第二十二話 帰還
「くぅ……! けっこうくるなあ」
オウケンを斬った直後、大量の魂が流れ込んでくるのを感じ取った俺は、眉根を寄せてひとりごちた。歯ごたえのない相手だと思っていたが、泰山公やら愛し子やら、やたらと仰々しい名乗りをあげるだけの力はあったようだ。
オウケンのような手合いを逃がしてしまうと後々祟る――そう思って追いかけてきたわけだが、結果として思わぬ戦果を得ることができた。直前に倒した鬼神の魂に比べれば雀の涙ではあるが、これはまあ当然のことだろう。
そんなことを考えながら、俺は両断したオウケンの屍を見下ろす。視線が向かった先は額に生えている角。真っ二つにしたそれが、マジックアイテムとしての効力を失っていることは一目でわかった。
もったいないことをした、という思いがないわけではない。オウケンの角は獣の王の角――ヒュドラの毒の流出を防ぐ結界魔法に必要なアイテム――の代替品になりえたからだ。
しかし、俺はそれを承知の上で角ごとオウケンを叩き斬った。これは鬼人の角を持ち帰る弊害を考慮した結果である。
オウケンの角で結界魔法が発動すれば、なるほど、ティティスの森やケール河の毒害は軽減されるだろう。
しかし、そのかわりに「鬼人の角があれば強力な結界魔法を張ることができる」という事実がカナリア王宮や法神教、イシュカ上層部といった為政者たちに伝わってしまう。
そして、それを知った彼らが次にすることは、オウケンの角の魔力が尽きた場合に備えて予備の角を確保することだろう。
そのとき、彼らの目がスズメに向くことは火を見るより明らかだった。
俺がオウケンの角を持ち帰るということは、スズメが狙われる理由を我が手で増やすようなもの。そんな選択肢を選ぶわけにはいかなかった。
――まあそれ以前に、俺が同族の角を持ち帰ったときのスズメの心情を考えれば、はじめから「持ち帰る」という選択肢はあってないようなものだったわけだが。
ともあれ、オウケンにはしっかりとどめを刺したし、鬼神も喰うことができた。母の墓参りも済ませた。ついでに、力量を証明せよという御剣家の出した条件もクリアした。俺がこの島でやるべきことはすべてやったといってよい。長居する理由もないし、さっさとイシュカに帰るとしよう。
できれば最後にエマ様に挨拶しておきたかったが、これはやめておくことにした。俺があまりにエマ様に敬意を見せると、追放された人間が奥方に取り入って帰参を画策している、などと邪推する者があらわれるかもしれない。俺自身はどう思われようと知ったことではないが、エマ様に迷惑をかけるわけにはいかなかった。
さて、あと何かやり残したことはあるだろうか。
そう思ったとき、脳裏をよぎったのは先ほど短いやり取りを交わした鬼人の姿だった。若さと活力、そして英気に満ちた鬼人族カガリ。
泰山公に様付けで呼ばれていたカガリはおそらく、いや、間違いなく鬼人族の頭立った人物だ。そのカガリが自らを見分役と称して戦いを避けたということは、鬼人族は今回の襲撃を情報収集の手段として位置づけていたことになる。
今日得た情報で御剣家の戦力を分析し、それをもとに次の本格的な襲撃を企てているのだろう。
母さんが眠り、エマ様が暮らしている島が騒乱の巷になってもらっては困る。御剣家に警告くらいはしておくか――ちらとそんなことを考えた俺は、すぐにその無意味さに気づいて失笑した。
御剣家にとって鬼門の守護は絶対の責務。三百年にわたって守り続けてきた帝の至上命令である。その御剣家に対し、鬼門の守りを固めるようにうながすことの、なんと滑稽なことか。
やはり、ここは余計なことをせずにさっさと島を出るべきだろう。予定どおりイシュカに帰り、その後、獣の王をさがしにベルカにおもむく。
強いて問題をあげるなら、いつかのように俺の留守を襲われる可能性があることだが、正直なところ、これについてはあまり心配していなかった。
俺にとって父親は昔も今も理解できない人間だが、一度口に出した言葉を翻したことはない。俺が力を証明した以上、前言をひるがえして俺の留守中にスズメを狙うような真似はしないはずだ。鬼門をめぐる攻防が続いているうちは、島外に旗士を差し向ける余裕もないだろうしな。
そうやって考えをまとめあげた俺は、この場を去るべく地面を蹴ろうとした。
――その寸前、ふと視線を感じて振り返る。
視界に映ったのは高台の上に築かれた御剣邸だった。距離が離れていることもあって人影は見当たらないが、確かに誰かの視線を感じる。
注がれる視線に敵意は感じないが、覗き見をされていたとすれば愉快ではない。俺はしばしの間、誰とも知れぬ視線の主を探した――が、まったく見つけられなかった。
考えてみれば、鬼人族に見分役がいた以上、御剣家に同じ役目の者がいたとしても何の不思議もない。
俺はふんと鼻で息を吐き、向こうの視線を断ち切るように御剣邸に背を向けた。見分役を暴いたところで俺には何の得もないし、見られて困ることもしていない。であれば、これ以上視線の主に拘泥する必要はないだろう。
俺は今度こそ地面を蹴ってその場を離れた。背に注がれる視線を感じながら。
◆◆◆
「――ぐッ!?」
意識が戻った瞬間、御剣ラグナは寝具をはねのけるようにして上体を起こした。荒い息を吐きながら左手で胸をおさえる。
「こ、こは……俺は……」
混濁した意識が現状の把握をさまたげる。それでも胸をこがす焦燥に突き動かされ、ラグナはその場で立ちあがった。
一箇所にとどまっていてはならない。常に動き続けなければならない。さもなければあの化け物に真っ二つにされるだけだ――そこまで考えたとき、ラグナの脳裏に閃光が走り、もやのかかっていた記憶が一気に鮮明になった。
自分は御剣邸に侵入してきた鬼人と渡り合っていたのだ。ラグナはそのことを思い出す。その最中に相手が鬼神を召喚し、自分は敵の攻撃を受けきれずに胸に大剣の一撃を浴びて――
「意識を失った、か……おのれ、なんという無様な……ッ!」
ラグナはきつく奥歯を噛みしめながら、幾重にも包帯が巻かれた己の身体を見下ろした。
包帯の下を見ると、左肩から右の腰にかけて深々と大剣の痕跡が刻み込まれている。傷自体はふさがっているが、致命傷になっていても不思議ではない凄惨な傷跡だった。鬼神が斬りかかってきたとき、へたに受け止めようとせず、とっさに後方に飛んだのが良かったのかもしれない。
傷口がふさがっているのは回復系の心装使いのおかげか、あるいは法神教の高司祭を呼んだのか。
いずれにせよ、ラグナがこうして自室で休んでいる時点で、鬼神の脅威が御剣邸から去ったことは間違いない。おそらくは父の式部がみずから手を下したのだろう。
今さらラグナがおっとり刀で飛び出したところで何にもならない。そのことはラグナも理解していたが、それならそれで残った鬼人の捜索なり、城外の魔物の掃滅なり、やるべきことはいくらでもあるはずだ。敵に斬られた挙句にのんびり横になっているなど、御剣の嫡子がするべきことではない。
そう思って部屋を出ようとした次の瞬間、胸の傷に激痛が走った。
「痛……!」
傷口がふさがっても傷みが消えるわけではない。意識を取り戻したことで、かえって斬られたときの感覚がよみがえり、苦痛がいや増した感もあった。
よろけたラグナが寝具の上で片膝をついたとき、部屋の襖が音もなくひらく。
小さなタライを抱えたアヤカは、苦しげに胸をおさえているラグナを見て、慌てたように駆け寄ってきた。
「ラグナ、まだ立っちゃ駄目よ。横になって休んでいないと」
タライの中には冷水と、ラグナの額にあてるための白布が入っている。よくよく見れば、枕の近くに濡れた白布が落ちていた。ラグナが最初にはねおきた際、額からすべりおちたのだろう。
自分を案ずる婚約者に対し、ラグナは性急に問いを向けた。
「アヤカ、鬼神は討たれたのか!?」
「ええ、討たれたわ。柊都に寄せてきた魔物もすべて退けた。だから、あなたは安心して横になっていて」
「そういうわけにはいかぬ。潜入してきた鬼人の生き残りがいないともかぎらないのだ。俺もすぐに出る」
そういって再び立ち上がろうとするラグナを、アヤカは子供でもあやすように優しく抱きかかえた。
そのままラグナを落ち着かせるようにぽんぽんと背を叩き、耳元でささやく。
「捜索には一旗の旗士が当たっているわ。今のあなたの仕事は休んで力を戻すことよ」
そう言うや、アヤカはラグナの身体をふわりと持ち上げ、瞬く間に寝具に横たえてしまった。ラグナが抵抗する暇もない早業であり、同時に、抵抗する気にもなれない自然な動作だった。
寝具の上でラグナが渋い顔をする。
「アヤカ、お前……」
「奥方様もずっと心配してらしたのよ。私がついているからといって、今は休んでもらっているけれど、先刻までずっと枕元にいらっしゃったの。これ以上、あの方を心配させるような振る舞いはつつしんでもらいますからね」
アヤカはそう言うと、白布を冷水にひたし、それをしぼってラグナの額におしあてた。
母のことを持ち出されては我を通すわけにもいかない。ラグナは小さく息を吐き出し、全身から力を抜いた。
それを見たアヤカはくすりと微笑むと、乱れていた寝具をととのえていく。次いで枕元に落ちていた白布をひろうと、それをタライの中に入れた。
「喉、乾いていない、ラグナ?」
「少し乾いているが……それよりアヤカ、俺が倒れた後、戦いがどうなったのか教えてくれ」
鬼神に深手を負わされた自分がこうして生きているということは、誰かが危険を冒して後方に運んでくれたということ。今さらながらそのことに思い至ったラグナが詳細を訊ねると、アヤカはかすかに目を伏せた。
こういうとき、ラグナはヘタなごまかしやなぐさめをきらう。それを知っているアヤカは正直にその後の推移を述べた。
「あなたが斬られた後、私はあなたを担いで後ろにさがったの。かわりに一旗の旗士が鬼神に当たったけれど、大きな被害が出たわ」
「具体的には?」
「亡くなったのは十三人。負傷者も二十人を超えるわ」
単純な死傷者の数でいえば、城壁の守備にあたっていた他隊の方がはるかに多い。だが、第一旗は当主直属の最精鋭であり、所属する旗士は例外なく心装を会得している。
その意味でいえば、鬼神による一旗の被害はきわめて大きいと言わざるをえなかった。
それを聞いたラグナは唇を噛み、くそ、と低声で毒づく。他の誰でもなく、自分自身に向けた罵声だった。今回の被害は、ラグナが鬼神をおさえていれば生じなかったはずの被害であったから。
たとえばの話、あの場にいたのが父式部であったなら、鬼神を一刀のもとに斬りふせて被害を出さなかっただろう。それが御剣家当主に求められる在り方である。嫡子であるラグナは己の力不足を痛切に感じていた。
しばし、室内が沈黙に包まれる。
その間、アヤカは無言でラグナを見つめていた。なぐさめを欲しないラグナに寄り添うように。
そんなアヤカをこれ以上心配させまいと思ったのか、ラグナが再び口をひらいた。
「それで鬼神を討ったのは誰だ? やはり父上か?」
「……それは」
流れるように問いに応じていたアヤカの声に、不意に澱みが生じた。それに気づいたラグナはかすかに眉根を寄せ、答えを催促するように「アヤカ」と短く呼びかける。
ほぅ、と小さく息を吐き出してから、アヤカは問いに応じた。
「鬼神を討ったのは空よ」
「……なんだと?」
「真っ向から斬り結んで勝利したと聞いているわ」
「バカな、ありえん!」
勢いよく上体を持ちあげながら、ラグナは吼えるようにアヤカの答えを否定する。額の白布がまたすべりおちたが、ラグナはそれに気づかない。
かたわらに座っている婚約者に射殺すような目を向けながら、ラグナは言葉を続けた。
「あの男にそんな真似ができるものか! 誰だ、そんなデマを広めている奴は!? 司馬か、それとも――」
「その場にいたのはシドニーと祭、モーガン老。そして、奥方様もいらっしゃったそうよ。私にその話をしてくれたのは奥方様なの」
「な――!?」
母親の存在を出されてラグナが絶句する。
そのラグナに対し、アヤカはつとめて淡々とした声で続けた。
「奥方様から話をうかがった後、シドニーたちにも話を聞いてみたけれど、祭ですら認めていたわ。それに、空が鬼神を斬ったときの勁圧は私も感じた。ううん、私だけでなく、この島にいたすべての旗士が感じたと思う」
鬼ヶ島そのものが震えるような大いなる勁の高まり。鬼神を呑み込んだあの勁圧の巨大さは見誤りようがない。
あまりにも大きく、あまりにも深く――あまりにも忌まわしい竜の力。
アヤカはそっと自分の両腕を抱え込んだ。そうしないと、勝手に身体が震えてしまいそうだったからだ。
興奮するラグナをなだめながら、内心でこっそりと思う。
空がさっさと鬼ヶ島から去ってくれてよかった。もし今、空と顔を合わせたら、自分をおさえていられるかどうか分からない、と。




