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炎は消え、灰だけが残った

……………………


 ──炎は消え、灰だけが残った



「お、お前は……死んだはずなのに……この、悪魔め…!」


 口から血を吐きながらもクリスティーナはジークを炎で狙おうとする。


「諦めろ。あんたの負けだ」


 そんなクリスティーナの背中にけ蹴りを入れてジークは彼女を地面に倒した。


「私は……負け、た……」


 クリスティーナは地面に倒れたのち、辛うじて上半身を起こし仰向きになると、口から血を漏らしながらそういう。


「ああ。負けだ。……あんた、どうしてそんなに神を信じているんだ?」


 ジークがそう疑問に思ってクリスティーナに問いかける。


「神様は、醜くなった私を……救って、くださったから……。なのに、私は……神様の……お役に立て、なかった……」


「醜い?」


 クリスティーナが顔の火傷のあとを手で押さえていうのにジークは首をかしげる。


「あんたは美人だぜ。今でもさ」


「え……」


 ジークがあっさりとそういうのにクリストフさんが目を見開く。


「確かに火傷のあともあるけど、痘痕もえくぼっていうだろ。俺はあんたが醜いなんて思わない。こういう出会い方をしていなければ、夜を共にするぐらいのことがあったかもしれないな」


「……本当に……? 私は……醜くない……?」


「ああ。本当だ。神々にかけて約束するよ。あんたは美人だ」


 ジークはそう優しい笑みを浮かべてそう言った。


 その笑みはクリスティーナがこの火傷を負ってから初めて見た笑みであった。それは男性が魅力を感じている異性に向けて笑みだ。それはトリニティ教徒の指導者が向けた憐れみを込めた笑みではない。


 火傷のあとから目をそらさず、じっとジークはクリスティーナを見つめてくれる。


「ありが、とう……」


 死の間際にクリスティーナは思い出した。


 純粋に自分を好きになれていたときのことを。見た目の美しさでもなく、心や信仰心の美しさでもなく、ただ純粋に自分で自分が好きでいられた幼いときのことを。


 かすんでいくクリスティーナの視界の中で彼女の家族が笑いかけている。クリスティーナの家族が、以前の姿のままで彼女に笑いかけていた。幸せな時間のときのまま止まっていたかのように。


 クリスティーナは家族に向けて手を伸ばし、そして逝った。


 ……ばたんとクリスティーナが天に伸ばした手が地に落ちる。


「ふん。なかなかの強敵だった。そこそこ楽しめたぞ」


「そうかい。俺はなんだか空しいよ。見てみろよ、この顔をさ……」


 ジークはそう言ってかがみこみ、すでに果てたクリスティーナの顔を見下ろす。


「死んだってのにどこまでも幸せそうにしている。死んで初めてこんな顔になるなんて、どれだけ悲惨な人生だったんだよって話だぜ……」


 ジークは笑みを浮かべて逝ったクリスティーナの開かれた瞳を閉じさせると、彼女の冥福を冥界神ゲヘナに祈った。


「お前だって死を望んでいるじゃないか。逝くときはこんな顔をするのではないか?」


「そりゃ俺の人生だって幸せなことばかりじゃなかったからな。そんな人生が500年。不幸だって積み重なって山になっちまっている。だが、こいつはせいぜい20年かそこらの人生だろう? 500年の俺とは比べられない」


「それもそうかもしれないな」


 セラフィーネはジークの言葉にどうでもよさそうに鼻を鳴らした。


「なんにせよレーゲンフルトが落ちるのは避けられた」


「そして神々を悪魔呼ばわりするカルトには鉄槌を下した。満足な結果だ」


 ジークとセラフィーネはそれぞれそう言い、戦闘の結果に呆気にとられているギュンター少佐たちの方を見た。


「お、お前たちは一体……?」


 数多の槍で貫かれても、炎で炭化しても生きていたジーク。信じられないほど強力な魔法を行使して見せたセラフィーネ。いずれもそこらにいていい人間ではないことは明らかであった。


 しかし、その彼らに救われたのも事実。恐れを抱きながらもギュンター少佐は乱れた軍服を正してジークたちに方に向かう。


「失礼した。まずは助けてもらったことに礼を言う。ありがとう」


「いいってことよー」


 ギュンター少佐は敬礼を送ってジークたちに礼を述べ、ジークはそう軽く返す。


「できることならばちゃんとしたお礼がしたい。我々とともにレーゲンフルトまで来てくれれば、もてなすことを約束しよう」


「あー。悪い。俺たちは東に向かってるんだ。西には戻るつもりはないのよ」


「そうなのか? それは残念だ。命を救ってくれたお前たちとともに酒を飲み交わしたかったのだが……」


「そいつはすまんな」


 ギュンター少佐が残念そうに言うのにジークも申し訳なさそうにそう言う。


「しかし、何か我々にできることはないだろうか? せっかく助けてくれたお前たちに何を見せずに見送るというのは耐えがたい」


「そう言われてもな……」


 そこでジークははっとした。


 彼はある重要なものが今の自分には足りないことに気づいたのだ。


 そこでジークは告げる。


「服、余ってたらもらえるか? 俺の服はこの通りだしさ」


 そう、服である。


 ジークの肉体そのものは復活しても服までは復活しない。彼はクリスティーナによって上半身を炭化するほどに焼かれており、そのせいで上半身裸の不審人物と化していた。買った服はまだあるが、この調子だと服はあるだけあった方がよさそうだ。


「服? そんなものでいいのか?」


「ああ。このまま夜になったら普通に寒いしさ」


「分かった。集めさせよう」


「助かる」


 それからギュンター少佐は部下に命じて外套や服を集めさせた。外套はギュンター少佐が持っていた将校用の上質で頑丈なものを、他の服は兵士が持っていた予備や村に残されていたものを数着準備された。


「集めたぞ。これを使ってくれ」


「ありがと! 助かるぜ!」


 ジークは早速シャツを身に着け、上半身裸の変態から脱する。


「では、また出会うことがあったらそのときは酒をおごらせてくれ」


「期待しているよ。じゃあ!」


 それからジークたちはギュンター少佐たちと別れ、手を振りあうと再び軍馬になったフギンとムニンに乗って街道を東に向かった。



 * * * *



 東に向かうジークたち。


 通りかかる村々はどこも焼かれており、そして見かけるのはグールだ。


 歯頚ごと剥き出しになった牙とぎょろぎょろと蠢く血走った眼球、そして鋭く伸びた爪を有する醜い化け物。それらが6、7体で群れており、ここにいたトリニティ教徒の軍勢が壊滅したあとも広場に放置された焼死体に群れていた。


 黒焦げになった焼死体を貪るグールたち。ぼりぼりと音を立てて死体の骨までもを貪っていく。その様子は実におぞましいものであった。


「こいつは本当に酷いな……」


 これまではまだグールは1、2体見かける程度だったが、東に向かうにつれてグールの数が増えている。それだけ人が大勢死んでから時間が経っているということなのだろう。


 ジークは死体を奪い合うグールたちを見て険しい表情を浮かべた。


「戦争のあとの定番の光景だな。グールは死体の瘴気から生まれる。一度生まれればあとは死体がなくなるまで増え続け、それからは共食いだ」


「何度見ても嫌になるぜ。戦争ってのは最悪だ」


 グールたちは普段は存在しない生き物だと考えられている。


 ただ戦争や疫病などで大量の死体が出ると、その死体から生じる瘴気から生まれ出て、死体を貪っていくのだ。グール自身も排泄物に含まれる毒で人を害し、迂闊にも近寄った人間を襲って死体を増やす。


 そうやって増え続けたグールはやがて共食いを始めて、また消滅していく。


 それがグールという現象であった。


「戦争は悲惨で過酷だ。それゆえにそれを生き延びられるものは英雄として讃えられる。戦神モルガンはそういう英雄を讃えてきた。英雄神アーサーもまたかつてモルガンに讃えられた人間だった」


「あまりに英雄ぶりに神々の座に迎えられたんだろう? 知ってるよ」


 戦神モルガンは英雄を好む。彼女の司りし戦争で英雄的活躍をしたものたちは、彼女の館に招かれるそうだ。


 英雄神アーサーもかつてはモルガンの恩寵を受けた神代の時代の英雄であった。それも神々の座に迎えられるほどの大英雄だ。


「では、これも知っているか? アーサーは百万のグールの群れを退けたと」


「それ絶対に数字盛ってるぜ。そんなにグールが発生するわきゃない」


「どうだろうな? 神代は現代とは世界の理が違ったと聞く。私もそれだけの数のグールを相手にできるかと、アーサーの話を聞いてから考えたものだ」


「考えるだけ無駄無駄。そんなにグールが発生して、グールは何を食ってるんだよ?」


 百万のグールがお腹いっぱいになるだけの死体があったら、その方が怖いぜとジークは肩をすくめてそう言った。


 そこでセラフィーネが不意に馬を止めた。


「ジーク」


「ああ。分かってる。狙われているな」


 ジークはそう言った直後、“月影”を出現させた。同時に飛来したクロスボウの矢を弾き、前方にある木々の茂った丘を睨む。


「あいにくだったな! 奇襲は失敗だぜ! 姿を現したらどうだ!」


 ジークはそう言いながら馬から降り、セラフィーネも朽ちた剣を手に続く。


 すると丘の方から武装した男たちが姿を現した。正規軍でも、トリニティ教徒でもない。それらと比べると明らかにぼろぼろの装備をして、ひげも髪も伸び放題にしている人間たちだ。


 その男たちの数は12名。全員がにやにやと笑ってジークたちの行く手を遮る。


「よう、兄ちゃん。そこのお嬢ちゃんと金目の物を全部おいていけば許してやるぜ?」


 その集団の頭目を思しき胸甲を身に着けた男がジークにそう言い、セラフィーネに向けて情欲の籠った視線を向ける。


「……あんた、何も知らないやつらにはモテモテだな……」


「何か言いたいことでもあるのか?」


 その頭目の言葉にジークは信じられないものを見る目でセラフィーネを見て、セラフィーネの方はむっとした表情でジークを見つめ返す。


「まあ、ともあれ残念だがこいつにはルーネンヴァルトまで案内してもらわなければならんのだ。だから、おいていくことはできん。あんたらこそ、今からそこを退けば殺しはしないぜ?」


「はん! 虚勢を張りやがって。死にたいのなら殺してやる」


「へえ? 殺してくれるのか? だが、お前たちには無理だ」


 ジークは“月影”を構えると男たちに刃を向ける。


「やっちまえ!」


「おおおおっ!」


 頭目が号令を発し、男たちが一斉にジークに襲い掛かる。クロスボウの矢が放たれ、それに続いて剣を構えた男たちが突撃してきた。


「はいはい。俺たちはつい最近あんたらの数倍の相手と戦ったところでね!」


 ジークはいとも簡単に矢を弾き、それから突進してきた男たちの相手をする。


「加勢するぞ」


「あんがとさん!」


 セラフィーネも朽ちた剣を手に参戦し、ジークと並んで男たちと戦う。


「お前ら、女は殺すなよ! 手足の1本、2本は飛ばしてもいいがな!」


「了解です、ボス!」


 頭目がジークに並んで戦い始めたセラフィーネを見て部下に叫び、部下たちは下品な笑みを浮かべて了承した。


「ふん。この私も舐められたものだ。思い知らせてやろう」


 セラフィーネは朽ちた剣を構えて、剣を振りかざしてきた男と対峙。


「可愛い声で鳴きな、お嬢ちゃん!」


「鳴くのはどちらだろうな?」


 男がセラフィーネの肩を狙って剣を振り下ろすが、その剣はいとも呆気なく朽ちた剣によって弾き飛ばされ、武器を失った男の首をセラフィーネが弾き飛ばす。


「やりやがったな、アマ!」


「ああ。やってやったぞ、雑魚」


 続いて別の男が剣を振るうのをセラフィーネはガードし、男の剣を弾き続ける。細腕の少女相手にいくら攻撃しても攻撃が通らないのに男は焦りだす。


「ふん。つまらない太刀筋だな。芸がない」


 セラフィーネは再び男の剣を弾き飛ばすと、今度は胸を貫き仕留めた。


「何をしている! 相手はガキだぞ!」


「ははっ。すげえ勘違いしてる。こいつは俺よりも年上だぜ?」


 頭目が叫ぶのにジークは呆れたように笑い、迫ってきた男たちをその武器ごと横一線に薙ぎ切った。臓物をまき散らして男たちは倒れ、他の男たちの表情には恐怖のそれが浮かび始める。


「こ、こんなやつ、勝てない!」


「逃げろ!」


 そして、とうとう男たちは逃げ出し始めた。


「クソ! 逃げるぞ!」


 部下が逃げ出すのに頭目も逃げ出そうとしたが、その足が朽ちた剣によって貫かれる。セラフィーネが魔法で生み出し、放った刃だ。足を貫かれた頭目は地面にどしゃりと倒れ込み、部下たちはそれを助けようともせず逃げていく。


「お、俺をおいていくなぁ!」


 頭目は逃げる部下たちに向けて叫ぶが、部下たちは振り返りもせず逃げていった。


「どうやら見捨てられたようだな?」


「さてさて。あんた、さては脱走兵だろう?」


 その頭目の下に朽ちた剣を携えたセラフィーネと“月影”を握るジークがやってくる。それを見た頭目は青ざめた表情で彼らの方を見て、震え始めた。


「その装備は傭兵か? 国に雇われたがトリニティ教徒の相手なんてしてられないって逃げた口か? 気持ちは分からんでもないがね。逃げた先でこういう山賊じみたことをうやられていると許す気にはなれんのだよ」


「ま、待ってくれ! 金ならある! あんたらに全部やるから許してくれ!」


「まーた小物みたいな命乞いしちゃって。残念だけど金があっても今は使う予定がないんだよね。それに悪いがあんたが生きてれば、誰かがいずれ被害に遭う。それを見逃すわけにはいかない」


「お願いだ! 助け──」


 ジークは首を横に振ると無慈悲に頭目の首を刎ね飛ばした。


……………………

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