双剣
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──双剣
ジークとセラフィーネが神殿に到着したとき、すでに状況は危機的だった。
「中から悲鳴が聞こえる。突破されているみたいだな……」
「グールの分際で神々の神殿を荒らすとは。不届きものどもめ」
ジークは神殿を包囲するグールたちを視認すると同時に中からも悲鳴が聞こえることを確認した。もうすでに地下から侵入したグールたちと民兵が交戦している状況であり、一刻の猶予もない。
「どうする? 私が外のグールを掃討し、その間にお前は中に入るか?」
「ここはちょっとばかり援軍を頼もう」
「誰にだ?」
「俺の長年の相棒にだよ」
ジークはそう言うと“月影”の刃をぐっと神殿に向ける。
「──“月影”!」
するど、青白い粒子が刃から舞い、それと同時に妖美な美女が姿を見せた。それは以前姿を見せた“月影”の化身がずっと成長したような、そんな神秘的な白い髪を背に流した女性だ。
外見年齢は20歳前後だろうか。女性的な魅力がありながらちゃんと均整が取れた体には白いワンピースを纏っている。その汚れを知らぬ肌は雪原のように白く、皺も染みも存在しない。
そして“月影”の刃と同じ青白い瞳。
「ふわあ。ボクをこの姿で呼ぶとは珍しいですね、主様?」
その大きく欠伸した口からは鋭い犬歯が覗く。まるで牙のようだ。
「ああ。緊急事態だ。協力してくれ、“月影”」
そう、これもまた“月影”の化身の姿のひとつなのである。
「何をすればいいんですかぁ~?」
「この神殿の周りにいるグールを掃討してほしい。俺たちは神殿の中に入って、そこにいる連中を助けなければならん。頼めるな?」
「ええー……。グールの血はとても不味いのですよ……」
「文句言うなよ。これまで人間の血はたっぷり吸わせてやったろ?」
「ダメなのです。けど、ちゃんとした口直しを約束してくれるならいいですよ~?」
“月影”の化身はそう言って上目遣いにジークの方を見て笑う。まるで悪戯を企てている猫のような笑みだ。
「はあ。分かった、分かった。口直しはちゃんと吸わせてやる。今は頼むぞ」
「了解なのですよ」
ジークが頼み込むのに“月影”の化身は頷くと、その手に“月影”の刃を握り、グールたちと対峙した。神殿に入れないグールたちは新しい餌の臭いを感じたのか、“月影”の方を剥き、唸りながら彼女とジークたちに近づく。
「さあ、カワイイカワイイボクが蹴散らしてやるのですよっ!」
それから不敵に笑う“月影”の化身が上段に“剣”を構えるとゆらりと揺れ、その姿が一瞬消える。次の瞬間、姿を見せた“月影”の化身が姿を見せたとき、彼女はグールの背後を取っていた。
「一閃」
そして背後からの横一線の鋭い斬撃にグールたちの首が一斉に刎ね飛ばされる。鮮血とともにグールの首が宙を舞い、ぐらりとグールの体が傾いて地面に倒れた。
「うげげえ~。グールの血はとんでもなく不味いのですよ~……」
死体を食らい、病気を媒介し、排泄物に毒が混じるグールの血も本来ならばひどく有害でひどく有毒だ。それが不味いで済むのはひとえに“月影”の化身もまた不死身だからだろう。
「とはいえ、主様に頼まれたので頑張りますよ~」
グールたちは“月影”の化身を脅威と感じたのか、それともまだ餌と認識しているのか、“月影”の化身に向けて群がってくる。“月影”の化身はそれを嫌な顔をしながら、斬り倒し、薙ぎ切り、貫いて撃破していく。
「よし。連中は“月影”が引き受けた。俺たちは神殿の中に救援に向かうぞ」
「ああ。神聖なる神々の神殿から薄汚いグールどもを駆逐する」
ジークはバリケードで封鎖された扉に向けて“月影”を構えると縦に扉を一閃して、思いっきり蹴り開ける。扉はガンッと激しい音を立てて開かれ、ジークとセラフィーネはすぐに中に飛び込んだ。
「──無事か!?」
ジークが中を見渡すと、すでに民兵と民間人が神殿の隅に追い込まれている状況であった。地下からあふれたグールたちが彼らを八つ裂きにしてやろうと爪と牙をむき出しにして迫っている。
ヨナタンたちも絶体絶命の状況だ。
「やべー。大ピンチって感じだな。こっちで一暴れするぞ!」
「ああ。神々の声を授かり、信仰を深める神殿に死体食いの化け物が土足で入り込むとは不届き千万。戦神モルガンの名においてこの私が相手してやろう!」
ジークの言葉を受けて、セラフィーネが大きく前に出て声を上げると、グールたちがセラフィーネの方をその血走ったぎょろ目で見て、その攻撃の矛先をヨナタンたちからセラフィーネに変更。
それから恐ろしい唸り声をあげてグールたちがセラフィーネに迫る。
「醜い死体漁りどもめ。残らず殺す」
セラフィーネは横薙ぎに剣を振るうと、第一波のグールたちを一閃。さらにその刃の軌跡から朽ちた剣の分身がずるりと何本も現れて第二波のグールたちを薙ぎ払う。
「死に絶えろ、冒涜者めが」
セラフィーネは珍しく怒りを燃やしていた。
彼女にとって神々はその忠誠を示すのに値する存在であり、彼女が仕える戦神モルガンもまたこの神殿で祭られてる。
そこにグールたちが土足で踏み込み、さらには礼拝堂にいた人間を殺し、さらには食らったのだ。その流血によって神々の館であるこの神殿を汚したのである。
それは信心深い彼女にとって決して許せるものではない。
「あいつ、滅茶苦茶張り切ってるな。俺も頑張らねーと」
ジークも“月影”を構えるとグールに挑みかかる。
まずジークが狙ったのは民間人の近くにいるグールだ。民兵にはもう戦う余力があるようには見えず、先に助けておかないとグールたちが不意に彼らを狙ったときに犠牲になってしまう可能性があった。
これ以上犠牲を出さないことがジークの優先すること。
セラフィーネが神々のためにグールと戦っているのならば、ジークは今を生きている人間と死んだ人間の尊厳のためにグールと戦っている。
ジークはセラフィーネほど神々のことを思ってはいない。彼にとって神々は単なる上位者であり、気まぐれで自分を不老不死にした連中である。そこに彼らを敬うようになる理由は存在しなかった。
「そーらよっと!」
ジークは相変わらずの防御を捨てた攻撃に全振りした動きでグールに斬りかかり、“月影”の刃はグールたちを熱したナイフでバターを切るように斬り倒していく。
セラフィーネが暴れ、ジークが民間人を守り、戦況は逆転した。
グールたちは地下に向けて押し返され始め、地下からあふれるグールの数も減少。このまま神殿からグールは駆逐される。そのように思われた。
しかし、状況はそこまで甘くはなかった。・
「む? 何来るぞ。グールにしては……大きいな……?」
そこでセラフィーネが声を上げてジークに警告する。
巨大な何かが移動する足音がセラフィーネの耳には捕らえられていた。グールたちよりも何倍も大きな何かが、階段を上ってきている。
「何がおいでなさるのかね」
「分からん。備えろ」
ジークが軽い調子で言うのにセラフィーネが鋭く地下に続く階段を睨む。
そして、階段からその何かが姿を見せた。
それは巨大なグール、というには様子が違う存在だ。
大きさは確かにグールの3倍ほどはある。しかし、骨が変化した生じただろう両手から生える鋭い刃を持ち、その表面の皮膚は装甲化されているかのように固そうな殻におおわれていた。
「こいつ、まさかレヴァナントか」
レヴァナント。グールの上位種に位置づけられる怪物であり、濃い瘴気の中からときおり生まれると言われている。
グールのように死体を貪るのだが、その脅威はグールの比ではない。その両手に発達した刃と体の装甲──そして、ある特徴によって大きな脅威となるのだ。
レヴァナントはジークたちを見て、グールと同じ血走ったぎょろぎょろと蠢く目玉をそちらに向けてと低く恐ろしい唸り声を上げながら向かってきた。
「ジーク。レヴァナントと戦ったことは?」
「ない。注意すべき点は?」
「戦えば分かる」
セラフィーネはそう言って朽ちた剣を円を描くように振るうと、その奇跡に合わせて円形に朽ちた剣の分身が生まれる。それらは刃の切っ先をレヴァナントに向けると、勢いよく投射された。
しかし、レヴァナントは飛翔してくるそれを両手の刃で弾き、数本だけを体に受けた。その数本とて心臓のある胸や頸動脈が通る喉などの致命傷になる位置を貫いたと、そう思われたのだが……。
「死んでない……?」
ジークが呆気に取られてみるのは、レヴァナントがセラフィーネの放った刃を引き抜き、血を流しながらも平然としている様子だ。レヴァナントの負った傷は、現代的なたとえで言えばビデオを逆再生するかのように元通りになっていく。
「そうだ。こいつは不死身とは言わないが、恐ろしく頑丈だ。殺すには文字通りみじん切りにするしかない」
「マジかよ」
セラフィーネが言うのにジークが眉間にしわを寄せて呻く。
「分かった。じゃあ、みじん切りにしてやろうぜ」
しかし、すぐにジークはそう応じ、セラフィーネとともに剣を構える。
ジークとセラフィーネがレヴァナントと対峙する中、先に動いたのはレヴァナントであった。レヴァナントは両腕を高く振り上げてジークを目指し突撃してくる。
「きやがれ!」
ジークは振り下ろされる刃を“月影”で弾きながら防御し、繰り返されるレヴァナントの斬撃から身を守る。
レヴァナントの斬撃の速度はなかなかに早く、ジークでも辛うじて受け止めているという戦況。仮にもこの“月影”で邪神を討伐したジーク相手にこれだけ対等に勝負を運べるのは恐ろしいともいえる。
しかし、レヴァナントと対峙しているのはジークだけではない。
「脇ががら空きだぞ」
セラフィーネがジークと斬りあっているレヴァナントを側面から攻撃。その首を刎ね飛ばし、体に何本もの朽ちた剣を突き立ててレヴァナントの肉体をえぐり、徹底的に破壊する。
それによってレヴァナントの右側面の肉体が文字通り消失。肉体の4分の1に打撃を与えた。だが、それでもレヴァナントは意に介した様子はなく、ジークとの戦闘を継続し続けていた。
「マジで俺たちみたいに再生しやがるな……」
体の4分の1の体積を失ってもレヴァナントは平然とその傷を回復させていき、失った頭も再び首から生えてくる。ぎょろ目が蠢くようにして空っぽだった眼窩に誕生し、ジークの方からセラフィーネの方に視線を向けた。
「おや? 私の方に挑みかかるか? 来るがいい、冒涜者!」
セラフィーネは挑発するようにそう言い、レヴァナントは次はセラフィーネに向けて突撃を始める。刃のある両腕を横に広げ、一気にセラフィーネとの距離を詰めたレヴァナントは鋏を閉じるように両腕を交差させた。
殺意が横に線を描き、鋭い刃が走る。
「なかなかだな……!」
セラフィーネはそれを間一髪で回避し、次の攻撃に備える。
しかし、そこでレヴァナントは思わぬ攻撃に出た。
「なっ……!?」
自分の腕に生えていた刃をぶちりと腕ごと引き抜くとセラフィーネに向けて投擲したのだ。刃はセラフィーネの腹を貫いた勢いのままに軽い彼女を壁に釘付けにした。標本にされた蝶のように神殿の壁にセラフィーネが串刺しにされて動きを封じられる。
「やってくれるな……!」
魔法を主体として戦闘を行うセラフィーネはどうしても白兵戦に弱いところがある。それは並の人間と比べれば遥かに高度な腕前だが、並を超えた相手にはどうしても苦戦してしまう。
「畜生。やりやがったな」
セラフィーネを行動不能にしたレヴァナントは再びジークに向けて挑みかかり、彼との交戦を再開。ジークを再び苦戦させるかと思いきや、今度はジークが押し始め、レヴァナントを神殿の壁際に追い詰めていく。
仲間を傷つけられたことが、ジークの怒りを燃やしたように。
「魔女! 魔法は使えるな!?」
「ああ。いけるぞ」
まだ串刺しにされた状況から脱してはいないが、セラフィーネの手には朽ちた剣が今も力強く握られている。
「じゃあ、隙を作るからこいつにとっておきのをぶち込んでくれ!」
ジークはそう言うと壁際に追い詰めたレヴァナントの両腕を一気に切断。そして、一度“月影”でレヴァナントを神殿の壁に張り付けにする。レヴァナントはセラフィーネにやったことをまるっとやり返され、身動きが取れなくなる。
「今だ! ぶち込め!」
ジークがそこでセラフィーネの射線から横に飛んではずれると、セラフィーネが数万という数で束ねた朽ちた剣をレヴァナントに向けた。
「食らえ」
そしてセラフィーネがそれらを砲弾のように加速させて射出。
無数の刃が動けないレヴァナントを直撃。ぴしゃりと水の弾けるような音が響き、それから神殿の壁が崩落する音が響いた。
「……流石にやったよな?」
崩壊した壁の中からごろりとレヴァナントの半分破壊されて脳が覗いた首が転がってくるが、レヴァナントが起き上がってくる様子はない。
「ああ。あれだけの打撃を与えれば大丈夫だろう」
「オーケー。今、そっちを助ける」
「すまん」
ジークは親善の壁に張り付けにされたセラフィーネを、レヴァナントの刃を抜くことで救出する。その際、僅かにセラフィーネがよろめき、ジークの方に倒れ込んだ。
「おっと。大丈夫か?」
「大丈夫だ」
そのとき倒れ込んできたセラフィーネの長い濡れ羽色の髪から、ふんわりと女性らしい甘い匂いが漂うのに一瞬ジークがどきりとする。
「どうした?」
「何でもない」
セラフィーネが上目遣いで見るのから目をそらし、ジークは民間人たちの方に向かった。セラフィーネを相手に興奮したら負けだと思って。
「おーい。あんたらは全員無事か?」
「あ、ああ。あなた方は……?」
「ただの通りすがりの旅人だよ」
民兵の代表としてヨナタンが尋ねるのにジークはにっ笑ってそう返す。
「お母さん。ぼくたち助かったの……?」
「ええ。助かったのよ」
デニスが尋ねるのにエーディトが微笑んで答える。
もはやこれまでと思っていた民間人も民兵も自分の命が助かったことに一瞬呆然とし、それから喜びに喝采を上げ始めた。
「ありがとう、旅人さん!」
「ありがとう!」
生き残った市民たちがジークとセラフィーネを口々に礼を言うのに、ジークはやや照れた様子で笑って答え、セラフィーネはそんなジークを見て満足げにしていた。
かくして、ヴァイデンハイムの街は救われたのだ。
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