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神々の神殿でのひととき

……………………


 ──神々の神殿でのひととき



 下水から神々の神殿に戻ってきたジークたちは。まずは前庭で水を浴びて汚物やヘドロを十分に落とした。それから神殿の宿舎に向かい、そこで風呂に入ることに。


 さて、このルーネンヴァルトの神殿には大浴場が存在する。


 それは知の女神ヘカテが授けた知識によって衛生的に保たれた大浴場であり、男性用と女性用が存在している。


「うひょう。風呂だ!」


 ジークは真っ先に男性用の大浴場に向かい、そこでしっかりと今日の汚れを洗い流すつもりであった。彼が大浴場に向かうとすでにお湯は沸かされており、ジークは衣服を脱いで脱衣所に置く。


「予想はしてたけど今日も服が滅茶苦茶だぜ。洋服代だけで俺はどれくらい消費しているんだろうな……」


 ジークの衣類は酸を浴び、ヘドロを浴びでぼろぼろになってしまっていた。これを着続けることは無理があるだろう。


「はああ。斬り合い、殺し合いとは無縁の生活を送りたいぜぇ~」


 ジークはそう言いながら風呂に向かい、体を一度流してから浴槽に浸かったのだった。風呂の湯の温度は適温で、ジークはもうちょっと熱めでもいいかななどと思いながら、広い浴槽を独り占めして鼻歌などを歌っていた。


 そのころセラフィーネたちも風呂に入ろうとしていた。


「この服をあとでしっかりと洗っておいてもらえるか?」


 セラフィーネは自分の赤い軍用外套を手にそう神殿に仕える使用人たちに頼んでいた。それはスライムの酸を僅かに浴び、ヘドロを付けてしまっていて、今は薄汚れてしまっている。


「畏まりました」


 使用人たちはセラフィーネから軍用外套を受け取り、風呂の脱衣所を出ていく。


「大切な品ですの?」


「ああ。私にとってはな」


 ロジーが尋ねるのにセラフィーネは小さく笑ってそう返した。


「古い思い出の品だ。これまでの戦いの記憶を物語るものであり、私の人生そのもの。決して失くせないものだ」


 セラフィーネはそう語りながら黒いワンピースを脱ぐ。雪のように白い肌には下水に潜り、スライムと戦ったあとでも染みも傷もない。セラフィーネは少女の姿のまま時が止まったかのように美しい。


 いや、事実セラフィーネの体が時間が止まっている。不老不死になって時点で彼女は老いることも、傷つくことも、そして成長することもやめたのだ。


「あたちにもいつかそういうものがほしいですね」


 ロジーも白い祭服を使用人に手伝ってもらいながら脱いでいく。隊列の後方にいた彼女は幸いスライムによる酸を浴びることを回避できたため、今は下水の臭いが僅かに移ってしまっただけだ。


 しかし、その幼女体型の体の背中には入れ墨ようなものがあった。


「それはヘカテの眷属であることを示すものか?」


「ええ。ヘカテ様の寵愛の証なのです」


 入れ墨のような印は、ヘカテの象徴である炎を象ったものであり、ロジーの小さな背中いっぱいに広がっている。


 これがロジーがヘカテの眷属であると示すもの。彼女にとっての誇りだ。


「アレクサンドラも一緒に入ればよかったのにな。私は大図書館の館長の話を風呂で聞きたかったぞ」


「アレクサンドラ館長は今はエミールさんを手伝っているはずなのです。スライムは討伐できましたが、まだクラーケンの問題は解決していないのです」


「残念だが、確かにまだ問題が解決したわけではなかったな」


 スライムの件からしてクラーケンも意図的に起こされた事件なのは間違いない。状況から見ても黒書結社の仕業であろう。


 ヘカテから神託を受け、悪魔崇拝者たちに対処することになったセラフィーネたちは黒書結社の目的が何であるかを突き止め、阻止しなければならない。


「これからさらに調査を進めないといけないのです」


 そして、そう言いながらロジーは浴室へと向かう。


 大浴場は大理石で作られたものであり、清潔感と高級感がある。加えてお湯はただのお湯ではなく、柑橘系の香りが付けられたものだ。流石は神殿の最高の権威である眷属のロジーを迎えるだけはある。


 セラフィーネたちはまずは体を洗う。半日下水の中にいたのだから、水を浴びたぐらいでは臭いは落ちていない。ふたりはしっかりと石鹸を泡立てて、体をごしごしと洗っていく。ロジーは使用人の手も借りて背中までしっかりと洗っていった。


 それからセラフィーネはそのシンボルともいえる長い黒髪の手入れも欠かさない。不老不死であり肉体が固定された彼女の髪は痛むということもないが、それでも彼女は黒髪を優しく洗っていく。


「その長い髪は手入れが大変そうなのです」


 その様子を見てロジーがそういう。


「まあな。だが、お前の背中の紋章同様にこれは私がモルガンから寵愛を受けたことの証。私にとっては大切な誇りだ」


 その長く美しい髪はセラフィーネがモルガンによって不老不死となり、肉体が固定されたことを示す証である。神々の中でもモルガンを強く崇拝するセラフィーネにとっては誇り以外の何物でもない。


「……実際のところ不老不死というのはどのようなものなのですか?」


 そこで遠慮がちにロジーがセラフィーネにそう尋ねる。


「私はジークと違ってこの肉体に満足している。不老不死は素晴らしいとな」


 そのロジーの問いにセラフィーネはそう語り始めた。


「私は戦うのが好きだ。ずっと戦場に身を置いてきた。不老不死の肉体はその戦場でいくらでも戦えるものだ。死ぬことなく、戦い続けられる。これぞまさに戦神モルガンから与えられし恩寵と言えるだろう」


 セラフィーネは自らを誇るようにそう語る。


「次はどんな強敵に出会えるか。次はどれだけ困難な戦場で戦えるか。それを楽しみに生きてきた。戦いの中にあって私の700年はとても充実していた。しかし……」


 少し遠い目をしてセラフィーネが大浴場の天井を見上げる。


「ともに歩めるものを求めるジークの気持ちは、私にも分かるような気がする」


 そのセラフィーネのつぶやきにロジーも一緒に天井を見上げた。


 セラフィーネは別れから生じる辛い気持ちを忘れることで不老不死の人生を生きてきた。だが、それは同じ不老不死というジークという人間に影響されて、少しずつ変化してきているようだ。


「今はあたちたちがいますよ」


「そうだな。今は孤独ではない」


 ロジーが優しげな声色でそう言い、セラフィーネもそう言って頷いた。


 それからふたりは湯船に浸かり、今日の疲労を癒していった。



 * * * *



「こちらをどうぞ」


 ジークには風呂上りに神殿の使用人によって新しい衣服が用意されていた。シンプルな緑と白のズボンとシャツで恐らくは来客用に準備されていたものだ。


「おう。ありがとな!」


 せっかく風呂に入って身を清めたのに、汚れた衣類を纏っては意味がなかったのでジークは神殿の使用人に感謝した。


 それからジークは宿舎の広間で風呂上りに酒精の弱いワインを味わいながら、セラフィーネたちを待つ。今は一服しているが、まだ黒書結社の問題が解決したわけではないのである。


「ジーク」


 そこでセラフィーネとロジーが戻ってきた。


「あれ? その服は……?」


 ロジーは新しいが同じ意匠の濃紺と白の生地を金糸で彩った祭服を身に着けていたのだが、セラフィーネの方もいつも黒いワンピースではなくロジーと似たような意匠の祭服を身に着けていた。体にフィットした無垢な意匠の祭服だ。


「なんだ? 言いたいことでもあるのか?」


「いつもの黒いワンピースと外套は?」


「洗濯中だ。これは代わりのものとして準備された」


「ふうん……」


 ジークはまじまじと祭服をまとったセラフィーネの姿を見る。


 いつもは黒いワンピースと色褪せた赤い外套だったが、今日は珍しいことに白を身に着けている。そのせいで彼女が誇る黒髪がより強くコントラストを描いて、鮮明になっていた。それだけ黒髪の美しさが際立っている。


 それにセラフィーネの印象といえばその黒髪の黒と外套と血の赤だったが、今日はそのようなことを感じさせない濃紺と白。とても新鮮だ。また清楚な祭服を纏っているだけで、本人も清楚に見えるのが奇妙な感じですらある。


「なんというか、普段からもっと違う服着てもいいんじゃないか? その祭服、結構似合ってるぜ?」


「余計なお世話だ」


 ジークは善意から言ったのだが、セラフィーネはそう受け取らなかったようである。


「そうですかい。では、次はどうする?」


「今はエミールさんとアレクサンドラ館長からの報告待ちなのです。それからパウロ司令官たちは引き続き地下下水道を捜索して、手がかりを探すと言っていたので、それも待たなければならないのです」


 今はエマとアレクサンドラがアルトフィヨルド交易の情報を精査し、パウロたち憲兵隊が地下下水道でスライムに関する証拠を集めている。


 そして、スライム退治が終わったジークたちには特にやるべきことはない。


「待機ってわけか。今のうちに飯食っておかない? 下水の臭いが取れたら今度は腹が減ってきたよ」


「そうだな。食えるうちに食っておきたい」


 ジークたちはほぼ半日下水に潜っていたため、食事もまだだ。そして、時間はそろそろ夕食の時間である。


「では、食事にしましょう。準備してもらうのです」


 ロジーがそう言い、食事の準備が始められた。


 神殿宿舎の食堂にジークたちは集まり、そこで準備された料理が提供される。


 今日は白身魚をフライにして甘辛いソースがかけられたもの、海老やアサリと角切にした野菜が柔らかく煮込まれてごろごろと入ったシーフードシチュー、それからたっぷりのパンとチーズが提供された。


「いただきますっと!」


 ジークたちは早速料理をいただく。


 この世界の宗教で食事の制限は特に存在しない。地方によっては食べられることのない食材などはあるが、それは宗教的な理由ではなくその地方の文化や純粋な生物医学的要因である。寄生虫や食中毒などを避けるためなどの理由だ。


「美味いな。しかし、魚介類が多いってのは本当だったんだな……」


 ジークたちはかれこれルーネンヴァルトに来てから魚介類ばかり食べている。


「魚介類は美味しいので好きなのです。それにお魚を食べると背が伸びるのですよ」


「へええ。そうなんだ」


 ロジーが知識を披露するのにジークはロジーの方をじっと見た。ロジーはどこからどう見ても小さい。


「何ですか、勇者ジーク?」


「ナンデモナイヨ」


 ロジーがジト目でジークを見るのに彼は棒読み気味にそう返す。


 ロジーはもう少しカルシウムとタンパク質が豊富な魚を食べたほうがいいだろう。


「しかし、スライムは無事に討伐できたが、下水の状況を見るにあのスライムは誰かに飼われていたのは明白だ。迷惑なペットを放し飼いにしていた飼い主を探さねえとな。そいつは間違いなく黒書結社関係者だろうし」


「ああ。地下にあった家畜の骨。あれは餌として与えていたものだろう。あのサイズにまでスライムが育っていたことからも分かる。下水に生息しているネズミや昆虫を食べていたぐらいであそこまで巨大なものには育たたない」


「やっぱりそうだよな」


 地下下水道で見つかった家畜の骨。それは明らかに誰かが家畜を持ち込み、スライムに与えていた証拠だ。


「クラーケンの飼い主もまだ見つかっていないのです。事件は解決に進んでいるようで、まだ足踏みしているような段階……。エミールさんとアレクサンドラ館長が何か掴んでくれるといいのですが」


 ロジーもシチューをスープで口に運びながらそう語る。


「まあ、ここにいる俺たちがあれこれ考えてもしょうがない。今は報告を待とうぜ」


 ジークはそう言ってパンを千切り、空になったスープの皿をパンで綺麗に拭って口に運んだ。魚介の旨味が詰まったスープを柔らかい白パンが吸ってとても美味い。ジークはお替りしようかななどと考えた。


「失礼します」


 そんな話をジークたちがしていたら、神殿の使用人が食堂に入ってきて、ロジーの下に向かうと彼女に耳打ちした。


「分かりました。ありがとう」


 ロジーは使用人に礼を述べて、ジークたちの方を見る。


「まだエミールとアレクサンドラ館長は証拠を掴めていないそうです。彼らは今日は徹夜して調査を進めるそうなので、あたちたちは先に休んでいてくれと」


「了解。明日に備えて体力を回復させておこう」


「頼みます」


 ジークたちはそれからたらふく食べて、宿舎の自室に向かう。


「ああ。食った、食った」


「そうだな。よく食べた。我々は食べずとも死ぬことはないのにな」


「でも、腹は減るだろ?」


 セラフィーネが言うのにジークはそう指摘する。


 不老不死であるジークたちには餓死という概念もない。ただどういうわけか腹は減る。恐らくそれはジークたちの傷がすぐには回復しないように、消費したエネルギーがすぐに回復しないことが影響しているのではないかと思われた。


「そうだ。腹は減る。胃袋は空腹を訴える。我々は不老不死だが、神々のようにはいかないのだな」


「神々のようにはなりたくはないね」


「何故だ?」


 ジークが言うのにセラフィーネがそう問いかける。


「神々は信仰の対象だ。人間の友じゃない。俺は……人間とは友達でありたい。彼らからかけ離れた存在にはなりたくはない。俗っぽいことで喜んで、その喜びを共有したいって思ってる。だからだよ」


「ふうむ」


「あんたには理解できないか?」


 今度はジークがセラフィーネに向けて苦笑してそう問いかける。


「今ではその気持ちは分からなくもない。確かに誰かと喜びを共有できるというのはいいことだ。そう私も思える」


「そ、そうか」


 セラフィーネの意外な答えにジークはやや困惑しながらも頷く。彼女のことだから前のように『くだらない』と斬り捨てるものだとばかり彼は思っていたのだ。


「だからこそ、私には……」


 セラフィーネは何かを言おうとして言葉を濁した。


「しかし、その祭服は本当に可愛いな。今日からそれ着てたらどうだ?」


 ジークはセラフィーネの言葉に気づかず、そのように彼女をからかう。


 祭服の上はセラフィーネにしっかりフィットしており、体のラインがややはっきりと見えている。またスカートのスリットからは長靴からサンダルに履き替えたセラフィーネの白い生足が覗いていた。最近女性とはご無沙汰のジークには刺さるものだ。


「お前、祭服に欲情しているのか? とんでもない罰当たりだな……」


 そんなジークにセラフィーネが呆れたようにそう言う。


「うるせー。最近ずっとお預けを食らっている身になれよ。ああ、黒書結社関係のことが片付いたらヴェスタークヴェルの花街にもう一度行こうかなぁ……」


 セラフィーネの言葉にジークはそう言ってヴェスタークヴェルの方に視線を向ける。夜の海の向こうに今も光輝く都市が見えた。


「私はいつ押し倒されていいのだがな?」


「言ったな? 覚えてろよ? 最後の最後になったら本当に押し倒すからな?」


「はははっ。できるものならやってみるがいい」


 ジークが恨みがましくのにセラフィーネはそう笑い飛ばしたのだった。


 ルーネンヴァルトの夜が更けていく……。


……………………

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