第百十話 イリア④
「ソラ直伝水鉄砲、発射二秒前ー!」
「一秒前ー!」
「はっしゃなのー!」
湯船につかった子供たちが元気よく声を張りあげ、しぼるように両手を重ねる。すると、手の隙間からお湯が勢いよく噴き出し、湯気にけむる宙に放物線を描いた。
それ自体は微笑ましい光景なのだが、水鉄砲の標的にされる身としては思うところもある。髪を洗っている最中、顔に三本の放水の直撃を受けたイリアは無言で風呂桶に両手をつっこんだ。そして、子供たちとまったく同じ動作で報復行為を実行に移す。
「ぶば!?」
「ぷぶ!?」
「ぷぴ!?」
自分たちとは精度も威力も段違いの放水に額を直撃され、子供たちの口から三者三様の悲鳴があがる。イリアはそんな三人に重々しく語りかけた。
「アイン、ツヴァイ、ドーラ。水鉄砲を撃っていいのは、水鉄砲を撃たれる覚悟がある人だけよ」
「ふははー、われらはひかぬ、こびぬ、かえりみぬ! 者ども、うちかえせー!」
「おー!」
「おーなのー!」
「……誰かさんのよからぬ影響が顕著に出てるわね」
またしても顔にお湯を浴びせられたイリアが小さくぼやく。
その後、しばし苛烈(?)な撃ち合いが展開されたが、イリアはこの撃ち合いが長引く前に三人を湯船からひっぱり出した。あまり長いこと湯につかっていると、頭に血がのぼってしまって危険だと注意されていたからである。
イシュカでは風呂といえば基本的に蒸し風呂であり、メルテ村にいたってはそもそも風呂自体がない。子供たちが慣れない水風呂で体調をくずさないように注意しなければならなかった。
そんなイリアの気づかいも知らず、湯船から出た弟妹は興奮してきゃっきゃっと騒いでいる。イリアはそんな三人をたくみにつかまえ、身体や髪を洗っていった。要領としては、故郷の川原で水浴びをしていたときと同じなので慣れたものである。
「お湯だと汚れも落ちやすいし、その点は水で洗うより楽ね」
「あったかいから気持ちいーしな!」
妹の髪を洗いながらイリアがいうと、隣で弟の髪を洗っていたアインが大きくうなずく。
いかにも楽しそうにはしゃぐアインを見て、イリアはしかつめらしく語りかけた。
「アイン、私たちはずっとこの家で暮らせるわけじゃないからね。今の生活に慣れると村に戻ってからが大変よ」
貴族のそれと見まがう豪奢な邸宅に大きな浴室。使用している水はルナマリアが水の精霊を召喚して用意したもので、そのまま飲み水に使えるくらい清浄なものである。
これだけの水を湯浴み目的で使うのは、平時でさえ贅沢の極み。ましてやケール河の水がヒュドラの毒に汚染されている現在では、贅沢を通り越して奢侈といってよい。
メルテ村に戻れば、湯浴みはおろか飲み水にも困る生活が待っている。子供たちの楽しみに水を差すとわかっていても、一言いわずにはいられなかった。
だが、そんなイリアの危惧は子供たちには通じなかったようで――
「えー? でも、ソラは好きなだけいろっていってたぞ?」
「いってたよー」
「いってたのー」
「……そうだとしても、よ。まさかずっとここで暮らすわけにはいかないでしょう?」
イリアの言葉に三人はそろって首をかしげた。どうにもイリアのいわんとすることがわからないらしい。
さて、どうやってこの子たちに現状を認識してもらおうか、とイリアが考えていると、浴室の扉が音もなく開き、五人目の人物が入ってきた。
はじめは母セーラかと思ったイリアだったが、視界に赤い色彩がうつった時点で無意識に身体をかたくする。
「あ、ミロ姉だー」
「あ、う……」
「ミロ姉なのー」
三人がそれぞれの反応を示す中、ミロスラフはいかにも他意のない表情でにこりと微笑んだ。
「ご一緒させてもらいますわね、皆さん」
そういうとミロスラフは浴槽の近くまで歩み寄り、桶を手にとって風呂の水を自分の身体にかけた。
思わず、という感じでミロスラフの口から吐息がこぼれおちる。
このところ、ミロスラフは日夜部屋に閉じこもって解毒薬の研究に励んでおり、隠し切れない疲労が影となって顔を覆っている。その影が、湯をかけるや溶けるように薄れていく。どうやらこの浴室は、イリアやセーラの回復魔法よりも効果的であるらしい。
と、そのときだった。
「あ、あの、ぼく、もうあがる!」
アインに髪を洗ってもらっていたツヴァイが唐突に立ち上がり、慌しく浴室から出て行ってしまう。去り行くツヴァイの頬は林檎のように真っ赤だった。
「あ、おーい、待てよ、ツヴァイ。俺もあがるからさー!」
「あがるのー!」
ツヴァイの後を追ってアインとドーラも浴室を出ていく。
イリアは慌てて三人の背に声をかけた。
「三人とも、ちゃんと身体を拭きなさいよ!」
『はーい!』
イリアの呼びかけに応じて三人の声が返ってくる。あいかわらず返事だけはいい、と思ってイリアが嘆息すると、横からくすくすと笑い声がきこえてきた。
「ふふ、元気な子たちですわね」
「……ええ。元気すぎて大変なときもあるけどね」
「その逆よりもよほどいいではありませんか」
そういうとミロスラフはゆっくりと立ち上がった。輝くばかりに白い魔術師の肢体がイリアの視界に映し出される。
今のミロスラフを見て、ほんの数日前に重度の火傷を負った人物だと見抜ける者はいないだろう。焼けて傷んでいた髪も、こうして見るかぎり以前とかわりないようである。ミロスラフは毎日決まった時間にイリアとセーラの回復魔法を受けているが、それを踏まえてもありえない治癒速度だった。
――今のミロスラフを見ていると、メルテの村でソラからきいた「竜の血」の話ががぜん信憑性を帯びてくる。
イリアがそんなことを考えている間に、ミロスラフは足先から湯船に入り、小さく嘆声をもらしながらお湯の中に身をしずめた。
それを見たイリアは無言でミロスラフにならい、湯船の中に身を移す。
二人は近からず、遠からずの距離を保ったまま、互いに口を開かない。浴室は沈黙の帳に覆われた。
かすかな水音と立ちのぼる湯気。遠くから三人組の笑い声がきこえてくる。
――口火を切ったのはミロスラフだった。
「わたくしにききたいことがあるのではありませんか、イリア?」
「……きいたら答えてくれるのかしら?」
「ええ、もちろん。わたくしに答えられる範囲で、という条件がつきますけれど」
ミロスラフの答えに、イリアはかすかに眉間を寄せる。
過日、メルテの村でソラ相手に言明したとおり、イリアはすでにソラとミロスラフのつながりに気づいている。ミロスラフはソラの意を受けて、『隼の剣』を内側から切り崩していたのだ。
ききたいことがあるか? あるに決まっているではないか。
どうして仲間を売ったのか。どうしてラーズを裏切ったのか。どうしてソラに従っているのか。どうして、どうして、どうして――
だが、イリアはそういった問いを口にしようとはしなかった。
むろん、ミロスラフを許したからではない。むしろ逆だ。ラーズとソラの決闘から始まった『隼の剣』の崩壊、そのすべてがソラとミロスラフの仕業だと肯定されたとき、自分をおさえておける自信がないのである。
もしここでミロスラフを傷つけてしまえば、待っているのはソラによる報復だ。それはイリアだけでなく、母や弟妹にも影響を及ぼさずにおかないだろう。
それに、ミロスラフが手がけている解毒薬の改良は、ヒュドラの毒に侵されているイリアにとって必要不可欠なもの。イリアは二重三重の意味でミロスラフに手を出すことができない。
だから、あえて真実を遠ざける。自分の胸にある疑いを、疑いのまま留めておく。それがイリアの下した決断だった。
問題の先送りといってしまえばそれまでだが、こうする他に現状を維持できる案が思い浮かばなかった。
「今のところは、特にないわね」
「――そうですか」
イリアの返答に、ミロスラフは少しの間をあけてうなずいた。おそらく、その一瞬で正確にイリアの心情を読み取ったのだろう。
少しの間をおいて、再びミロスラフが口を開く。
「それでは、わたくしの方から話をさせていただきます。正確には、話ではなくお願いになりますが」
「お願い? あなたが、私に?」
「ええ。イリア、今あなたが考えていること、ラーズには黙っていていただきたいのです」
その言葉の意味を理解した瞬間、イリアの顔に隠しようのない怒気が浮かびあがった。
「……どういう意味? まさか、まだラーズをだますつもりなの? それとも、この期に及んでラーズに嫌われたくないとでもいうつもりかしら?」
「いいえ、今さらラーズのもとに戻るつもりはありませんし、戻れるとも思っていませんわ。黙っていてほしいといったのは、わたくしのためではなくラーズのためです」
「それこそどういう意味よ」
相手の言葉の意味がわからず、イリアは口をとがらせる。
ミロスラフは湯船の水をそっと両手ですくいながら言葉を続けた。
「盟主のことですわ」
「……ソラがどうかしたの?」
「盟主はラーズに対してあまり敵意を抱いていません。おそらく、蝿の王に襲われたときの状況のせいでしょう。あのとき、ラーズは気を失っていただけですから」
ミロスラフのように魔法でソラに危害を加えたわけではない。イリアやルナマリアのように、意図してソラを見捨てたわけでもない。ソラをおとりにした一件において、ラーズにはいかなる非もないのである。
むろん、だからといってソラがラーズに好意的なわけではない。ラーズはこれまでソラに対する失望を隠さなかったし、意識を取り戻した後は仲間をかばってソラの主張をことごとく退けた。
その意味で、ソラは『隼の剣』全員を憎んでいるだろう。
ただ、ラーズに向けた敵意は、ミロスラフたちに向けた敵意とはくらべものにならないほど淡い。少なくとも、ミロスラフはそう感じていた。
「わたくしは攫われ、ルナは囚われ、あなたは縛られた。今やわたくしたちの生殺与奪の権は盟主に握られています。あなたがきいているかはわかりませんが、盟主は蝿の王の一件を公表し、わたくしたちに公の場で謝罪をさせるおつもりです」
「謝罪?」
「ええ。おそらくはそうすることでギルドの裁定が間違っていたことを知らしめ、なおかつ、わたくしたちが『血煙の剣』に加わる表向きの理由をこしらえるおつもりなのでしょう。そして、これが肝心な点なのですが――盟主の『隼の剣』に対する復讐はここで終わりなのです。ラーズに対しては決闘で恥をかかせたこと、『隼の剣』を解体したことで十分に思い知らせてやった、とお考えなのでしょう」
「でもそれは、ラーズがおとなしくしていればの話――そういうこと?」
イリアの問いにミロスラフははっきりとうなずく。
なるほど、とイリアは難しい顔で考え込んだ。もし、イリアの口から事の真相を知らされれば、ラーズは間違いなく激怒するだろう。激怒し、ソラに仕返しをしようとする。
そうなれば、ソラは一度おさめた矛を再び抜き放つに違いない。以前のソラ相手であればともかく、幻想種さえ屠る今のソラにラーズが太刀打ちできるはずがない。
ミロスラフはそれを恐れてイリアに警告したのだ。
「今、ラーズは盟主に感謝しています。スキム山からわたくしを助け出したことで。その上で今回のヒュドラ討伐をききつければ、感心こそすれ敵対しようとは思わないでしょう」
「グリフォン退治の件ね。ラーズからきいたとき、あなたらしくないと思ったものだけど……そう、そこまで考えた上での行動だったの」
「否定はいたしませんわ」
あっさりうなずくと、ミロスラフは立ち上がって湯船を出た。そして、そのまま浴室の扉へと向かう。
カラスの行水にもほどがあるが、ソラから解毒薬の改良を命じられている身として、一分一秒でも惜しいというのが今のミロスラフの心境なのだろう。
以前は蛇蝎のごとく嫌っていた相手に、どうしてそこまで尽くすのかと疑問に思ったが、これに関してはたずねても答えは返ってこないと確信できた。
――ミロスラフが去った浴室で、イリアはひとり天井を見上げる。
今は何も考えず、ただただぼうっとしていたかった。




