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流行病で、あんなに元気だった母は、あっという間に息を引き取った。
別れを偲ぶように降る雨の中、私は小さな傘の下から粛々と進む埋葬の準備を見つめていた。
父はずっと泣いていた。
2歳の妹は揺り篭のなか、大人しく眠っている。
私は、なぜか泣けないでいた。
母の死や、父の悲しむ姿や、周りの人々が囁く哀れみや哀悼を遠い世界のことのように感じていた。
目の前を薄いベールが覆うような感覚で、物事が他人事のように過ぎていった。
突然目の前に、長い足が見える。
その人は、しゃがみこみ、私の傘をぐいと上げた。
「アレク」
母の幼馴染であるアレクシオが、短い赤毛を後ろに撫でつけ、いつもの感情の読めない顔を覗かせた。
彼は真っ赤にさせた目で私を見詰め、私の右頬を抓った。
「おい、糞餓鬼」
「・・・・・・」
「泣かないのか」
彼に頬を抓ねられれば、私はいつでも瞳に涙を浮かべていた。
だって、子供でも容赦なく力を込めて抓りあげるのだ。
でも、今日はなぜか涙が浮かばなかった。
「泣け」
そう言ったアレクシオの方が眉根を寄せて、瞳から一筋の涙を流れさせた。
「泣け、糞餓鬼」
抓る力がさらに増す。
「いつもみたいに大声出して、わめき倒してジョセフィーヌを呼べばいい」
「お母様は・・・」
「泣いて、泣いて、泣き叫んで、先に逝ったアイツを後悔させてやれっ」
「アレク・・・」
アレクの頬をとめどなく涙が流れ、地面に落ちてく。
それが呼び水だったかのように、私の目にも涙がじわりと溢れた。
「おかあ、さま」
「もっと、声、出せよ」
「お母さま」
「まだ、足りない」
「お母様!お母様!お母様っ!!」
私の頬にも次々と零れ落ちる涙を見て、アレクシオは歪んだ笑みを浮かべた。
そして、足元の水溜りを微塵も気にせず、膝をついて私を抱きしめてかすれた声で呟いた。
「上出来だ、もっと泣け」
そのあとは、アレクシオの腕の中、言葉にならない言葉で泣き喚き、泣きに泣いた。
泣いた事が私に母の死を受け止めさせ、悲しみを浄化させたんだという事に気づいたのは、数年経ってからだった。
今でも、あの時私を泣かせてくれたアレクシオに心から感謝をしている。
だが、今17歳の乙女の頬も、力一杯抓る行為は如何なものだろうか。
何度されても慣れない痛みに涙を浮かべると、アレクシオを睨み付けた。
「いひゃいよっ(痛いよ)」
アレクシオが感情の読めない無表情で、私を見下ろしている。
彼は、今私が働いている研究室の室長だ。
つまり、私の上司だ。
キャロルとおしゃべりを楽しんでいた所に、この仕打ちだ。
「仕事中に無駄話できるほど、おまえの調合の腕は上がったのか?」
「ふいはふぇん(すいません)」
「あと、キャロル嬢。依頼していた仕事の報告がまだこないが、それよりも重要なローザとの話を僕も聞きたいな」
「あら、室長に可愛い洋服を愛でる趣味があったとは、存じ上げませんでしたわ」
キャロルが、にこりと笑った。
さすが、キャロル。
私は、恐ろしくて反撃なんて出来ない。
「・・・明日の午前中には例の件を報告するように。それとローザ、後で俺のところに来い」
表情一つ動かさず、そういって、私の頬を開放した。
アレクシオが部屋を出て行ったことを確認すると、キャロルは先ほどの話しを続けた。
「それでね来週末、私の屋敷に遊びに来ない?」
「でも、借金のことがあって、暫らくフローラを構ってやれなかったから、休みの日は一緒にいてやりたいの」
「あら、丁度よかった。フローラも一緒に来ればいいじゃない」
「じゃあ、お邪魔してもいい?」
「もちろん!美味しい焼き菓子を準備して待ってるわ」
初めてキャロルの家に行くという私の来週末の予定が決まり、部屋に戻ってきたアレクシオに叱られない様、真面目に仕事に取り組んだ。
そして、その日の業務が終わり、室長のアレクシオに挨拶を告げた後、帰宅の途につく。
王宮の窓の外は、夕暮れ時の景色が広がっていた。
出口に続く廊下では、設置されているランプに、一つ一つ火をを灯して回る衛兵達とすれ違う。
幾つ目かの角を曲がったとき、一人の女性が私の前に立ちはだかった。
まず、目に飛び込んできたのは、胸元が大きく開いたドレスから見える豊かな胸。
そして、緑色の瞳が私をきつく睨んでいた。
やや茶色がかった金色の髪を繊細に編みこみ、同じ色の眉は釣り上がっている。黄色地に黒の細かな文様が美しいドレスを着ていた。
「あなた、お話少し良いかしら」
そう言って、彼女から高圧的に私は呼び止められた。
ローザリア劇場
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◆幼い頃のローザとアレク (ポロリもあるよ)
ローザ「痛い痛い!そんなに抓ったら、いつかローザの頬っぺたポロリと取れちゃうよ!」
アレク「そんなわけないだろ、この糞餓鬼が」
ローザ「痛い痛い!」
ポロリ・・・。
アレク「!!!???」
ローザ「お母さまー!アレクがローザの頬っぺた取ったぁー、わーん」
がばっ。
アレク「ぜぇ、はぁ、夢か・・・」
翌日から、力加減をほんの少し緩めることにしたアレクだった。




