魔法学園の噂
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──魔法学園の噂
セラフィーネとジークは広くはあるものの、床から積み上げられた本や、魔法陣を試し書きした羊皮紙などが散乱して手狭な研究室内に入る。
「ささ、そこにどうぞ座って」
ブルクハルトに席を勧められて、ジークたちは椅子に座った。
「悪魔崇拝者について調べているということは、つまり黒書結社について調べてられるのですな?」
ブルクハルトは柑橘系の香りがするお茶を入れてジークたちに出し、彼も椅子に座ってからそう尋ねる。
「ああ。ヘカテ様自らのご命令でな」
「そして、我々は現在黒書結社の手がかりについてひとつの情報を得た。昨日、海峡連絡船を襲撃したクラーケン。それが西方から持ち込まれ、人の手によって飼育されたものだと分かったのだ」
「で、魔獣を輸入する商会と魔獣の標本を入手しに行く魔法学園を調べている」
ジークとセラフィーネがそれぞれそう言う。
「なるほど。そういう事情でしたか。それならば自分も協力しましょう」
ブルクハルトはそう言って協力を約束する。
「黒書結社については様々な噂が学園内でも囁かれているのですよ。それについてまずはお話ししましょう」
ブルクハルトはお茶が湯気を立てるカップを一口口に運び話し始めた。
「黒書結社は魔法使いが少なくなく含まれている。そのため黒書結社にはこの学園の教師や生徒が加わっているのではと噂されています。事実、悪魔学科学科長のパスカル教授は学園内にいた悪魔崇拝者によって殺されたと言われているのです」
「パスカルが? あの悪魔学の権威の?」
「ええ。大変な損失です。彼が生きてれば悪魔崇拝者に悪魔の危険性をとくと説いてくれたでしょうにな……」
どうやらパウロが言っていたように魔法学園もまた黒書結社の攻撃を受けて、被害を出している様子であった。それもよりによって学園は悪魔について詳しい人間を失ったのである。
「パスカルは優れた魔法使いであった。それを殺せるほどの実力があるのか」
「ええ。彼ほどの人物が殺せたとは恐ろしいことです」
セラフィーネはパスカルという人間について知っているらしくそう言って唸る。
「おいおい。パスカルって誰だよ?俺にも教えてくれ!」
ここでジークがそうセラフィーネたちに求める。彼はふたりの話から置いていかれていて、実に不満な様子であった。
「パスカルはこの学園の教師であり研究者だ。長年、悪魔について研究してきた権威であり、世界的にも有名な魔法使いだった」
「それが殺されたと? でも、学者先生だから戦闘力は高くなかったんだろう?」
「いいや。やつは実践においても強力で同期の中では敵なしだった。やつがまだ若いころ一度手合わせしたことがあるが、実に素晴らしい強力で無駄のない戦闘魔法を使っていたな……」
セラフィーネはそう昔を懐かしむようにして語る。
「あんたがそこまで言うとは。なら、謀殺されたかね?」
「可能性としてありますな。というのも、パスカル教授は自宅に放火されて死んでいるのです。見つかったのは黒焦げの焼死体のみで毒を盛られたとかは分かりませんでしたが、身に着けていたアミュレットで身元が確認されました」
ジークがそんなセラフィーネを見て言うのに答えるのはブルクハルト。彼はパスカルが死亡した事件についてそう語った。
「他に噂は? 何でもいい。悪魔崇拝者に繋がっていそうなことならば」
「そうですな……。そういえば大図書館だけではなく、学園の書庫も襲撃を受けたという話を聞きました。直接の被害はなかったそうですが、その襲撃後から出入りが規制されるようになったはずです」
「狙われたのはやはり神々に関する記録か?」
「ええ。学園図書館の深部に封印されているものが狙われたとか」
黒書結社は大図書館でも神々の記録を要求していた。彼らの狙いは魔法学園を攻撃するにあたっても変わっていないらしい。
「う~む。噂は一度おいてクラーケンの件を調べよう。この学園でクラーケンの研究をしている人とかいるのかい?」
「魔獣の研究者はいますが、クラーケンを研究している人は……。クラーケンは主に西方の海に生息しているから研究するなら西方に赴く人が多いんです。わざわざルーネンヴァルトまで運んで調べるというのはあまり効率的ではないでしょう?」
「確かにそうだけど。でも、実際に西から輸入されたクラーケンが出たんだぜ?」
「魔獣の標本を仕入れる研究者は確かにおりますよ。このルーネンヴァルトには人材も設備も整っているので研究する場所として申し分ないですから。ですが、生きた標本でクラーケンを仕入れた例は聞いたことがありませんな……」
「そうなの? それなら魔法学園は関係なしかね……」
ブルクハルトが語るのにジークは当てが外れたかという顔をして肩を落とした。
「気になるなら、こっちで魔獣を研究している研究室のリストを準備させますよ。30分ぐらい待ってもらいますが。どうしますかね?」
「そうだな。頼むとしよう、ブルクハルト。準備してくれ」
「分かりました、セラフィーネ先生。手配しておきます」
そういってブルクハルトは魔獣の研究を行っている研究室のリストアップを請け負い、研究室の隣にある部屋に控えていた秘書に頼みに向かった。
「しばらくかかるみたいだけど、その間ここで待つか?」
「私はそれでも構わないが、お前の方は不満そうだな?」
「そりゃあね。せっかく魔法学園なんて場所に来たんだし、見て回りたいよ」
ジークはこの不思議な魔法学園という場所に興味津々だった。
ここに教師として在籍していたセラフィーネと違ってジークにとっては初めての魔法学園である。ここでどのようなことを教えていて、どのようなことが研究されているのか。また学生たちはどんな生活を送っているのか。興味があった。
「なら、少し案内してやろう。ついてこい」
セラフィーネはブルクハルトは準備を終えるまで、ジークに魔法学園を案内することにした。彼女は研究室を出ると学園の中をジークと巡り始める。
「ここは学園図書館だ。大図書館ほどではないが、なかなかの蔵書を誇っているぞ」
「へえ。おしゃれな建物だな」
セラフィーネとジークが入ったのは中央が4階まで吹き抜けになっている構造の建物で、無数の本棚が所狭しと並ぶ場所であった。
落ち着いた木の色をそのまま使った内装で、決して高級品ではないが安物でもないテーブルや椅子がおかれ、そこで若い魔法使いたちが本を手に勉強をしている。
「この図書館は古い図書館が老朽化で壊されてから立て直されたものでな。私も以前はここで勉学に励んだものだ」
「へえ。面白い小説とか置いてる?」
「そんなものを置くわけがないだろう。勉学をする場所だぞ」
「そうなの? じゃあ、あんまり興味ないや」
「お前というやつは……」
今更学びなおす気などさらさらないジークの様子にセラフィーネはため息。
「けどさ。ここも黒書結社によって襲撃されたんだよな? それだけ価値のあるものが蔵書されているってわけか?」
「ああ。閲覧が制限された魔導書などがある金庫がある。物理と魔法によって封鎖されており、それを開錠するには理事長の許可が必要だ」
「ふうむ。ここで待ち伏せてたら、黒書結社の連中が引っかかったりして」
「それは気の長い釣りになりそうだな」
ジークも本気でそう考えていたわけではなく楽観的すぎる考えを述べてみただけで、セラフィーネに否定されても腹を立てはしなかった。
「次は何が見たい? 案内してやるぞ」
「学生たちは飯はどこで食ってるの? 俺たちもそこで食べられるなら食べようぜ。昼飯がまだだしさ」
「学食がある。こっちだ」
セラフィーネは次にジークを学食に案内する。
ちょうど時間は少し正午を過ぎたころ。学生たちが長い抗議の中で飢えた胃袋を満たしに学食に集まる時間帯である。
「ここだ。すでに学生どもが群がっているな」
「うひょー。凄い活気があるじゃん」
セラフィーネとジークが見るのは、レンガ造りの建物の中でカウンターに並ぶ学生たちがなみなみと注がれたシチューやパン、チーズなどを受け取っていく光景だ。学食のメニューはさほど豊富ではないようだが建物内は香ばしい香りで満たされている。
「割と美味そうだな。もうちょっと味気ない料理が出されているかと思った」
「昔は本当にひどかったぞ。よく分からん魚を適当に焼いたものや、石のように固いパンとチーズだけだったりな。だが、街の方に美味い飯屋が出店するようになり、学食の独占が崩れてからは気を使うようになった」
「ライバルの存在は人を成長させるのね」
ジークはセラフィーネの言葉に納得しながら、学食の中を見渡す。学生たちはシチューや厚いベーコン、パンを食べながら学友との談笑に興じている。ざわざわといくつもの声が響き、学食の中はとても賑やかだ。
「なあなあ、俺たちもここで食事できる?」
「無理だ。学食の利用料は学費に含まれている。外部の人間は利用できない」
「がっかり……」
食欲をそそる香ばしい匂いで空腹が刺激されていたジークは、セラフィーネの身も蓋もない言葉に大きく肩を落とした。
「しかし、外部の人間でも利用できる売店はある。昼飯はそこで買うとしよう」
セラフィーネはそう言って学食を離れ、売店へと向かう。
「売店にはどういうものが売ってるの?」
「サンドイッチやチーズなどの日持ちする軽食だ」
「へえ。学生のおやつみたいな感じ?」
「あとは徹夜する研究者向けだな」
ジークの問いにセラフィーネがそう答えていたときだ。
「──私が誰か分かっているのか!」
急に男性が怒鳴る声が響き、ジークが驚いてそっちの方を見る。
そこではひとりの長身の男性が地面に倒れ込んでいる女子学生を睨んでいた。
男性の方は30代後半ほどだろうが驚くほどの美形であり、オールバックにしたアッシュブロンドの髪と濃紺の瞳をしている。しかし、その整った美しい顔立ちも今は怒りに歪んでいた。
「す、すみません!」
女子学生の方は小柄でそばかすのある童顔の女性だ。ブルネットの髪をふたつのおさげにして肩から流しており、瞳の色は澄んだ翡翠色だ。彼女は泣きそうな顔をして、辛うじて男性の方を見上げていた。
恐らくトラブルになっているのは女子学生が手に握っているバケツだろう。そのバケツから地面に撒き散らされた液体は男性の服にもかかっており、ふたりがぶつかったことでまき散らされたと思われる。
「私はこの学園の理事だぞ。それに対してこのような真似をしてくれるとは。退学になっても仕方ないと思うことだ!」
「そ、そんな!」
男性がそう怒鳴るのに女子学生が震え始める。周囲にいる学生たちは女子学生を同情と焦りの視線を向けていたが、男性が恐ろしいのか実際に助けをだす人間はいなかった。
「おいおい、おっさん。女の子を相手にそんなに怒鳴るなよ。可哀そうだろ?」
しかし、そこで助けに入ったのは──他でもないジークだ。
「ふん? その恰好、君は部外者のようだな。口を出さないでもらいたい」
「泣いてる女の子を助けるのに部外者も関係者もないね。それに、それ、ちょっと濡れただけじゃないか。それぐらいでそこまで怒るなよ。自分の心はアリの胃袋より狭くてみみっちい男ですっていっているようなものだぜ?」
「何を……!」
ジークは男性にそう言い放ち、それから女子学生の方に手を向ける。
「立てるか?」
「は、はい」
女子学生はジークの手を握って何とか立ち上がったが、やはり小さく震えていた。
「女の子にはこうするのが正解だぜ、おっさん。怒鳴り散らすんじゃなくてな」
「……立場というものをわきまえていないな、部外者。私はこの名誉あるルーネンヴァルト・アストリウス魔法学園の理事のひとり。貴様を永久にこの学園に出入りすることを禁止することだってできるのだぞ」
男性はぴきぴきと額に青筋を浮かべてジークの方を睨む。
「ほう。そんなことをしてもいいのか、理事とやら?」
「誰だ、今私に──」
怒りに燃える男性はセラフィーネの方を見て目を見開いた。そして、驚きの表情に完全に怒りの表情が消え失せる。
「その爬虫類の瞳は──魔女セラフィーネか……?」
男性はセラフィーネを不老不死の魔女セラフィーネだと見抜いた。
「いかにも。私こそが魔女セラフィーネ。そして、そっちにいる男もだたの部外者ではない。英雄神アーサーの寵愛を得て、さらには知の女神ヘカテより神託を受けし、勇者ジークである」
セラフィーネはそうジークを紹介し、ジークはそれには何も言わずにただにやりと不敵に笑って見せた。
「それで、俺を永久出禁にするんだっけか? ヘカテ様は快く思わないだろうな」
だが、ジークは男性に対してそう脅すように言葉を発する。いつもは神々などクソくらえの彼だが、使えるときは神の名を使うのだ。
「い、いや、失礼をした。ただの出入りの業者か何かだと……」
男性は畏まってジークにそう謝罪。
「私は学園理事のロタールと言う、ジーク殿、セラフィーネ殿。改めて無礼を謝罪させてもらいたい。申し訳なかった」
「この子を許してくれるなら、どうでもいいよ」
「もちろんだ。時として広い心を持つことも重要だな」
ロタールと名乗った男性はまだ震えている女子学生に笑顔を浮かべて見せた。その様子にわずかだが女子学生が安堵する。
「よければ謝罪の意を明確に示すためにジーク殿とセラフィーネ殿を昼食に誘いたいのだが、どうだろうか?」
「いいや。遠慮するよ。あんたが謝ったのはもうちゃんと伝わったから」
「そうか……。残念だ……」
ジークが首を横に振りそっけなく返すのにロタールはジークを見つめる。
「……ジーク殿。永遠に生き続けることのできる体というのはどんな気分かね?」
「不老不死? いいもんじゃないよ。人生が長すぎると飽きてくる」
「そうか。意外な答え、だったな……」
「あんたも不老不死になってみれば分かるさ」
ジークは軽く言うがロタールの方は深刻そうな表情だった。
「……不老不死。そうなれればいいのだがな……」
ロタールはそうジークにもセラフィーネにも聞こえないほどの声量で呟き、この場から立ち去って行った。
「万事解決。いいことしたな~」
ジークは問題が解決したのを確認し、満面の笑み。
「あ、あの! ありがとうございました!」
「いいってことよ~」
女子学生が頭を深く下げて礼を述べるのにジークはその笑みのまま手を振る。
「あ、あたしはアンネリーゼって言います。あなたは、その、本当にあの英雄のジーク様なんですか……?」
「イエス。その通り。俺はジークだ。邪神を倒したけど英雄神アーサーのせいで500年無駄に生きてきた男」
尊敬と畏怖の視線をアンネリーゼと名乗った女子学生が向けるのにジークは苦笑してそう返した。ジークという名に誇りというより、苦労を感じている口調だ。
「ジーク。昼飯を食べに行くのだろう? 売店が品切れになるぞ」
セラフィーネはそんなジークにそう声をかけて売店の方を親指で示す。
「おっと。いけね。じゃあな、アンネリーゼちゃん。今度は誰かにぶつかったりしないようにな?」
「待ってください!」
そこでジークの手をアンネリーゼが握る。
「どした?」
「あの、あとで美術室に来ていただけませんか? お願いしたいことがあるんです!」
首をかしげるジークにアンネリーゼはそう頼みこんだのだった。
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