月の化身と焦土
……………………
──月の化身と焦土
ジークの言葉とともに現れたのは幼い少女だった。
真っ白な髪を背中に流した8、9歳ほどの少女。“月影”の刃と同じように青白い瞳を眠たそうな半開きの瞼で隠しているのが特徴的な、あどけない少女である。
「よう、“月影”」
「ふわあ。ボクに何か用なのですか、主様?」
ジークが軽く声をかけるのに、“月影”と呼ばれた少女は面倒くさそうに尋ねた。欠伸をするように開いた口からは吸血鬼のような鋭い犬歯が覗く。
「なに、さっきは世話になったって礼をしようと思ってな。助かったぞ」
「はいはい。今日も美味しく血をいただきましたです。おっと、そちらの方は初めましてですね」
ジークの言葉に少女は適当に返事を返すと、セラフィーネの方を見る。
「まさか、その魔剣はインテリジェントウェポンだったのか?」
「俗にそう呼ばれることもありますね。ボクとしては魂のある兵器──“スピリットウェポン”と呼ばれる方が好きですが」
インテリジェントウェポン。
兵器そのものが意志を持ち、自我を持ち、知性を持つもののことだ。魔剣の中にはそのようなものが存在し、中には自分で行動することで──魔剣の名に相応しい被害を与えるものもある。
ジークの“月影”もその一種のようだ。
「そう、こいつには知性だけじゃなくて魂がある。そんじょそこらの喋るだけのインテリジェントウェポンとはレベルが違うぜ?」
「確かにインテリジェントウェポンがこのようなアバターを構築するという話は聞いたことがないな。特別なものらしい」
ジークも自慢げにいうのにセラフィーネがしげしげと“月影”の化身を眺めた。
「そうなのです。ボクは戦えるうえに凄くカワイイ魔剣なのですよ~」
両手でピースしながらも無表情に“月影”の化身がそういう。
「ふうむ。さっきの戦闘のときに分裂した剣を操っていたのはお前なのか?」
「部分的にはそうですよ。まあ、ほとんどは主様がどう戦いたいかを読んで動いていますけどね。指揮官は主様であり、ボクはあくまでその下にいる兵士なのです」
「そうか。ならば、お前とやりあうのも楽しそうだ」
“月影”の化身の言葉にセラフィーネはそう笑って言ったが、それは冗談に聞こえる響きではなかった。
「さて、“月影”のあれだけの刃を操れる仕組みはこういうことだ。ネタ晴らしには納得したかね?」
「ああ。魂のある武器とは面白い。私も欲しいぐらいだ」
「そいつは難しいな。俺も“月影”もどうやってこれが作られたのかは知らんのだ。これを作った吸血鬼の刀匠はその製法を秘匿したまま死んだんでな」
「興味深い。それなら製法さえ分かれば私も手にすることができそうだが……」
ジークが言う通り、“月影”を鍛えた刀匠は“月影”をどのように作ったかを一切秘匿したまま寿命でこの世を去っている。吸血鬼とて500年という年月は長いのだ。
「俺たちには時間だけはあるから。作り方を試行錯誤するのもいいかもな。ただし、ルーネンヴァルトに到着したあとで、だ。まずは何としてもルーネンヴァルトに行く。そういう約束だろ?」
ジークもセラフィーネも時間だけは有り余っている。今から刀鍛冶に弟子入りし、一から刀剣の鍛え方を教わり、それからさらに自分で魔剣の作り方を探ることだってできるだろう。
しかし、セラフィーネはジークに彼をルーネンヴァルトに連れていくと先に約束している。まずはその約束を果たしてもらわなければとジークは釘を刺した。
「分かっている、ちゃんと分かっているとも。私もこれでルーネンヴァルトに行く意味ができた。どうやってお前が持つような魔剣を作れるのか。ルーネンヴァルトに行けば分かるかもしれない」
そう言ってセラフィーネは改めて“月影”の化身を眺める。
「まあ、ボクみたいにカワイイ魔剣は作れないと思いますけどね~」
セラフィーネの視線に“月影”の化身はそう言うのだった。
「ああ。お前は可愛くて強い魔剣だよ。これからも頼りにしてるぜ」
ジークはそんな“月影”の化身の頭をぽんぽんと撫でてやる。
「ふふ~ん。任せるとよいですよ。主様は景気よく血をくれるので好きですから」
“月影”の化身は一瞬ごちそうを食べたあとの猫のような表情を浮かべると、それから青白い粒子に変わって“月影”の刃の中に消えた。
「血を吸う魔剣が幼子の姿をしている、というのは理由があるのか?」
「さあな? 作った刀匠の趣味とか?」
「笑えるな」
ジークがどうでもよさそうに返すのにセラフィーネは乾いた笑い声。
「とは言え、俺が500年という長い人生で完全に発狂しなかったのは、“月影”のおかげだ。こいつがいたから耐えられた場面はある。多くの別れを経験し、自分が皆に忘れされていくのに辛うじて耐えられたのはそういうことだ」
「なのにそいつのために生き続けようとは思わないのか?」
「そりゃこいつを置いていくのは申し訳なくは思うが、こいつだって理解はしてるさ。人間にとって500年ってのが長すぎるってのはな……」
ジークは“月影”の刃を手で優しく撫でながらそういうのだった。
「いい貰い手を見つけてやって、その人間にこいつは託す。これだけの名剣を無駄にするやつはいないだろう」
「よければ私がもらってやるぞ?」
「それもいいかもな」
セラフィーネが申し出るのにジークはあいまいに笑って返していた。
「では、そろそろ出発と行こうぜ。東は荒れてるって話だ。面倒なトラブルに巻き込まれるのが分かっているなら、急ぐに限る」
「そうだな。行くとしよう」
ジークとセラフィーネはそれぞれムニンとフギンに跨り、東に向けて街道を進む。
* * * *
ジークたちが東に向かうとモーリッツの言っていたことが事実だと分かった。
「こいつは酷いな……」
焼き払われた村のあと。建物は焼け落ち、家畜は死んで腐っている。
さらに街の中央には大量の焼死体があった。どうやら村人はここに集められて、まとめて焼かれたらしい。炎の高熱によって筋肉が収縮したことで手足が強引に曲がり、他の焼死体のそれと絡み合っている。
「殺されたから焼かれたのか、それとも焼き殺されたのか」
「どっちにしろ惨い話だ」
焼死体の体格から見て、女子供だろうと関係なく殺されている。どのようにして殺したにせよ、許されることではない。
「こういうことをやってる連中が神を信じてるとはね。連中が悪魔呼ばわりする神々が慈悲深いとは言わないが、こんな蛮行を容認するようなことはなかった。連中の神様はよほど血に飢えているらしい」
神々は慈悲深くなどない。
神々は単純な上位者としてその下に存在する人間たちを見ていた。ときとしてそれは愛すべき愛玩動物であり、ときとしてそれは憎むべき害獣であり、ときとしてそれは目的を達するための駒であった。
そう、神々は冷徹である。しかし、冷酷ではない。
神々の中にも守るべきものがあり、そのためにはいくらでも冷徹になるが、必要以上に冷酷になることはないのだ。だからこそ、彼らは今も人々の信仰を得て、神々として君臨しているのである。
だが、どうだろうか。トリニティ教のやっていることはただの虐殺だ。彼らの神は彼らが悪魔と呼ぶ神々より残忍だとしか思えなかった。
「全くだな。どちらが悪魔を崇めているのやら、だ」
セラフィーネも不快そうに鼻を鳴らし、ジークに同意する。
「もしかして、これから先ずっとこんな感じなのかね」
「分からんがグールが蔓延しているというのは確かだろうな。このありさまでは」
埋葬されていない死体の山。やがてここにもグールがやってくるだろう。
グールが住み着いた土地はグールに襲われる危険が生じるだけでなく、グールの排泄物に含まれる毒に汚染される。それらは除染することが難しく、人体に極めて有害だ。
「せめて祈りを捧げておいてやろう」
ジークはそう言い、焼死体の山を前に祈りを捧げる。
戦士の魂は戦神モルガンによって迎え入れられる。だが、それ以外の魂は冥界神ゲヘナに受け入れられる。なので、ジークはこの村人たちのために冥界神ゲヘナに祈りを捧げたのだった。
死者に祈りを捧げることはそれだけでグールを遠ざける。完全に彼らを近寄らせないわけではないが、大量のグールが嬉々として寄ってくることは避けられるのだ。それはゲヘナが与えた祝福のおかげだろうと考えられている。
「そうだな。流石にこの人数を埋めてやることはできないからな」
「ああ。可哀そうではあるが、いずれ土に還ることを祈るしかない」
セラフィーネが言い、祈りを捧げ終えたジークは力なく首を横に振った。
「さあ、そろそろ出発だ。これ以上祈っても何にもならない」
ジークはそう言い、再び馬でセラフィーネとともに街道を進む。
街道には相変わらず人気はない。狂ったカルトが暴れているのだから当然と言ってしまえば当然なのだが、見かけるのが決まって焼かれた村というのがどうにもジークには引っかかっていた。
「なあ、連中、ここに長居する気がないのかね?」
ジークが不意にセラフィーネにそう尋ねる。
「何故だ?」
「村を焼き払う意味だよ。普通、略奪はしても村人を皆殺しにして村ごと焼いたりしない。残しておけば次の年にまた略奪して補給ができるからな。村を焼いていくのはどちらかといえば守っている方が焦土作戦でやる方法だ。だろ?」
「ふむ。確かにそう言われればそうだな。攻め込んでいるはずの側が村を焼いて回るのは合理的ではない」
村を焼き、家畜を殺し、井戸に毒を入れる。
それは相手が村々で補給することを妨げ、撤退に追い込む防衛側がやる戦略だ。焦土作戦と呼ばれるもので、この時代の略奪が補給においてそれなりの割合を占めている時代には有用な方法だった。
攻め込む側も占領政策で歯向かう村を見せしめに焼くことはあるかもしれない。だが、のちのちの補給を考えれば片っ端から村を焼き払っていくのは流石に非合理的だ。占領政策として破綻している。
「こいつはどうにも嫌な感じだな……。カルトの連中が崇めてる神様ってはマジでどんな代物なんだ?」
ジークはそう呟きながら焼かれた村を見て、通り過ぎようとした。
そのとき子供の泣く声が聞こえてきた。聞き間違いではない。
「今の聞こえたか?」
「ああ。誰かいるな。生き残りか?」
ジークが周囲を見渡し、セラフィーネも周囲に気を配る。
「おーい! 大丈夫かー!」
ジークは一度馬を降りてから、声のした方に向かっていく。セラフィーネはこれが罠であった場合に備えて馬上から警戒を続けた。
「ここか?」
半分ほど焼け落ちた家屋の中にジークが踏み込む。
「大丈夫か? 俺たちは悪い人間じゃないから返事してくれんかね?」
ジークはそう言いながら焼け落ちている家屋を探る。
「はあ。返事がないなら俺たちは行っちまうぞ?」
探しても見当たらないのにジークは諦めかけてそう言い放った。
すると、がさごそと物音がする。
「あ、あなたは……?」
火災から逃れ無事であった場所から這い出してきたのは、ひとりの少女だ。
年齢は10、11歳ほど。小柄な体に農村の村人が纏うような、質素で素朴な衣類を纏っている。手に火傷をを負っており、赤く爛れた火傷のあとは痛々しかった。
「おう。俺たちは旅のものだ。あんたの声が聞こえたから様子を見に来た。ここら辺で暴れているカルトとは関係ないから安心してくれ」
ジークはそう言って安心させるようにニッと笑う。
「その火傷はカルトにやられたのか?」
「……はい。トリニティ教とかいう連中が来て、私の家族と村のみんなを……」
そういって少女はまた泣き始めた。
無理もない。そうジークは思う。村の惨状を見たが酷い有様だった。大人だろうとこれを見れば泣きださずにはいられないだろう。
「そうか。けど、あんたは生き延びた。とりあえずその火傷をどうにかしよう。放っておくと熱が出て病気になる。魔法使いが仲間にいるから治癒してもらおうぜ」
「ありがとうございます……」
ジークはそれから少女をセラフィーネの方に連れていき、彼女に手を振る。
「ああ。それが生き残りか?」
「そうみたいだ。手に酷い火傷をしている。治癒してもらえるか?」
「分かった。傷を見せろ、娘」
セラフィーネも馬から降り、それから少女の傷を見た。左手の手の甲から下腕にかけて火傷が広がっている。
「医療神メティスの名において。癒せ」
セラフィーネはその火傷に対してそう唱えると少女の火傷は急速に癒えていく。
「凄い……」
少女は魔法による治癒を見るのは初めてだったのか驚いている。
「なあ、ほっとしたところで申し訳ないんだが、あんたの名前は? 俺はジークでこの魔法使いはセラフィーネな」
「私はアリーナといいます、ジークさん、セラフィーネさん。助けていただいてなんとお礼を言っていいか……」
「気にするな。それよりこの街を襲ったカルトの連中について教えてくれないか? 連中はどうして村を焼いたんだ? 連中も略奪はしたと思うが、それにあんたらが抵抗でもしたのか?」
ジークはこれまで疑問に思っていたことをアリーナに尋ねた。
この不可解な行為の原因を知っておかないとこの先困ったことになるかもしれないとそう思ったからだ。
「いいえ。私たちは抵抗していませんでした。なのに連中は……」
悲しげに俯きながらアリーナは村で何が起きたのかを語り始めた。
……………………




