魔法学園
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──魔法学園
ジークたちはエマに呼ばれて商談が行われている部屋へ。
「こちらです」
アイゼンローゼ商会の職員に案内され2階にある部屋に通されたジークとセラフィーネ。彼女たちが部屋に入ると、落ち着いた調度品で飾られた応接間の様子と、そしてエマと知らない男性の姿が見えた。
「ジークさん、セラフィーネさん。いらっしゃってくれてありがとうございます」
「おう、エミール。そっちの人は?」
ジークは格段に仕立てのいい紺色の上着とズボン、白のシャツを纏った男性の方を見る。年齢は40代ほどだろう。そのブロンドの髪を短く整えて僅かに口ひげを蓄えており、人のよさそうな笑みを浮かべているが、その青い瞳は鋭くジークたちを見ている。油断ならなそうな男性だ。
「初めまして。わたくしはアイゼンローゼ商会の商会長イグナツと申します」
ジークの問いにその男性はイグナツと答えた。
「商会長自ら行商人の相手とはな」
「エミールさんは持ち込む品が素晴らしいものばかりですからね」
セラフィーネがどこか不審がっていうが、イグナツはそう説明するにとどめた。
「で、俺たちを呼んだってことは何かあったの?」
「ジークさんたちをこのイグナツ様に紹介しておこうと思いまして。これから悪魔崇拝者たちを探すなら、アイゼンローゼ商会も力になってくださるそうです」
「おおっ! そいつはありがたいぜ」
エマの報告にジークはちょっと笑みを浮かべてエマとイグナツのふたりを見る。
「ええ。あなた方は聞けばヘカテ様直々の神託によって行動されているとか。それならそれに協力するのは、ヘカテ様の守護の下で成り立っているルーネンヴァルトの市民として当然のことですよ」
「ふうむ。商人という人種がそこまでお人よしとも思えないが」
素直に喜んだジークとは対照的にセラフィーネはどこか疑っていた。
「……悪魔崇拝者たちには我々も被害を受けていましてね。前に商会の倉庫に放火されそうになったことがあるのです。ですが、そのような暴力で脅されようと悪魔崇拝など我々は受け入れるつもりもありません」
だからです、とイグナツ。彼は協力する理由をそう語ったのだった。
「納得できる理由じゃないか。それにこっちも商人さんたちの協力が得たいことがあってさ。早速だけど協力してもらえるかい?」
そこでジークはクラーケンの話をすることにした。
「昨日、クラーケンが船を襲撃したのは知っているよな? 今日、憲兵と一緒に調べたところ、クラーケンは西から持ち込まれて、さらには人間に飼育されたものである可能性があるということだった」
「あのクラーケンを人がっ!?」
ジークがロジーとアレクサンドラが調べた情報を告げると、その襲撃に巻き込まれたエマがまず驚く。
「なんと。クラーケンが出現したという話は聞いておりますが、まさかそれが人の手によるものだったとは……」
イグナツもジークの言葉に驚きを示す。
「それで今、憲兵隊が魔獣の取り扱い資格を持っている商会を調べている。だが、俺としてはこんなことをやらかす野郎が正規の手続きを経て、クラーケンを西から輸入したとは思えないんだよ」
「なるほど。それで商人の情報が必要なのですね。任せてください!」
ジークが改めて求めるのにエマが力強くうなずいた。
「オレ、魔獣関係の商品をちょっとでも扱っている商会や西方とつながりがある商会をリストアップしてみます。イグナツ様も何か知りませんか?」
「そうですね……。西方に繋がりが深い商会だとアルカナム商会でしょうか。それから商会ではありませんが、魔法学園でも研究者が直接西方に赴いて標本を採取してくることで知られていますね」
エマが意気込む中でイグナツは冷静にそう語る。
「そいつらについて調べよう。まずはアルカナム商会からかな」
「それはこちらで調べておきますよ。商人には商人の伝手がありますので」
「そう? じゃあ、俺たちは魔法学園の方か……」
イグナツがそう請け負ってくれ、ジークはアルカナム商会については彼らに任せることにしたのだった。
「魔獣関係の商会については、あとで神殿の方に報告に行きますね」
「ああ。よろしく頼む」
ジークはエマに改めてそう言い、魔法学園とやらに向かうことに。
「でさ、魔法学園ってどこにあるんだ?」
「あれだ。見えるだろう。大きな塔が」
セラフィーネが指さす先には空に向けて伸びる高いひとつの塔が存在していた。それはルーネンヴァルトの城壁の外からも見えていたものであり、それだけ高い構造物だということである。
「あれが魔法学園?」
「その一部だ。現地に向かえば分かる」
ジークにそう言い、セラフィーネは彼を連れて魔法学園を目指す。
商会通りからいくつかの通りを抜けると、若い魔法使いが多くいる通りに出た。
「ここにいるのは魔法学園の生徒さんたち?」
「ああ。学生どもだ。この時間帯からうろうろしているのはさぼりだな」
ジークが確認したようにここにいる若い魔法使いたちは、ジークたちがの目的の魔法学園の学生たちだ。
通りには学生たちを相手にした香ばしい匂いを漂わせる串焼きの屋台が出ていたり、インクや羊皮紙などの文房具を売っている店が出ていたり、あとはローブや三角帽子を売る衣類店があったりと賑やかだった。
「世界中からこのルーネンヴァルトを目指して魔法使いを志望する人間がやってくる。この島の魔法学園は歴史があり、実績があるからだ」
セラフィーネはそうジークに説明しながら通りを進み、その先に魔法学園が現れる。
「ここの正式名称はルーネンヴァルト=アストリウス魔法学園だ。その名前で呼ぶ人間はほとんどいないがな」
「へえ。ここが魔法学園、か」
広い前庭が広がる向こうに古式ゆかしい学園の建物が広がっている。
3階建てほどの建物が敷地内にひしめくことでキャンパスを構成している。古い建物のせいか窓がやや小さいものの、歴史を感じさせるその建築群にはジークにもここに世界中から魔法使いが集まるのが分かった気がした。
「しっかし、かなり広いな、ここ?」
「昔はこの学園だけがあったのだから当然だ。学園の教師や生徒、研究者を相手にするために商人たちがヴェスタークヴェルから移住してきて、このような街が形成されたという過去がある」
「島に学校だけあってってのは不便そうだけどな」
「だが、島に学園以外のものがなければ他のものに注意が向かない分、しっかりと勉強に励める。見ろ、今の学生どもは魔法を学ぶより街にある馬鹿げた品の方に興味があるようだろう?」
「そりゃ仕方ねーよ。若い頃に老人みたいな禁欲はできんさ」
セラフィーネが指摘するのにジークは苦笑いでそういう。
確かに先ほどの通りを見ていても、学生たちは魔法以外のことに興味がある様子だった。しかし、ジークがいうように若いころにはいろいろなものに好奇心が向く。禁欲をするのは難しい。
「それより流れでここまで来ちゃったけど、俺たちみたいな部外者がいきなり来ても話聞いてもらえなくない?」
「私のコネを使う。前にここで教鞭をとっていたときの、そのときのコネだ」
セラフィーネはそう言い、魔法学園の敷地の中にどんどんと侵入していく。ジークもそれに続くが別に彼らは制止されたりはしなかった。
そして、セラフィーネが目指したのは正門から前庭を挟んで向こう側にある大きな建物で、大勢の学生たちがたむろしているが別に講義室があるわけではなさそうなその建物に入った。
建物の中はざわざわとしているが、構造的には先に訪れたアイゼンローゼ商会の内部を思わせるものだった。待合のソファーがあり、カウンターがあり、そこに学生たちが列を作っている。
「ここは?」
「学園の事務局だ。教師や研究者がやりたがらない事務仕事をやっているところ、といえばいいだろう。ここでまず探すものがある」
「探すもの?」
「かつての同僚の、その教え子だ」
セラフィーネはそう言い、事務局の職員が待機しているカウンターに向かった。彼女は並んでいた他の学生を押しのけて進み、事務局職員の前に立つ。
「いいか?」
「ど、どうなされましたか?」
ちゃんと列に並べとは言わせないセラフィーネの断固した態度に職員が少し戸惑いながらそう尋ねた。
「神秘学科の教師だったエレオノーラの教え子のブルクハルトという魔法使いが教師として在籍しているはずだ。場所を知りたい」
「え? ブルクハルトさんですか? ああ、彼なら神秘学科に在籍しておられますよ。場所はグスタフ棟です。グスタフ棟の分かりますか?」
「ああ。分かる。助かった」
セラフィーネは一応職員に礼を述べてカウンターを離れる。
「列にはちゃんと並ぼうぜ……」
「うるさい」
ジークが指摘するのにセラフィーネはそう言うのみ。
「それよりコネがまだ使えると分かったぞ。向こうが年老いてボケてなければだが」
「教鞭取ってたの100年前だろう? 当時学生だとしても100歳超えてるぜ」
「教鞭をとっていたのは100年前だが、それからずっとルーネンヴァルトに縁がなかったわけではない。最後に来たときにこの学園でかつての同僚が弟子にした魔法使いと知り合った。それが頼りだ」
セラフィーネはそう説明し、広大な魔法学園の敷地内をグスタフ棟と呼ばれている場所に向けて進んだ。彼女はこの学園について本当に知識があるらしく、迷うような様子は全くなかった。
そして、セラフィーネがある建物の前で立ち止まる。
「グスタフ棟。昔から神秘学科が利用している場所だ」
「神秘学科ってどういうこと教えてんの?」
「主に神々にかかわることだ。魔法の中でも神々がこの世に与えたものについてその歴史を調べたり、その仕組みについて調べたりするのが神秘学科の役割だな。私は戦神モルガンの魔法について調べていた」
「それって俺たちが不老不死になったようなことについても調べているのか?」
「ああ。まさにその通りだ」
だからこそ、自分が教師として招かれた面もあるとセラフィーネ。
「確かにあんたも俺も神々の神秘そのものだよな。けど、そのときは不老不死を解く研究はしてなかったのか?」
「あいにくだがしていない。私はモルガンが神代に振るった力について研究していた。遺跡を発掘し、伝承を調べとな」
「それはそれで有意義そうだ。俺には用がない話だけど」
セラフィーネが言い、ジークは本当に興味なさそうにそう言ったのだった。
ジークはそれからセラフィーネがグスタフ棟に入るのに続いて入る。
グスタフ棟は学園の建物というよりも、ある種の美術館のようであり、大理石の建物の中には神々の姿を描き、彼らを讃えた絵画や石像がずらりと飾られていた。
「げっ。アーサーの絵がある」
ジークはその中から英雄神アーサーの絵を見つけて嫌な顔。
アーサーは美しい美貌を持った男性として描かれるのが常であり、実際に彼は神々の中でも随一の美青年であるとされていた。
長い金髪をくくって背中に伸ばし、その目の色は決意に満ちた灰色。その長身を鎧で包み、英雄神の象徴である剣を手にしていた。
ジークが目にした絵画にはそのアーサーが伝承にある場面として、九つの頭を持つ悪魔を倒したところが描かれている。
「げっ、ではないだろう。お前を不老不死にしたかもしれないが、アーサーは尊敬されるべき神だ」
「そうかねぇ。神々の座に加わったのは一番若いし、そのときに他の神々といろいろもめたとも聞くぜ?」
「それでもだ」
ジークがアーサーの絵を見て本当に嫌悪している表情を浮かべているのをセラフィーネが咎めるが、ジークの表情は変わることがない。
「それよりあんたの知り合いに会おうぜ。どこだ?」
「こっちだろう。昔、私の友が研究室を持っていた場所だ」
セラフィーネが先導してジークはグスタフ棟を進む。
「友っていうのは昨日、あんたが墓参りしていた人か?」
「ああ。名はエレオノーラ。優れた学者であり、教育者であった」
セラフィーネはそう簡単にかつての友──エレオノーラについて語った。
「神秘学を、そして神々を本当に愛していた信心深い人間だったな。私はモルガンを主神として崇拝していたが、あいつはヘカテを崇めていた。知識はときとしてモルガンの刃よりも強いとそう言っていたか……」
「理知的な人だったんだな」
「ああ。いい議論の相手だった。あいつがもはやこの世を去ったというのは、ときどき受け入れられなくなる……」
ジークがどこか慰めるように優しい口調で言うのと、セラフィーネは首を小さく横に振った。彼女にも人との別れを感じる時期があったのだ。ただジークはそれに囚われたままで、セラフィーネはそれを忘れようとした違いがあるだけ。
それからジークたちは3階に上がり、そこから奥の部屋を目指す。
「ここだ」
セラフィーネが立ち止まった部屋には『神秘学科研究室』と立札に書かれていた。
「それじゃあ、お邪魔しますか」
ジークはそう言って部屋をノックする。
「レポートの提出はもう締め切ったよ!」
すると、中から老人の声が聞こえてきた。出来の悪い学生に呆れたような、そんな諦観と怒りが混じった声だ。
「俺たちは学生じゃないよ」
「ふん。エレオノーラが命じたレポートをぎりぎりまで出さなかった学生が偉そうになったものだな、ブルクハルト?」
ジークとセラフィーネがそれぞれそう言うとドアの向こうでガタンと椅子か何かが大きく動く音がし、それからばたばたと足音が続く。
「セ、セラフィーネ先生!?」
そして、扉を大きく開けて姿を見せたのは60代半ばほどの男性だった。
白髪交じりの黒髪もひげもやや伸ばしっぱなしで、しっかりと手入れされた様子がないが服装は清潔感がある上品な仕立てのものであった。それこそ魔法の教師と言われて納得できるローブと三角帽子である。
その人物が驚愕の表情で扉を開けた先にいるセラフィーネを見る。
「久しいな。50年ぶりほどか?」
「ええ……。もうここには来られないかと思っていましたよ……」
セラフィーネが不敵に笑ってそう言うのにブルクハルトと呼ばれた男性は僅かに涙ぐみ、ローブの袖でその涙を拭った。
「エレオノーラ先生の葬儀で会ったが最後でしたね。あれからどうでしたか?」
「いろいろとあったぞ。いろいろとな」
セラフィーネはブルクハルトにそう言うのみ。
「そちらの方は?」
「こっちはジーク。あの勇者ジークだ」
「な、なんですって!?」
セラフィーネがジークを紹介するのにもう一度ブルクハルトが驚愕する。
「いやはや! あの英雄神の寵愛を受けた勇者ジークに出会えるなんて! 神秘学の学者として光栄の限りであるよ!」
「寵愛を受けた、ね」
ブルクハルトの言葉にジークはへっとちょっと嫌悪を込めて笑う。人に感じさせるほどではなかったがセラフィーネは気づいたらしく、ジークの態度をジト目で見る。
「それで、今日のご用件は?」
「我々はヘカテから悪魔崇拝者に対処するように命じられた。それを果たすのに協力してほしい」
ブルクハルトが改めて尋ね、セラフィーネはそう目的を告げた。
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