旅の商人の話
……………………
──旅の商人の話
ジークたちはエマと女性たちを救助して村に戻ってきた。
「ああ! ジークさん! 戻ってこられたんですね!」
「女子供も一緒だ! 救出できたんだ!」
村の人間たちはジークの連れてきた女子供が生きていたことに喜んだ。辱めは受け、ひどく暴行されてはいるが生きているだけも彼らにとっては嬉しかったのである。
「すまん。何人か助けられなかった人間がいる。遺体にはゲヘナに祈りを捧げて安置はしてきたが……」
「いえ。もう誰とも二度と会えぬものと思っていました。それを助けていただいただけで本当に感謝しております」
ジークが謝罪するのに村人たちはそう言って頭を下げていく。
女性たちは体の傷はセラフィーネが癒した。だが、心の傷はこれから癒さなければならないだろう。それは長い時間のかかることに違いない。
それでも女性たちは家族の下に向かい、涙を流しながら再会を喜んでいる。
「……やれることは、やったよな?」
「ああ。お前はできることをやった。それは間違いない」
ジークがその様子を見て呟くように言うとセラフィーネが彼女にしては珍しいことに優しげにそう言った。
「ありがと。けど、完全無欠のハッピーエンドとはいかなかったし、勝利を祝ってのお祝いはなしだな」
村は略奪されているし、女子供も全員が無事ではなかった。村人としても祝う気にはなれないだろう。彼らは今から復興に向けて努力する時間だ。
なので、村を離れるべく、ジークは軍馬の姿になったムニンの下に向かう。
「ジークさん、待ってください!」
そこでジークたちに声をかけるのはエマだ。
エマはフギンとムニンと比べれば劣る馬にたくさんの荷物を抱えさせて、その馬を引いてジークたちを追いかけてきた。
すでに彼女は新しいシャツを身に着け、その胸をサラシで覆って締めていた。こうしていると一見すれば中性的な男性に見える。しかし、その正体を知ったジークたちからするとちゃんと女性に見えた。
「おう、エマ。荷物は無事だったのか?」
てっきりエマの荷物も山賊たちに略奪されたと思ったジークだが、エマが馬に下げている荷物は奪われた痕跡はない。どっさりとした荷物が馬の両脇腹に下げられている。
「ええ。連中、オレの商品の価値が分からなかったみたいで」
「へえ。どういうものを扱ってるんだ?」
「今回は主に魔導書ですよ。古い魔導書を何冊か仕入れたので、ルーネンヴァルトまで売りに行こうと思っているんです」
「ルーネンヴァルトに行くのか?」
「そうです。オレは主にルーネンヴァルトで取引していて。ジークさんたちは?」
「奇遇なことに俺たちもルーネンヴァルトに用事があって、そっちを目指してるんだよ。具体的に言えばルーネンヴァルトにある図書館を目指している」
偶然にもエマとジークたちの度の目的地は同じルーネンヴァルトであった。
「大図書館ですか。何か調べ物を?」
「いろいろと事情があってな……」
不老不死云々の話をしてもやはり信じてはもらえないだろうと思いジークは言葉を濁したにとどまった。これまで大勢に不老不死の話をしたが、実際にジークが首を飛ばされても生きているのを見ない限り信じてくれないことが多かった。
そして、首を刎ね飛ばされて生きていたら認めると同時に化け物扱いだ。ジークはほとほとこのことを説明するのにうんざりしていた。
「目的地は同じルーネンヴァルトですし、一緒に行きませんか?」
「おう。いいぞ。旅は道連れ世は情けっていうしな」
「ありがとうございます! 最近の東部は物騒みたいだから……」
ジークはエマの申し出を快く受け入れてそう言い、エマはそう言って今回の件を思い返す。ジークたちのおかげで奇跡的にも助かったが、一歩間違っていれば彼女は辱められた上に生きたまま皮をはがされて殺されていたのだ。
こんな事件を経験してこれからの旅路を警戒しないのは愚かすぎる。当然ながらエマはこれから先でも同じようなことが起きるのではないかという警戒をしていた。
「あんたもいいかい、魔女?」
「ああ。別に異論はないぞ。せっかく助けたのに別の山賊に殺されでもしたら、無駄骨になってしまうからな」
「なら、決まりだ。一緒にルーネンヴァルトまで行こう」
セラフィーネは別に直接文句は言わなかったが、どこか居心地悪そうであった。
「では、よろしくお願いします」
しかし、こうしてジークたちの旅路にエマが加わったのだった。
彼女は荷物をたくさん下げた馬の上に乗り、ジークたちのあとに続いた。
「しかし、ここら辺が物騒になったのはここ最近の話なんだろう?」
「ええ。オレが聞いた限りでも、トリニティ教徒たちは南進してきたからで、その南進が始まったのは1、2か月ほど前。それまでここら辺に山賊が出るなんてことは……」
それまでは街道の安全は憲兵たちが守っていたとエマ。
「その憲兵は戦争に駆り出されて、トリニティ教徒相手に大敗。そのせいで街道の警備は行われなくなり、そのうえ傭兵は山賊化するし……というわけか」
「ええ。今も南東部にはトリニティ教徒たちがいると聞きます。このまま治安の悪化は止まらないのかな……」
「それなら問題ないと思うぞ。南東部に進出してきた連中は打撃を受けたからな。使徒ってやつも倒されたし」
「そうなんですか!?」
ジークがさらりと言った言葉にエマが目を丸くして驚く。
「そうだぞ。何を隠そう、使徒を倒したのはそこにいるジークだ」
そこでセラフィーネが横から自慢するようにそう言った。
「ええ!? ジークさんが使徒を倒したんですか……?」
「俺だけで倒したわけじゃない。軍の部隊とそこにいる魔女のおかげだ」
ジークはそう言い、首を横に振りながらセラフィーネの方に視線を向ける。その信頼の見せる視線にセラフィーネは僅かに微笑む。
「それからもいろいろとあったな。万を超えるグールに襲われていた街を救ったりと」
「おお。本当に勇者ジークみたいな活躍ですね!」
セラフィーネが語り、エマは目を輝かせてジークとセラフィーネのふたりを見た。
「ははは……。勇者ジークには及ばないけどな……」
乾いた笑いとともにそういうジーク。
ますます自分が勇者ジークですと名乗りにくくなったジークである。ここで実は自分が勇者ジークですと名乗れば自画自賛だとばれる。
「それよりエマは傭兵とかは雇わないのか? 行商人なら傭兵と一緒に旅している連中もいるぜ。前に見たことがある」
「オレが男だったら問題ないんでしょうけど、やはり傭兵は男ですから。無理やり肉体関係を迫られたこともあって、少しばかりトラブルに……」
「そうか。女の傭兵ってのは確かにあまり見ないなしな。難しいな、そこら辺は」
傭兵というのは良くも悪くも殺しを商売にしており、堅気の人間とはいいがたい。性格も荒っぽい人間が多く、今回のように負けが込めば山賊化したりするぐらいだ。
そんな傭兵をエマが雇っていれば、長い旅の中で彼女と傭兵だけになったとき、相手が手を出さないとは言えない。事実、エマはそういうトラブルをすでに経験したあとのようであった。
「だけど、それも考え直さないといけませんね。こういうことが起きたのでは……」
エマはそう後悔の念が籠った声で呟くように言う。
これからも彼女が安全に行商人を続けるには、貞操を犠牲にしてでも男の傭兵を雇うか、稀にしかいない女の傭兵を探し出すかだ。
どちらも困難な道であるが、自分の命が犠牲になるよりマシであろうと、そう思うかしない。弱者にとって人生の選択肢はないわけではないが豊富でもないのだ。
「行商人はどうしても治安の影響を直に受けるからな……。店を持てばそういうところも楽になるんだろうけどさ。その予定は?」
「もう少しです。いずれはルーネンヴァルトに店を持つつもりですよ」
「そいつを応援させてもらうよ」
エマもルーネンヴァルトに店を構えれば、今回のような危ない目に遭うことも少なくなるだろう。
行商人というのは旅をしなければいけない以上、各地の変化によるリスクを抱え続けることになる。戦争が起きて治安が悪化したとか、政変が起きて街が封鎖されたとか、天災に見舞われて橋が落ちたとか、そういうことによるリスクだ。
「しかし……」
エマがそこでジークとセラフィーネの双方を交互に見る。
「おふたりはどういう関係で?」
エマの疑問に思った点はもっともな点だった。
ジークとセラフィーネの関係についてまだエマは把握していなかった。一見して親密そうに見えるふたりだが、夫婦というわけでもなさそうだし、恋人にしてもやや距離を感じられる。
「ああ。こいつには道案内を頼んでいる。俺は一度もルーネンヴァルトに行ったことがなくてさ。ルーネンヴァルトまで案内してもらうことになってるんだ」
「それだけですか……?」
「それだけ」
エマはジークの答えにやや納得いかない様子で首をひねる。
確かに夫婦や恋人ほど親密は見えないが、ただの道案内しては彼らの関係は深いように思われた。少なくともセラフィーネの方はそういう空気を出している。彼女がジークに向ける視線は、エマなどの他の人間に向ける視線とは違った。
「それだけではないだろう。一緒に死線を潜り抜けた仲だ。トリニティ教徒を相手に、グールを相手に、レヴァナントを相手に、山賊を相手にな」
やはりセラフィーネの方は異論があるらしく、そう言葉を挟んできた。
「おいおい。俺たちにとってそいつには大した価値がないのは分かってるだろ?」
しかし、ジークの方はからかうようにそれを笑う。セラフィーネはそれに不満そうに眉を歪めて目を細めるが、言い返しはしなかった。
なるほどとエマは思う。
セラフィーネの方はジークに友達以上の好意があるが、ジークの方は友達かそのラインの関係だと思っているらしい。
そのうえでエマは考える。ジークは傭兵には見えないが、下手な傭兵よりも遥かに腕が立つ。その上、紳士的な男性だ。女性を無理やり手籠めにするような人間には決して見えない。
そんなジークがこれから自分の護衛についてくれたら行商人を続けるうえで大きな利益になると、彼女はそう考えた。
それにだ。純粋にエマは今回見返りもなく自分を助けてくれた英雄のようなジークに好意を寄せていたということもある。ジークがセラフィーネと両想いでないならば、自分にもチャンスはあるかもしれないと考えていた。
「ジークさんとセラフィーネさんはルーネンヴァルトを訪れたあとはどこへ?」
「それを決めるためにルーネンヴァルトに向かっているんだ。ルーネンヴァルトにある大図書館。そこで俺の抱えている問題の解決方法を調べて、それからは問題解決のために動く感じかね」
「問題というと?」
「いろいろとあってな……」
エマが問うのにやはりジークはあいまいに答えて気まずそうに笑うだけ。
「その問題、オレにも解決を手伝えませんか?」
「気持ちは嬉しいけど、無理だと思うな。かなり深刻な問題でさ。もう神々に祈るしかないと思ったぐらいだから」
「……病気ですか?」
「逆だよ。健康すぎるのが問題なんだ」
「健康すぎる?」
はてなマークがエマの頭の上にいくつも浮かぶ。
深刻な病気はそれこそ神々に祈るしか方法がないだろう。真っ先にそれをエマも考えた。だが、ジークがいうような健康すぎることが問題となるとは聞いたことがない。健康すぎることを神々に求めることがあったとしても。
「まあ、一緒に旅してればいずれ分かるよ……」
ジークはどこか疲れた顔でそう言ったのだった。
* * * *
それからジークたちは旅を続けた。
流石に東にどんどん進めば、治安は改善していった。トリニティ教徒の反乱によって荒れてきた場所は通り過ぎたようだ。
しかし、用心しているのか街道沿いの村は門を閉ざしており、一晩の宿を求める旅人も中に入れてはくれなかった。なので、ジークたちは仕方なく街道沿いで野営をするしかなかった。
幸いにして街道のある地点に澄んだ小川という水場があり、野営にするにしてもいい場所を見つけたので、ジークたちはそこで野営をすることに。
「火を起こしておくから、あんたらは水浴びでもして来たらどうだ?」
ジークはそうセラフィーネとエマに勧め、彼は燃料となる小枝と薪を取りに近くにある小さな林の方に向かった。
「ジークさんって紳士的ですね」
「当然のことだ」
エマが感心していうのにセラフィーネは満足げにしていた。
彼女たちは周囲に誰もいないことを確認して服を脱ぎ、下着姿で体を拭くことを決めるととても澄んだ小川にある大きな岩の上に服を置く。それからエマが持ち合わせていた布を濡らして体をふき始めた。
エマはセラフィーネの体を見て少しばかり驚く。
セラフィーネもあの場で剣を抜き、荒事を商売にしている人間だと知っていた。だから、体には多少の傷はあるだろうとそう思っていたのだ。剣や矢でできた切り傷があるに違いにあと。
しかし、下着姿のセラフィーネにそのような傷はひとつもなく、それどころか白磁のように真っ白な肌には染みもしわすらもない。澄み切ったとても美しい肌で、同性であるエマですら息をのんでしまうほどだった。
その白い肌に濡れ羽色の髪のコントラストの犯罪的とすら表現できる美貌はまさに美の女神であるフレイヤが与えたかのようなものである。
しかし、その肉体は確かに美しいが、それは芸術のような美しさで男に情欲を抱かせるものが足りていない。胸のふくらみと下半身のふくよかさはエマの方が上だ。それを見てエマは内心で小さくガッツポーズした。
「お前」
そこでセラフィーネがエマの視線に気づいたのか声をかけてきた。
「は、はい?」
「ジークに惚れるのはやめておけ。お前とは住んでいる世界が違う」
セラフィーネはロングブーツを脱ぎ、露になった小さな足で岩場から小川の浅瀬に水を弾きながら、そうはっきりとエマに告げた。
「……そんなことはないと思いますけど……」
ジークがこの地上にお忍びでやってきた神々であるならともかく、ジークは同じ人間だ。それに彼が平民であるエマとは身分の違う貴族や王族であるとも思えない。
「いずれ分かる」
エマの疑問にセラフィーネは怪しく笑ってそう答えた。
……………………




