地下に潜む懸念
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──地下に潜む懸念
ジークたちはロジーとアレクサンドラの見解を聞くために、神々の神殿へと戻る。
「スライム、ですか?」
ロジーは驚いた表情でジークたちの報告を聞いた。
「ああ。緑色の巨大なスライムだ。今回は辛うじて撤退に追い込んだが、あれは本来どうやって倒すものなんだ?」
ジークはそうロジーたちに尋ねる。
「み、緑色のスライムということは、自然界に存在する一般的なスライムですね。特に山林のある洞窟に暮らしている種類です。緑色の体色が保護色になるような環境で過ごしているものですね……」
「スライムにも種類があるの?」
「も、もちろんですよ。スライムには諸説ありますが12種類の系統があると言われています。しかし、どれも基本的には湿った環境と暗闇を好んで行動しますね……」
アレクサンドラがそう本で学んだ知識を語る。
「勇者ジーク。スライムはどこに逃げたのです?」
「下水。そもそも下水から商社の地下倉庫に侵入して、中で暴れたみたいだからな」
「下水も湿っていて暗い環境です。スライムが好むような環境ですが……」
ロジーはジークの報告に顎に手を置いて考えこむ。
「自然界と違ってこのルーネンヴァルトは都市。下水にいるのはせいぜいネズミ程度です。下水で暮らしていくにはスライムの食欲を完全には満たせない。それでいて下水の近くで人や動物が襲われたという報告はありません」
ロジーはそう状況を整理していく。
「さらに勇者ジークはスライムが巨大だったと言いました。巨大になるほどのスライムがそれこそ下水に暮らすネズミや昆虫だけで育ったとは思えません。これは間違いなくスライムが巨大化するまで餌を与えた人間がいるでしょう」
「確かにその通りだな。スライムが商社を襲ったという事実に加えて、そのことが加われば間違いなく襲撃は人為的に行われたものだ」
ロジーの推理にセラフィーネが頷き、同意を示す。
「さらに言えば現状は危機的なのです。いつ飢えたスライムが下水のそばに暮らす人や動物を襲いだすか分かりません。犯人があたちたちを攪乱しようとして、飢えたスライムを暴走させようとする可能性があるのです」
「それは……不味いですな……」
ロジーのさらなる指摘に唸るのはパウロ。彼は憲兵隊長として街の治安を預かっており、ロジーが語るような状況を阻止する義務がある。
「あの! アルトフィヨルド交易の取引先については調べることはできたのでしょうか? アルトフィヨルド交易が襲われたということは、やはり黒書結社と何かしらの関係があったということですよね?」
手を上げてそう発言するのはエマだ。エマはアルトフィヨルド交易という手掛かりにまだ調べる余地があると考えているようだった。
「そうですな。アルトフィヨルド交易が襲われたこと。しかも、人為的に飼育されたスライムの襲撃となれば、やはり」
「ええ。黒書結社と関係は明白です」
パウロとロジーがそれぞれそう言う。
「まずアルトフィヨルド交易が扱ったかもしれないクラーケンの取引先を特定すれば、スライムについても何か分かるかもしれません。どうでしょう?」
「う~む。スライムとクラーケンの飼い主が同じかは分からないけど、今は手がかりはこれだけだからな。まずはそっちを調べるか?」
エマが続けて言い、ジークはみんなの意見をうかがう。
「しかし、スライムが暴走する可能性が少しばかり気がかりですな。取引先を特定できる前にスライムが暴れ出した場合、人的被害が拡大しかねません」
「では、スライム討伐と取引先の特定を並行して行えばいい。スライムの脅威を取り去りつつ、スライムの飼い主を特定する」
パウロが懸念を示すのにセラフィーネがシンプルな解決策を示す。
「賛成。俺は書類見て取引先を特定するなんて無理だし。エミールたちが調べている間にスライムをどうにかしておくよ」
ジークは財務記録や取引情報を見ても何のことやらさっぱりであることを自覚しており、そういうことはできる人間に任せて、自分はスライムの相手をすることに決めた。
「だけど、その前に把握しておきたい。さっきも聞いたがスライムってのはどうやれば完全に殺せるんだ?」
問題はどうやってスライムを殺すか、である。
「ス、スライムに有効なのはその核を破壊することですね……。スライムの核は人間で言うところの脳と心臓になっていまして……」
そこでアレクサンドラが文献で把握しているスライムの弱点を述べる。
「なるほど。頭を心臓を潰せば、確かに殺せるな」
「で、ですが、核は厳重に守られていて、そう簡単には……」
「ううむ。そう簡単に殺せたら苦労はしないってか……」
しかし、アレクサンドラはそう続け、ジークが唸った。
確かにスライムは強酸性の体液と自由自在なゲル状の体を有する。それらに守られている核を破壊するのは容易なことではないだろう。
武具で貫こうにも金属の剣や矢の矢じりでは酸によって溶かされてしまう。ジークが不死身の肉体で特攻を仕掛ければどうにかなるかもしれないが、それはそれでジークがひどく痛い目に遭ってしまう。
「そこはあたちに任せるといいのですよ」
ここで声を上げるのはロジーだ。
「あたちはヘカテ様の眷属として強力な魔法を授かっているのです。それで何とかして見せましょう」
「ほう。ようやくヘカテの眷属の魔法が拝めるのだな」
ロジーが自慢げにそう語るのにセラフィーネが魔法を使う人間として興味を示す。
「憲兵隊としても銃を用意しましょう。確実にスライムの核が潰せるとは断言できませんが、我々も戦うことはできます」
パウロも続けてそう申し出る。
マスケット銃でもその威力をスライムのゲル状の体だけでとめるのは不可能。当たりさえすればスライムをどうにかできるかもしれない。もっともマスケット銃にはその精度が欠けているのだが。
「それでは、それぞれ準備ができたら下水道の掃討作戦を始めようか」
「オレは憲兵隊本部でアルトフィヨルド交易の書類を調べておきます」
「おう、頼んだぞ、エミール」
エマはそう言って憲兵たちとともに憲兵隊本部へ。
「準備すべきは武具だけではなく、地下下水道の地図もだな」
「そ、そうですね。大図書館は今閉まっていますので、他のところに保存されているものが必要になります……」
セラフィーネとアレクサンドラが言うように下水をやみくもに探すより、地図を使って効率的に探した方がいい。そのためには地図が必要だ。
「それなら市長閣下がお持ちのはずです。頼んでみましょう」
「ネルファがか……。私もあやつに少し聞きたいことがある同行していいか?」
「ええ。それは構いませんが」
セラフィーネがそう頼むのにパウロは彼女の目的が分からないままながら同意した。セラフィーネが市長であるネルファを害するとは思わなかったので了承したが、彼女の目的は謎だ。
「わ、私もお役に立てると思いますので、一緒に……」
アレクサンドラもネルファの下へ向かうという。
「じゃあ、俺はここで待ってるよ」
だが、ジークはネルファに用はなかったので、この神殿で待つことに。
「では、あとで合流しよう」
セラフィーネはジークにそう言い残し、パウロとアレクサンドラとともにネルファの下へ。
「しかし、ロジー。戦いに出るのは初めてなんじゃないか?」
セラフィーネたちが去ると、ジークは今回出撃することを表明しているロジーを心配してそう声をかける。
「そんなことはないですよ。あたちはこれまで神々の神殿を守るために戦ってきたのです。つまりは悪魔崇拝者、黒書結社とですね。なので、実戦の経験はあるのです」
「そっか。でも、危なくなったらすぐに逃げて俺の後ろに隠れろよ。俺は死なないから多少雑に扱ってもらっても構わんからな」
「ふふ。流石は勇者ジークなのですね。優しいのです」
ジークがロジーを気遣うのにロジーはジークに笑みを向ける。
「でも、心配はいらないのですよ。あたちも神々の眷属としてそれなり以上の力があるのですから。むしろ、あたちを頼るぐらいのことはしてほしいのです」
「おう。頼りにしてるぜ。俺と魔女だけじゃスライムを撤退に追い込むのがせいぜいだったからな。確実に始末するには力不足だった」
すでにスライムと交戦したジークとセラフィーネだったが、彼らではスライムを撃破できなかった。ジークは剣士として物理主体の戦いになるし、セラフィーネの魔法はスライムには劇的と言えるほど通じなかった。
「ただあたちが危惧しているのはスライムが1体とは限らない点なのです。勇者ジークと魔女セラフィーネの前に現れたスライムだけではなく、他にもスライムが存在する可能性があるでしょう?」
「……確かにな。クラーケンを暴れさせ、ファイアドレイクをけしかけ、スライムを操って商会を襲った犯人ならスライムの養殖ぐらいはしているかもしれない」
「そうなるとリスクは倍に跳ね上がるのです。狭い下水内でスライムに挟撃されたりしたら大変なのです」
スライムが2体になればシンプルにその脅威は2倍だ。また想定される戦場が下水である以上、スライムに挟み撃ちにされると下水に潜る部隊は危機に陥ってしまう。
「いっそまず俺だけ潜って情報を集めてこようか?」
不死身であるジークならばスライムに襲われたとしても生還できる。彼がまず偵察に向かい下水の情報を持ち帰るというのは悪くないように思われた。
「ダメなのです」
しかし、ロジーは首を横に振る。
「まずそういう捨て身の作戦はたとえ勇者ジークが不死身でもやるべきではないのです。簡単にそういう作戦を採用するのは味方の士気にかかわるのです。指揮官は平気で現場の兵士を使い捨てにすると」
ロジーはジークの作戦を否定する理由を述べていく。
「それにです。勇者ジークがスライムと交戦し、スライムを怒らせるだけに終わった場合、やはり下水に近い場所にいる人間や動物への被害が生じる可能性があるのです。それゆえにあたちたちが次にスライムに接触するときは各自に倒さなければ」
「そうだよなぁ。俺が情報を持ち帰ってる間に状況が不味い方向に変改する可能性もあるわけだよな……」
ロジーに指摘されて、ジークは違いないと頷く。
「けど、勇者ジークのその自らの犠牲を恐れない勇敢さには励まされるのです。流石は神々に讃えられた英雄なのですよ!」
「ははは。これぐらいなら普通の人間だって示すことはあるさ」
ジークにとって苦痛は好ましくないものだ。だが、それ以上に他の誰かが犠牲になることが彼には気に入らなかった。自分が苦痛を耐えることで誰かが救われるならば、彼は喜んでそうするだろう。
その点がジークを勇者たらしめている点なのかもしれない。
「俺は特に何やっても死なないし、どちらかといえば死にたがっている人間だからな。犠牲ってものへの考えが軽いのかもしれない。そこら辺、もっと真面目に生きるべきなのかもな……」
ジークはすぐにわが身を犠牲にして勝利を掴もうとするのはずるいし、さっきロジーに指摘されたように犠牲というものを軽く見すぎているのかもしれないと反省。
「勇者ジーク。少し屈むのです」
そこで不意にロジーがそういう。
「なんだよぉ……」
ジークは怪訝に思いながらもしゃがみ込み、ロジーと視線を合わせる。
するとロジーはちょっと背伸びしてジークの頭をなで始めた。
「勇者ジーク。何も恥じることはないのです。あなたはすでに世界を邪神から救い、それからも大勢を救ってきたのですから。500年経ってあなたを讃えるものは少なくなったかもしれませんが、その功績は語り継がれていくでしょう。あたちも語り継ぐのです」
優しくジークの頭をなでながらロジーは微笑んでそう言ったのだった。
「……ありがとな」
ジークはそんなロジーに笑い返した。
* * * *
ジークとロジーが話し合っていたとき、セラフィーネたちはルーネンヴァルト市長ネルファの下にいた。
市長官邸地下にあるネルファの執務室に彼女たちは集まっていた。
「おお。魔女セラフィーネにパウロ、アレクサンドラ館長。どうしたのかね?」
ネルファは執務机から顔を上げ、長い首を伸ばしてセラフィーネたちを見る。
「ネルファ。下水にスライムがいる。恐らくは黒書結社が放したものだ」
「なんと……。クラーケンに続いて次はスライムか……。それで、君たちはどうするつもりだろうか?」
セラフィーネの報告にネルファはそう呻き、彼女たちに尋ねる。
「閣下。我々は地下下水道の掃討を予定しております。そのために地図が必要です。提供してはいただけませんか?」
「構わないよ、パウロ。喜んで提供しよう」
ネルファはそう言うとぐるりと首を回し、壁の本棚の方に向かうと巨大な爪で器用に引き出しを開き、そこからこのルーネンヴァルトの地図を取り出した。
「しかし、ここからは持ち出さないように頼む。機密事項も含まれているのでね」
「畏まりました」
ネルファが言うようにルーネンヴァルトという都市の見取り図は機密情報だ。ここ最近は平和な時間が過ぎていたが、ルーネンヴァルトは以前に敵対的な勢力によって攻撃を受けたこともある。
それに黒書結社のような勢力がルーネンヴァルトの地下についての詳細なデータを手に入れた場合、彼らがそれをどのように悪用するのか。想像もできないが、きわめて悪い結果なるのは間違いなかった。
なので、パウロはこの場の情報として地下下水道の地図を頭に叩き込む。
「ネルファ。聞きたいことがある」
そこでセラフィーネがそう尋ねた。
「何だろうか、セラフィーネ? 私に答えられることならば答えよう」
「魔法学園に何か変化があったのか?」
セラフィーネが問うのは魔法学園について。彼女はその変化の有無についてネルファに尋ねた。
「変化、か。確かにそれはあったな……」
「悪魔学のパスカルが死んだと聞いた。変化はそこから生じたのか?」
「いいや。彼が死ぬ前からだ」
ネルファはそう言って松明の明かりだけが照らす薄暗い市長執務室で、セラフィーネに向けて語り始める。
「私も魔法学園の理事のひとりとして学園の運営には携わっていたので把握できたのだが、一部の魔法使いたちに奇妙な噂が立ち始めていた。今の神々は創造主ではなく、創造主とは別に存在するのだと学説を魔法使いたちが論じているという噂だ」
「創造主、か」
「ああ。この宇宙の始まりに今の神々はおらず、別の偉大な存在がいたという説だと聞いた。その偉大な存在こそ真に信仰に値すると」
「だから、神々は信仰に値しないと?」
「彼らにとってはそのようだな。その流れで悪魔崇拝が生まれたように感じられる。何せその学説を支持し、広めていた人物こそパスカル教授なのだから」
「パスカルが……? あやつほど信心深い男はいないと思っていたが……」
ネルファの言葉にセラフィーネが衝撃を受けた。
「彼の考えには前々からそのような余地はあったよ。神々とは絶対的ではないが、そうであるがゆえにこの世界にとって良いのだと彼は言っていたからね。絶対君主のような神々は逆に人間を抑圧するだけだろうと」
これまで神々はその権能を入れ替えてきたとネルファ。
英雄神アーサーはこれまでモルガンが握っていた英雄を讃える権能をモルガンから奪い、それによって神になった。そのような変化は神々の歴史の中でたびたび起き、時代に応じた新たな神々が生まれてきたのだ。
「だが、彼の信仰に疑問が生じたのだろう。幾年か前に彼の孫が死んだ。病気でな。それから彼は偉大なる創造主という説を熱く語り始めたのだ」
「お前はどう考えているのだ、ネルファ?」
ネルファが語るのにセラフィーネがそう尋ねる。
「神々は信仰に値すると今でも思っているよ。確かに彼らは絶対的ではなく、信仰に対して必ず報いてくれるわけでもない。だが、彼らの存在は心の支えになっている。信仰は精神のインフラだ」
セラフィーネの問いにネルファはそう語る。
「この身が朽ちようとも、魂は冥界神ゲヘナに迎え入れられると思えば死の恐怖にも耐えられる。信仰とはそういうものではないか?」
「そうだな……。私にとってもそんなものだ」
ネルファの言葉にセラフィーネは静かに頷いて見せた。
セラフィーネにとってもこの700年という年月を生きてこられたのは、モルガンへの信仰があったからだ。彼女を信仰することで不老不死によって生じる孤独にも耐えてこられたのである。
「だからこそ、そのような精神の安寧を破壊する悪魔崇拝者たちは倒さねばならない」
ネルファは僅かに口から黒煙を漏らしそう言ったのだった。
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