酔っ払いの司書
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──酔っ払いの司書
ジークたちはクラーケンの襲撃から憲兵隊による逮捕までトラブル三昧であった今日の疲れを癒そうと、ルーネンヴァルトの繁華街に繰り出していた。
「エミール。おすすめの酒場ってある?」
ジークは今日はもう働く気はゼロであり、酒で満たされる気満々である。
「そうですね。ルーネンヴァルトでいい店となると……こっちです!」
エマはそう言ってジークたちを自分の知っているルーネンヴァルトの酒場に案内する。賑わっている繁華街を通り、表通りから少し引っ込んだ場所にその店はあった。
清潔な店構えをしており、扉の上には鯨と酒の絵とともに『豊漁の鯨亭』とある。
店内にはすでに少なくない客がいるようで、扉を挟んでもジークたちに方に店内の賑やかな活気が伝わってきていた。
「ここですよ。魔法使いじゃなくても居心地がいい店です」
「へえ。見た感じつまみは海鮮メイン?」
「そうです。あ、海鮮苦手でした?」
「いやいや。そうじゃないよ。ただこれまでは海鮮食べる機会があんまりなくてな。どちらかえ言えば内陸ばかり旅してたせいで」
だから、逆に楽しみとジークはエマに告げる。
「今のうちに楽しんでおけ。ここに長居すると毎日毎日魚ばかりで、その生臭い臭いだけでうんざりするようになるぞ」
「そんなに魚ばっかりなの……?」
「海の上にポツンとある島だからな」
セラフィーネがそう揶揄するように笑う。
「まあ、いいや。そうなってから考えるさ。今は酒!」
ジークはそう言い店の扉を開けて中に入る。
「らっしゃい!」
とても元気のいい少年のような短い髪型の少女がジークたちを出迎える。エプロンをしてお盆を持った彼女が店に入ってきたジークたちの下に行き、ジークたちは店の中を見渡した。
客がなかなか多くて賑わっている。それに肉のそれではないが香ばしい魚の匂いとニンニク、それとオリーブオイルの香りもする。これで外れということはないだろう。よさそうな店だ。
「3名ね。よろしく」
「はい! こちらへどうぞ!」
ジークたちは看板娘にテーブル席に案内され、席に着く。
「まずはエールで乾杯しようか」
「ですね」
ジークたちはそれぞれエールを頼む。するとすぐに木製のマグに注がれ、よく冷えたそれが運ばれてきた。ここでも魔法使いが氷をアルバイトで作っているのだろうかとジークは思う。
「何はともあれ無事のルーネンヴァルトへの到着を祝って乾杯!」
「乾杯!」
ジークたちは冷えたエールで乾杯し、ジークとエマは豪快にそれを一気飲みし、セラフィーネは少しばかり上品にマグを空にする。
「道中いろいろとどうなることかと思ったが、何とかルーネンヴァルトまで来れたな……。しかし、あと一歩というところでお預けを喰らっちまった」
ジークはエールを飲み干すと次に蒸留酒を注文。このルーネンヴァルトで作られたスピリタスが運ばれてきて、ジークは酒精がとても高いそれをちびちびとやりながら旅のことについて語る。
つまみには干したイカやニンニクと一緒に炒めたエビや魚などを注文した。
干したイカは歯ごたえがあって噛めば噛むほど旨味が広がり、ニンニクと合わせた魚介類が魚介類の生臭さがなく、ニンニクの風味もあって酒が進む。
「悪魔崇拝が問題になっている、か。トリニティ教徒たちといい、なぜ神々に弓引く者たちが現れるのか私には理解できん」
「神様が応えてくれないからじゃねーの? モルガンにしたってヴァイデンハイムの神々の神殿がグールに襲われたって放置してたしさ」
「あれは人間が解決すべき問題だった。神が手を貸すほどのことではない」
ジークたちがそんな話をするのにエマが興味を示す。
「ヴァイデンハイムがグールに襲われたんですか?」
「ああ。トリニティ教徒たちの反乱のせいであのあたりにグールが溢れてな。街が襲われるような騒ぎになったんだよ。で、ちょうど俺たちが通りかかったときに、グールに神殿が襲われていてな」
ジークはヴァイデンハイムでの出来事をエマに語って聞かせた。
街がグールによって制圧されており、そこからグールたちを駆逐し、神々の神殿を取り戻した話だ。戦いののちにモルガンが現れたが、彼女自身は特に何もしなかったこともジークがしっかり付け加える。
「ジークさんたちはまさに英雄ですね! そんなに活躍されているなんて!」
「いやあ。道を歩けばトラブルにぶつかるって感じでさ。あんまり嬉しくはないぜ」
エマが尊敬の眼差しでジークを見つめるのに、ジークは照れたように、または言葉通りにうんざりしたようにそう返した。
「ジーク。謙遜するな。お前は今も英雄だよ」
「ありがとさん。それより次のつまみを──」
ジークがそう言って店員を呼ぼうとしたときだ。
「──いいから注いでくらさいっ!」
と、ここで不意にカウンター席の方から女性が叫ぶ声が聞こえた。
なんだと思ってジークたちがそちらに視線を向けると若い女性がカウンターの向こうにいる店員に食って掛かっていた。
その女性はミディアムロングの黒髪をヘアバンドでまとめており、それでもやや前髪が長くて顔にかかっている。そこに銀縁の丸いフレームの眼鏡をかけ、レンズの向こうにはダークブラウンの瞳。
そのそこまで大きくない小さな体格にまとっているのはゆったりとした黒いジャンパースカートと朱色のシャツ。その上からカーディガンを羽織っている。
そんな女性が酒の入っていただろうマグをどんどんとカウンターに打ち付けて、お替りを要求しているようであった。
「お姉さん、飲みすぎですよ。帰れなくなりますよ」
「今の私に帰る場所なんてないんれす! いいから注いでくらさい!」
どんどんとカウンターを叩く様子に若い店員は困り果てている。
「何かあったのかね?」
ジークがそう呟いて酒を口に運ぶ中、セラフィーネはじっと酒を要求する女性の方を見つめていた。
「あの顔、どこかで見たような気がするが……」
「え? 知り合い?」
「いや。顔を見たことがある程度だろう。話した記憶はない」
しかし、とジークは思う。あのままだとあの女性は店からつまみ出されかねない。それは可哀そうだ。何かやなことがあって酒に逃げたくなることはジークにも500年の人生の中で何度もあったので気持ちが分からなくはないのである。
「ちょっと誘ってくる」
ジークはそう言って席を立つと、女性の方に向かった。
ひとりでやけ酒をするとひたすらに飲んでしまうが、そこに仲間がいれば愚痴を話したりして酒のペースが落ちる。そのことをジークは知っていたのだ。
「よう。お姉ちゃん、ひとりで飲んでいるの? よかったら俺たちと飲まない?」
「……へ?」
ジークにそう声をかけられて赤ら顔をした若い女性はきょとんとジークの方を見る。
「ああ。別にナンパじゃないよ。俺の連れには女もいるから安心して」
そういってジークが自分たちのテーブルを指さすとセラフィーネが軽くワインのマグを掲げて見せた。エマは性別を隠しているので、あいまいに笑うだけ。
「……お兄さん、凄く英雄ジークに似てましゅね?」
そこで若い女性はろれつが回らない舌でそう告げる。
「ああ。よく言われる。偶然にも俺の名もジークでな」
自分こそが勇者ジークだと名乗ってもよかったのだが、それだと短絡的なナンパに見られそうでいやだったのでジークは名前だけ同じだと言っておいた。
「私はアレクサンドラでしゅ! どうぞよろしきゅ、ジークさん! ふふふん!」
若い女性はアレクサンドラと名乗るとその体をジークの方に寄せて彼に引っ付いた。吐息からはかなりの酒精が感じられ、体は酔っているせいかぽかぽかと温かい。
それからゆったりとした服に隠れているが、出るところはしっかりと出ているらしくジークは抱き疲れるとその柔らかさを感じ取った。
「よろしくな、アレクサンドラ。俺たちのテーブルはこっちだ」
上機嫌になったアレクサンドラを連れてジークはテーブルに戻ってきた。
「また酔っ払いをわざわざ連れてくるとは物好きな」
「何か嫌なことがあったみたいだし、聞いてやろうぜ。どうぜ俺たち暇だろ?」
「暇ではないだろう。悪魔崇拝者どもをとっちめねばならんのだから」
ジークの言葉にセラフィーネはあきれ顔。
「それについては今できることはないし。酒はみんなで飲む方が美味いものだ」
「わははは! ジークしゃん、いいこと言いましゅね!」
ジークがそういうのにアレクサンドラが彼に抱き着いて、紅潮した頬をすりすりとジークの頬に擦り付ける。
「……本当にそれだけですか、ジークさん」
「……あわよくば酔い潰して手籠めに、などと考えていないだろうな?」
そんなふたりにエマとセラフィーネが疑惑の視線を向けた。
アレクサンドラはなかなかの美人だ。ジークが興味を持ったのもそこだろうとふたりが考えるのはおかしくはない。
「なんでだよぉ。俺これまで一度もそんなことしてないだろぉ。どうしてそんな疑いを持つんだよぉ……」
ふたりにそんな目で見られてジークが情けない表情でそう弁明し、それからアレクサンドラの方を見る。
「で、アレクサンドラ。何をやけ酒してたんだ? 愚痴なら聞くぜ」
ジーク自身も過去には何度もやけ酒したことがある。
最初の妻を亡くしたとき。その妻との間にできた子供を亡くしたとき。他にも多くの別れを経験したときに浴びるほど酒を飲んで、つらい記憶を忘れようとした。
だが、ひとりでただ酒を飲み続けても問題はちっとも解決しないことも知っている。この手の悩みは酒の勢いで誰かに相談してこそ解決するのだと言うことを、彼は長い人生の中で学んだのだ。
だからこそ、酒に逃げている人間には手を貸してやりたかった。
「……私、仕事を失いそうなんでしゅ……」
ジークが促したのにアレクサンドラが語り始める。
「私は自分の仕事が大好きなんれしゅけど、ある事情で職場が閉まってしまって……。そのせいで今は人生に何のやりがいもないし、これからずっと職場が閉まったみゃみゃだと失職も同然になってしまいましゅ……」
「仕事の悩みか……」
相変わらずろれつが回らない様子でアレクサンドラが語るのにジークが頷く。
「ちなみにどういう仕事なんだ?」
「へへ、本に携わるお仕事でしゅ。私、本が大しゅきでして! 本棚いっぱいの本に囲まれていれば幸せなんでしゅよ~!」
「ほう。本かぁ。俺たちも偶然かもしれないけれど本に関係して仕事をやることになってるぜ。俺たちも本が読みたいのに読ませてもらえなくてな……」
満面の笑みでアレクサンドラが言うのにジークも愚痴を語る。
「なんとぉ! 私たち似た者同士でしゅね! ふへへ、お兄さん、英雄ジークそっくりですし惚れちゃいそうでしゅ……」
アレクサンドラはふらふらしながら再びジークに抱き着いた。
「もしかして、お前は大図書館の司書じゃないか?」
ここでセラフィーネがようやく思い当たったというようにアレクサンドラに尋ねる。
「そうでしゅよ~。大図書館が私の職場でしゅ~」
アレクサンドラはあっさりとそう認めて、ジークの方に身を寄せていた。
「ああ。それで職場が閉まっているか。なら、安心しろよ。俺たちは悪魔崇拝者をどうにかして再び大図書館を開いてみせるからな。ヘカテ様から俺たちも頼まれているんだよ、大図書館を開く条件に」
「うええっ! ほ、本当でしゅか!?」
「ああ。俺たちも大図書館で調べ物がしたくてな。悪魔崇拝者なんてあっさりと蹴散らしてやるさ」
アレクサンドラを安心させるような、そんな優しい笑みを浮かべてジークが言うのにアレクサンドラが目を輝かせ始める。
「本当に、本当に、ほんとーに、それはありがたい限りでしゅ! うう、大図書館に戻れりゅ……!」
そこでアレクサンドラはマグ一杯に入っていたワインを飲み干すと、彼女はふらりと大きくよろめいたのちにジークの方に倒れかかった。
「お、おい。しっかりしろよ」
「……寝ているな」
いきなり悩みが解決して安心しきったのかアレクサンドラはすやすやと眠ってしまっており、ジークたちは困った表情。
「変なこと考えちゃだめですからね、ジークさん?」
「だから、そういう疑いを持つなよぉ」
エマにまたジト目で見られながら、ジークはそう言い返す。
それから自分の方に倒れかかったまま眠ってしまったアレクサンドラを机の方に寄りかからせながら、ジークはどうしたものかと考えた。
「ここに放置してはいけないよな。神殿の宿舎に預けておくか」
「そうだな。酔いつぶれた若い女を夜の繁華街に放置はできん。神殿ならば引き取ってくれるだろう」
「そうと決まればお勘定して神殿に戻りますか」
ジークたちはそう言って席を立ち、若い店員を呼ぶ。
「お勘定、お願いね。こっちの人の分も」
「はい!」
ジークたちはアレクサンドラの分のお勘定も立て替えておき、ジークはアレクサンドラを背負って外に出た。
外に出るとぐっと気温が下がり、背中に背負っているアレクサンドラの温かさをジークはより感じ取った。彼女は酔いつぶれたせいかぽかぽかしているのだ。
「少し冷えてきたな。急いで神殿に戻ろう」
「ああ」
ジークがそう言い、セラフィーネも頷く。
「あ。オレは宿の方に戻りますから。また明日神殿でお会いしましょう」
「おう。気を付けて帰れよ、エミール」
「はい、ジークさんたちも」
エマは自分が泊っている宿に向けて帰っていき、神殿にはジーク、セラフィーネ、そしてアレクサンドラだけが向かう。
「これからもっと気温が下がるのかね?」
「いいや。ルーネンヴァルトの冬は雪も降らない。ただもう少し下がる程度だ」
「うへえ。俺、寒いの苦手なんだよな」
そんな愚痴をこぼしながらジークはアレクサンドラを背負ったまま、セラフィーネとともに神殿に戻ってきた。
「お帰りなさいませ、ジーク様、セラフィーネ様」
その神々の神殿でジークたちを迎えたのはロジーではなく、別の女性神官だった。
「ロジーは?」
「ご就寝なさいました」
「そこら辺はちびっ子か……」
ロジーはどうやら夜遅くまでは起きていられないらしい。
「そちらの方は?」
「ああ。こいつは酒場であった人間でな。そこで一緒に飲んでたら酔いつぶれちまったから、一晩ここにおいてもらえないか?」
「ええ。構いませんが……ん?」
女性神官はすやすや眠っているアレクサンドラの顔を見て、少し首を傾げたのちに驚きの表情を浮かべた。
「そちらの方は大図書館の館長アレクサンドラ様では!?」
「え……?」
思わず声を上げた女性神官の声にジークも驚いたが、アレクサンドラは未だに寝息を立てて眠っていた。
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