知の女神とその眷属
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──知の女神とその眷属
ジークたちのために開かれた神々の神殿の門をジークたちが潜る。
「よく来たのです、勇者ジーク、魔女セラフィーネ」
だが、彼らを出迎えたのは彼らをここに招くつもりであっただろう知の女神ヘカテではなく──8歳ぐらいのちびっ子であった。
日本ならば小学校低学年程度の身長。艶のあるプラチナブロンドの髪を三つ編みにして肩に流し、その瞳の色は澄んだ空色。その小さな体に神官服を身に着けていることから、神殿の関係者だとは分かるが……。
「いや、誰だよ、このちびっ子」
「知らん」
ジークが突っ込みセラフィーネも首をひねる。
「あたちはちびっ子ではないのです! あたちはこの神々の神殿を預かる巫女にして、ヘカテ様の眷属たるロジーです!」
そこで少女は立腹した様子でそう自己紹介したのだった。
「へえ。ヘカテ様の眷属、か……」
眷属。この世界でそう言われるものは、神の使いであり、神から権能の一部を授かった特別な地上の存在だ。それはその神の伝承にちなむ動物であったりするし、逆に今回のように人間であったりもする。
ヘカテの眷属ということは彼女から知識や魔法の権能を授かったのだろうが……ジークが見るにはどうにも目の前のロジーと名乗った少女はただのちびっ子であった。
「何ですか? 疑っているのですか?」
「ソンナコトナイデスヨ」
じろりとロジーが睨むのにジークが棒読み気味にそう返す。
「ふむ。しかし、ヘカテの眷属とはな。魔法の才があると見た。一戦交えぬか?」
セラフィーネの方はロジーの幼さを無視して戦いを挑もうとしていた。その様子には流石のジークもエマもドン引きである。
「ヘカテ様はおっしゃりました。知識と魔法は戦いではなく、平和のために役立てなさいと。なので、あたちは無意味に戦ったりはしません。このルーネンヴァルトの平和と神々の神殿の存在を守るためだけに戦うのです」
「だが、見た目通りの戦えぬ幼子ではあるまい?」
「ええ。当然です。あたちはこれまでも不届きものたちから、この神々の神殿を守ってきたのですからね!」
「では」
「無駄な戦いはしません。あなたがこの神殿を汚そうというならばともかく、信心深いあなたはそういうことはなさらないはずです」
でしょ? とロジーはセラフィーネに笑いかける。
「降参だ。よく私のことを知っているな」
「ここにお招きするにあたり調べておりますからね。当然のことです」
セラフィーネが両手を軽く上げて言うのにロジーはどやっと胸を張った。
「さて、ではあたちがお仕えするヘカテ様がお待ちです。こちらへ」
そういいロジーはジークたちを神殿の礼拝堂に案内する。
神々の石像が並ぶ神殿。その中でもヘカテの姿はひときわ大きく表されていた。
非文明と無知という闇を切り裂く、文明と知識を示す炎。それが燃える松明を手にした女性の像が礼拝堂を見下ろしている。その姿は神々の例にもれず、現実離れして美しく、そして神々らしい冷徹さを感じさせた。
「ヘカテ様。勇者ジークと魔女セラフィーネをお連れしました」
ロジーがそう報告するとその石像がほのかに輝き、そしてその石像の前に石像と全く同じ姿の女性が姿を見せた。
「よく来ました、勇者ジーク、魔女セラフィーネ。待っていましたよ」
そう言って出迎える存在こそ、この街を守護する女神ヘカテである。
結った黒髪を肩に流し、背中に光を纏いしその姿はまさに神だ。
その姿を前にセラフィーネとエマ、パウロは膝をついて敬意を示し、ジークも頭を深く下げる。ジークとしてもヘカテとの関係を悪化させると大図書館が利用できないので、今回ばかりはちゃんと神々に敬意を示した。
「どうも、ヘカテ様。しかし、俺たちを待っていたとは?」
「あなたが不老不死を解くために旅をしている。そう、他の神々から聞きましたからね。いずれこのルーネンヴァルトに至るだろうということは予想していました」
「へえ。じゃあ、俺たちのことを手助けしてくれたり……?」
ジークが僅かな希望を胸にそう尋ねるが、ヘカテは首を縦には振らなかった。
「残念ですが、今のルーネンヴァルトであなたを手助けすることはできません。話はネルファから聞いたでしょう。悪魔崇拝者たちがこのルーネンヴァルトと大図書館を脅かしている、と」
ヘカテはそう語るがその口調は淡々としており、特に残念だという響きは感じられない。その点は他と変わらず実に神々らしいとジークは内心でため息をつく。
「しかし、悪魔崇拝者たちの脅威がなくなれば大図書館を再び開き、あなた方に手を貸すこともできるようになるでしょう」
「だから俺たちにルーネンヴァルトの悪魔崇拝者をどうにかしろ、と」
「ええ。話が早くて助かります」
そういうことだ。
ご利益がほしければ神のために働けと。この場合はヘカテにとって邪魔であるルーネンヴァルト内に生じた悪魔崇拝者たちを排除することで、ヘカテのために尽くせというわけである。
「分かりました、分かりましたよ。しかし、その前にひとつ教えておいてほしいのですが、いいですかね?」
「何ですか、勇者ジーク?」
「大図書館には本当に俺の不老不死を解くすべの情報はあるのですか?」
ジークが疑問に思っていたのはそれだ。
大図書館にはこの世界の記録が眠っているという。だが、そこに本当にジークの不老不死を解くための手段はあるのか? それがジークにとっての疑問であった。
ここまで案内してくれたセラフィーネもここに解決方法があるとは断言していない。可能性があるということだけを告げていた。
ヘカテのために悪魔崇拝者を倒して、大図書館に入れたとしてもそこに求める情報がないのでは骨折り損のくたびれ儲けである。なので、ジークはまず解決方法の有無を確認しておきたかった。
「それは分かりません」
ヘカテはジークの問いにそう答えた。
「私は文字について知っています。あらゆる地方と民族の言葉について知っています。しかし、それらを組み合わせて作られる過去から未来までの全ての物語を知っているわけではありません」
ヘカテはそうジークに説明を始める。
「それと同様に大図書館にある知識の全てを知っていても、それを組み合わせることで生まれる過去から未来までの発明の全てを知っているわけではないのです」
「つまり、大図書館に存在する知識の組み合わせ次第では不老不死は解けるかもしれないし、やっぱり解けないかもしれないと? そういう組み合わせについてはヘカテ様は把握していないってわけですか?」
「ええ。その通りです」
ジークが改めて問うのにヘカテは頷く。
「ジーク。元より確実に不老不死が解けると思ってここまで来たわけではないだろう。可能性にかけてここまで来たのだ。ならば、最後までその可能性を信じてみせろ」
「……そうだな。他にこの不老不死をどうにかする当てがあるわけでもないし」
横からセラフィーネにもそう言われてジークは覚悟を決めた。
「悪魔崇拝者どもをどうにかしましょう。それでいいんですよね?」
「そうです。感謝します、勇者ジーク。無事に悪魔崇拝者たちがルーネンヴァルトから一掃された暁には、あなたのために大図書館を再び開きましょう」
そういうとヘカテは現れたときと同じように光の瞬きとともに姿を消したのだった。
「……さて、どこから手を付けたものかね」
ヘカテが去るとジークがそう考えこむ。
悪魔崇拝者をどうにかすると約束したものの、ジークはこのルーネンヴァルトに詳しいわけではない。ここには初めて来たのだ。なので違和感を感じるところから調べていく、なんてこともできない。
「これは一朝一夕で解決できる問題ではないだろう。どっしりと腰を据えてやっていく必要がある。であるからにして、まずは拠点にできる場所を確保しなければな」
「そうだな。宿を決めないといけなかった。この悪魔崇拝騒ぎが終わったあとでも、俺たちは大図書館で長く調べ物をするわけだし」
まずはルーネンヴァルトでの活動拠点の確保だ。それが必要である。
「それならば神殿の宿舎を使うといいですよ。長い間、宿に泊まっていられるほど金銭に余裕があるのでもないのでしょう?」
「おお、それは助かる。確かに金に余裕はなくてな……」
ここでロジーがそう提案し、ジークが頷く。
今のジークたちの所持金では安宿にでも宿泊しない限り、ルーネンヴァルトに長期滞在するのは難しい。大図書館で調べ物をするだけならともかく、どうやったら解決するのか分からない悪魔崇拝問題をどうこうしている間も宿に泊まり続けるとなると、あっという間に金が底を尽きる。
それこそ金が尽きたらエマが言っていたようにルーネンヴァルトとヴェスタークヴェルを往復して交易品で稼ぐつもりだったが、そのようなことをしながら悪魔崇拝問題について対処するのは難しい。可能ならば金を気にせず悪魔崇拝者たちに対処したかった。
その点、ロジーの神殿の宿舎に泊まってはどうかという申し出はありがたかった。
「ジークさん。オレも手伝いますよ」
ここでエマがそう申し出る。
「いいのか? そっちはそっちでやることがあるだろ?」
「ええ。ですけど、神々が直々にルーネンヴァルトを救ってほしいとジークさんたちに願いを託したんです。オレもルーネンヴァルト市民のひとりとして、ジークさんたちの力になりたいんです」
エマは行商人として仕入れてきた魔導書を売り、そしてここで何かを仕入れてまた旅に出る必要がある。だが、彼女はそれを横においてでもジークたちを支援したいと申し出てくれているのだ。
「なら、頼むとしよう。商人の伝手で情報を仕入れてくれたら助かる」
「了解です」
エマには商人としての伝手がある。ジークたちただの旅人にはないものだ。それを使えば不審な物事や人間を探り出すことができるかもしれない。
「よーし。寝床は確保できて、当分の目的もはっきりした。今日はクラーケンやらなにやらいろいろあって疲れたし、酒飲んで休もうぜ」
「全く、怠惰な。しかし、焦ってもどうしようもないのも事実だな」
「そうそう。腰を据えてやるって決めたんだから情報が全くないうちから焦らない。ただし、明日からはしっかりと調査と問題への対処ってやつを始めていこう」
ジークたちはそう決めると今日の活動を終えることにした。
「じゃあ、俺たちは繁華街で飲んでくる。あとで戻ってくるから」
「はいです。部屋を準備させておきますよ」
ロジーはそう言ってジークたちを送り出し、ジークたちは丘を降りて日が落ちたルーネンヴァルトの繁華街へと繰り出していく。
* * * *
ルーネンヴァルトの地下には様々な空間がある。
それはただのワインセラーであったり、物置であったりするが、中にはルーネンヴァルト市長であるネルファのねぐらのような巨大なものも存在する。
それはルーネンヴァルトの長い歴史の中で築かれてきたものであり、街の歴史を記録している市政府であっても全容を把握できていない。
そんな謎多きルーネンヴァルトの地下に4人の男女が集まっていた。
「失敗だったな」
4人の男女は全員が仮面をかぶっている。
死者を模したであろう青白い顔をしたおぞましい表情の仮面をかぶった男。
目や鼻、口から眉に至るまで全てが不快を感じさせる醜い鬼の仮面を被った女。
前者とは打って変わって美しく、そして慈悲深く微笑む女性の仮面をかぶった男。
最後は目はなく、鼻はそがれ、口は縫い付けられた人間の仮面をかぶった男。
その4名のうち美しい女の仮面をかぶった男が、鋭くそう発言していた。
「大失敗だ。クラーケンは殺され、ファイアドレイクも死んだ。そして憲兵たちはより我々に警戒し、挙句の果てには勇者ジークがヘカテに接触してしまった。全くもって残念でエレガントではない結果だ、醜悪卿ベレトよ」
女の仮面をかぶった男が醜い鬼の仮面をかぶった女性をそう批判する。
「ええ、ええ。残念なことですねぇ。皆さんがもう少しあたしを支援してくだされば、勇者ジークを海に沈められたかもしれなかったのですが」
それに言い返すように鬼の仮面をかぶった女が他の男たちを見渡す。
「あれを海に沈めたところで何となる。あれは不老不死だ。ベレト殿がどうしようとあれはここに訪れ、忌まわしいヘカテを接触したであろう。しかし、だからと言って我らの敗北が決まったわけにはあらず」
鬼の仮面の女の言葉にそう反応するのは死人の仮面をかぶった男。
「腐敗卿パイモン。貴公はそう言うが、やつらを放置はできんだろう。放置すれば必ずあれらは我々の障害になる。神々への信仰というまやかしの向こうに存在する真実を見極めるという我々の美しくかつエレガントな目的の障害に」
「そうですねぇ。死なないにしても無力化できればよいのですが」
閃光卿ザガンと呼ばれた女の仮面の男と醜悪卿ベレトと呼ばれた鬼の仮面の女がそれぞれそう述べる。
「……焦るでない、同志たちよ」
そこで低く、しゃがれた声で目、鼻、口を失った人間の仮面をつけた男が告げた。
「……我々の目的は知識であり真実。神々が隠匿せしそれを暴くこと。その事実は大図書館に眠っている。今は封印されし大図書館のその奥深くに……」
老人のような声の男が告げる言葉を他の3名は静かに聞く。
「……勇者ジークであろうと、魔女セラフィーネであろうと、我々の前に立ちふさがるならば排除しよう。だが、目的を忘れることなかれ。我々の目的は真実のみ。そのひとつだけを求めているのだということを……」
その男は続ける。
「……いかなる流血も死も惨劇も。真実に至るためならば許容しよう。だが、それ以外のことで無用の争いをする必要はない。そして、今、勇者ジークと争うことは……そう必要ないであろう」
厳かにそう述べた男に他の3名は静かにうなずいた。
「ああ。理解している、隷属卿バエル殿よ。勇者ジークとは争わぬ」
腐敗卿パイモン──死人の仮面の男が言う。
「貴公がそういうのであれば、今は衝突を避けようではないか」
閃光卿ザガン──美女の仮面の男が言う。
「では、あたしは新しい醜いペットを準備だけしておきましょう。2匹も醜いペットを失いましたからねぇ」
醜悪卿ベレト──鬼の仮面の女が言う。
「……全ては真実の先にある我らの望みのために。黒書結社は決して揺るがぬ……」
そして、隷属卿バエル──無貌の仮面をかぶった男はそう言ったのだった。
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