クラーケンとの戦い
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──クラーケンとの戦い
ジークたちが乗る海峡連絡船に襲い掛かったクラーケン。
巨大な触手が続けて何本も船を絡めとろうとするように浮上してきて、甲板に乗りあがった。運のない船員はその触手によって押しつぶされてしまい、甲板に赤い血が水音を立てて広がる。
「このクソタコ野郎め!」
「撃て、撃て!」
船員たちはそんなクラーケンの触手に向けてマスケット銃を発砲。
しかし、所詮は船内での暴動や万が一海賊が現れた場合に備えていただけのその装備ではクラーケンを相手にしてはあまりにも火力が足りない。
クラーケンの触手を銃弾が抉っても、クラーケンは意に介することなく触手で船を絡めとってそのまま破壊しようとする。みしみしと船体が軋みを上げ始め、船員たちの表情が青ざめる。
このまま船が沈められれば、伝承通り溺れる人間をクラーケンは貪るのだろう。そのような地獄が待ち構えているのに船員たちは発狂しそうになった。
しかし、彼らは運がいいといえばいい。
この船にはクラーケンを退けられる人間が乗っていたからだ。
「好き勝手やりやがって。誰だよ、気楽な船旅になるって言ったの!」
「お前が自分で言っていただけだろう」
それは当然ジークとセラフィーネにほからない。
彼らは魔剣“月影”と朽ちた剣を構えて、甲板に這い上がってきたクラーケンの触手と対峙する。クラーケンの触手は傍若無人に暴れまわっており、急いで排除しなければこの船は粉砕され、沈められるだろう。
「ぶった切る!」
ジークは“月影”を振り上げると、そのままクラーケンの触手に振り下ろした。
マスケット銃の射撃ではびくともしなかったクラーケンの触手は一瞬で切断され、苦痛に呻くように触手がうねりまくる。だが、切断された触手はやがて勢いを失い、そのまま海の中に落ちていった。
「おお! すげえぞ! あの人、触手をぶった切った!」
「この調子でやってくれ!」
船員たちが希望が見えたと歓声を上げる。
「オーケー! 任せときな!」
次の触手が甲板に迫るのにジークはそれが甲板に乗り上げる前に叩き切る。青緑色の血が切断面から吹き上げ、クラーケンの触手は海に戻っていく。
だが、触手は次々に現れては船を襲い、沈めようとしてくるのは変わらない。
「ふん。タコごときに沈められるのは癪だ」
セラフィーネは次々に現れる触手を睨むように見ると朽ちた剣を分裂させて周囲に展開。それらを操って触手の迎撃を開始した。
無数の朽ちた剣がクラーケンの触手を貫き、切断し、海に追い返していく。甲板が海水とクラーケンの流す血で溢れる中で海が荒々しく波を立てる。
「おええっ! 滅茶苦茶揺れやがるな……!」
「我慢しろ。恐らくはこれで撃退とはいかないはずだ」
ジークが愚痴る中、セラフィーネがクラーケンの切断された触手を見つめる。彼女はクラーケンの伝説についてあることを聞いていたからだ。
セラフィーネがじっと見つめる中、クラーケンの触手の根本側の断面が蠢き、それから新しい触手がそこから生えて来た。
「やはり伝説通りか……」
そう、クラーケンの触手はいくら切ろうと自己再生するという伝説があるのだ。
その伝説の通り、切断したはずのクラーケンの触手は再び元の姿となり、ジークたちの乗る海峡連絡船を沈めようとする。
「終わりだ! 助からない!」
「畜生、畜生!」
船員はパニックになるが、パニックなってもこの船の上から逃げられる場所はない。
「これじゃあ切りがねえな。どうする?」
「考えている。今は沈められないようにするだけだ」
「了解。策が浮かんだら教えてくれ」
魔女であり、クラーケンについて多少ながら知識のあるセラフィーネならば、この状況を切り抜ける方法思いつくだろう。ジークはそう信じて、今は現れるクラーケンの触手を斬り続けることに。
「はあっ!」
海中から勢いよく突き出しては甲板に向けて伸し上がってくるクラーケンの触手。ジークは“月影”を最大限に分裂させ八振りの刃でそれらを次々に斬って、斬って、斬り倒していく。
「お、おい。あの人、滅茶苦茶強いぞ!」
「希望はあるんじゃないか……?」
すでにマスケット銃の銃弾も尽きた船員たちがジークたちを見つめてそう言いあう。かすかでも希望がなければこの地獄で正気でいるのは難しい。そうでなければ自分で自分の命を絶ってしまうだろう。
その希望となったジークとセラフィーネはクラーケンを撃退しながら、この状況を切り抜ける方法を模索していた。
「斬っても斬ってもお替りがきやがる。俺もタコは美味いから好きだけど、こういう食べられないタコは嫌いだぜ」
「タコなんて食うのか? あんな気味の悪いものを?」
「茹でても生でも美味いぜ? 歯ごたえが面白くてな」
「信じられん。蛮族でもあんなもの食わないぞ」
ジークとセラフィーネはそんなグルメ談義をしながらも触手を迎撃し続け、船が握りつぶされるのを阻止していた。
だが、それでも船は少しずつ損壊しており、船室には開いた穴から僅かに浸水しつつあった。このままではいくらジークたちが触手を迎え撃っても、船は沈み、船に乗っているジークとセラフィーネ以外の命はない。
「ふむ。こうなれば本体を引きずり出すしかないな」
セラフィーネはそんな中でそう呟き、ジークの方を見る。
「ジーク! これからやつを海上に引きずり出す! お前の方で斬れるな!?」
「ああ! 任せろ!」
「じゃあ、やるぞ!」
セラフィーネはそこで空間転移魔法を展開する。
入口を海中に、出口を──船の右舷上空に。
「備えろ! 来るぞ!」
海水の流れは入口から出口に向けて生じる。底をうかれた風呂桶のように大量の海水が出口である右舷上空に向けて流れ始め、それにクラーケンも囚われる。クラーケンは触手を伸ばして船にしがみつき、船を道連れにしようとするが無駄だ。
「やらせん」
セラフィーネがまとわりつこうとする触手を粉砕し、切断し、船から遠ざける。それによって掴まる場所を失ったクラーケンは海流の流れに逆らいきれずにセラフィーネが生じさせた空間転移魔法に吸い込まれた。
「来るぞ──」
そして、クラーケンの巨体が上空に生じた空間転移の出口から落下してくる。
見た目は本当に巨大なタコだ。何本もの触手を有し、頭部にはぎょろりとした目玉を有する巨体。その大きさは明らかに海峡連絡船より巨大だ。
「今だ。斬れ、ジーク!」
「あいよ!」
ジークは海峡連絡船の甲板を思いっきり蹴って飛び、空中で触手を蠢かせるクラーケンに向けて飛翔した。
クラーケンは迫るジークに抵抗しようとするが、海中という自分が得意とするフィールドから引きずり出され、空中に放り出されているのではどうしようもない。
「あばよ、タコ野郎。来世は食えるタコになりな!」
ジークは“月影”の刃でばっさりとクラーケンはの頭部を切断。真っ二つにされたクラーケンは身動きしなくなり、そのまま海上に水柱を上げて落下すると浮かび上がってきて死体を晒したのだった。
「おおおおーっ!」
「やったぞー! あの人たちがやってくれた!」
船員が歓声を上げ、危機が去ったことに乗客たちも甲板を覗き込みに来た。
「や、やりましたね、ジークさん、セラフィーネさん!」
エマもそう声を上げるが、当のジークはといえば……。
「お~い……。誰かぁ~……。引き上げてくれぇ~……」
甲板から飛び出したジークはそのまま海に落下しており、会場で切断されたクラーケンの触手に掴まり、助けを待っていた。どこか締まらないのがジークらしさである。
「今引き上げるぞ! 掴まれ!」
船員はすぐにジークにロープを投げて渡し、彼を船上に引き上げる。ジークはロープを手繰って何とか甲板に戻ってきた。
「助かったよ、兄ちゃん! 岸についたらお礼をさせてくれ!」
「はは。ありがとうな」
引き上げた船員たちからジークは感謝の言葉を浴び、彼は照れたように笑う。
「そっちの嬢ちゃんも助かったよ!」
「気にするな。あれがいてはルーネンヴァルトに行けなかったからな」
船員はセラフィーネにも礼を述べるが、セラフィーネとしては降りかかった火の粉を払っただけだ。彼女はそこまでこの勝利を誇らなかった。
「このままルーネンヴァルトに向かうんだよな?」
ジークはクラーケンに襲われたせいでカールハーフェンに船が引き返したりしないか、それが心配になって船員にそう尋ねる。
「ええ。距離的にはそっちを目指した方が近いですから。修理もルーネンヴァルトで行うつもりです。申し訳ないのですがそれまでまたクラーケンが出ないか、警戒していただけますか……?」
「任せてくれ。警戒しておくよ。俺たちも船を沈められてはかなわないからな」
「ありとうございます!」
ジークとしても船が沈められるのは困る。彼は泳ぎが得意ではないのだ。それにそもそもルーネンヴァルトは海峡の向こうとはいえ泳いで行ける距離ではない。
「さて、やっとこさルーネンヴァルトだ。最後までトラブルいっぱいだったな……」
「ああ。しかし、妙だな。ここら辺にクラーケンの伝承はない。クラーケンの伝承があるのは西の海だ。この海域でクラーケンが目撃されたことなど一度としてなかったはずなのだが……」
「……何か不味い感じか?」
「分からん。ただの偶然という可能性もある」
セラフィーネはそう言って海流に流されていくクラーケンの死体を見つめた。幾分か離れたここからでも死体からは強力なアンモニア臭を感じる。
「エミール。クラーケンにここで出くわすのはって初めてか?」
「そうですね……。そもそもオレ、クラーケンに出くわしたこと自体が初めてで……」
「ふむ。どこからか海の流れとともに流れてきたのかね……?」
ジークはエマにそう尋ねたのちに海をじっと眺める。濃い青色をした海は静かに白波を立てており、そこからは何の手掛かりも得られそうにない。
この海域に突然現れたクラーケン。それは本当にただの偶然なのだろうか……?
各々の心に疑問が残る中、海峡連絡船は何とか沈まずに海峡を渡り切った。
そして、ゆっくりとルーネンヴァルトが位置する島にある入江に入っていく。
「おーい! 大丈夫かー!?」
そうやってルーネンヴァルト側にある入江の港に到着すると、すぐに港にいた人間たちが駆け寄ってくる。彼らも対岸からクラーケンに襲われている船を見て、とても心配していたのだ。
「……残念だが数名の死傷者が出た。だが、乗客は無事だ」
「そうか。残念だ。冥界神ゲヘナに祈りを捧げさせてもらう。だが、船が沈むようなことがなくてよかった。船が沈んでいては誰も生き残れなかっただろう」
それから船員の死体や怪我をしたものが先に降り、それから乗客たちが船を降りていく。港には緊急事態と聞いてやってきた魔法使いたちもおり、彼らが負傷者の手当てを行っていった。
高位の魔法使いが使用する魔法ならば手足の切断ぐらいならば元の手足が残っていれば治療できる。そして、船から降りた怪我人にそこまでの重傷者はいなかった。それは別にクラーケンの脅威が軽かったわけではなく、重傷だったものはルーネンヴァルトにつくまで生き残れなかったからだ。
血と潮の臭い、そしてクラーケンが残したアンモニア臭が残る中、ジークたちは海峡連絡船から降り、ルーネンヴァルトの位置する島に上陸した。
「ここがルーネンヴァルト……」
ジークは先ほどの血なまぐさい戦闘の痕跡から意識を眼前に広がるルーネンヴァルトの方に向ける。
まだ島に上陸しただけでルーネンヴァルトに入ったわけではない。この入り江の港から階段になっている短い坂を上っていった先に白亜の城壁が見え、そこの城壁の中こそがルーネンヴァルトなのである。
「やっと着いたんだな……ルーネンヴァルトに……」
「まだ問題が解決したわけではないぞ。ようやく最初の一歩というところだ」
「ちゃんと分かってるって。けど、今まではその一歩すら踏み出せていなかったからな。やっぱ感無量だぜ」
ジークは500年もの間、自身の不老不死を解こうとし続けていたが、それがようやくなせるかもしれないという希望を見たのはこれが初めてだ。
「旅の人! ちょっとこっちに!」
そこでジークたちに声がかけられた。声の主は港湾の管理者兼憲兵というような軍服姿の男性である。
「なんだい?」
「クラーケンの件について一応経緯を聞き取っておきたい。我々としてもこの海峡にクラーケンが出没するなど初めてのことでな……」
「了解。分かっている限りのことを話すよ」
「ありがとう。協力に感謝するよ」
ジークたちはそれから港にある船の運航を管理している事務所に入り、そこでクラーケンが現れるまでの経緯を説明していった。自分たちが海峡連絡船に乗り、海峡を横断中に突如として襲撃されたことについて。
「そのとき他の船は周囲にいたか?」
「いいや。いなかったと思うが」
「そうか……」
ジークたちから聞き取りを行う憲兵は眉間にしわを寄せて唸る。何かすでに彼が危惧していることがあるとでもいうように。
「当然、あのクラーケンの死体は回収して調べるのだろう?」
「ああ。それでこの騒ぎが──人為的に起こされたものかどうかが分かる」
「ほう?」
憲兵の言葉にセラフィーネがそう興味を持った。
「ここ最近、ルーネンヴァルトの内部ではきな臭い動きがあってな……。我々憲兵としても警戒していたのだが、そこにこのクラーケン騒動だ。ここら辺に一度も現れたことがないクラーケンがこのタイミングで現れたというのは警戒すべきだろう?」
「そりゃそーだ。しかし、きな臭い動きって?」
ジークがそう尋ねてみる。憲兵がこれ以上のことを教えてくれるかは分からなかったが、ジーク自身気になったからだ。
憲兵は話すか話すまいかいささか悩んだようだが、やがて口を開いた。
「……魔法使いの一部が悪魔崇拝を行っているという噂がある。街に行けば、もっと詳しい話を聞くことになるだろう」
憲兵はそう言ったにとどめた。
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