第十二話 侵攻
はじめにその男に気づいたのは御剣邸を守る門衛だった。
柊都と御剣邸を結ぶ長階段を、足の感触を確かめるように一歩一歩ゆっくりとのぼってくる男。
雲を衝くような大男だった。頭には布地を幾重にも巻きつけ、口元には不敵な笑み。筋骨隆々とした体躯を惜しげもなくさらしながら、ずんずんと近づいてくる男の姿に、門を守護する左右の門衛は警戒心をあらわにする。
剣聖と、その家族が住まう屋敷を守る役目が雑務であるはずはない。二人の門衛はいずれも第一旗の旗士である。
第一旗に加わる最低条件は幻想一刀流の奥義を会得していること。すなわち、この二人は心装使いだった。
にもかかわらず、二人は近づいてくる男に気圧されるものを感じていた。男の双眸に宿る狂熱に、唇の端からのぞく犬歯の鋭さに、そして、全身から噴き出る闘気の渦に気圧されるものを感じていた。
むろん、幻想一刀流の旗士が誰とも知れない相手に怯むことなど許されぬ。門衛は腹に力を込めて誰何の声を発する。
「止まれぃ! 見かけぬ顔だが、いかなる用向きがあってこの舘を訪れた?」
「用向き、だと?」
男は足を止めることなく、呆れたように大笑した。
「クカカカ! ずいぶんと呑気なことだな、裏切り者ども! すでに敵が寄せて来ている状況で、本丸に乗り込んできた相手に用向きを問うなど愚問も愚問、大愚問よ! 貴様らの首をとる以外、何の用があるものか!!」
「ッ! 心装励――」
「遅いわ、たわけ!!」
大喝一声、男が一気に速度をあげる。男の足元にあった階段が爆散し、熊を思わせる巨躯が疾風となって門衛に襲いかかる。
気がついたとき、男の拳は深々と門衛の腹をえぐっていた。ただの拳ではない。浸透勁――たっぷりと勁を乗せた拳を相手に打ちつけ、その瞬間に敵の内部に勁を送り込んで炸裂させる勁打の技術。鋼鉄の防具も、強固な勁の防壁も、この技の前では意味がない。
青林八旗の青い陣羽織には強力な魔力付与が施されているが、それでも男の浸透勁を防ぐことはできなかった。
「ぐぼがっ!?」
凄まじい衝撃が全身を貫いたと思った次の瞬間、門衛の口からあふれるように大量の血がほとばしった。強力な勁によって門衛の臓腑は押しつぶされ、掻きまわされ、引きちぎられた。吐瀉物のように石畳に散乱した血痕の中には、臓腑の一部と思われる血塊も混ざっている。
言うまでもなく致命傷である。己が吐き出した血の上に倒れ込んだとき、門衛はすでにこの世の者ではなかった。
むろん、男はのんびり相手の死を確認したりはしなかった。一人目に拳を突き入れた直後に、二人目に向かって躍りかかっている。
こちらの門衛はかろうじて心装を顕現させることに成功していたが、男は委細構わず相手の顔面を右手でわしづかみにした。そのまま腕力だけで門衛の身体を吊り上げる。
「ぐ、ぎ……!」
男の凄まじい膂力を示すように、門衛の頭蓋がミシミシと音をたてて軋む。
苦悶の声を漏らしながらも、なんとか拘束から逃れようと門衛は必死に心装を振るう。だが、大いなる同源存在の力を具現したはずの武器は、むき出しの男の皮膚にあたるや、キンと音をたてて弾き返された。
「温し、温し、温し! なんたる脆さ! なんたる鈍さ! 仮にも心装の使い手が、敵と宣した相手に満足に刃を抜くこともできぬのか!?」
「が、あ……あああ!?」
「同じ裏切り者でも、門の向こうにいた者どもとは比べ物にならぬ。つまり、こやつらもさして層が厚いわけではないということであるな。懐に入り込みさえすれば、いかようにもかきまわせる」
そう言うと、男は腹を震わせるようにして豪快に笑った。
「クカカカカ! この一事が判明しただけで、我が命の対価として十分すぎる! ひとりでも多くの裏切り者どもを黄泉路の供にしてくれんと思うておったが、これなら島中の人間を道連れにすることもかなおうぞ!」
男の右腕がぼこりと膨れあがる。収縮する筋肉は波のごとく動き、すべての力が頭蓋を砕くべく指先に集中する。
もはや掴まれた門衛は声も出ず、吊り上げられた身体はだらんと力なくぶらさがるばかり。
あとわずか、男が力を込めれば門衛の頭蓋はひしゃげて潰れるだろう。そして、男にそれをためらう理由があるはずもなく――
「朋輩と共に黄泉路の先駆けとなり、閻羅王にお伝えせよ。これより人間どもが山となって押し寄せるとな!!」
哄笑と共に門衛の顔を握りつぶそうとした男は、しかし、寸前で手を離し、素早く後方に飛びすさった。
間一髪、それまで男の右腕があった空間を一条の閃光が撫で斬る。
どさり、と音をたてて門衛が地面に倒れ込んだが、男はそちらには一瞥もくれず、新たに姿を現した敵手に視線を投じた。
鎌のごとく湾曲した黄金の剣を持つ若者は、男の視線に動じる風もなく口をひらいた。
「御剣ラグナだ。名前があるなら名乗れ、痴れ者。刈り取った首に名札を張らねばならん」
「クカカカ! 活きの良い小僧が出てきたな。裏切り者どもに名乗る名なぞないと言いたいところだが、先に名乗った礼に免じて教えてくれよう。我が名はイサギ、崋山王ギエンの下にて勇名をうたわれし十六槍の筆頭である!」
言うや、男――イサギは頭に巻いていた布地を取り払い、黒光りする角をあらわにした。
それを見たラグナの目に鋭利な輝きが走る。
「鬼人。城壁の騒ぎも貴様らの仕業か?」
「いかにもそのとおり。さて、今度はこちらから問おう。貴様、いま御剣と名乗ったが――あの御剣の人間であるか?」
豪放磊落。そう言って差し支えなかったイサギの口調が、不意にぬめるような響きを帯びた。
激甚な憎悪と怨恨が油となって舌にはりつき、口から吐き出される言葉にまとわりついている。
張り裂けんばかりにひらかれた両の目は激情の余波で充血し、鬼灯のように真っ赤に染まっていた。
そのイサギの横では、風を裂いてあらわれたアヤカ・アズライトが倒れた門衛を抱え起こしていたが、イサギはそちらに目もくれず、睨めあげるようにただラグナだけを見据えている。
並の人間なら浴びただけで気死したであろう眼光を、ラグナは正面から跳ね返した。
「御剣にあのもそのもない。我らは幻想一刀流を創始した初代剣聖の血と志を受け継ぐ鬼門の護人。我らは滅鬼封神の旗を掲げて貴様らを根絶やしにする鬼人の天敵。第十七代剣聖 御剣式部が息ラグナ。地獄で閻羅王に伝えるがいい、鬼人。自分は御剣の嫡子に討たれましたとな」
ラグナが素性を告げた途端、イサギの目に憎悪以外の感情がきらめいた。
その感情に強いて名をつけるなら、歓喜が一番近かっただろう。イサギは天をもとどろかす哄笑を放ち、己の幸運を神に感謝した。
「クカカカカカカカカ!! なんとなんと、まさかさっそく裏切り者どもの首魁に会えるとは僥倖なり! これぞ大いなる蚩尤のお導き! ギエン様、これより御身の一の槍が、卑怯卑劣にして下種下劣な裏切り者の後裔を串刺しにいたしますぞ。どうかご照覧あれ!」
イサギが吼える。
そして、声高らかに己の心装を抜いた。
「心装励起――日輪を狩れ、夸父!!」
◆◆◆
その屋敷は柊都中央、御剣邸にほど近い場所にあった。
面積は広く、屋敷の造りは堅牢そのもの。屋敷を取り巻く外壁も頑丈で、万が一柊都に敵が攻め込んできた場合には、御剣邸を守る砦として機能するよう設計されていた。
この一事からもわかるとおり、この屋敷の持ち主は当主の股肱にして御剣家の藩屏たることを求められる。
かつて、この屋敷を所有していたのはスカイシープ家という鬼ヶ島の名門だった。が、スカイシープ家は今代に入って凋落の一途をたどっており、かわりに興隆したのがベルヒ家である。
これにともない、屋敷の所有権もスカイシープからベルヒへと移っていた。ギルモアからの要求に対し、スカイシープの老当主はずいぶん抵抗したのだが、最終的に当主である御剣式部の命令を持ち出したギルモアに抗うことはできなかった。
戦時には砦として機能するよう設計されたスカイシープ邸改めベルヒ邸の地下には、大規模な地下牢がある。敵兵を虜囚にしたときのためであろう。あるいは、敵に通じようとする裏切り者を捕らえたときのためかもしれない。
いずれにせよ、地下牢は確かに存在している。そして、ギルモアは平時においてもこの地下牢を活用していた。無能者や裏切り者を捕らえ、仕置きをし、時には処分するための場所として。
――ぴちゃり、ぴちゃり、と水滴が床を穿つ音がする。
それ自体はこの地下牢で過ごす者にとってめずらしくなかった。だが、今日は水音だけでなく、もう一つ別の音も響いていた。
先刻からズシン、ズシンとさかんに地面が揺れている。地下牢そのものが崩落してしまうのではないかと思われる強い振動。
クライア・ベルヒは、ともすればかすれそうになる意識を懸命につなぎとめながら、周囲の様子をさぐっていた。
ベルヒ邸の地下牢はそれぞれ壁で囲ってあるため、自分以外の囚人がいるかどうかはわからない。声をあげれば待っているのは懲罰の鞭だ。それはベルヒの養子であり、れっきとした青林旗士であるクライアでもかわらない。
その気になれば心装を出すこともできるが、それをすれば臓腑に打ち込まれた楔が臓腑を食い破って激痛を与えてくるだろう。子供のときの記憶を思い出したクライアの身体が小さく震える。
今、クライアは後ろ手に両手を縛られ、さらにその手を吊り上げられて、あたかも土下座するような体勢を強いられているが、仮に手足が自由だったとしても脱走しようなどとは露思わなかったに違いない。
首輪がなくとも、手枷がなくとも、足枷がなくとも。自分が囚われの身であることは理解している。ずぅっと前……子供のときから理解させられている。
「……それにしても、この揺れは、いったい」
はじめは地震かと思ったが、それにしては長すぎる。巨大な魔物が襲ってきたのかとも思ったが、柊都の中央に位置する屋敷の地下深くまで伝わってくるような振動を生み出す魔物とはいったい何か。
つい先ごろ、イシュカに出現した幻想種であれば、このくらいの揺れは起こせそうであるが――と、そこまで考えたとき、クライアは不意に小さくうめいた。
「……く、ぅ……!」
粗末な着物を――はっきり言ってしまえばボロ布だけをまとったクライアの首筋や、むき出しになった二の腕、太ももには鞭で打ち据えられたとおぼしき傷が幾重にも走っている。いくつかの傷には赤い血がにじんでおり、古傷ではないことがうかがえた。
――もし、クリムトに今の姿を見られたら大変なことになりますね。
かすむ意識の隅でそんなことを思い、つい微笑んでしまう。きっと傍から見れば、顔をひきつらせているようにしか見えないでしょうけれど、などと余計なことも考える。
もしかしたら、それは全身を覆う苦痛をやわらげるための本能だったのかもしれない。
そのとき、また地面が揺れた。床が、壁が、天井が、悲鳴のような軋みをあげる。
あるいは、ここで土に埋もれて果てることになるのか、とクライアがぼんやりと考えたときだった。
音が聞こえた。カツ、カツ、カツ、と力強く床を踏みしめる音が聞こえてきた。
一つ一つの牢を確かめているのか、その音はときおり立ち止まりながら、ゆっくりと、しかし確実にクライアの牢へと近づいてきて――
「ひどい姿だな、おい」
どこか呆れたような声と共にあらわれた御剣空の姿を見て、クライア・ベルヒは紅い目をまん丸に見開いた。
\コミカライズ担当はなんと東條チカ先生/
2020年初旬、コミックアーススターにて連載開始予定です、お楽しみに!




