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長かった旅の最後のトラブル

……………………


 ──長かった旅の最後のトラブル



 ジークたちが憲兵の聴取を終えて事務所を出たときだ。


「────帰って!」


 そう叫ぶ女性の声がいきなり聞こえてジークがびくりとすると、視線の先にいたのは他でもなくエマであった。


 彼女が対峙しているのは身なりのいい老齢の男性で、黒い執事福という名家に仕える執事のような格好だ。その男性が何事かを言っているのは分かったが、周囲の雑音のせいで何と言っているのかまでは分からない。


「おーい。トラブルか、エミール?」


 ジークは少し心配してエマの下に向かう。


 彼女は不味いものを見られたという顔をしたが、すぐに作ったような笑みを浮かべてごまかし首を横に振って見せる。


「何でもないですよ、ジークさん。ただのしつこいお客さんなだけですから」


「そう?」


 ジークがエマにそう言われて男の方を見ると男は気まずそうな顔をしたのちに、ジークを一瞥したのちに深く礼して見せる。その丁寧な所作からやはり格式の高い家の執事のように思われた。


 しかし、それ以上のことはせず男はエマに未練の残るような視線を向けると、背を向けて立ち去って行った。


「しつこい客、ねえ」


 ジークはエマに聞こえないほどの声量でそう呟き、去っていく男の背中を見つめる。色恋沙汰というにはエマとさっきの男性は年が離れすぎているが、何か他のトラブルだろうかとジークは少しばかり考えた。


「そういえば、お前はルーネンヴァルトが目的地だったが宿の予定があるのか?」


「ええ。けど、オレの泊まるのは安宿なんで、セラフィーネさんたちはいい場所を探した方がいいですよ。案内しましょうか?」


「そうだな。ここもしばらく来ていない間に随分と変わったようだからな……」


 昔はここまで立派な港もなかったとセラフィーネは感慨深く告げる。


 前にあったのは漁船が数隻停泊しているぐらいの、そんな寂れた港だった。それが今では小さいとは言えど立派な港になっている。


 海峡連絡船が停泊できるばかりか、船を修理できる空間もあり、カールハーフェンから運ばれてきた商品を貯蔵できる倉庫もあるのだ。セラフィーネにとってはこれは大きな驚きであった。


 時代が変化した。それを感じさせると。


「では、早速ルーネンヴァルトに向かいましょう。城門を潜れば、もうそこは魔法使いたちの街ルーネンヴァルトですよ!」


「おう!」


 エマの言葉にジークたちは気合を入れてルーネンヴァルトの城門に向かう。


 ルーネンヴァルトの城門の前には少しばかりの列ができていた。海峡連絡船を先に降りた乗客たちがルーネンヴァルトに入るために列を作っているのだ。


「おかしいですね。普通はすぐに入れるものなのですが……」


「何かあったのかね?」


 その列が一向に進む様子がないのを見てエマがそう言い、ジークも魔法使いや行商人が列を作ったままその列が進まず、彼らが若干イライラしているのを感じ取った。


 ジークが少しばかり列を離れて先頭の方を見ると憲兵によって荷物の確認が行われている様子だった。禁制品の取り締まりを行っているのだろうかと思うジーク。


「ルーネンヴァルトって何か持ち込んじゃいけない品ってある?」


「一部の薬品を除けば特にそういう規制はありませんよ」


「そうなの? となると、あれは……?」


 禁制品というものがが特にないならばどうして時間をかけて荷物の検査など行っているのだろうか? ジークにはそれが疑問となった。


 エマの話した薬品。まさにその薬品が問題になっていたりするのだろうか。確かに薬品によっては中毒性があり、人を廃人にしてしまうようなものも存在する。憲兵たちはどの街でもそういうものを警戒していた。


「なかなか列が進まないな……」


 セラフィーネがそう呟く。彼女もイライラしてきたようだ。


「まあ、のんびり待とうぜ。時間ならあるんだからさ」


 ジークはそう言って暇つぶしに列に並んでいる人間を観察することにした。


 魔法使いは若い人間がやはり多い。ヴェスタークヴェルに買い出しに行った人間たちなのだろう。いろいろと荷物を下げている。見たところ本がほとんどのようだが、ワインのボトルなどを下げている人間もいた。


 それから行商人たち。行商人たちは日用品などを多く持っており、荷馬車に乗せたそれらを馬でそれを引いている。馬車の荷台いっぱいになった日用品は、このルーネンヴァルトでどれほどで売れるのだろうかとジークは思う。ジークも金に困ったら、彼らのようにヴェスタークヴェルからの輸入業をやるつもりなのだ。


 しかしながら、ジークたちのような旅人はあまりいないようである。純粋な観光などでルーネンヴァルトを訪れる人間は少ないか、いないらしい。


「あらぁ。あなた方は旅人さんたちですか?」


 そこで前の方に並んでいた女性魔法使いが退屈なのか、世間話でもしようとジークに声をかけてきた。


 その女性魔法使いは淡いアッシュゴールドの髪を肩までストレートに伸ばした濃ゆい碧眼の人物だった。年齢は20代後半ごろだろうか。買い出しに行かされていた若い魔法使いではなさそうだが。


 灰色のローブと三角帽子を身に着けたその女性魔法使いはにこにことジークとセラフィーネを見てきて答えを待っていた。


「そうだよ。大図書館を拝みに来たんだ。この街の名物なんだろう?」


「ええ。このルーネンヴァルトの誇りであり、歴史のある場所ですよぅ。しかし、ここ最近では警備がうるさくてですねぇ。あれやこれやと調べられても、中に入れなかったりするのです」


「え? マジで?」


 ジークはルーネンヴァルトにさえつけば、あとは大図書館で調べ物をするだけだと思っていたのだが、何やら状況が不穏になってきた。


「そうですよ。それもこれも街で悪魔崇拝の噂が出始めてからですねぇ……」


「悪魔崇拝ね。実際にところ、それって街にとってどれくらいの脅威になってるの?」


 ジークはかつて悪魔を相手にしたことがある。


 邪神が連れてきた悪魔たち。それらを1柱ずつ倒していったのだ。だから、ジークは知っている。悪魔とは何かについて。


 彼らは残忍で、嘘つきで、恐ろしいほど計算高く、そして信じられないほど強い。ジークは何度も悪魔に殺されそうになったり、戦いの中で仲間を失った。


 悪魔は例外なく人類に敵対的である──そうジークは学んだ。甘言で人間を操る悪魔はいても実際に人間にとって利益になる取引をした悪魔は存在しない。利益になったと思うのは、そのように思考を誘導されているだけだ。


 悪魔と人類は絶対に相いれない。悪魔たちにとって人間は全て餌であり、玩具でしかないのだ。


 なので、悪魔を見たら問答無用で斬れ。それがジークが戦いの中で学んだこと。


「儀式的な殺人や神々に仕える聖職者の殺害なんかは起きましたねぇ。そのせいで最近のルーネンヴァルトは酷く物騒でしてぇ。もうルーネンヴァルトの外にいる方が安心できるくらいなんですよぅ」


「それは災難だな」


 ルーネンヴァルトがそんなことになっているということは、道を歩けばトラブルに遭遇する自分たちも何かしらのトラブルに巻き込まれそうだとジークはげっそり。


「お前は使い走りにされている魔法使いには見えないが、何をしにルーネンヴァルトの外に出ていたんだ?」


 そこでセラフィーネが女性魔法使いにそう尋ねる。


「あたしはルーネンヴァルトで標本店を営んでおりまして。珍しい生き物の標本を集めているのですよぅ。ほら、今回はこういう昆虫の標本をヴェスタークヴェルまで買い付けに行っていたのです」


 そういって女性魔法使いは美しい昆虫の標本をジークたちに見せた。


 そこには色とりどりの羽を広げた蝶らしき昆虫が虫ピンでとめられている。夕日のように真っ赤な羽を広げたものや、外敵を威嚇する目的だろう目玉のような模様のある羽を持ったものなど様々だ。


「おお。すげえ綺麗な蝶だ。俺も昔は虫取りに励んだものだけどな」


「ふふ。残念ですがはずれです。これは蛾ですよぅ。夜に活動するもので、採取できるのも大抵は夜間なのです」


「へえ。蛾もこんなに綺麗なものなんだな……。不気味なイメージがあったけど……」


 ジークは女性魔法使いの持っている昆虫の標本を興味深そうに眺めた。


「一見して不気味に見えるものにも独自の魅力があったりするものですよぅ。むしろ不気味なのものが有する小さな美しさこそが生物の魅力なのかもしれませんねぇ」


 そういって女性魔法使いはうっとりと美しい蛾の標本を眺める。


「おっとぉ。自己紹介が遅れましたぁ。私はパトリツィア。カルテンバッハ標本店の店主をしておりますぅ。よろしければルーネンヴァルトの博物館通りを訪れたときには、お立ち寄りください」


「おう。俺はジーク、こっちはセラフィーネとエミール。よろしくな」


 ジークは標本の蛾は綺麗だと思ったが、彼は昆虫学者でも昆虫マニアでもないのでわざわざそれを買おうとは思わなかった。恐らく彼がパトリツィアの標本店を訪れることはないだろう。


「ジーク」


 そこでセラフィーネが短くジークに呼びかける。


「……どうした?」


「何かがここに迫っている。気を付けろ」


「マジかよ。今度は何だ?」


 ジークはセラフィーネが戦場の臭いをかぎ取ったことを知り、すぐさま周囲を見渡して警戒した。だが、今のところ視界に何かしらの襲撃者の姿は見えない。


 そう思っていたときだ。


「ジーク! 上だ!」


 セラフィーネがそう叫ぶ。ジークも素早く上空に姿を向けると太陽を背にして、飛行する何かがジークたちの方に突っ込んできていた。


「クソ! ここで襲撃かよ!」


 ジークは素早く“月影”を出現させて構える。セラフィーネも朽ちた剣を握った。


「あ、あれはファイアドレイクだ!」


「うわああっ! に、逃げろーっ!」


 列を作っていた人間たちが声を上げて散り散りに逃げ出す。


 ジークたちに迫る驚異の正体はファイアドレイク。その名の通り炎を吐く伝説の魔獣であり、大きさはドラゴンより小さく、ワイバーンより大きい。そして、焼き殺した動物や人間を餌として貪ることでも知られている。


「魔女! 迎え撃つぞ! エミールは逃げろ!」


「了解だ!」


 迫るファイアドレイクが一定の高度まで降下すると、その高度から炎を放射する。炎はただの炎ではなく、粘性の液体が炎上することによって生じるものだ。そうであるがゆえに一度炎を浴びれば、なかなかそれを消すことはできない。


 運悪く炎を浴びた行商人の馬が嘶き、暴れまわる。その馬の暴走に巻き込まれた人間が地面に倒れ、頭から血を流し始めるともう混乱は手の付けようがなくなった。


 慌てて逃げ惑う人々。燃え盛る炎。漂う熱気と血の臭い。


 平和だったルーネンヴァルトの城門前は今やまさしく戦場だ。


「降りてきやがれってんだ、クソ野郎め!」


「私が叩き落す。落ちてきたらお前が斬れ、ジーク!」


「あいよ!」


 セラフィーネはファイアドレイクに向けて朽ちた剣を投射。一度目はファイアドレイクも回避行動を取って攻撃をよけるが、二度目、三度目となると攻撃は面制圧に変化してファイアドレイクもよけきれなくなる。


「────!」


 そして、翼を貫かれたファイアドレイクが錐もみしながら落下を始め、地面に叩きつけられた。それで死んでいればジークとしては助かったのだが、ファイアドレイクは翼を失っただけで依然として健在だ。


「行くぜっ!」


 ジークは“月影”の刃を手に地面に落ちたファイアドレイクに向けて突撃。


 ファイアドレイクはそれに対して火炎放射でジークを迎え撃ち、ジークは炎に包まれそうになるのを何とか回避しながらファイアドレイクに迫っていく。


 粘性の燃料によって焼けた大地をジークは踏み、ブーツが焦げて足が高熱にさらされて焼けただれ火傷していく痛みを我慢し、ジークはファイアドレイクに一撃を叩きこむために勢いよく突っ込んだ。


 そこでファイアドレイクの狙いが完全にジークを捉えた。ジークに炎が直撃して彼は炎に焼かれるが、その炎の中をジークは突っ切ってファイアドレイクの首を刎ね飛ばした。ファイアドレイクの首がぼとりと地面に転がり、断面からどろりと燃焼する前に燃料が漏れ出る。


 そして、その燃料が周囲で燃え盛る炎によって着火。一気に炎はファイアドレイクの体内にある燃料を蓄えている火炎袋まで引火して大爆発を引き起こした。


 周囲にずうんと衝撃が走り、ファイアドレイクの爆発による衝撃波は辺りに達した。臓腑を揺さぶられる振動に魔法使いもそうでない人間も息をのみ、どうなったかを確認するためにファイアドレイクがいた場所を見る。


 そこには黒焦げになった人間の焼死体がひとつとばらばらになったファイアドレイクの肉片が飛び散っていた。


「ジ、ジークさん!?」


 黒焦げになっている焼死体のそばには“月影”の刃が転がっている。ファイアドレイクのそばに倒れている焼死体は間違いなくジークであった。


「ふむ。随分な力技で倒したな。勇敢といえば勇敢だが……」


 セラフィーネの方はジークを心配することもなくそう感想を述べている。


「エミール。ジークの荷物から替えの服を取ってくれ。それが必要になるだろう」


「は、はい。けど、本当に大丈夫なんですか……?」


「ああ。問題はない」


 セラフィーネはエマにそう頼み、服を準備すると焼死体の方に向かった。


 焼死体は動かないように見えたが、突然焦げた表面に真新しい皮膚が形成され始め、その下に肉が形成されていく。黒焦げで性別も分からなかった体は、瞬く間に生きた人間のそれに変化していった。


「おはよう、ジーク」


 そして、それは完全にジークの姿へと戻ったのである。


「おう。服をくれるか?」


「ほら、さっさと下半身を隠せ。若い女の魔法使いが見てるぞ」


「おわあっ! は、恥ずかしぃ!」


 ファイアドレイクの炎で服ごと丸焦げになったせいで全裸であったジークは周囲の視線に慌てて服を着た。


「しかし、クラーケンの次はファイアドレイクとは。呪われてんのかね、俺たち?」


「さてな。何かしらの理由はありそうだが」


 そこで憲兵たちが警笛を鳴らしながら馬でジークたちの下にやってきた。


「お前たちがこのファイアドレイクを仕留めたのか?」


 馬を降りた憲兵の指揮官らしいは男性は、ジークたちにそう尋ねる。彼が指揮している数名の憲兵たちは険しい表情でジークたちを見ていた。


「そうだぜ?」


「クラーケンを倒したというのもお前たちだったな?」


「そうだけど?」


「ふむ。偶然とは思えないな」


「俺もそう思う」


 現れた憲兵の指揮官が何を言いたいのか、ジークもセラフィーネもいまいち理解できずにいると──。


「我々と一緒に来てもらおう。お前たちにはこの襲撃にかかわった容疑がある」


「……え?」


 憲兵の指揮官はそう言い、憲兵たちがジークたちを取り囲んだのだった。


……………………

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