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風前の灯火と希望の光

……………………


 ──風前の灯火と希望の光



 トリニティ教徒の軍勢がレーゲンフルトに向かっている──。


 その情報を得た南東部でトリニティ教徒相手に抵抗していた現地政府の軍は、レーゲンフルトで攻城戦が行われる前に野戦を行うことを決意した。


 そのために軍が移動を開始し、トリニティ教徒との野戦に挑んだのだが……。


「向こうに煙が見えるな……。また戦いがあったのか?」


 街道を進んでいたジークたちは街道の先に煙が立ち上っているのを目にした。


「そのようだな。人間の焼ける臭いがする。髪の焦げる嫌な臭いと脂肪の焼ける甘い匂いだ。またカルトどもが人間を焼いたのだろう」


「よく嗅ぎ取れたな。流石に遠いぜ」


 ジークの鼻はまだ煙の正体を掴めていなかったが、セラフィーネは煙から人間が焼かれるそれを嗅ぎ取っていた。


「しかし、このままだとまた嫌な光景を見ることになりそう」


「戦場など何度見てきただろう?」


「何度も見たって平気になるわけじゃないし」


 セラフィーネが呆れたように言うが、ジークは戦場の悲惨な光景というものを好き好んで見たがる人物ではなかった。


 戦場は悲惨だ。吟遊詩人が歌うような勇気と熱狂に満ちた場所ではない。


 放置された死体をむさぼるネズミが肥え太り、勇気を持って戦った兵士たちの死体は敬意も払われずに疫病の原因になるグールを引き寄せる。ウジにまみれた死体だってあちこちに転がっている。


 多くの場合、民間人も被害に遭い、略奪された村で飢え死んだ子供の死体を家族が泣きながら埋葬することも目にするだろう。乱暴された女性たちが生きる希望を失った目をしていることだって平気である。


 そんな悲惨な光景を見て喜ぶのは狂人だけだ。


「ただ、先がどうなっているにせよ俺たちは進まねばならんってことだよな」


「そうだな。避けては通れんだろう。覚悟した方がいい」


「畜生め」


 ジークは渋々というように馬を進め、立ち上る煙の方向に向かう。街道が伸びているのはまさにその先なのだ。街道を外れて進まない限り、煙を避けては通れない。


 そういうことでジークたちが進んでいると、馬の蹄の音が前方から聞こえてきた。


 ゆっくりとした蹄の音で馬車を引いているのか、きしむ車輪の音も聞こえる。それからとぼとぼと歩く人間の足音もまた微かに響いてくる。


「敵か?」


「違いそうだ」


 セラフィーネの問いにジークが否定。


 彼らの前に現れたのは、明らかな敗残兵たちであった。


 ぼろぼろになった軍服を纏い、傷を負った兵士たちが街道を歩いてくる。血のにじむ包帯を巻き、武器も持たず、戦う意欲を完全に喪失している兵士たちだ。


 その中でも負傷の激しいものは馬車に乗せられ、馬車の荷台からはぼとぼとと血が街道に滴り落ちていた。少し離れているジークに元まで血の生臭さが漂ってくる。


 そんな彼らが長い列を作っているのにジークは眉をゆがめた。


「おーい。東で何かあったのか?」


 ジークは敗走する兵士たちの邪魔にならないように馬をわきに寄せ、比較的軽傷の兵士に向けてそう尋ねた。


「見ればわかるだろう……。負けたんだよ……」


「相手はカルトか?」


「ああ。他にどいつがいるっていうんだ、クソ」


 負傷兵はそう吐き捨てるように言うと隊列に並んで去っていく。


 兵士たちはほとんどが無言でジークたちの通り過ぎていき、死んだような目をしていた。もう戦う気力などどこにもないという空気である。


「やべえな。この規模の軍隊が敗走するような連中が迫っているのか……」


 ジークは敗走する兵士たちの列を眺めてそう呟く。


「しかし、敗走に成功しているということは殿が踏ん張っているのだろうな」


「ああ。それもそうだな。じゃなきゃ追撃されているか……」


 セラフィーネはこの隊列を見てそう指摘し、ジークもその言葉に頷いた。


 軍隊同士の戦いは正面から戦っているときよりも撤退する際に追撃される方が損害が出る。敗走や撤退は陣形が崩れるし、何より士気が低下しているからだろう。


 そうであるがゆえにここにいる敗残兵たちがこうして撤退するのを敵が黙って見過ごしてるとは考えにくい。恐らくは最後尾で殿を務める部隊が抵抗して、友軍の撤退を支援しているものと思われた。


「殿が潰れたら瞬く間にこいつらも、か」


「そして、この規模の軍隊が敗北したとなれば、この先にある街も落ちるだろう」


「そいつはよくないな……」


 レーゲンフルトにはアリーナを逃がしたばかりだ。さらに言えばあの街にはジークたちをもてなしてくれた宿屋や酒場の店員がいて、花街にはジークにあこがれていたナターシャもいる。


 これまで焼かれた村を見る限り、トリニティ教徒たちが街ではお行儀よくするとはとても思えない。レーゲンフルトの住民も広場に集められて焼かれてしまうだろう。罪を清めるなどという名目で。


「なあ、あんたは人助けに興味はあるかい?」


「興味ない。だが、戦いには興味がある」


「それでこそだ。急ぐぞ」


 ジークは馬を駆けさせ、セラフィーネもそれに続く。


 ふたりは敗走する軍とは逆の方向に向けて進んだ。



 * * * *



 ジークたちが敗残兵たちに出くわしたころ野戦に敗北した現地政府軍はある村を巡ってトリニティ教徒と死闘を繰り広げていた。


「構えろ!」


 現地政府軍の指揮官が声を上げ、兵士たちが構えるマスケットが一斉にその銃口を敵に向ける。辛うじて板と土を盛っただけの急ごしらえの陣地にて、兵士たちあg緊張で震える手で構える銃口は迫る白装束の軍勢を照準する。


「撃て!」


 轟音が響き、放たれた銃弾がトリニティ教徒たちを薙ぎ払った。


 現在、現地政府軍はある村を防衛していた。


 撤退する友軍がレーゲンフルトまで逃げ切るだけの時間を稼ぐ。それだけの目的のために殿を担っている部隊は、ある防備の備えがあった村に立てこもり、そこに陣地を築いてトリニティ教徒に抵抗していた。


「ギュンター少佐殿! 敵の新しい部隊が突っ込んできます!」


「装填急げ!」


 トリニティ教徒の一部隊をマスケットの銃弾が薙ぎ払うが、すぐに次の部隊が武器を構えて突撃してくる。次から次にその物量を生かすようにして突撃を繰り返す。


 殿にとって幸いなのは撤退する部隊が放棄していった装備が山ほどあるということだった。マスケットに火砲の類が残されていて、それらのための銃弾、砲弾も存在する。


 彼らは住民が逃げ出した村に残っていた家屋を解体して陣地を作り、そこに立て籠って1分1秒でも長い時間を稼ごうとしていた。


 さて、すでに分かっている通り、トリニティ教徒に対して挑んだ野戦は現地政府軍の完敗だった。


 想像以上の物量と相手が恐怖するほどに高い士気を有していたトリニティ教徒たちの猛攻を前に、現地政府軍は総崩れ。


 だが、敗因はそれだけではなかった。


「まだあの化け物は来ていないな?」


「はい、少佐殿。しかし、あれが現れたらこんな陣地など……」


「それでも時間を稼がなければならんのだ……!」


 化け物と彼らが恐れる存在。それが敗因の最大の点だった。


 たったひとりで万を超える兵士が衝突した戦場をひっくり返した存在こそが。


「この地形ならばしばらくは持つはずだ。敵はここに大規模な部隊を送り込めない」


 村が位置するのは丘に囲まれた隘路であり、敵はどれだけ数があろうと一度に全部隊を投入できなかった。だから、投入できる最大の規模の部隊を波状攻撃させるように何度も突撃させているのだ。


 この防衛側に優位な地形で部隊の指揮官であるギュンター少佐は、稼げる限りの時間を稼ぐつもりであった。


 ギュンター少佐の指揮する僅か1個大隊の戦力はすでに損耗を出し続け、今も完全な戦闘能力を維持しているのは1個中隊ほどになってしまっている。それに対して敵であるトリニティ教徒は万だ。


 それでも彼は諦めていない。


「次が来るぞ! 歓迎してやろう!」


「おおっ!」


 殿の部隊は士気が妙に高い。というのも、これまでのトリニティ教徒たちが降伏したものを虐殺し続けたため、相手に降伏するという選択肢が消えているからだ。


 戦うか、死ぬか。それしか彼らには選択肢がなくっていた。


「──来たぞ! 次の攻撃だ!」


 白装束に槍を構えたトリニティ教徒たちが突進してくる。


「神のために!」


「偉大なる主のために!」


 士気を上げるべく神への祈りを捧げながら、友軍の死体を乗り越えて突撃してくるトリニティ教徒たち。死を恐れぬ彼らは並大抵の方法では止められない。


「火砲、撃て!」


 ギュンター少佐は砲兵に命じて、釘や銃弾を詰め込んだ火砲でそれを迎え撃つ。ありあわせのもので作られたこのぶどう弾モドキは対人戦闘に抜群の効果を発揮した。


「ぎゃあっ──」


 広範囲にまき散らされた金属片はトリニティ教徒たちを文字通り薙ぎ払うのだ。白装束が一瞬で血に染まり、頭がはじけて脳漿が飛び散り、臓物がまき散らされ、トリニティ教徒たちは地面に倒れる死体の仲間入りとなる。


「いいぞ、いいぞ。このまま何としてもこの陣地を維持するんだ」


 ギュンター少佐はここで死ぬつもりであった。


 彼の故郷は彼らの背後の先にあるレーゲンフルトであり、彼はそこで生まれ育った。


 今も宿屋をやっている親戚がいて、花街には英雄が好きな馴染みの女の子がいる。だからこそ、友軍が故郷レーゲンフルトまで撤退して守りを固めるまで死んでも時間を稼ぐつもりであった。


「次が来ます!」


「装填、急げ、急げ! 敵はまだまだ俺たちと遊び足りないそうだ!」


 トリニティ教徒はさらに波状攻撃を放ってくる。文字通り、人の波がこの小さな村に向けて何度も何度も押し寄せるのだ。


「神のために!」


「我々は神の軍隊だ!」


 雄たけびと祈りを上げながらトリニティ教徒たちが村に迫る。


「撃て!」


 次はマスケットが火を噴き、一列目の歩兵が射撃したのちに二列目の歩兵が前に出て射撃を実行。交互に射撃と装填を行いながら弾幕を維持した。


 対するトリニティ教徒たちは依然として無策な突撃を繰り返すだけであり、銃弾の前に倒れていく。彼らも保有しているはずの攻城砲やマスケットも出さず、槍を持った歩兵をけしかけるのみ。


 だが、彼らにはちゃんと狙いがあった。


「ギュンター少佐殿。弾薬が残りわずかです……。このままでは……」


「クソ。不味いな」


 そう、守備隊の弾薬を消耗させることが狙いのひとつだ。


 繰り返された波状攻撃でギュンター少佐が指揮する部隊は大量の弾薬を消耗した。いくら撤退する友軍が多くの武器弾薬を放棄していったとはいえど、無限に弾薬が存在するだけではない。


 そして、撤退という状況で補給の見込みがないギュンター少佐の部隊は消費した弾薬量が回復する見込みもなかった。


「こうなれば白兵戦になってでも時間を稼ぐぞ。いいか?」


「もちろんです、少佐殿。レーゲンフルトのために時間を稼ぎましょう」


 ここに残る多くの将兵の出身地はレーゲンフルトであった。彼らが命を捨てる覚悟をしたのは自分たちの故郷を守るため。


「ありがとう、諸君。諸君の貢献に感謝する」


 不敵ににやりと笑ってギュンター少佐はそう言った。圧倒的な苦境のときに笑える人間は強い人間だ。


「次が来ますよ!」


「待て! あ、あれは……!」


 次のトリニティ教徒の部隊が突撃してくる中で前線を監視していた兵士が恐怖に顔を青ざめさせ、がくがくと手を震わせ始めた。


「使徒だ……! て、敵の部隊後方に使徒がいます!」


 そう、波状攻撃のために突撃してくるトリニティ教徒たちの背後から、金色のストラを首から下げた女性が接近していた。


 トリニティ教徒の使徒──救済の『クリスティーナ』だ。


「とうとうお出ましか……!」


 ギュンター少佐が先ほどまでの笑みを消し、苦虫を噛み潰したような苦しい表情でクリスティーナの方を見る。


「村に籠る異端者よ」


 クリスティーナがそこで声を上げる。


「降伏しなさい。あなた方はよく戦いました。その功績を讃え、降伏して改宗するならば私たちの軍勢に加えて差し上げましょう。悪魔によって汚された魂を清め、名誉ある神の軍隊に加わる最後の機会です」


 それは降伏勧告だ。これまで降伏してきた兵士や民間人を処刑してきたトリニティ教だが、今度は彼らを自分たちの軍に加えると言っている。


「ああ、そうか! そうしてそこでくたばっている連中みたいに、体のいい人間の盾にする気だろう! こちらの答えは『クソくらえ』だ! ここを通りたければ、その血で通行料を払うことだな!」


 ギュンター少佐はその勧告にはっきりとノーと答えた。


「そうだ、そうだ! 誰が降伏などするものか!」


「一昨日きやがれ!」


 兵士たちも自棄になったように次々にクリスティーナにヤジを浴びせる。


「そうですか。残念です。ならば、せめてその魂だけは浄化して差し上げましょう」


 クリスティーナはそう言い、ケロイド状の傷跡が残る右手を上げる。


 すると、炎が突然陣地を構築していた木製の板を焼き、そこに陣取っていた慌てて兵士たちが後ろに下がる。


「さあ、行きなさい、勇敢な神の兵士たちよ。異端者を打倒するのです」


「おおっ!」


 トリニティ教徒たちは士気を上げ、これまで倒れた何百もの味方の死体を乗り越えながらギュンター少佐の守備隊が陣取る村に進む。


 クリスティーナもそれとともに前進し、ギュンター少佐たちに危機が迫る。


「少佐殿。どうやらここまでのようですね」


「ああ。だが、最後まで抵抗するのが俺たちの義務だ。やるだけやってやる!」


「ええ。そうしましょう!」


 最後までマスケットも火砲も発射されたが、すぐに弾薬は底を尽きた。そこにトリニティ教徒たちが押し寄せる。


「なめるなよ、カルトが!」


 ギュンター少佐はサーベルを構えて陣地に乗り込んできたトリニティ教徒たちと白兵戦を繰り広げる。しかし、そこで部下たちが応戦していたところがトリニティ教徒ごと突如燃え上がった。


 クリスティーナだ。彼女が友軍ごとギュンター少佐の部下を焼いたのだ。


「味方ごと……! この外道めがっ!」


 ギュンター少佐がそう唸り、生き残っている部下とともに陣形を組む。


 もはやそこには1個中隊の戦力すらなく、数十名の兵士がいるだけだった。


 じわじわとそこに迫るトリニティ教徒とクリスティーナ。


「ここまでともに戦えて光栄でした、少佐殿」


「ああ。俺もだ。レーゲンフルトのために死のう」


 ギュンター少佐は心の中で死を覚悟した。


 しかし、まだ運命は彼を見捨ててはいなかった。


「なんだ、この音は……」


 何かが羽ばたく音。だが、鳥のそれにしては大きすぎる。


 ギュンター少佐と部下、そしてトリニティ教徒たちが空を見上げると──。


「うひょう! 殴り込みだーっ!」


 グリフォンとワイバーン、それらに抱えられたジークとセラフィーネが戦場となっている村に向けて落下するように下りてきた!


……………………

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