閑話 セーラとイリア③
カナリア王国の西部にベルカという都市がある。
西部国境を守る要衝であり、高い城壁と深い堀に囲まれた防備の厚さはイシュカをしのぐほどだ。
この防備は他国――人間に対する備えではない。そも、カナリア王国の西に人間国家は存在しない。
では、ベルカは何に対してこれほどまでに厚い防備を敷いているのかといえば、それは西から襲い来る砂漠の魔物に対抗するためであった。
カタラン砂漠。ティティスの森やスキム山と並ぶ魔の領域である。
全体の面積は不明。棲息する魔物の種類は不明、総数も不明。
知識もなしに足を踏み入れれば、魔物のエサになるか、流砂に呑まれるか、あるいは広大な砂の海で自分の位置を見失って干からびるか、いずれかの死を強制されることになるだろう。
竜騎士の飛行能力をもってしても横断できない広大な砂漠には、古来から様々な伝承が伝わっている。
いわく、砂漠の真ん中には結界に守られた黄金帝国が存在する。
いわく、砂漠を越えた先には水と緑と魔力があふれる理想郷が存在する。
これらを出所不明の俗説と断じる者は多いが、一方で、砂漠ではときおり伝承の痕跡を残す(と思われる)事物が発見されることがあるのも事実である。
例をあげれば、あきらかに人の手で彫刻されたと思われる薔薇状の鉱石や、もっと即物的に金塊、銀塊であったりする。
このことから、カタラン砂漠には大規模な金銀の鉱脈があるのではないか、と考える者は多い。また、伝承とは関わりがないが、砂漠に足を踏み入れた者によって広大な塩の鉱脈が発見された例もある。
他にも、砂漠に産する稀少な植物から採れる香油や香辛料、さらには砂漠の魔物から採れる甲殻など、カタラン砂漠には様々な種類の富が存在し、それが昔も今も多くの人々をひきつける。
彼らは伝承の真偽を確かめるため、あるいは一攫千金を求めて、今日も危険な砂漠に足を踏み入れる。
その彼らが拠点とする街がベルカであった。
――メルテ村からイシュカに戻った俺が、次に向かったのはこのベルカだった。同じカナリア国内とはいえ、イシュカとベルカは馬車を使っても半月以上かかるほどに離れている。
馬車で七日かかるメルテ村の倍以上。俺個人の感覚でいえば、アドアステラ帝国よりさらに遠国だと感じられる。
幸い、今の俺には藍色翼獣という足があるので、移動にかかる日数は大幅に短縮できた。
さて、俺がベルカにやってきた理由であるが、これは以前にちらと触れた獣の王の情報を求めてのことである。
ヒュドラによって生じた毒液の海からカナリア王国の土と水を守る聖王国の結界魔術、その触媒となりうる獣の王の角。
エルフの賢者に訊いたところ、ベヒモスの存在自体はしばしば目撃されているそうで、幻の魔獣というわけではないそうだ。
ただ、目撃されるのは決まってカタラン砂漠の奥地であり、それこそベルカにおける最上位の冒険者たちが年に一、二度目撃するかしないか、といった頻度であるらしい。
ちなみに、以前にイシュカのギルドマスターであるエルガートを「カナリア王国でも三名しかいない第一級冒険者のひとり」と述べたが、残り二名の第一級はベルカの冒険者ギルドに属している。
さらにいえば、イシュカギルドにおける最上位のパーティはBランクであり、その数は三組だけであるが、ベルカにはAランクが二組、Bランクに至っては七組が在籍している。
これだけの高位冒険者が腰を据えるだけの魅力が、ベルカにはある、ということである。むろん、それに比例した危険性もあるわけで、砂漠の魔物が襲撃してくる頻度は年々増え続けているとのこと。
そのため、ベルカギルドの冒険者には魔物討伐ノルマが設けられており、これをクリアできない者はベルカにおける冒険者の優遇措置を受けられないそうな。当然というか何というか、ノルマを達成しようと無理をして死傷する新人が後を絶たないが、彼らがいなくなっても力自慢の新人はいくらでも沸いてくるので問題ない、というのがギルドマスターの考えだという。
どうやらベルカのマスターは、エルガートとはだいぶ異なる思想の持ち主であるらしい。
「ま、別にギルドに属するわけじゃないから、俺には関係ないんだが」
街でも一、二を争う高級宿に部屋をとった俺は、一通りの情報収集を終えた後でそう嘯いた。
別段、この街で冒険者として再出発しようというわけではない。ベヒモスの情報集めの一環としてギルドの情報も集めておいただけである。
変に目立つと面倒なので、クラウ・ソラスも途中の山中に隠してきた。
後は――と、今後のことを考えていると軽いノックの後に部屋の扉がひらいた。入ってきたのは神官戦士の白い戦衣をまとったイリアである。
ベルカにはかなり規模の大きい法神の神殿があり、冒険者ギルドと並んで都市の治安、防衛の要になっている。それを聞いた俺はイリアをベルカまで連れて来た。
今後の予定としては、イリアはこのままベルカに留めおき、神殿、冒険者、双方のルートでベヒモスの情報収集をさせる予定である。
「どうだった?」
「最後の目撃情報は一年半前ね。砂嵐の向こうに、何十メートルとも知れない巨獣の影が見えたっていう眉唾な話だけど。同じころ、砂丘の向こうに消えていく巨大な尻尾を見たって話もあったみたい」
「そうか。やっぱり今日明日で見つかるようなものでもなさそうだな」
イリアはその言葉に小さくうなずくと、明らかに緊張した面持ちで俺から少し離れた位置のソファに腰かけた。
ちなみに俺がとった部屋は一つだけである。寝台は二つあるが、両方を使わなければならない規則はない。イリアに対してことさら説明したわけではなかったが、この様子を見るかぎり、俺がイリアのみを連れて来た理由は察しているようだった。
――ミロスラフ、ルナマリアと並ぶ復讐対象を今日まで放置していたのは、ひとえにセーラ司祭に対する配慮だった。娘に手を出しては母親を口説けないと思ったから、イリアに関しては今日まで行動に出なかったのである。
だが、司祭に対する思いを振り切った今、娘に対して遠慮する必要もなくなった。というか、かえってイリアへの執着が増した気もする。母の代わりに娘を。言葉にすると我ながら最悪だが、蝿の王の巣で蛆蟲に食われたときのことを思い出せば、罪悪感など道端の石ころのように蹴飛ばせる。
その過去の罪にくわえ、不治毒の治療をしてやった命の恩もあるのだ。神官戦士を組み伏せる理由には事欠かなかった。




