夜の街のトラブル
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──夜の街のトラブル
それからジークたちはエマのおすすめである、強い酒を出すという店に入った。まだちょっと日は高いが、店自体は営業していたので遠慮なくジークたちは入店。
「いらっしゃいませ!」
「3人ね。テーブル席がいい」
元気のいい女の子の店員に出迎えられて、ジークも笑顔でそう告げる。
「こちらへどうぞ!」
それからジークたちはテーブル席に案内され、揃って最初の一杯にエールを注文。
「では、ここまでの旅路の無事を祝って乾杯!」
「乾杯!」
ジークが音頭を取り、3人で乾杯する。
そして、一気にエールを飲み干す。
「ぷはっ! ここのエールはよく冷えてるのな? 珍しいぜ」
「ルーネンヴァルトの学生がバイトで氷を売っているんだろう。昔からここら辺はそうやって小銭を稼ぐ連中がいた」
「なるほどね。では、学生に感謝して美味しくいただこう」
この時代、氷はまだ珍しいものだが魔法を使えば簡単に作れる。なので、ルーネンヴァルトの魔法学園に通っている金のない学生たちは、氷を作って売るのをバイトにしていたりした。
「本当にここの冷えたエールを飲むと、ルーネンヴァルトが近いなって思わされます」
エマもしみじみとした様子で冷えたエールを飲んでいる。確かに他の地方ではこうも冷えたエールを飲めるのはなかなかない。普通な生ぬるいエールを飲むことになる。
「おっと。しかし、今日は飲みすぎないようにしないとな。前は飲みすぎでいろいろと酷い目に遭ったし……」
ジークはレーゲンフルトでセラフィーネと飲み比べで勝負したばかりに財布が軽くなってしまったことを思い出していた。今回はそういう過ちは犯さず、夜の楽しみはとっておくつもりである。
「ふん。英雄たるものが女を買いに行くのを楽しみにするなどとは……」
「ジークさん。本当に花街に行くんですか……?」
女性陣ふたりはそんなジークに渋い顔。
「なんだよぉ……。いいだろ、別にぃ。俺だって男なんだからいろいろな溜まりすぎるとお前らを押し倒すぞぉ」
ジークはふたりに責めるような視線を向けられてそう拗ねてしまった。
「そう言って前も押し倒せなかったではないか」
「うるせー。俺が理性をきかせたことに感謝しやがれってんだ」
セラフィーネはエールからワインに切り替えてにやにやと嘲るように笑い、ジークもエールからこの店が出すという酒精の強い酒に切り替えた。
「ほう。これってワインを蒸留させたものか? ブドウの香りが香ばしくて美味いな」
「でしょう? まだこの店ぐらいしか扱ってないんですよ」
この店には強い酒があるとエマは言っていたが、どうやらそれはブランデーのことらしい。ジークはブランデーの香りと風味を味わいながら、今日は一気に飲まずちびちびとそれを味わっていた。
「しかし、思えば短い旅だったな。もう少しでルーネンヴァルトだ。そこに行けばこの不老不死も……」
ジークは思い返す。セラフィーネと出会い、彼女にルーネンヴァルトのことを教えられたのが、昨日のことのようだと。
「……ジーク。お前は不老不死を解いたらどうするのだ?」
「そうだな。自然に老いてから死ぬかね。流石に自殺しようってほどこの世に絶望しているわけじゃないし」
「そうか……」
セラフィーネはジークの答えに何やら考え込んだ様子だ。
「そして、死ぬまでは人生を楽しむ。女の子と仲良くして、美味い物を食って、酒をたらふく飲んで、そうやって人間らしく死ぬぜ」
ジークはそう言うとつまみとして頼んだ腸詰肉にマスタードをたっぷりとつけて口に運び、パリッと言わせて頬張った。皮がいい音を立てて破れれば、中から肉汁が溢れる。これはいい腸詰肉だとジークはにんまり。
「魔女。あんたはどうするんだ? 不老不死を解く方法が見つかったら」
「私は生き続ける。生きていればまたお前のような強敵に会えるかもしれないしな。長生きすることで損するとは私は思っていない」
「ふうん。まあ、あんたの人生だからあんたが選べばいいさ」
ジークとしてはセラフィーネの意見には同意できなかったが、否定するつもりもなかった。長生きは一概に損ばかりだとも言えないのは事実。特に戦いの中に喜びを見出すセラフィーネにとっては何度でもやり直せる不老不死は喜びそのものなのだろう。
「さて、もうちょっと飲んでから食事を済ませたら宿に戻ろう」
セラフィーネはともかくエマは男装しているとは言えど女性だ。彼女たちを夜道に放り出すのは紳士としてあってはならぬこと。ジークとしては彼女たちをちゃんと宿に送り届けてから、花街に遊びに行くつもりであった。
「なら、そろそろ食事の方を頼みますね」
「おう。頼むぜ」
それから海が近く、そこまで運河が通じているヴェスタークヴェルならではの海産物をジークたちは味わい、お腹いっぱいになると宿へ一度戻ることに。
ジークたちが酒場を出るころには、ヴェスタークヴェルはすっかり夜だった。
* * * *
「さあて! 今晩は遊ぶぞぉー!」
セラフィーネとエマのふたりを宿に送り届けたのちに、ジークはヴェスタークヴェルの花街へと向かった。
ヴェスタークヴェルの花街にも魔法使いの姿が見える。女性である彼女には尋ねづらいのでエマに事情は聞いていないが、ルーネンヴァルトにはこの手の花街が存在しないか、規模が小さいのだろう。
「魔法使いでも溜まるもんは溜まるよな」
彼らに親近感を覚えながらも、ジークは今日遊ぶ娼館を探す。
「そこのお兄さん」
そこで不意にジークに声がかけられた。
「ん? なんだ?」
ジークが怪訝そうに声の方を見ると、中年の女性魔法使いが彼を呼び止めていると分かった。彼女は娼婦ではないのだろう。魔法使いとしてのローブと三角帽子をしっかりと身に着けており、娼館にしては地味な建物を背景にしている。
「お兄さん、旅人さんだろう? それでもって今日は久しぶりのお楽しみってところじゃないかい?」
「ああ。まさにな」
「それならいいものがあるよ。精力剤さ」
「ほう?」
女性魔法使いの言葉にジークが興味を示す。
「これさえ飲めば朝まで百人の女と寝たってまだ元気でいられる。どうだい? 買っていかないかい?」
「ふうん。本当にそれだけの効果あるの?」
「もちろんさ。もし、効果がなかったら返金するよ。それに久しぶりのお楽しみなんだから刺激的にやりたいだろう?」
「そう言われるとな。否定はできない。いくらだい?」
そして、ジークは女性魔法使いから精力剤を購入。
「いいかい。くれぐれも致す気がないのに飲んじゃだめだよ。元気が出すぎて制御できなくなっちまうからね。それこそそこらを歩いている年頃の女を手当たり次第に襲うことになるよ」
「オーケー。期待してるぞ」
ジークは全盛期に不老不死となり、この手の精力剤を頼ったことは一度もなかったが、今日はちょっとばかり羽目を外そうと思っていた。金はあるし、それこそ朝まで楽しめればしばらくは花街に別れを告げてもいいだろう。
それからジークは再び娼館探し。
「お兄さん、遊んでいかない?」
ジークにそう声をかけるのは大きな三角帽子を被った若い女性魔法使い──のように見えるが、やけに体のラインが出る大胆な服装の人物だ。
「え? 魔法使いの娼館?」
「ただの扮装よ。けど、うちの子のテクは魔法使いもびっくりだから」
「へええ。いろいろなものがあるんだな」
「どう? うちで遊んでいかない?」
魔法使いの扮装というのも趣があっていいなと思うジーク。魔法使いはその知識の分だけプライドが高いので、これまでジークも魔法使いと夜を共にしたことはなかったのだ。それだけ安い女ではないということ。
「よし! ここに決めた!」
「ありがとう!」
ジークはついにここで遊ぶことに決めて、娼館に入った。
娼館の中は魔法使いの屋敷風になっていて、魔導書や魔法陣──を模したセットが置かれていて雰囲気はばっちりだ。
客も魔法使いが多いように思える。まだ成人したばかりだろうひげも満足に生えていない若い魔法使いが、先輩の魔法使いと一緒に待っていたりする。きっと男にさせてやると言われて連れてこられたに違いない。いい先輩だなとジークはしみじみ。
「お兄さん。どうぞこっちへ」
「待ってました」
それからジークが部屋に案内される。
部屋の扉を開けると女性の香水の甘い匂いとともに何やら香りのいい香が炊かれていることに気づく。これも魔法使いっぽさを出すための演出なのだろう。
「はぁい、お兄さん。ようこそアマーリアの部屋に」
「今日はよろしく頼む」
ジークにアマーリアと名乗った女性はやはり魔法使いの扮装をしている若い女性だ。
ブロンドの髪をミディアムボブにしており、瞳の色は青。大きな三角帽子は黒色で、体のラインが出る赤いドレスの上から黒いローブを羽織っている。その胸はたわわでジークもにっこり。
「ええ。今日は楽しみましょう。さあ、こっちへ……」
「おっと。その前にこれ、飲んでいいい?」
ジークはそこで買った精力剤をアマーリアに見せる。
「ええ。だけど、その精力剤、もの凄い効果だから朝まで延長することになっちゃうかもよ? お財布の方は大丈夫かしら?」
「ばっちりだ。今日という日のために節約してきたからね」
「では、朝まで一緒に……」
女性が甘い声で言うのにジークがぐいと精力剤を飲み干すと、早速体がぽかぽかしてきた。酒精の類は感じなかったので、これは純粋に体が興奮している証だ。ジークはちゃんと効果が出たことに満足。
「じゃあ、まずは──」
ジークが興奮に身を任せてアマーリアを抱こうとしたとき、ばたんと勢いよく部屋の扉が開かれる音が。
「アマーリア! もうここは辞めるって言ってたじゃないか!」
部屋に飛び込んできたのは、まだ若い男性魔法使いだ。彼はアマーリアに憤慨の視線を向けたのちに彼女を抱こうとしているジークを敵意のこもった視線で睨む。
「おいおい。なんだよ、あんた?」
「俺はトーマス。アマーリアの彼氏だ!」
「……また面倒なことに……」
何やら既視感を感じるジーク。前に娼館に入ったときも娼婦の自称彼氏みたいなやつが暴れて台無しになった記憶がよみがえる。
「アマーリア! 君のことなら俺が養う! こんな仕事はやめよう!」
そういってずかずかと部屋に踏み込んでくるトーマス。
「トーマス、やめて。私は仕事中なの。こんなことがばれたらあとで支配人に激怒されるわ……。さあ、帰ってちょうだい」
「いやだ。こんな素性も分からない男の子供を孕んだりしたらどうするんだ!」
そういってトーマスはジークの方を睨む。
ジークの方は突然始まった痴話喧嘩に頭を抱えており、今からでも他の女の子に変えてもらえないかと思っているところであった。
「お前、どうせ傭兵か何かだろう! アマーリアは俺の彼女だ! 出ていけ!」
そう言ってトーマスがジークを突き飛ばすのに流石のジークもカチンときた。
「おうおう。そこまでいうなら勝負しようぜ。決闘だ」
ジークも睨むようにトーマスを見てそう言う。精力剤で熱くなった脳みそが怒りによって性的欲求から闘争の方にベクトルを変えてジークを興奮させたのだ。
「い、いいだろう! 相手になってやる! 外に出ろ!」
流石に死線を潜ってきたジークが本気で闘志を燃やすのに戦闘経験などないだろうトーマスも一瞬怯えたが、すぐに彼は自分を奮起させてジークの言葉を迎え撃つ。
そして、ふたりは娼館の外へと出て通りで対峙する。
「何が始まったんだ?」
「女の取り合いだってさ」
「へえ。ありゃあ、魔法学園の助教のローブじゃねえか?」
「ここまで争うとは随分といい女なんだろうな」
すぐに野次馬が集まってジークたちを囲み、ジークとトーマスは互いに威嚇するような視線を向けあって対峙を続ける。
「では、お互いに死ぬか、戦闘不能になるまでだ。やるぞ」
「あ、ああ!」
ジークが静かに宣告し、トーマスは杖を構える。
「お、俺は魔法使いだから当然魔法を使う。異論はないな、傭兵?」
「もちろんだ。それぐらいはハンデにしてやるよ」
「では、始めるぞ──!」
次の瞬間、ジークに向けて無数の空気の塊が叩きつけられようとする。目に見えないその攻撃は回避できないはずだとトーマスは確信していた。そして、これを受ければ一瞬で相手は再起不能になるとも。
しかし、相手は勇者ジークだ。
「へっ。温いな」
ジークは最小限の動きでトーマスが放った空気の塊を回避する。空気の塊は空を切って通りの石畳にぶつかり激しい衝撃を生じさせるが、ジークは涼しい顔だ。
「まぐれだ!」
トーマスは負けじとさらなる攻撃を繰り出す。再び圧縮空気による打撃魔法を生み出してジークを狙った。今度は回避できないように面制圧で狙う。
「ふん!」
今度は直撃したはずだが、ジークの体は微塵と動じない。彼はそのままトーマスの方に迫ってくる。そのことにトーマスが怯えの表情を見せたが、すぐにアマーリアへの想いを燃やして前に出た。
彼は娼婦に熱を上げた馬鹿な男であるが、臆病者ではないのだ。
「クソ! 今度こそ喰らえ!」
次に放たれた魔法はこれまでのものより強力なものだ。今まではジークを殺すまではいかず、再起不能にさせる程度にセーブしてたがそのセーブをトーマスは取り払った。本気でジークを殺すため攻撃を放ったのだ。
その打撃こそはジークを葬るかと思ったが──。
「はんっ! この程度か?」
ジークは防御の構えを見せてその攻撃を正面から受けた。殺す気で放たれた魔法は彼の臓腑を潰し、いくつかの骨を砕いたがジークが地面に倒れることはなかった。彼は娼館に女性を買いに来ていたものの、勇者ジークなのだ。
「俺は長い旅の中で我慢し続けて、今日こそは女の子と遊ぼうと思ってここに来たんだ。そいつを邪魔しやがって……。許さんぞ……」
ジークは拳を握りしめ、もう片手の手のひらにバンバンと音を立ててぶつけながらトーマスに迫る。その殺気立った様子にトーマスはいよいよ士気をくじかれつつあった。
「ア、アマーリアは俺の彼女なんだ! お前なんかに渡すもんか!」
そういいトーマスも拳を構えてジークに殴りかかる。
「うるせー! 知ったことか!」
その打撃のカウンターを見事にジークが決めて、まともにジークの攻撃を受けたトーマスが地面に倒れ込む。鼻血を大量に流したトーマスは数秒の間、地面の上で意識を失ったもののすぐに立ち上がる。
「まだだ。俺はまだ戦えるぞ……!」
トーマスは拳を構えてジークに再び挑もうとする。
「なら、本当に再起不能になるぐらいぼこぼこしてやんよ」
ジークもこうなれば容赦なしだ。
ふたりが再び激突すれば再起不能になるのはトーマスの方だろう。再起不能で済むならば御の字であり、最悪の場合死ぬ可能性もある。
だが、トーマスはそれでも逃げなかった。本当に馬鹿な男だが、その思いは一途だ。
「やめて!」
そこで声を上げたのは問題のアマーリアであった。
「お金はお返ししますから! どうかトーマスを殺さないでください!」
「アマーリア……」
アマーリアはそう言ってトーマスをジークからかばうように立つ。その様子をトーマスは驚きの目で見て、それから自分の情けなさを悔いるような表情を浮かべて唇を血がにじむほど噛んでいた。
「はあ……」
そう言われてしまうとジークとしては戦う理由がない。
「おい、そこのトーマスって言ったな? 娼婦を自分の彼女だって言い張るなら、ちゃんと身請けしてやれ。いいな?」
「あ、ああ。そのための金はこうしてあるんだ」
そういってトーマスはアマーリアを身請けするために準備した金を見せる。アマーリアを身請けできるのに十分な額の金だ。
実際のところ、やっと金が準備できて身請けするつもりでトーマスは娼館に来ていたのである。そこでジークに出くわし、この決闘騒ぎに繋がったというわけだ。
ジークがアマーリアの部屋に入る前にトーマスが娼館についていればこんな騒ぎにはならなかっただろうに。
「嘘……。本当に身請けしてくれるの、トーマス……?」
アマーリアの方も本当にトーマスが身請けをするとは思っておらず、彼の本気を見せられて思わず目を見開いていた。
「そうするって言っただろう? こんな俺だけど、どうか結婚してくれ、アマーリア」
そういってジークの打撃を受けたことで鼻血は出たままなうえに青あざもできた顔で、トーマスはアマーリアに不器用に笑いかける。
「もちろん! 結婚しましょう、トーマス!」
アマーリアはトーマスを抱きしめて泣きながら笑った。トーマスもしっかりとアマーリアを抱きしめて彼女の肩に顔をうずめる。
「おおーっ! こいつは感動だ!」
「めでたいなぁ!」
「よ! いい男!」
それを見ていた周囲の人間が歓声を上げて、彼らを祝福した。花街で娼婦が身請けされるのは、喜ばしいことなのだ。
「ふっ。お幸せにな、おふたりさん」
ジークもそう言って彼らを祝福すると花街を立ち去ったのだった。
だが、忘れてはいないだろうか。
彼が超強力な精力剤を飲んだあとだということを……。
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