炎による救済
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──炎による救済
トリニティ教がアリーナの村を襲ったのは、今から3日ほど前のこと。
「悪魔の教えを信じる者たちよ! 悔い改めねば地獄に落ちるであろう!」
突然現れた白装束の一団は村を包囲してそう声を上げた。
すぐに村人たちは襲ってきたのが噂されているカルトだと気付く。男たちが武器を持ち、女子供は家の中に隠れ、村は抵抗する構えを見せた。
それからすぐにトリニティ教徒たちは村に侵攻してきた。
「連中を村に入れるな!」
「家族を守れ!」
男たちはまずは投石でトリニティ教徒たちを攻撃し、それから腕の立つ猟師はクロスボウで敵を迎え撃った。投げられた石がトリニティ教徒の頭を割り、クロスボウの矢は心臓を貫いた。
しかし、多勢に無勢。それに加えてトリニティ教徒たちは死ぬことに恐怖せずに向かってくる狂信者たちだ。抵抗は物量によって覆され、男たちは殺されていく。
男たちはせめて村から家族を逃がそうとするが、降り注ぐ矢がそれを妨げる。何人もの村人が逃げる途中で背中から矢を浴びて殺されてしまった。
生き残った村人たちも捕らえられて、広場に連れていかれる。
トリニティ教徒たちはその際に建物から住民を炙り出すため、家屋に火をつけていった。アリーナが火傷を負ったのもそのときのことだ。
アリーナはそれでも家の中に隠れ続けたことで助かったが、他の村人は彼女ほど幸運ではなかった。
現れたのだ。ここに使徒が。
「悪魔によって汚された魂は清めなければなりません」
使徒──それは若い女くて美しいだったとアリーナはいう。ただし、顔や腕にケロイド状になった火傷のあとを負っていたと。その狂信的な雰囲気は遠く離れていても感じられ、アリーナは恐怖したという。
「炎によってその罪を浄化するのです。神から与えられた炎があなたがを清め、救済し、天国へと導くことでしょう」
そういうと彼女は広場に集めた村人たちを焼き殺した。
そのときに現れた炎は火打石によって起こされたものではなく、魔法によって生じた炎だったとアリーナは言う。村人たちは突然燃え出し、その悲鳴は数時間に渡って続いたのだと。
それからトリニティ教徒たちは去り、死体だけが残された。
「……これが村で起きたことです」
アリーナはこのように村で起きたことを語ったのだった。
その表情は沈痛のそれで、流石のジークもかける言葉がなかった。
「炎が罪を清める、か。聞いたことのない話だ」
セラフィーネはそう言って広場に集められ、それから焼かれたであろう村人たちの死体を見つめる。無残にも黒焦げになったそれが罪が清められて天国に行けた幸せなものたちだ、などとは思えなかった。
「そんなに天国に行きたきゃ自分から勝手に火に飛び込んでろって話だ」
ジークも渋い表情で村人の焼死体を見ていう。
「で、娘。トリニティ教徒どもはどこに向かったか分かるか?」
「いいえ……。家族が焼かれたのを見てから私はずっと家に隠れていましたから……」
「そうか」
恐らくセラフィーネは村を焼いたトリニティ教徒たちと戦いたいのだろう。それはアリーナや焼かれた村人に同情したわけではなく、神々を悪魔呼ばわりしていることに腹を立てているからだ。
「これからあんたはどうする? 俺たちは東に向かっているが……」
東にはトリニティ教徒の連中がまだまだいるだろうとジークは説明しておく。
「どうしていいのか分かりません……。誰を頼っていいのか……。家族が前にレーゲンフルトに親戚がいるという話をしていましたが……」
「レーゲンフルトならまだ無事だ。親戚がいるならば当たってみるといい。道中の砦にも兵士はいたから困ったら彼らをジークとセラフィーネの名を出して頼れ。で、途中でお腹が減ったらこれを食べるといいぞ」
ジークはそう言ってカバンから購入した携行食糧を取り出すとその半分ほどアリーナに渡した。主に渡したのはそのままでも食べられる固く焼いたパンなどだ。缶詰はかさばるし、子供では開けるのに苦労するだろうからあまり渡していない。
「ありがとうございます。何とお礼を言っていいか……」
「気にするなって。じゃあ、旅の安全とあんたが安らげることを祈るよ」
「はい」
ジークはそう言ってアリーナを焼き払われた村から送り出した。
「街にいたときと違って随分と英雄らしい行為ではないか」
「うるせー。皮肉かよ?」
「いいや。純粋な感想だぞ」
ジークがじろりとジト目でセラフィーネを見るのにセラフィーネは小さく笑ってそう言い、そのまま続ける。
「英雄というのは、やはりそうあらねばな。善行であれ、悪行であれ、人々を引き付けてやまない魅力が必要だ。さっきのお前にはそれが確かにあったぞ。あの娘がお前を見る顔を見れば分かった」
「そうですかい。せっかく好かれるならあの子よりもうちょっと年上の姉ちゃんがいいんだけどな」
「お前が伝説に謡われる英雄らしくしていれば女たちは進んで身を捧げるさ」
ジークの愚痴にセラフィーネはそうからからと笑って返したのだった。
「それよりこれで連中が村を焼いて回っている理由が分かったな。これが連中の布教ってわけなんだろう。話し合いでどうこうできる相手じゃないってのはもう確実だな」
「ああ。もとより神々を悪魔呼ばわりする不届きものだ。話し合う気などない」
「あんたは信心深いね」
感心したような、あるいは呆れたような口調でジークはそう言った。
「ただ連中の動きが分からん。砦を襲っていたのは主力のひとつらしいが、もうひとつの主力とやらはここを襲撃したあとでどこに消えた?」
「さあ。補給という観点からすればここまで村を焼いちまったら撤退するしかないと思うけどな。こんな蛮族みたいなことしている連中が、まともな補給計画を立てているとも思えんしさ」
「戦争というのはありえないと思うことが起こるものだ。人間としての常識が通用しなくなる場所の最たるものが戦場だからな」
「そうだな。理性があればそんな馬鹿はしないってのは平気で起きる」
訓練され、教育された職業軍人でもときおり理性に反する行為を行う。それが愚行であれ、英雄的行為であれ。戦場の空気というのは人を狂わせる。
「連中が本当に自分の神様を信じてて、そいつのために死ぬのも恐れないなら、それこそ補給がなくても前進してくるかもしれないな……」
「ああ。それもあり得る」
ジークの言葉にセラフィーネは頷き、彼らは再び東に向けて進み始めた。
* * * *
北部から南進してきたトリニティ教は大陸南東部の一部を占領していた。
彼らは占領した砦に司令部を設置し、そこを中心に南東を荒らしまわっている。村を焼き、都市を焼き、異端者たちを焼き、と。
その砦に動きがあった。
砦の周りにはトリニティ教徒たちが陣を敷いており、無数のテントが広がっている。兵士の数は確実に万を満たすほどだろう。膨大な物量の兵力が存在していた。
その北部から侵攻してきた無数のトリニティ教徒の多くは元民間人で、少数の元軍人が指揮を取っている。しかし、この砦で軍全体の司令官となっているのは、元軍人ではなかった。
「報告します!」
馬で駆けてきた伝令が砦の中に駆けこんでそう叫ぶ。
「ブラシウス神官が率いていた軍が壊滅しました! 全滅です!」
「なんと……!」
砦の中にある広間にいた指揮官や参謀たちが動揺する。
彼らは揃って白装束であるが、指揮官たちはそれとわかる格好をしていた。サーベルを下げていたり、その白装束の上から軍用外套を羽織っていたりと、一目で彼らが指揮官と分かる格好だ。
「まさか彼らを食い止めたというのか?」
「彼らの目標であったレーゲンフルトが持ちこたえたと……?」
「いや。壊滅したという報告だ。攻城戦に入る前に敵の野戦軍に捕捉されたのでは?」
元軍人からなるトリニティ教の人間たちがざわざわとざわめく。
「落ち着きなさい」
そこで若い女の声が響き、元軍人のトリニティ教徒たちがすぐに沈黙した。
その女性は美しく、そしてとても若い人物だった。
燃えるような赤毛を長いポニーテイルにして背中に流しており、その目の色は片方は緑であり、片方は白く濁っている。またその濁った方の頬にはケロイド状になった火傷のあとが刻まれていた。
それだけではない。その長袖の服から覗く白い手にも痛々しい火傷のあとだ。
その体型は大柄ではないが、決して小柄でもなく女性的な膨らみがある。そんな体には白装束に金色のストラを首から下げた服装だ。その上質な布で作られたストラだけ高位の人物と分かった。
「レーゲンフルトは落ちていないのですね?」
「こちらの密偵からの情報ではレーゲンフルトは陥落しておりません」
「そうですか。それだけ分かれば十分です」
女性は伝令とそう話し、納得したように頷く。
「我々は法王聖下よりレーゲンフルトを陥落させよと、そう命じられております。それを達成するためには再び軍を前進させればよいだけです」
「しかし、先に送った軍が壊滅した原因が分からなければまたしても全滅する可能性がありますぞ」
「それがどうしたというのですか? あなたは死を恐れているのですか?」
鋭い目で女性が元軍人のトリニティ教徒を見るのに、その瞳の冷たさにそのトリニティ教徒は震え上がるように言葉を発さなくなった。
「我々は死を恐れない。だからこそ強いのです。そう、敵と我々の違いの最大の点は信仰心の有無であり、我々には確かな信仰心がある。神のためにこの身を捧げることをいとわない篤い信仰心が」
女性は広間に集まった幹部たちを見渡してそう語る。
「それとも攻撃をせずして引くというのですか? どこに? 我々はこの辺り一帯の村々を焼き払い、都市を焼き払いました。異端者たちはそのことの怒っている。なのに、ここから無事に北部に戻れるとでも?」
不気味なほど穏やかな笑みでそう語る女性。
村々を焼き払っていたのは、単純に信仰を強制するためではなかったのだ。ここに集まったトリニティ教徒たちの逃げ場をなくし、彼らに前に進むことだけを強いるためだったのである。
そう、ある種の背水の陣だ。
「進みましょう。真の神のために。恐れる必要はありません」
「……はっ!」
女性の言葉に元軍人たちが頷く。
こうなれば確かに攻撃しか取れる手はない。そちらの方が下手に引くよりも勝算がある。元軍人たちもそう踏んだのだ。
「次の攻撃には私も参加します。よって総攻撃です。さあ、神のために戦いましょう」
「神のために!」
広間は神を讃える声で満ち、女性はにこりと微笑む。
「それでは明日にはここを発ちます。準備を」
「了解です」
女性がそう指示を出し、明日の出撃に向けての準備が始まる。
これまで砦で作っていた硝石を使った黒色火薬が準備され、温存されていた銃が兵士たちに行きわたる。そう、トリニティ教徒たちも銃で武装しているのだ。彼らが攻城砲を有していた時点で想像はできたかもしれないが。
銃と言ってもマッチロック式のマスケットだが、その威力は馬鹿にできない。
女性は準備が始まったのを見届けると、砦の上層にある私室に入る。ここは元は本来の持ち主である砦の司令官は使っていた部屋だが、その人物はこの女性によって焼き殺されていた。
「主よ。どうか我々に勝利を……」
女性は深く祈る。
女性がトリニティ教徒になったのは北にそのカルトが出現してから、1年ほどが経っていたときだ。
彼女の村は貧しく、そして北部は常に戦乱にさらされていた。彼女の村もトリニティ教が広まる前に山賊化した傭兵によって襲われ、酔った傭兵がいたずらに家に火をつけたことで幼かった彼女は大きな火傷を負った。
それからは辛い日々だった。自分の顔立ちが整ってることだけが貧しい中での誇りだった彼女にとって、醜く刻まれた火傷は生きる意欲を失わせるものであった。
鏡を見るたびに、水に映った自分の顔を見るたびに、何度も自身の死を願っていたときに、トリニティ教の指導者が村を訪れた。
「あなたは外見の美に執着するという本当の醜さから解放されたのです」
トリニティ教の指導者は火傷を見てそう言った。
「薄っぺらい上辺だけの美しさを捨てたあなたならば、本当に美しさを手に入れることができます。神を信じる心があれば本当に美しい女性になれるでしょう。さあ、私たちとともに神を信じましょう」
その言葉は救いだった。彼女の価値観が一変した。
外見だけの美しさでもてはやされる偽の神々ではなく、自分のような傷を負った人間ですら美しいと受け止めてくれる本当の神を崇拝する。それこそが本当に美しい有様だと分かったのだ。
そして信心深くなった彼女は神から力を授かった。彼女から上辺の愚かな美しさを奪い、本当に美しさに目覚めさせた炎を操る力を。
この炎で悪魔を信仰する罪人たちを焼き、彼らの罪を清める。
それはきっと美しいことだろう。
トリニティ教で恐れられ、敬われる使徒のひとり──救済の使徒『クリスティーナ』はそう信じていたのだった。
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