くかはわからないわけだが。
俺の視界には街道を塞がんばかりに長く伸びた人々の列が映しだされている。まさしく長蛇の列という感じだ。国境が混雑するのはいつものことだが、それでもさすがにこの規模はおかしい。なんらかの異常が発生しているのは間違いないと思われた。
もっとも、列待ちをしている人々の顔には焦りも緊張もなかったから、大型の魔物が出現したとか、アドアステラ帝国とカナリア王国との間で戦が始まったとか、そういった物騒な異常ではあるまい。
では、いったい何が起きているのか。俺は首をかしげた。
「カナリア側の国境が混雑しているのなら分かるんだけどな」
カナリア王国はこのところ災厄続きだった。王都がアンデッドモンスターに襲われたり、魔獣暴走が発生したり、幻想種が出現したり、起きた災厄は枚挙にいとまがない。そして、それらの災厄が今後も続かないという保証もない。
だから、カナリア王国からアドアステラ帝国に避難する人が急増して国境が混雑している、というならわかるのだ。
しかし、俺が見ている光景はその逆で、ここにいる人々は混乱しているカナリア王国に向かおうとしている。
騒乱に商機を見出した商人か、それとも職を求めて各地を渡り歩く傭兵か。あるいは――などと考えながら周囲の声に耳をそばだてる。
長時間の足止めで暇をもてあました者たちの声を拾い集め、時には彼らに混ざって話を聞く。そうしていくうちに徐々に事態が明らかになっていった。
――結論から言えば、アドアステラ帝国の咲耶姫と、カナリア王国のアザール王太子の婚儀が発表されたのだそうな。式がおこなわれるのは王都ホルス。予定日は一ヶ月後。
以前、王都に行ったときにそういう話があることは聞いていた。だから、婚儀自体に驚きはなかったが、日程には驚かされた。
発表から実施までわずか一月。国家間の婚儀ともなれば、準備に一年以上を費やすこともざらなのに、この短さはどういうことか。庶民の婚儀だってもうちょっと時間をかけるだろうに。
これではろくに準備もできまい。そもそも前述したとおり、カナリア王国は混乱のまっただなかにあり、物流さえ旧に復していない。そんな状況で大きな婚儀なんてできるのか――
「いや、だからこそ、か?」
あごに手をあてて考え込む。大きな災害が起きた後、家や職をなくして困窮している人々を助けるため、国が大がかりな工事を起こすことはめずらしくない。
国同士の婚儀ともなれば工事の規模は極めて大きいものとなる。公共事業としてはうってつけだ。
今のカナリア王国には巨大工事に要する資材を集める余裕はないだろうが、アドアステラ帝国の全面的な援助があれば資材不足の心配はない。なにしろ帝国はもう一つの当事国だ。めでたい婚儀を成就させるため、食料や人手だって融通してくれるに違いない。
こうした婚儀にまつわる動きは、疲弊したカナリア経済を活性化させる契機になりえる。経済だけではない。国家の慶事は、魔物によって乱れた人心を落ち着かせる効果も発揮するだろう。
うんうん、実に良いことづくめだ。こんな慶事を一年後に先送りするなんてとんでもない。いかな慶事といえど、あまりに先すぎては人々の心に希望をもたらさない。あともう少しだけ頑張ろう――そんな風に思える日程として、一月後、というのは十分に理解し得るものだった。
「表向きにはケチのつけようがないな。あくまで表向きには、だけど」
アドアステラ帝国が御剣家を動かし、王太子の婚約者であるクラウディアを排除したことを知っている身としては、今回の婚儀はきな臭いどころの話ではない。
帝国は慈仁坊の一件に知らぬ存ぜぬを貫き、一気に事を運んでしまうつもりなのだろう。カナリア側はそれを避けたかったに違いないが、状況が状況なだけに帝国の援助を拒むことは難しかったのではないか。強硬に拒めば、帝国の軍事侵攻を招く恐れがあるから尚更に。
今ごろ王都のドラグノート公爵やアストリッドはてんてこまいだろう。クラウディアもどうしていることか。婚約破棄されたクラウディアは今回の婚儀に無関係のはずだが、元婚約者ということで厄介事に巻き込まれている可能性はゼロではない。
それにクラウディアのその後の状態も気にかかっていた。呪いの元凶である慈仁坊は討ったし、魂付与でレベルもあげた。鬼ヶ島に向かう前にドラグノート公からもらった手紙でも、特に娘の異常を伝える文言はなかった。だから問題はないはずだが……
行きのときは心が急いていたので王都は通過するだけだった。気がかりがなくなった帰りに少し立ち寄ってみよう。なかなか進まない列に早くもうんざりしつつ、俺はそんなことを考えていた。
◆◆
同じころ、クラウディア・ドラグノートは自宅の厩舎でひとり考えに沈んでいた。
先ごろまでは呪いの影響でやせ衰え、少しの風にも堪えぬ風情であった公爵令嬢は、今ではすっかり健康を取り戻している。
頬はばら色に輝き、手は白魚のように美しく、楚々とした印象はそのままに瑞々しい生気をまとった感がある。
その可憐な美しさは衆目を驚かせるに足るもので、過日、父や姉と共に王宮に参じたときは居並ぶ廷臣がそろって声をあげたほどだった。
廷臣たちのほとんどは呪いにかかる以前のクラウディアを知っている。その彼らでさえ今のクラウディアの姿には驚きを禁じえなかったのである。
もともとクラウディアは美貌と聡明で知られる令嬢だったが、現在のクラウディアは明らかに過去をしのいでいる。久しぶりに顔をあわせたかつての婚約者――アザール王太子も目を剥いて驚きをあらわにしていた。
そのときの王太子の顔を思い出したクラウディアの口から、はぁ、とため息がこぼれる。
「ぴぃ?」
そんなクラウディアを見て、巨大な影が動いた。前述したように、この場にいるのはクラウディアひとりだけだったが、人間以外の生き物はいたのである。
公爵令嬢の前にはドラグノート家所有の翼獣クラレントがその身を横たえていた。クラウディアの名前の一部を冠していることから分かるとおり、クラレントはクラウディアの騎竜である。
「ボクは大丈夫ですよ、クラレント。ただちょっと……そう、ほんのちょっと、王太子殿下の頬をひっぱたいて差し上げたいな、と思っているだけです」
「ぴ!?」
「そんなことしていいのかって? もちろん駄目に決まってます!」
だからこそ鬱憤がつのるのだ。むすっと唇を引き結びながらクラウディアは思う。
婚約を破棄されたことに関して怒っているわけではない。もちろん思うところはあるが、先日までの自分の状態を考えれば、王太子妃として、さらには将来の王妃としての任に堪えないと判断されても仕方ない。
その後、待ってましたと言わんばかりに咲耶姫との婚姻話が進んだのも、王太子の責任ではない。おそらくコルキア侯あたりが策動した結果であろうし、国王がそれを容れた以上、王太子には受け入れる以外の選択肢はなかった。そのことも理解している。
しかし。そう、しかし、である。
帝国で顔を合わせた咲耶姫の権高な性格が気に入らなかったからといって、再びクラウディアに秋波を送ってくるのはいかがなものか。第二夫人の席をちらつかせれば、クラウディアが喜んで飛びつくと考えているのだとすれば勘違いもはなはだしい。
「まったくもう! 父様と姉様の耳に入らなくてよかったです。へたをすれば決闘沙汰になっていましたよ!」
ぷんぷんと怒るクラウディアの前で、クラレントがおろおろと首を左右に振っている。
めずらしく怒りをあらわにする主に狼狽を隠せない様子だった。




