地下下水道掃討戦
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──地下下水道掃討戦
「ネ、ネルファ閣下。地下下水道の地図なのですが、これより古い時代のものはないでしょうか……?」
パウロとともに地図を見ていたアレクサンドラがネルファにそう尋ねる。
「あったと思うが、それでは不足なのかね?」
「い、いくつかの部位で納得のいかない造りになっていまして……。新しい図面には記されていない古い時代のそれが残っているのかもしれないのです……」
「分かった。探してみよう」
アレクサンドラの言葉にネルファが本棚を探り始めた。
「図面はいくつかあるようだが……全て見るかね?」
「え、ええ。できればそうしたいです……」
「分かった。これらのものになる、アレクサンドラ館長」
ネルファは4、5枚の筒状にされた大きな図面を運んできて、アレクサンドラたちに見せる。アレクサンドラとパウロは図面を重ねてみて、古い部位のそれによって新しい図面を補完して見せた。
「なるほど、なるほど……。や、やはり古いままの場所があるようですね……」
「そのようですな。危うく見落とすところでした。流石は大図書館の館長であられる」
「い、いえ。そんな大したことでは……」
パウロに褒められて照れながらもアレクサンドラは図面をしっかりと確認していった。そして、完全に再現された地下下水道の地図を頭の中に記憶する。彼女の記憶力は抜群だ。今は手にできない大図書館の本を何百冊とそらんじられるぐらい。
「よろしい。これで作戦は立てられそうだ。感謝します、ネルファ閣下」
「いいや。礼には及ばないよ、パウロ。これもルーネンヴァルトのためだ」
パウロがネルファに礼をするのに老ドラゴンはそう返して微笑むように目を細めた。
「では、任せたよ。街の治安と我々の街ルーネンヴァルトの未来を」
「ああ。任せておけ、ネルファ。我々がスライムも黒書結社もどうにかしてやる」
ネルファはセラフィーネたちにそう言い、セラフィーネは不敵に笑って応じる。ふたりの間には確かな絆があるようであった。古く、それでいて今も結びついている絆が。
「行くとしよう。下水でスライム狩りだ」
* * * *
セラフィーネたちはネルファの下での下水図面の調査を終えて神々の神殿に戻ってきた。そこでジークとロジーが彼らの帰りを待っていた。
「よう。調べられたか?」
「ば、ばっちりです。作戦をパウロ司令官と話し合ってました……」
ジークが尋ねるのに相変わらず猫背気味のアレクサンドラがこくこくと小さく頷き、パウロの方を見た。
「ええ。今からご説明しましょう」
パウロはそう言ってこのルーネンヴァルトの地上の地図を神殿の礼拝堂にある机の上に広げる。
「地下下水道は街の各地から最終的にこの地点にある浄水施設に向けて流れ、そのあと海に向けて排水されています」
パウロは地上の地図に地下下水道の配置をなぞるようにして指を伝わせ、浄水施設と海への排水口を指さした。
ルーネンヴァルトにおいて下水の浄水は簡単だが行われている。というのも、海産資源がライフラインになっているルーネンヴァルトにとって海は自分たちの食卓でもあるからだ。その食卓にそのままの汚水を流し込んで、気にしない人間はいない。
「我々はこの排水口までスライムを追い詰めていく考えです。地下を流れる下水の末端である地図の地点から下水に入り、他の下水の出口をふさぎ、確実にスライムを浄水施設の先にある排水口まで追い込んでいくのです」
パウロたちの立てた作戦は下水道をしらみつぶしにしていく作戦であった。スライムがどこに潜んでいるか分からない以上、このような作戦を取るしかない。
「ふむふむ。けどさ、どうせ排水口まで追い詰めるなら、いっそ大量の水を流して押し流せばいいじゃね?」
その作戦を聞いたジークがそう提案する。
「そ、それはだめです。スライムに大量の真水を与えれば、その真水を吸収して巨大化してしまいます。だからと言って海水を流せば、下水に悪影響が出ますし……」
「そっかー。やっぱり俺が考えつくような簡単な手段はもう考えてあるよな……」
ジークは自分の浅はかな考えがあっさり否定されて反省。
「けど、ルーネンヴァルト全域の下水道を掃討し終えるまでどれくらいかかるんだ?」
「1日かそれ以上だな。これは最小限の人員で行った場合だが」
ジークの問いにセラフィーネはパウロの方を見る。
「憲兵隊を大規模に投入すれば、それだけスライムの発見は早まるでしょう。ですが、しかし……」
「その分、憲兵隊のリスクが高まる、か」
「はい。憲兵隊ではスライムを確実に倒せるか分からないということもあります」
ジークがパウロの言わんとするところを察してそう言い、パウロは申し訳なさそうにそう説明した。
「大丈夫だ。憲兵を無駄な危険にさらす必要はない。俺たちでどうにかするよ」
「……感謝します、勇者ジーク」
ジークはそんなパウロににっと笑って安心させ、パウロは深くジークに頭を下げた。
「さて、作戦が決まったところでいつから動く?」
それからジークは全員に向けてそう尋ねる。
そのジークの問いにセラフィーネがにやりと不敵に笑って見せ──。
「今からだ」
そう告げたのだった。
* * * *
それは長い間、ルーネンヴァルトの地下下水道で暮らしていた。
最初はほんの小さな存在で、下水に暮らすネズミよりも小さかった。
だが、それの飼い主はそれを大切に育てていた。餌を与え、外敵から守り、それを少しずつ大きく育てていった。それの単純な思考では餌を与えてもらうことに恩義を感じるようなことはなかったが、それは飼い主が来れば餌がもらえるということを学習することはできた。
それは飼い主によって育てられていき、大きく育った。もはやそれは下水に済むどんなネズミよりもはるかに大きく、いつしかルーネンヴァルトの下水道において最大の捕食者になっていた。
そして、常に餌をくれる飼い主に従順に育ったそれは初めて地上というものにでた。地上には飼い主と同じような存在が多くいて──それは飼い主に命じられたままにそれらを貪った。
触腕で捕らえ、酸で溶かし、貪った。
それに味の良し悪しは分からなかったが、いつも飼い主から与えられるよりも大量の栄養にそれは満足していた。
しかし、それは地上にて初めて自分を殺そうとする存在にも出会った。それが捕食しようとすることに激しく抵抗し、それを切り刻んだ存在だ。それにとっては苦い経験だった。
それは再び下水に身をひそめ、飼い主から餌を与えられ、失った体を回復させていった。
だが、その敵対者はそれを追って下水道に迫っていた。
それは下水に潜み、敵対者たちを待ち伏せる──。
* * * *
ジークたちは下水の入り口であるマンホールを開けて、中を覗き込んだ。
暗闇がぽっかりと口を開けている。
「ひでえ臭いだ」
ジークは下水から漂ってくる汚物の臭いに眉をゆがめた。不死身であろうと不快な臭いは感じるし、堪えるというものだ。
「1時間もすればなれるだろう」
「うへえ」
セラフィーネは平気そうにそう言うが、ジークの方は深いため息。
「では、準備はいいか?」
それでもジークは長々とため息をつき続けることはせず、気を取り直してこの場に集まった全員を見渡す。
「準備できています」
パウロと彼の部下である憲兵8名が敬礼する。
「任せておくのです」
それからロジーが頷く。
「わ、私は皆さんのご武運をお祈りしています……」
下水には潜らないが地上の出口を封鎖するのにアレクサンドラと憲兵たち。
そして、誰よりの重要な人物が告げる。
「ああ。やるぞ、ジーク」
そう、セラフィーネが力強く頷いた。
「では、いざスライム狩りへ」
ジークはそう言って梯子を地下に向けて降りていく。
「魔女。明かりを」
「ほら」
セラフィーネが魔法で炎を生み出し、その炎の光によって下水が照らされる。
ルーネンヴァルトで出される汚水が流れる下水は決して衛生的な環境とは言えず、不快な汚物の臭いが漂っていた。しかし不思議なことにこの手の不衛生な環境にありがちなネズミや昆虫の姿は見えない。一匹すらもだ。
「不気味なほど静かだな……」
下水の水が流れる水音だけが響く、そんな下水道にジークは思わずそう呟く。
「ここにいたものは全部スライムに食われたのかもな」
「そうかもな。俺たちは食われねーようにしないと」
セラフィーネが小さく笑って言い、ジークは前に進み始めた。
炎が照らす限りの範囲では闇は晴れるが、それ以外のところは深い闇の中だ。これがそれだけならば不快な下水道で汚物を踏まないようにと祈るだけなのだが、ここには人間を食らうスライムが存在している。
憲兵たちはマスケットを手に、緊張感に包まれて前進していた。
「分かれ道だ。どっちに進む?」
「右です」
「了解だ」
ジークたちは地図を頭に叩き込んだパウロの指示に従って下水を前進していく。下水をしらみつぶしにする最適なルートはアレクサンドラが考案しており、ジークたちはそれに従うのみだ。
「ロジー、臭いは平気か?」
「平気ではないですけど我慢はできるのです」
「そうか。ならいいが。この作戦はあんたが頼りだ」
現状、スライムを完全に殺せる戦力はロジーだけである。ジークもセラフィーネもその身を犠牲にしない限り、スライムは倒せない。憲兵のマスケットは牽制にはなるだろうが、決定打にはなるまい。
そうやってジークたちは汚水が流れる中を着実に前進していった。
「天井にも警戒しろ。上から襲ってくる可能性もあるぞ」
「分かってるって」
スライムは汚水の中から奇襲してくる可能性もあるし、天井から奇襲してくる可能性もある。この暗い下水道は完全にスライムの領域だ。
「止まれ」
不意に先頭を進んでいたジークが隊列を制止させる。
「見ろよ、これ。骨だ。それも人間のだな……」
セラフィーネの炎に照らし出され、ジークが指さすのは人骨だ。それも大量の人骨である。真っ白なそれが下水道の角に積み上げられていた。
「スライムの仕業だろうな。アルトフィヨルド交易を襲ったあとに出たものか、それより以前から人間を食っていたのか」
「どっちにせよ犠牲者が出てるのは確実か……」
アルトフィヨルド交易では死体が一切残っていなかったので、僅かながら生存している商会員もいるのではないかと思われていたが、これを見て生存は絶望的だとはっきりしてしまった。
「しかし、こんな死体を残しているということはスライムは近いのかもしれない。各自、十分に警戒しておけ。白骨死体になって地上に戻りたくはないだろう?」
「あいよ。さっさとスライムを倒さねえとな。これ以上犠牲が出る前に」
セラフィーネの言葉にジークが頷き、彼は天井や汚水の中に警戒しながら引き続き定められたルートを前進していく。
* * * *
それは水の振動を感じ取った。
下水道を何者かが進んでいる。ネズミよりも大きな存在だ。
それは考えた。
地上で自分を殺そうとした存在が追いかけてきたのではないかと。それも一度獲物を定めたら追うことを続ける。相手も同じに自分を獲物に定めて、地上からこの地下に向けて追ってきたのかもしれない。
地上にいたあれは脅威だった。自分を切り刻み、それに食われなかったのだから、ゆえにそれは警戒する。
しかし、それはこの下水を自分の縄張りだと認識してもいた。ここから他の場所に逃げることはできないとも。
だから、ここで迎え撃つ。自分の縄張りを守り、外敵を食い殺す。
だが、それはまた正面からあの敵に挑んで、同じ後悔をするつもりはなかった。それは愚かであるとそれにも理解できた。だから、それは考えた。どうすべきかを。
幸いにしてそれはこの空間について知り尽くしている。飼い主が与えてくれる餌の他に、それが育ってからはネズミや昆虫を追いかけては食らっていたのだから。
それは蠢く。闇の中で。
それだけが把握している道を使い、それだけが通れる場所を通り、それが感じ取った音の場所に向けて蠢いていく。
そしてそれはゆっくりと闇に沈み、冷たく、ヘドロにまみれた下水の中に身を潜めた。
獲物がかかるのを待ちながら。
すでに近づく獲物の体温は捉えている──。
* * * *
ジークたちは引き続きスライムを捜索して下水道を進んでいた。
人骨が積み上げられていた場所を中心にジークたちは捜索を行っている。
「ここにも骨だ。これは人間のものじゃないな」
「ああ。それはブタか……? 下水道にいるような生き物ではないぞ」
「どうやら誰かさんがスライムのおやつを差し入れていたらしい」
ジークが次に見つけた骨の山は家畜のもの。どう考えても下水になど流れこないようなそれが積み上げられていた。
「そろそろスライムが近いと思うんだが、どこにいるのやら……?」
ジークはそう言ってスライムがどこにいるかを探る。
周囲には長い間掃除されていない下水道の空間が広がっているのみ。すなわち汚れた壁面や天井、汚物が上手く流されず溜まりこんでヘドロにとなって溜まっている床。それ以外に目につくものはない。
「前のように足跡みたいなのが残っていればな……」
「そうだよな。これじゃあノーヒントで藁の中から針を探すようなものだぜ。このヘドロはスライムみたいだし──」
そのときだ。不意に下水の水に浸かっていた彼の足に痛みが走った。下水を探るために履いていた長靴の内側で何かでぬるりとした何かが触れた感触の直後、酸で焼かれたようなそんな痛みが生じる。
「クソ。やばい、スライムだ! ここに──」
ジークが声を上げたとき、下水のヘドロにまみれた水面が大きく蠢いた。
そして、緑色の毒々しい体色をしたスライムが下水に溜まったヘドロの中から突如として姿を現し、ジークたちに襲い掛かった──!
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