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危機の街

……………………


 ──危機の街



 山賊に遭遇してからもジークたちは東に進んだ。


「馬車だ」


「焼かれているな」


 ジークたちが進む街道の先に黒く焦げた馬車が転がっていた。


 馬車を引いていた馬は死んでおり、躯には無数のウジとハエがたかっている。馬車の御者だっただろう男も殺されており、数本の矢で撃ち抜かれた物言わぬ死体が倒れていた。ただどちらの死体も焼かれてはいない。焼かれているのは空荷の馬車だけだ。


「山賊に襲われた、って口か?」


「あるいはここら辺にもトリニティ教徒がいるかだ」


「連中なら死体を焼いているはずだ」


 死体は馬も人間も焼かれていない。


 これまでのトリニティ教徒たちの行動とはずれている。


「しかし、この物騒な時期に西に向けて移動していたとはな。どうにも妙じゃね?」


「ああ。ここから西にはこれまでカルトどもがいた。こいつがそれを知らなかったとは思えんが……」


「急いで西に移動する理由があった? って割りには、別に軍隊に所属していたようには見えないし。援軍や物資を運んでいたようではなさそう」


 セラフィーネもジークも怪訝そうに首をひねって考え込む。


「そもそもここから東に何があるんだ?」


 延々と続く街道の先には何も見えない。街道は一度小高い丘の間に入り込み、その先はよく見えなくなっていた。


「この先には街があったはずだ。名は確かヴァイデンハイム」


「その街に何があって、そこから逃げてきた可能性は?」


「……あるかもしれんな」


「はあ。街でのんびりってのはできそうにないかもってわけだ」


 セラフィーネが神妙な表情で頷くのにジークはため息。


「どうあれ進むしかない。この街道の他にルーネンヴァルトに向けて整備された街道があるとは記憶にない」


「へいへい。じゃあ、進みますか」


 ジークたちはこの先に何があるのか、不安半分で進み始めた。


 街道を進んでいくと、放棄された馬車の山が見えた。ぬかるんだ街道にはまったのか、馬が倒れたのか、馬車と馬の死体がいくつも放置されている。人間の死体は見当たらず、人の気配も感じられない。


「集団で脱出しようとしていた? けど、それに失敗したくさいな」


 ジークはその放棄された馬車の山を見ながらそう呟く。


 馬車には家財道具が乗せられたまま。これが引っ越しでなければやはりジークが言うように街から逃げなければならない理由があったということだろう。


「馬の死体の腐敗具合から見るに、この馬車が放棄されたのは3、4日前だな」


「馬車を捨てて逃げようとしたところを、街道で山賊に襲われたか、トリニティ教徒にやられたか。山賊やトリニティ教徒という危険があることを知らなかったとはやはり思えないし、よほど街から逃げなきゃならない理由があったんだろうな」


 ヴァイデンハイムなる街でも近くで戦争が起きていたことは分かったはずだ。そして戦争が起きれば侵攻してきた勢力は当然として、脱走兵などが山賊化することだって想像できるだろう。


 そのようなリスクがあると把握していなかったとは思えない。


「どうにも嫌な予感がしてきたぜ。何が起きているのやらだ」


 このまま進んで実は何もありませんでした、なんてことはもはやありえないだろう。行き着く先には山賊やトリニティ教徒以上の危険が待ち構えているのは明白。


「楽しみになってきたじゃないか。また盛大に戦えそうだ」


「あんたはいいよな。そういうのが楽しみで。俺はそういう趣味はないから」


 いささか邪悪に笑うセラフィーネにジークはそう言って眉間にしわを寄せると、東の方に再び向かい始めた。


 彼らが向かう東の街ヴァイデンハイムには──。



 * * * *



 南東部で繰り広げられたトリニティ教徒による虐殺。


 それによって生じたグールたちは、最初は少数だったが虐殺の規模が拡大たびに増え続けた。死者に対して神々に祈りを捧げないトリニティ教徒による組織的な虐殺は意図的にグールを培養しているようなものであった。


 グールは増え続けた。栄養たっぷりの寒天培地に宿った大腸菌のように。


 百を超え、千を超え、そしてやがて万を超えた。


 しかし、死体は無限にあるわけではない。グールたちが増え続けるほどに死体は猛烈なスピードで貪らていき、徐々になくなっていった。


 通常ならばここでグールたちは共食いを始めて全滅するのだが、今回彼らは別の死臭を嗅ぎ取った。薄くはあるが美味そうな死体の臭いだ。


 それはほかならぬヴァイデンハイムからだった。


 グールたちはヴァイデンハイムに向けて集まり始め、ついには街を襲撃した。


 人口約4000名の街は万を超えるグールに包囲されてしまったのだ。


「城壁を登らせるな! 防ぐんだ!」


 ヴァイデンハイムに群れたグールたちは鋭い爪で城壁をよじ登り、その中に入ろうとする。それを食い止めるために城壁では憲兵隊と動員された民兵が必死に防衛戦を繰り広げていた。


 彼ら石を投げてグールの頭を潰し、クロスボウでグールを射抜き、さらには熱湯などを使って城壁からグールを追い落としている。


「次が来た!」


「クソ! もう武器がないぞ!?」


 しかし、グールたちに恐怖心はない。死体を貪ることしか考えていない彼らは昼夜を問わずヴァイデンハイムの城壁を突破しようとし、守備隊は何日も眠れない戦いを強いられて疲弊していた。


「うわっ──」


 そこで城壁からグールを追い落とそうとした若い民兵が、グールの爪に引っかけられて城壁から落下する。落下の衝撃で瀕死になった若者を、グールたちは爪で裂いて生きたまま貪っていく。若者が上げる悲鳴は街の中にまで響いた。


 そのぞっとする光景に守備隊は震える。


「怯むな! ここで食い止めて街を守るんだ!」


 職業軍人である憲兵が民兵たちを大声で鼓舞し、抵抗を訴える。それに支えられて民兵たちは再びグールの群れに対する抵抗を始めた。


 しかし、状況は多勢に無勢。圧倒的な数の不利は城壁という強固な陣地を持っていたとしても戦況に響いていた。


「指揮官殿。民間人は一度安全な場所に避難させるべきです」


「そうだな。この街で一番頑丈な建物は神殿だ。そこに向かうように民間人に指示を出せ。我々も城壁が突破されたら、そこまで撤退する」


「了解です」


 憲兵隊の指揮官は城壁が持たないことを悟りつつあった。


 すでに戦闘は4日に及んでいるが、グールの数は減ったようには見えない。それでいて守備隊側は疲弊と損耗を続け、武器弾薬も急速になくなりつつある。


 このままグールが共食いでも始めなければ、城壁は落ち、街にグールが入ってくることを許すことになるだろう。そうなれば街の中では無辜の市民たちが生きたままグールに食い殺される惨劇が広がるはずだ。


 援軍を求めて西に伝令を放ったが、西は西でカルトであり、この騒ぎの元凶ともいえるトリニティ教徒たちが暴れていると聞く。伝令が無事にたどり着けるという保証は存在しなかった。


「次が来るぞー!」


「迎え撃て!」


 もう矢は尽きた。急いで家屋を打ち壊すなどして石だけは準備しているものの、兵士たちの疲弊が激しすぎる。


 石を投げる手にも力がこもらず、投石の中を疲れ知らずのグールがよじ登ってくる。民兵たちの抵抗は通用しなくなっていた。


 そして、ついにグールたちは城壁の上に到達。


「畜生! 城壁に上られた!」


「民兵は神殿まで撤退しろ! ここは我々が時間を稼ぐ!」


 憲兵隊の指揮官が命じ、民兵たちは神殿に向けて撤退を始めた。彼らは城壁から急いで逃げ、その背後は憲兵たちが命を懸けて守った。


「戦神モルガンの名において!」


 戦いの神であるモルガンに祈りを捧げ、憲兵たちはグールをサーベルや槍で攻撃し、民兵の撤退を支援する。


 しかし、その間にも次々にグールたちは城壁をよじ登ってきている。それによって憲兵たちは囲まれ、グールの爪によって裂かれ、牙によって食らいつかれ、生きたままく割れていく。


「うおおおおっ!」


 それでも憲兵たちは最後まで懸命に戦った。全員がこの場で命を捨てる覚悟で戦い続けた。その時間のおかげで民兵たちは神殿まで撤退できたのである。


 しかし、城壁を制圧したグールたちは次にヴァイデンハイムの中に侵入を開始し、そこにいる市民を狙い始めた。


「助けて! 誰かぁ!」


 神殿に逃げ遅れた市民がグールに襲われて生きたまま貪られる。臓物を啜るグールたちの粘着質な音が響き、おぞましいグールたちの蛮行によって街は赤黒くグロテスクに彩られた。


 神殿まで逃げ込んだ民兵と市民たちは出入口にバリケードを作り、グールの侵入を防ぐ構えを見せた。


「憲兵は!?」


「全滅した! 残ったのは俺たちだけだ!」


「なんてこと!」


 神殿は頑丈な石造りのそれであり、容易に侵入を許さない。ただ、そこにはある程度の食料と医薬品はあったものの、永遠に立てこもれるほどの物資は存在しなかった。


「……これからどうするんだ?」


 民兵のひとりが発した言葉に、答える人間はいなかった。


 神殿は市民たちが急遽避難した礼拝堂と聖職者たちが暮らす宿舎からなり、その大きさはこの人口の都市にしてはなかなかのものであった。


 しかし、神殿に逃げ込んだ市民の数は人口4000名のうち半分の2000名ほど。これだけの人間がずっと過ごせるほどの大きさはない。神殿ができたのはまだ街が小さかったころで、そのころの人口に併せて作られているのだ。


「お母さん。これからどうなるの……?」


 幼い子供が不安そうに声を上げている。


「大丈夫よ、デニス。きっとお父さんと神様たちが守ってくださるわ」


 そう子供に言い聞かせるのは妊娠しており、お腹周りがふっくらとした若い女性であった。名前はエーディトという。


「無事だったか、エーディト!」


「あなたも」


 エーディトの夫であるヨナタンは民兵のひとりで、これまで戦っていた城壁から無事に神殿まで撤退することに成功したひとりであった。


「これから助けは来るの? どこからか援軍は?」


「……分からない。まだ何も分からないんだ。憲兵たちは全滅してしまった。彼らが援軍を得るべく伝令を放っていたのだが……」


 伝令について情報を持っていた憲兵隊の指揮官も城壁の戦闘で戦死している。民兵たちにそれらを伝える前に。


「お父さん。ここにいれば大丈夫……?」


「ああ、大丈夫だ、デニス。神様たちが守ってくださるよ」


「分かったよ!」


 父からの優しい言葉に子供は笑みを浮かべるが、もちろん神々が都合よく助けてくれるということはない。神々はそこまで慈悲深くも、都合よくもない。


「……あなた、いざとなったらグールに生きたまま食われる前に……」


「そんなことを言わないでくれ。頼む。君たちのことは俺が絶対に守るから」


 自らの死を、安らかな死を望む妻エーディトにヨナタンは首を横に振る。


「でも、こんな状況では……」


「大丈夫だ。きっとどうにかなる。なるはずだ……」


 エーディトに伝えるというより、自らに言い聞かせるようにヨナタンはそう繰り返す。他の民兵たちはかき集めたありあわせの武器で武装し、バリケードのそばで絶望的な表情を浮かべていた。


 神殿の窓から見えているグールの群れは万以上。


 かつて英雄アーサーは百万のグールを退けたという。だが、ここに次の英雄神になれそうな人間は存在していなかった。誰もが怯えて震え、英雄として必要な勇気を払えることはない。


 そしてグールたちは神殿の周りに集まり、唸り声をあげながら爪で石を引っ掻き、嫌な音を立てさせる。その音に中にいる人間の神経はやられつつあった。いつグールたちがここに入り込んできて虐殺を繰り広げるのかと。


「本当に助けはくるのか?」


「憲兵隊が放った伝令がいるはずだ。そいつが援軍を連れてきてくれる。だから、今はここを守り抜くんだ」


「おう!」


 民兵たちはお互いにそう励ましあう。


 しかし、その放たれた伝令が途中でトリニティ教徒たちに捕らえられ、焼き殺されてしまってることを彼らは知らない。彼らは来ることがない援軍に最後の希望を託してしまっていたのである。


 伝令の他にも街が完全に包囲される前に脱出した市民がいたが、彼らも道中で山賊に襲われたり、トリニティ教徒に襲われるなどしてヴァイデンハイムの窮状を他の都市に伝えることができていない。


 希望などどこにもなかったのだ。


 このまま食料が尽きて、医薬品が尽きればこの籠城は一気に地獄へと変わるだろう。


……………………

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