不死者であるということ
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──不死者であるということ
水浴びを終えたセラフィーネたちが野営地に戻ると、ジークはすでに火を起こして野営の準備を整えていた。寝袋が並べられ、ジークは燃料となる薪と小枝を焚火のそばに並べている。
「おう。ふたりともすっきりしたかい?」
ジークは戻ってきたセラフィーネたちにそう尋ねる。
「はい。ありがとうございます、ジークさん」
「いいってことよ~」
エマが礼を述べるのにジークは軽い調子でそう返し、ぱちぱちと火花を散らす炎に木の枝を追加して投げ込んだ。
「どれ。俺も水浴びしてこようかな」
「待て、ジーク。その前にそろそろ約束を果たしてもらおう」
ジークが立ちあがるのにセラフィーネがそう告げる。どこかエマを意識した意味深な視線を向けながら。
「……ここでか?」
「ああ。約束は約束だ。だろう?」
ジークとセラフィーネの約束。それは1年に1回は殺しあうということ。
「当てつけ、とかじゃないよな?」
ジークは何のことか理解していない様子のエマに僅かに視線を向けてそう尋ねる。
「あの小娘はお前のことを理解していないようだからな。ここでしっかりと分からせておく必要があるだろう? お前の正体とお前の抱える悩みというものを、な」
「……いいぜ。俺もそろそろ説明しなければならんと思っていたところだ」
セラフィーネがそう言い、ジークが殺意を見せながらそう返すのを、エマは狼狽えた様子で見ていた。彼らは先ほどまでは親しくしていたのに、急にその空気が戦場のように殺伐としたものに変わったのだから当然だ。
「あ、あの、何をするんですか?」
「単純なことだ。見ていれば分かる」
戸惑うエマにセラフィーネはそう言い朽ちた剣を構え、ジークの方も上着を脱ぎ棄てると“月影”を召喚して構えた。
ジークの上半身には確かに鍛えられた筋肉の他に剣の傷や矢傷のあとが多く刻まれており、これだけの傷を浴びても生き残った歴戦の勇士であることが示されている。
「さあ、始めようか、ジーク?」
「終了条件はどうする?」
「私が飽きるまでだ」
「……分の悪い取引をしちまったみたいだ」
セラフィーネの言葉にジークは渋い顔でそう言い、後頭部をがりがりと掻く。
「それでは、いざ尋常に──」
「──勝負!」
そして、ジークとセラフィーネが激突。
ふたりは“月影”と朽ちた剣をぶつけ合って激しい金属音を響かせた。悲鳴のように甲高い金属同士がぶつかる音が響き、ジークとセラフィーネはお互いに本気で殺し合う。
彼らが冗談や訓練で剣を振るっているわけではないのは明白であり、エマは混乱していた。どうして急にふたりはこんなことを始めたのかと。
「一気に畳んでこれ以上戦いたくないって思わせてやるよ!」
「どうだろうな!」
ジークはいつもの防御を考えないひたすらな攻撃に出て、“月影”の重量を生かした重々しい打撃を連発する。セラフィーネは巧みにそれを防ぎながら反撃のチャンスを窺っていた。
「そろそろこちらからも仕掛けるとしよう!」
セラフィーネがそう言うと無数の朽ちた剣がジークの周りに展開し、彼に向かって射出させる。四方八方からの攻撃にジークは絶対絶命のように思われたが──。
「それには警戒してたぜ」
ジークはここで“月影”の刃を分裂させて、それらの刃を迎え撃つ。インテリジェントウェポンであり魂を有する“月影”はジーク本人の能力もあって、迫った数十を超える朽ちた剣を全て叩き落した。
「同じ手は二度も通じないか……! それでこそ!」
セラフィーネは満足そうにそう笑い、今度は手に握った朽ちた剣でジークを追い詰め始める。攻撃そのものは軽いが素早く振れる朽ちた剣はジークよりも素早く連撃を入れることができるのだ。
攻守が逆転。ジークはまた朽ちた剣が周囲から叩きこまれることに警戒しており、積極的な攻撃に出れていない。
「どうした? このままでは私はいつまでも飽きないぞ?」
「へっ! 言ってくれるな……!」
セラフィーネの挑発にジークは攻撃のチャンスを待っていた。セラフィーネの攻撃は素早く、変則的だが軽い。そこに逆転のチャンスはあった。
そしてセラフィーネがジークに向けて縦に朽ちた剣を振り下ろしたときだ。
「ここだぁ!」
ジークは素早くそれを上に弾くと、カウンターにセラフィーネを振り上げた“月影”の刃で袈裟懸けに深く斬り、さらにもう一撃横なぎに一閃する。素早く、無駄のない剣戟にセラフィーネは何の反撃もできない。
真っ赤な鮮血がジークの顔に水音を立てて飛び散り、セラフィーネがよろめき、その体が後ろに倒れかかる。セラフィーネの表情が急速に青ざめ、失血しているのが誰にでも分かった。
「ああっ!?」
その様子に思わずエマが悲鳴を上げた。
あれはどう見ても致命傷だ。ジークがセラフィーネを殺してしまった。なんてことだ。そう彼女は思ったのである。
しかし──。
「甘いぞ」
セラフィーネは倒れる間際ににっと笑った。その次の瞬間、ジークの側面から飛来した朽ちた剣がジークの首を刎ね飛ばした。セラフィーネを完全にダウンに追い込んだと思ったジークの油断である。
セラフィーネがダウンする直前に放った一撃でジークの頸動脈から血液がほとばしり、その地をセラフィーネが浴びる。うっとりと恍惚とした表情で温かいジークの血を浴びたセラフィーネは何とか踏ん張って倒れるのを防ぎ、首を失ったジークの方に向かう。
「ふふふ。私の勝ちだな?」
そしてセラフィーネは首のないジークの体に向けてそう宣言。
「な、なんてことを……」
エマは顔面蒼白だった。ジークがセラフィーネを殺してしまったと思ったら、セラフィーネの方が今度は確実にジークを殺してしまったのだ。
「どうした、小娘? そんなに青い表情をして?」
「だ、だって、あなたがジークさんを……」
「殺した、と? それならばやつが望むことだっただろうがな」
セラフィーネはエマの言葉を鼻で笑う。
そこでジークの体が不意に動き始めた。
「え……?」
エマがその様子の目を見開いて呆然とする中、ジークは自分の首を拾って自分の体へと乗せた。粘着質な音が響いたのちにジークの体は元通りになり、彼は深々とため息をついたのである。
「満足したか?」
「ああ。やはり純粋な剣技ではお前に勝つのは難しいな」
「そりゃそうだ。俺はこの剣だけで食ってきたんだからな。魔法も使えるあんたにそこを超えられたらかなわんぜ」
そして何事もなかったかのようにジークはセラフィーネと会話を始めた。
「……え、え?」
そのことにエマは大混乱の様子。
「説明するのだろう?」
「……ああ」
セラフィーネがにやりとチェシャ猫のような笑みで言うのに、ジークはちょっと気まずそうにしながらもそう言って驚き続けているエマの方を向いた。
「見ての通りだ。俺もこの魔女も不死身なんだよ。もっと正確に言えば完全な不老不死。俺ももう500年を生きている」
「不老不死……?」
「ああ。神々の気まぐれで望んでもいないのに不老不死にされちまったんだ。俺の場合は英雄神アーサーによって」
ジークはそう語り、エマの反応を見る。
「500年というと……まさかあなたは勇者ジークその人ですか……?」
「その通り。俺が勇者ジークだ」
500年も昔の英雄が生きていて、今まさに自分の前にいる。そのことにエマはどう反応していいいのか分からず硬直してしまった。
不老不死だということに驚けばいいのか? それと勇者ジークが生きているということに喜べばいいのか? それとも伝説の英雄に敬意を示すべきなのか? そのように様々な感情が大渋滞してどれを先に出すべきかでエマの頭は混乱してしまっている。
「それでな。俺はこの不老不死を解くための手がかりを探しにルーネンヴァルトの大図書館を目指しているってわけなんだ」
「不老不死を解くんですか……? どうして?」
ここでさらにエマを混乱させる話が飛び込む。
不老不死は世の人間がどんな対価を払っても手にしたいものである。それを得るためならばどんな対価でも支払い、身内すら犠牲にする権力者だっているだろう。
それほどのものをどうして自ら手放すのか?
「500年ってのは普通の人間には長すぎるんだよ……」
ジークはこれまでの人生についてエマに語った。
愛する人と何度も死に別れたこと。家族、恋人、友人が去っていく中、ひとりだけこの世に残されたこと。勇者として彼を知る人もほとんどいなくなり、生活に困窮し始めたということ。
500年という人生を彼はもう十分に生きたとエマに語ったのだった。
「そうだったのですね……」
エマも想像してみた。友人たちがこの世を去っていく中で、ずっとこの世界で生き続けるということを。それは想像を絶するような悲しみと孤独であろうと彼女だって理解することはできた。
しかし、彼女はそれだけだとは思わなかった。
「ですが、ジークさんが不老不死であるおかげで、オレは助けられました」
エマははっきりとそう言う。
「確かにジークさんは大勢を見送ることになったかもしれませんけど、それだけ大勢と出会ってもいると思うんです」
そう、ジークが不老不死であり、こうして旅をしていたからこそエマは助けられた。ジークが500年前に死んでいたら、彼女もこうして生きてはいなかっただろう。
「はは。まあ、そりゃあ生きていればいろいろあるからな」
「他にもトリニティ教徒たちを倒したり、グールから街を救ったのでしょう? それなら助けられた人も多いはずです。英雄神アーサー様はジークさんにそういう活躍をしてほしくて不老不死になさったのではないですか?」
「……そいつはどうだろうね。神々ってやつはマジで気まぐれな連中だから」
エマは500年も生きていないのでジークの気持ちを完全には理解できないが、彼の500年に及ぶ人生が完全に無駄だったとは思えなかった。
彼は今も英雄的な活躍をなしているのだから。
そのことをエマに認めてもらえたジークは言葉では否定しながらも、少しばかり嬉しそうな笑みを浮かべていた。彼も最近は諦めていたが、英雄と呼ばれることに憧れて勇者となったのだ。
「住んでいる世界が違うといった意味、理解できたか?」
そこでセラフィーネがそうエマに尋ねるような口調で言った。彼女は質問という形式をとっているが、実際には突きつけたような口ぶりで、僅かに笑った表情にも突き放すような雰囲気を感じさせている。
「……住んでいる世界が違うとは思いません。確かにジークさんは英雄ですし、セラフィーネさんも不老不死なんでしょうが、全員がこうして今を生きているじゃないですか。そこが同じである限りは同じ世界の住民だと思います」
「ふん」
セラフィーネはエマの言葉に感情を消した表情で鼻を鳴らした。実に不満そうだ。
「ごほん。そうだな。俺たちは今を生きている。まだゲヘナの下にも、モルガンの下にも行っていない。それだけは同じだな」
ジークは険悪そうなセラフィーネとエマの空気を中和するために咳払いしてそう言い、改めて血だらけになった自分の服を見て、それから同様に血まみれのセラフィーネの服を眺めた。
「しかし、俺は水浴びする前でよかったけど、あんたはせっかく水浴びしたのに台無しじゃないか」
「また浴びればいい。お前の血も温かくて心地よかったがな」
「うへえ。怖いから“月影”みたいなこというなよ……」
セラフィーネの言葉に『主様の生き血、美味しいのです~』という“月影”の化身のことを思い出してジークは渋い顔。
「さて、俺は水浴びしてきますよ」
「私が背中を流してやろうか? 私もまた水浴びをしなければならないからな」
「遠慮します」
ジークはセラフィーネの誘いをぴしゃりと断って、ひとりで水場に向かった。
ジークが水場に向かって去るとセラフィーネは血を帯びた外套を一度脱ぎ、ノースリーブのワンピース姿になる。
「ところで、さっきはどうして殺し合いを?」
「私とあいつの間の約束だ。あいつをルーネンヴァルトに案内する代わりに、1年に1度は殺しあう。それがあいつと交わした約束だからだ」
私は殺しあうことが最大の楽しみだとセラフィーネ。
「ジークさんのこと、嫌いじゃないんですよね?」
「ああ。むしろ、逆に好感を持っているぞ。いくら戦っても果てず、どこまでも立ち上がってくる不屈にして勇敢な戦士だ。きっとやつもルーネンヴァルトで不老不死を解けば、その魂は戦神モルガンの下に召されるだろう。アーサーに横取りされなければ」
「……だけど、好きなのに傷つけることにためらいがないんですね」
エマは疑問に思っていたことと同時に不満に思ったことをセラフィーネに告げた。
「ない。これこそが私なりの愛情表現だからな」
エマの言葉にセラフィーネはそう言って笑い飛ばしたのだった。
* * * *
野営地で食事を終えたジークたちはジークとセラフィーネが交互に夜の番をし、日が昇ってから出発した。
「そろそろ次の街が見えてくるといいんだけどなぁ」
ムニンに乗ったジークがそう愚痴る。
そろそろ屋根にある場所で寝たい。温かい食事が食べたい。風呂にも入りたい。できることならば花街にも遊びに行きたい。
ジークはそういう欲求不満を抱えていた。
「ええ。そろそろルーネンヴァルトに至るまでの最後に大きな街が見えてくるころですよ。オレもいつもそこで休憩しているんです」
「そうなの? それは期待できそうだ」
エマの言葉にジークも期待を深める。
そして、彼らが街道を進み続けると大きな城壁が東の方に見え始めた。
城壁は古い時代のものだがちゃんとしており、城門の前には短いながら馬車の列が並んでいるのが遠くからでも見える。
「おお? あれか?」
「ああ。あれだ。ルーネンヴァルトともゆかりが深い街でヴェスタークヴェルという」
海に向けて流れる大きな運河に沿って作られたその街こそが、ルーネンヴァルトまでもう少しだということを示すヴェスタークヴェルという街であった。
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