一夜明けて
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──一夜明けて
アレクサンドラ。彼女は大図書館の館長であった。
「道理で見覚えがあったわけだな」
セラフィーネは今更になってそういう。
「その方は我々が丁重にもてなしますので、ジーク様たちはお部屋にどうぞ」
女性神官はそう言い、他の神殿に仕える人間たちを呼ぶと彼らに酔いつぶれたアレクサンドラを運ばせていった。
「……もしかしなくても大図書館の館長って偉い人なのか?」
「当然だな。私も遠めに見たぐらいでしかない」
大図書館の館長はヘカテに任じられてその地位に就くとセラフィーネ。神に選ばれた存在、そうであるがゆえにその社会的地位はきわめて高いのだという。
「ふうむ。ただの若い子にしか見えなかったけど、世の中分からないものだな」
ジークはそう言い、別の使用人に連れられて神殿に隣接する宿舎に向かった。
荘厳な神殿に隣接する宿舎は質素なものだった。神官たちが贅沢をしてはいけないという決まりはないが、基本的に聖職者たちは質素な生活をしている。世俗から離れて神の道に進むと決めた時点で、世俗的な贅沢には別れを告げたのだと。
それでも宿舎は綺麗に掃除されており、住みやすそうな場所であった。
「ここがお部屋となります」
「おおーっ」
案内された部屋はヴァイデンハイムのそれより立派だった。いや、半ば戦時下にあったヴァイデンハイムと比べてはならないのだろうが、ベッドは大きく、ランタンが夜でも明るく部屋を照らしており、窓も大きいのだ。
「ありがとな」
「はい。ごゆっくりお過ごしください」
ジークは案内してくれた使用人に礼を言い、ベッドでくつろぐことに。
「ふう」
ジークはベッドに横になって今日のことを思い起こす。
クラーケンに襲われたり、ファイアドレイクに襲撃されたりしながらも無事にジークたちはルーネンヴァルトに到着した。
しかし、大図書館は悪魔崇拝者たちのせいで閉じられており、そこにヘカテからの神託だ。ジークたちに悪魔崇拝者たちを倒せ、と。
「一体いつになったら俺の不老不死は解けるのやら……」
しかも、ヘカテは大図書館に不老不死を解く手段があるとは断言しなかった。あくまでその可能性があるだけであり、それを突き止めるのはジークたちの仕事だと。
「はあ。希望はあるのかね……」
この旅の中でも出会いはたくさんあった。
レーゲンフルトの娼館で出会った英雄ジークを好むナターシャ。トリニティ教徒の軍勢を前に決死の抵抗をしていたギュンター少佐たち。ヴァイデンハイムの民兵ヨナタンとその家族たち。そして道中で出会ったエマ。
彼らはジークとは違う時間を生きている。ジークは彼らと出会った時間のまま、老い衰えることはないが彼らは年を重ねていき、そしていずれこの世から去る。
いくらジークが望もうと彼は彼らとともに年を重ねることはできない。
「なんだか虚しくなってくるな……」
ジークの中にあるのは誰かと同じ時間を過ごしたいという思い。誰かと分かれることなく過ごし続けたいという思い。それは今は果たされぬ思い。
「もうちょっと酔っておくんだったか。憂鬱で眠れやしねえ」
ジークはそうぼやくと眠れないままベッドに横になることをやめて、宿舎の部屋を出ると神殿の周りと散歩することにした。
神殿は夜間になって門が閉じられたが、周囲の墓地や公園は開かれたまま。ジークはそこをゆっくりと散歩していく。
「ん?」
そこでジークはセラフィーネらしき姿を見つけた。
場所は墓地。ひとつの墓石の前にセラフィーネが屈みこみ祈るように目を閉じている。ジークはどうしようかと思ったが、声をかけないのも失礼だと思ったのでセラフィーネの方に向かった。
「知り合いの墓か?」
「……ああ。昔、大昔、魔法学園で同僚として教鞭を取っていた女の墓だ」
ジークが背後から声をかけるのにセラフィーネはそう答えて腰を上げた。
「眠れないのか?」
「あんたもだろう? 今日はちょっと考えこんじまってね」
「そうか……」
セラフィーネにはいつもの傍若無人ともいえる覇気はなく、どこか落ち込んだ様子にすら見えた。
「お前はともに過ごせる人間がいない。だから、死にたいと思っていたのだったな」
「そうだぜ。俺と同じ時間を過ごしてくれる人はいない」
「実をいえば私もかつてそんな時期があった」
「あんたもか……?」
「驚くことではあるまい。私とてドラゴンや吸血鬼ではなく人間だぞ?」
心外だという顔をしてジークを見るセラフィーネ。
「その考えはどうやって変わったんだ?」
「変わってなどいない。ただ忘れただけだ」
「……そうか」
ジークにも別れがあったように、セラフィーネにも別れがあるのは当然だった。彼女が今までそういう影を見せなかったからジークも考えなかっただけで、セラフィーネも友や愛する人を見送ったのだろう。
「だからこそ、お前に出会えたことは私にとって喜びだったのだ」
セラフィーネはそう語る。
「私と同じ不老不死のお前とならば同じ時間を過ごすことができる。お前とならば死に別れることなくともに過ごすことができる。お前とならば人生をともに歩めると、そう思ったのだ」
そう語りながらセラフィーネはジークの方を見た。
「お前はそうは思ってくれないのか?」
そして、少し寂しげにセラフィーネはジークにそう問いかけたのだった。
「確かに俺以外の不老不死がいると知ったときには嬉しかったよ」
ジークはセラフィーネの問いにそう答える。
「あんたには俺のような悩みはないかと思っていたから、これまでは時間を共有できるとは思っていなかった。だけど、あんたにも俺と同じような葛藤があって、俺と同じように同じ時間を生きる人間を探しているんだな」
ジークはそう言い、セラフィーネの方を見た。いつもとは違いどこまでも真剣な表情でセラフィーネの赤い爬虫類の瞳を見つめる。
「そう思うならば、不老不死を解かずとも」
その視線にセラフィーネはそう求めるように言うが、ジークは首を横に振った。
「ダメだ。そりゃ無理だ。一緒に見送る人間が増えるだけで、根本的な解決にはなってない。あんただっていつまでも俺と親しくしてられるとは限らないだろ? いつか決裂したら、俺たちはまたひとりぼっちだ」
セラフィーネの求めにジークはそう指摘した。
確かにこれから不老不死として何百年、何千年と生きる中でジークとセラフィーネの関係が全く悪化しないという保証はない。そして、悪化して決別すればお互いに再びひとりぼっちの身となってしまう。
「……残念だ」
セラフィーネは深いため息とともにそう短く言った。その表情には深い落胆と彼女にしては珍しい悲しみの色が見える。
「安心しろよ。すぐに俺の不老不死が解けるわけでも、不老不死が解けたからってすぐに死ぬわけでもない。それまでは俺はあんたのそばにいるよ。あんたがそれを許してくれるならば、ね」
ジークはにっと笑ってそんなセラフィーネに提案した。
「……今はそれでよしとするか」
セラフィーネもそんなジークの笑みに励まされたように小さく微笑んだ。
「いつかお前にも不老不死を捨てるのは勿体ないと思わせてやろう。お前の決意を変えてみせる。それまでこの愉快な世界でともに時間を過ごそうではないか」
「ははは。やれるもんならやってみな」
セラフィーネがそう不敵に宣言するのをジークは笑い、彼はセラフィーネに背を向けて自分の部屋に戻ろうとした。今ならば落ち着いて眠ることができそうだと思ったのだ。
「ジーク。もう少しともに過ごさないか?」
そこでセラフィーネが彼を呼び止め、その手を握る。
「ああ。いいぜ」
ジークはそう求めに応じ、ふたりはしばらく墓地で静かな時間を過ごした。
* * * *
翌朝のことである。
ジークたちが朝食を終えて神殿の礼拝堂を訪れると、昨日ジークが背負ってきたアレクサンドラが礼拝堂で祈りを捧げていた。
「よう、アレクサンドラ。二日酔いは大丈夫か?」
ジークは昨日前後不覚になるほど飲んでいたアレクサンドラを心配して声をかける。
「あ。す、すみません、昨日は……」
昨日の陽気な調子とは打って変わって、おどおどとした小動物のような様子でアレクサンドラはジークたちが来るのに椅子から立ち上がった。酔っているときと違って俯きがちで、少し猫背なのが目立つ。
「気にするな。それより、あんた、大図書館の館長なんだって? そっちの方がいきなり聞かされてびっくりしたぞ」
「あ、ああ。自己紹介も十分じゃなかったですね……。改めまして、私はアレクサンドラ。ヘカテ様より大図書館館長に任じられた吸血鬼です……」
アレクサンドラはそうジークに自己紹介する。
「へえ。吸血鬼なのか? 珍しい」
吸血鬼──。それはこの世界に存在する希少な種族だ。
その名の通り血を吸うことで知られ、ドラゴンのように長命であることでも知られる。またこの世界においては吸血鬼は夜と眠りの神ニュクスに祝福されており、邪悪な化け物ではなく市民権ある存在である。
それから吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になる、というような伝承も存在せず、吸血鬼は一種族としての地位を確立していた。
ジークの使用する魔剣“月影”を鍛えたのも吸血鬼だ。
「お前、今いくつだ?」
「ひゃ、101歳です。そ、それで先ほどヘカテ様の眷属にお聞きしたのですが、おふたりは勇者ジークと魔女セラフィーネその人だとか……?」
びくびくしながらもそう尋ねるアレクサンドラ。そうであると期待しているような、そうではないと否定してほしいのか、その中間ぐらいの葛藤が見える表情でジークたちに尋ねていた。
「こっちも昨日は言いそびれたけど、改めて自己紹介しよう。俺はジーク。500年前のあの有名人のジークだ。こっちはセラフィーネ、俺とここまで旅をしてきた魔女で700年生きている」
「ほ、本当にあなたは勇者ジークなんですね……」
アレクサンドラはかあっと顔を赤くするとそれを見られまいとするように両手で顔を覆った。その様子にジークとセラフィーネは怪訝そうに顔を見合わせる。
「あ、あの憧れの勇者ジーク様に出会ったのに私と来たらひどく酔っぱらっていて……は、恥ずかしい……」
そしてよよよ……というようにそのまま再び椅子に座り込むアレクサンドラ。
「そんなこと気にするなよ。酒の席でのことだ。……それよりどっちが素なんだ? 昨日のハイテンションなのと今のと?」
「い、今の方です! 酒癖が悪いってみんなに言われるんですが、ここ最近はどうしても飲まずにはいられなくて……」
「ああ。その理由は昨日聞いたよ」
声量を上げて弁明するアレクサンドラにジークが頷く。
「大図書館が閉館状態ですることがないのだったな。しかし、昨日ジークが述べたように私たちがその解決をヘカテから引き受けた。安心するがいい」
「え、ええ。私も先ほどヘカテ様の眷属よりあなた方に協力するようにと命じられました……。何か私に力になれることはあるでしょうか……?」
セラフィーネがそう説明するのにどうやらヘカテの眷属たるロジーからあらかたの事情を聞いた様子のアレクサンドラがそう尋ねる。
「なあ、昨日ヘカテ様に聞いたらはぐらかされたんだけどさ。大図書館に神々による不老不死を解く手段って本当にあるの?」
ジークはヘカテが明確に答えなかった問いをアレクサンドラに対して行った。
「不老不死を解く、ですか……。難しいところですね……」
ジークの問いにアレクサンドラはすぐには答えない。彼女は大図書館に眠っている本の内容を思い出すように額に手をおいてじっくりと考え込む。
「ジーク様は自身でそれを達成されましたが、神々による不老不死を解くのは神殺しとほぼ同じことのように思えます。神々は真の不老不死であり、今のジーク様たちも同じような状況であるからです……」
「神殺し、か……」
神は不老不死だと言われている。それを覆すのが神殺しだ。
ジークは過去にそれを成し遂げていた。邪神とはいえど神々に弓引いた存在を討伐することによってジークは神殺しを達成し、神は殺せるということを知っていた。
不老不死の神が殺せるならば、同じように不老不死のジークも死ねるはずだ。
「……ジーク様はどのようにして神殺しを成し遂げられたのでしょうか? それが分かれば不老不死を解く方法も分かるような気がします……」
アレクサンドラは黙り込んだジークにそう尋ねる。
「ああ。それだな。神殺しは俺だけで成し遂げたことじゃない。仲間の存在はもとより、あのときは神々も俺を味方してくれた。俺は恐らく神々から何かしらの力を授けられていたんだろう。戦いのあとに与えられた不老不死とは異なる力だ」
ジークはアレクサンドラの質問にそう答える。
「そして、また推測だが戦いのあとでその力は取り上げられている。再び神々から授からない限り、俺は神殺しは果たせないだろう」
「つまりは神々の協力が必要になるということか?」
「多分な。俺自身がどうやって邪神を倒したか、もっと明白に覚えてりゃよかったんだが、あいにくもう500年の昔の話だし」
セラフィーネが確認し、ジークはお手上げとばかりに両手を軽く上げた。
「だ、大丈夫ですよ。きっと他に方法はあると思いますから……」
「そう願いたいね」
アレクサンドラが励ますようにそう言い、ジークはちょっと疲れた笑みを浮かべる。彼はその可能性を信じてこの大図書館があるルーネンヴァルトまで来たのだ。
「さて、話は戻るけど悪魔崇拝者の盗伐に協力してくれるって話だったな。まずは悪魔崇拝者たちがどういう悪魔を崇めているのかとか、組織的なものなのかとか、そういうところを把握しておきたいんだが」
「え、ええ。私にわかることならば、何なりと。しかし、この手の話を詳しく調べているのは憲兵隊ですから彼らとまずは話した方がいいかもしれません……」
「オーケーだ。まずは憲兵隊に話を聞こう。ちょうどそこに来てるしな?」
ジークが神殿の出口の方を見るとロジーとともに憲兵隊長のパウロが来ていた。
「おはようなのです、勇者ジーク、魔女セラフィーネ、そしてアレクサンドラ館長」
「おう。おはよう、ロジー」
ロジーがにこりと笑ってあいさつし、ジークたちも手を振って応じる。
「おはようございます、皆さん。憲兵という単語が聞こえましたが、我々をお呼びですかな?」
そしてパウロがロジーの隣からそう尋ねた。
「ああ。悪魔崇拝者についての情報が欲しい。まずやつらが組織的に行動しているのか、そうでないのかなどを具体的に知っておく必要があるだろう」
「そうですね。では、説明しましょう」
セラフィーネが言い、パウロが頷いて説明を始める。
「悪魔崇拝者たちはこのルーネンヴァルトで組織的に行動しています。そうとしか思えない行動を取っているのです。そして、そんな悪魔崇拝者たちはこう名乗っています」
パウロが敵の名を告げる。
「黒書結社、と」
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