若き芸術家の願い
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──若き芸術家の願い
ジークたちは一度アンネリーゼに別れを告げてから、売店に向かった。そこでサンドイッチを購入するとそれを中庭で食べることに。
中庭には同様に昼食を楽しんでいる学生たちがおり、中には魔法の練習なのか、空中に大きな水玉を浮かべているような学生もいる。
「ここはあんたがいたときとそこまで変わらないか?」
ジークは厚いベーコンと薄いチーズ、そしてたっぷりのマスタードだけの簡単なサンドイッチに大きく口を開けて食らいつき、そのマスタードの刺激的な風味を味わいながらセラフィーネにそう尋ねた。
「そうだな。あまり変わらないように思える。具体的に見ようとしなければ、だが」
「……いなくなった人間のこと、あんたも考えちまうか?」
「私は感傷に浸る趣味はない。去った人間のことは忘れようとはしている。だが、忘れてもいいものなのだろうか……?」
セラフィーネは中庭にいる学生たちを見ながら誰にでもなくそう尋ねた。
かつてこの中庭にはセラフィーネの知った人間がいた。教鞭をとっていた100年前、知り合いの葬儀に出席した50年前。確かにそこにセラフィーネのことを知り、セラフィーネも彼らのことを知っていた人間がいたのだ。
だが、今はほとんどの知り合いがこの世を去っている。
残るのは虚しさ。セラフィーネはジークのようにその虚しさのために死のうとは思わないが、心に空いた穴は確かなものだった。
セラフィーネはその穴を忘れることで埋めようとしてきた。かつての友を、戦友を、ライバルを、教え子を。全てを忘れてここに空いたいくつもの穴を埋めようとしてきたのである。
「どうだろうな。俺は仲間のことを忘れるつもりはなかった」
ジークはまたばくりとサンドイッチに食らいついてそういう。
「あいつらは俺の人生の一部だ。それを忘れるのは自分の人生を捨てちまうようなものだ。だから、決して忘れないように決めた。心の中にいつも仲間、友人、恋人、家族の顔を思い浮かべ続け、声を思い出してきた」
だけどさ、とジークは続ける。
「俺の人生は長すぎて、抱えるものが多くなりすぎた。それはつらいよ。もう二度と会えない人間たちのことを抱え続けて生きていくっていうのはさ。だから、少しずつ他人と距離をとってこれ以上抱え込まないようにした」
「お前はそれで満足なのか?」
「いいや。満足なんてしてない。だから、死にたいんだ。最後に寿命ある人間として生きて、同じ時間を過ごす人間とともに老いながらこの世を去る。去っていった仲間たちの下に向かう。抱えていたものをそうやって降ろす。それが俺の望みだ」
セラフィーネが問い、ジークは残りのサンドイッチを口の放り込むとじっくりを味わって飲み込み、そう語ったのだった。
「あんたもそうしたらどうだ? 抱えているものは大事なものだろう? 忘れるということで捨てちまうのは勿体ない」
「かもな……」
セラフィーネもサンドイッチを食べ終えてしばらく学生たちを眺めていたが、やがて鐘が鳴り、学生たちが校舎の中に戻っていく。
「さて、我々も美術室に行くか? あのアンネリーゼという学生に誘われていただろう? あの女がどういうことを考えているかは知らないが」
「そうしましょう。美術室の場所は分かる?」
「こっちだ」
セラフィーネに案内されてジークたちは校舎に入り、それから美術室を目指す。
美術室のある校舎はいかにもな学校の校舎で、講義室がいくつもあり、そこから学生たちに魔法を教える教師たちの声が聞こえてくる。それ以外は学生の授業には励んでいるらしく静かなものだ。
「ここだ。美術室は」
そして、その校舎の2階奥に美術室はあった。
「それじゃお邪魔しまーす」
ジークは引き戸の扉をガラガラと開けて、美術室の中へ。
「ああ。ジーク様!」
美術室の中ではアンネリーゼがジークたちを待っていた。
「とりあえず来たけど、どんな用事なんだ?」
「あたし、美術部のメンバーなんですけど最近はちょっとスランプで……あまりいい絵が描けていないんです……」
アンネリーゼがそうジークの問いに語り始める。
「でも、さっきジーク様に助けていただいたときに、あたしの心にびびっと来たんです! この人を描かなきゃって! この人を描くことこそあたしに神々が与えた使命なんだってそう思えたんです!」
「お、おう」
ぐいぐいと熱を込めて語り、血走った目で訴えるアンネリーゼに押されながらジークが辛うじて頷く。
「なので、絵のモデルになっていただけませんか、ジーク様? あなたのお姿を私が絵にして残したいんです!」
「う~ん。俺なんかでよければモデルになるけど、本当に俺を描くの?」
「ぜひ!」
「分かった、分かった」
ジークはアンネリーゼの気迫に押されて同意したのだった。
「でも、モデルって具体的に何をすればいいの?」
「そこに座っていていただけるだけで十分です。30分ほどお時間をいただきますが」
「了解。ポーズとか取らなくていい?」
「ええ。大丈夫です。ありのままの勇者ジーク様を描きたいんです」
ジークは準備された椅子に座り、すぐにアンネリーゼはスケッチを始めた。真剣な表情でジークを見つめ、素早く手を動かす様にはジークも思わず見入ってしまう。
「しかし、魔法学園にも美術部とかあるんだな?」
「魔法使いは一種の学者でもあるからな。学者には標本をスケッチして記録に残すという仕事もある。それゆえに絵画に秀でたものも多く、またそうでないものも絵について学ばなければならない」
「へえ。大変だな、魔法使いってのも」
ジークはセラフィーネの説明を受けて、改めてアンネリーゼの方を見た。アンネリーゼは無言で黙々とジークのスケッチを進めている。熱中しすぎていて、他のことは一切気にならないという具合だ。
「しかし、標本のスケッチか……。魔獣を扱っている研究室でも魔獣のスケッチとかしてるのかね?」
「ん? 魔獣のスケッチ、ですか?」
そこでアンネリーゼがジークの言葉に反応した。
「してますよ。興味がおありならあとでお見せしますけど」
「おお? マジで? じゃあ、あとで見せてくれ」
「はい!」
まずはジーク絵を完成させるためにアンネリーゼはスケッチを続け、線上にいるかのような真剣な表情でジークの顔をキャンパスに書き写す。
それから30分経ったときだろう。
「できました!」
アンネリーゼが額に浮かぶ汗をぬぐってそう宣言。
「おお。見せてくれるか?」
「どうぞ!」
アンネリーゼは自信たっぷりにキャンパスをジークに披露する。
「すげーじゃん。俺、そっくりだ!」
「そうか? 5割くらい美化されてないか?」
「されてませーん」
白いキャンパスにはジークが鋭い目つきをし、きっと唇を結んだ表情で描かれていた。ジークはそれを見て素直に喜んだが、セラフィーネの方はあまりにいい男に描かれたジークを見てちょっとあきれ顔。
「いやあ、やはりジーク様を描かなければと思ったあたしの思いは正解だったようです。これまでで一番のできになりました! ありがとうございます、ジーク様!」
「いいってことよ~。それより魔獣のスケッチって見せてもらえる?」
「はい。こちらになります」
ジークが頼み、アンネリーゼは美術室内にある本棚からスケッチブックを取り出し、ジークたちに見せた。
「これは……グリフォンのヒナのスケッチか? 凄い精密だな……」
ジークたちはスケッチブックをめくって、魔獣のスケッチを見ていく。
グリフォンやワイバーン、珍しいところだとサラマンダーやセイレーンのスケッチもある。どれも人の手で描かれた絵でありながら写真のように精密に描かれており、アンネリーゼの絵描きとしての腕前が存分にうかがえた。
「しかし、クラーケンのはないな……」
「クラーケンですか?」
「ああ。俺たち、クラーケンに襲われてさ。そのことを調べてるんだ」
「クラーケンを……。ちょっと待ってください。どこかでクラーケンをスケッチした記憶がありますから」
アンネリーゼはそう言うと他のスケッチブックを開き、ページをぱらぱらとめくると何やら探し始めた。
「あ! これです、これ。クラーケンのスケッチですよ」
アンネリーゼはそれからジークたちに1枚の絵を見せる。
そこにはタコのようでありながら、タコとは明白にバランスが異なる巨大な触手を有する魔獣が描かれていた。
「クラーケンの……幼体だな、これは。どこでこれを描いた?」
「日付的に2年前なんでちょっと覚えてないですね。ただ学園の外だったと思います。学園内でクラーケンを見た記憶はないんです」
セラフィーネが問うのにアンネリーゼは首を横に振った。確かにスケッチに記された日付は今から2年前であり、記憶に残っていないのも仕方がなかった。
「どうにかして思い出せない?」
「ううむ。確かそのクラーケンは生きてはいなかったと思うんです。死体になっていたものを、どこかで珍しいからとスケッチさせてもらって……」
「そっかー。悪い、無理を言った」
ジークはアンネリーゼが申し訳なさそうに言うのに軽く謝罪。
「いえいえ。あたしにできることならなんでも手伝いますから。ジーク様のおかげで再び芸術を目指していこうって気になれたんですから! あたし、実は魔法使いより絵描きになりたくて……」
「そうなの? けど、この学園に入学したんだよな?」
「はい。親が魔法使いであたしにも魔法使いになりなさいって言ってですね。けど、やっぱりあたしは絵が好きです。その気持ちに嘘はつけないみたいです」
アンネリーゼは少し恥ずかしそうにジークの言葉に応えた。
「そうだよな。普通はどちらかなんだよな……」
アンネリーゼがジークのように不老不死ならば、魔法使いを目指し、そのうえで絵描きも目指せただろう。不老不死には無限の時間があるのだから。だが、そうではないので、彼女は魔法使いか絵描きかのどちらかひとつを選ばなければならない。
そう考えると自分は恵まれているのだろうかとジークは思ってしまう。
不老不死にいい思いはなかったジークだが、悪いことばかりというのも違っているのかもしれない。そう彼には思えた。
「簡単な道じゃないと思うけど、頑張ってくれ」
「はい!」
ジークはアンネリーゼを励ますと美術室から出る。
「さて、そろそろブルクハルト先生のところに戻るかい?」
「そうだな。そろそろリストができたころかもしれない」
ジークが言い、セラフィーネが頷くとジークたちは再びブルクハルトの研究室を目指してグスタフ棟へ。
「ブルクハルト。戻ったぞ」
セラフィーネがそう声をかけて扉を開く。
「ああ、セラフィーネ先生。リストの方、できてますよ」
ブルクハルトはそう言ってセラフィーネたちを出迎え、羊皮紙の束を渡す。
「魔獣の研究を行っている研究室は7部屋で、研究に従事する魔法使いは38名です。それぞれの分野も書いておきましたが、ちょっと問題がありましてな」
「ふむ。クラーケンを扱っている研究室は存在しないな」
「ええ。その点です。どの研究室もクラーケンを調査してはいません」
ブルクハルトが作成したリストの中にはクラーケンを研究している研究室の名も、研究者の名もなかった。つまり、研究を公にしている魔法使いの中ではクラーケンを輸入した可能性はほとんどない。
「あれま。魔法学園は空振りだったか……」
「そのようだな。だが、学生のひとりが2年前にクラーケンの幼体をスケッチをしていたのを見た。クラーケンは確かにこのルーネンヴァルトに持ち込まれたに違いない」
ジークはやれやれという表情で後頭部を掻くが、セラフィーネはそう言ってまだクラーケンを追跡するつもりであった。
「クラーケンが幼体から成体になるまでは5~6年と言われていますな。2年前に幼体を残すほどのクラーケンならば……」
「船を襲えるサイズにもなるだろう」
ブルクハルトが考え込み、セラフィーネが付け加える。
「つまり幼体を展示していた場所を探せば、クラーケンを飼育していた人間を見つけることもできるってことかい?」
「偶然そいつが幼体を海で拾ったとかでなければな」
「うへえ。その可能性もありそうなんだよな……」
なかなか決定的な情報は手に入らず、憶測だけが積み上げられていく。
「ここでうだうだ考えてもどうにもならなそうだ。先に魔獣を扱っている商店を調べてくれているエミールたちに合流しようぜ。それから憲兵隊のパウロ隊長とも」
「ああ。これ以上憶測を重ねても事実は手に入らない。ここは確かな情報を連中が手に入れてくれることを祈るとするか」
ジークははっきりと次の方針を示し、セラフィーネが同意する。
「それでは世話になったな、ブルクハルト」
「セラフィーネ先生の頼みならばいつでも受けますよ」
「ふふっ。あの頼りなかった学生が立派になったな……」
セラフィーネの言葉にブルクハルトはそう応じ、セラフィーネは僅かに微笑むとブルクハルトの研究室を出たのだった。
それからジークとセラフィーネのふたりは魔法学園を出て、エマやパウロたちと合流するために学園内を正門に向けて進む。
「……なあ、あんたは俺が死ぬ方法を見つけたあとはどうするつもりだ?」
「さてな。またひとりになるだけだが、またどこかで暴れるとするか」
「それぐらいならここでまた教鞭をとったらどうだ? あんたの魔法の腕前は抜群だ。それをここにいる学生たちに教えてやれよ」
セラフィーネが投げやりに言うのにジークはそう言って学園の建物を振り返る。立派な魔法学園の建物を。
この魔法学園は魔女であるセラフィーネにとっては最高の居場所になるだろう。彼女がここで教鞭をとり、それから研究にいそしむのであれば魔法界隈にも大きな発展が見込めるはずだ。
それに何より──。
「なんだ、お前。私がひとりになることを心配してくれているのか?」
そう、セラフィーネは孤独になることなく、過ごすことができる。
「そういうわけじゃねーよ」
ジークは少し頬を紅潮させてふんとそっぽを向く。それにセラフィーネはくすくすとからかうような、どこか嬉しがっているような笑みを浮かべた。
「心配するな。お前に出会う前も私はひとりで生きてきたのだから。ただ……」
セラフィーネはジークにも聞こえないような声量で小さくつぶやく。
「……やはり寂しくはなるな……」
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