第八話 視察と村の誇りと
「いやぁ、それにしても奥様は凄いものを作りましたね」
ジャンが言う。
「きっと私が他所者だから思い付いただけよ」
「それも、奥様が興味を持って動いてくれたからですよ」
「たまたま上手くいって良かったわ。失敗したら恥ずかしいからこっそり隠そうと思っていたのに、途中からどんどん人が集まって来ちゃうんだもの」
ふふ、と笑えば、ジャンも可笑そうに目尻を下げた。
コーラル達は今、馬車の中だ。向かうは領西部のコリーナ地方。そこは領都より若干標高が高く、山と呼ぶには低いが丘と呼ぶには少々高い、そんな土地なのだとか。
なぜ今そこへ向かうかというと、鰐瓜の産地がコリーナ地方だからだ。
コーラルが作った鰐瓜の料理は周囲を驚かせた。幼い頃から風邪の時に食べる苦い実、という認識しか持っていなかったアルベルティの人達からすれば、鰐瓜を加熱すると苦味がなくなるというのは衝撃の事実なのだとか。それでも風邪の子供にはやっぱり苦いままあげた方がいいのではないかとコーラルは思うが、この実の効果はその程度で終わらせていいようなものではない。城の医師にも相談してみたが、やはり鰐瓜には人間が活動する上で必要な栄養素がバランスよく含まれているらしい。とはいえ健康な時に食べ過ぎてしまっては栄養過多にもなるし、肥満にも繋がるから、何事にもバランスが大事なんだとは思うが。
「ジェイド様もあのショートブレッドには驚いていらっしゃいましたよ」
「まあ、閣下もお食べになったの? それはちゃんとラザーロが作ったものでしょうね?」
「コーラルは料理も出来るんだな、と言って持って行った分は他の誰にも渡さず、さっさと隠してしまわれました」
「まぁっ!」
頬が熱くなる。本来なら辺境伯夫人が自ら厨房に入るなんて、誉められたことではないのに。
「効果はご自身でも実感されたようですから、今回の視察の許可も出していただけましたしね」
「確かにそうね。それでもなるべく早く、良い条件で鰐瓜の取引を纏めたいわ」
「これはこの国の食糧事情を変えるかもしれない事業になるでしょうね」
間もなく目的地周辺だという頃。馬車の窓から外を見ていたコーラルは、不思議なものに気付く。
「ねえ、ジャン。あれは何かしら」
「──天幕……でしょうか?」
灰色の、平たく円錐状の建物──のようなものが複数並んでいる。いつか本の中で見た外国のマーケットに似た雰囲気もある。
更に近付けば、その建物が想像よりずっと大きいことと、またその手前に十数人の男性が立っているのが見えた。
「ここからは歩いて行きましょう」
「ラウロをお連れください」
「分かったわ」
どう見ても歓迎されている雰囲気ではなさそうだ。ジャンと護衛騎士をひとり連れて、ゆっくりと進み出る。コーラルは簡素な旅装だがドレスを着ている。敵意がないことを示すには、女性であるコーラルが先頭に立って交渉する必要があるだろう。
「こんにちは。突然の訪問をお許しくださいませ。私はコーラルと申します」
領主夫人だと知れたらいらぬ気遣いをさせてしまうかも知れないから、ひとまずアルベルティは名乗らなかった。
「──見れば分かる。貴族だろう」
「俺たちは貴族は好かん。帰れ!」
「どうかお話だけでも……」
「分かってるんだぞ、お前達は俺たちを馬鹿にする! 俺たちに学がないから、また騙すつもりだろう!」
どうやら彼らは過去、貴族に騙されたことがあるらしい。確かに平民を下に見て、搾取するような貴族もいる。嘆かわしいことだ。
「私は今でこそ良い服を着させて頂いていますけれど、数ヶ月前まではサイズの合わない古着に僅かな食事、ほとんど外に出しても貰えず、暗い部屋でひたすら与えられる仕事をこなす日々でした。それでも民の税で生かして貰っていたのですから感謝はしていますが、搾取される惨めさやその辛さは知っているつもりです」
「はっ、お嬢さんの惨めさなんてたかが知れてるだろう! 草のベッドで横になり、野菜カスの薄いスープを飲み、あとは朝から晩まで木の世話だ。そんな暮らしが出来るか? 出来ないだろう!」
「出来ます」
「──そうだろう、だからさっさと……は?」
「出来ます」
「草のベッドで?」
「寝られます」
「薄いスープを、」
「飲みます」
「き、木の世話を……」
「やり方を教えていただければ木の世話もします。なので、ご納得頂けるまで草のベッドをお貸しいただけますか? スープは……差し支えなければ私がお作りします。もし可能ならこちらの調理法も体験したいので、味見させていただけたら大変嬉しいのですが……」
「お嬢さん、本気か?」
「本気です」
「そっちの兄さん達は……」
「馬車を近くに寄せてもよろしければ、ジャンは馬車で寝てちょうだい。ラウロはごめんなさい、一応夜だけは近くで控えていてくれるかしら? それが視察の条件だから。日中は休んでいて良いからね」
「はっ」
「おや、私も草のベッドを体験したかったのですが」
「あらそう? 流石に同じベッドは閣下とイルダに叱られちゃうしね」
「はっはっは! そりゃあそうですねえ」
眉を吊り上げて怒鳴っていたおじさん達が、コーラル達をポカンと口を開けて見ている。
「──まぁいい。出来るもんならやってみやがれ。そこの家が空いてるから使え」
「ありがとうございます!」
こうしてコーラル達はコリーナの村に滞在することになったのだ。
「──はぁ。領主夫人が、田舎の村で天幕暮らし? 農業体験? なんなんだこの状況は……。確かに言ったさ、自由にしていいと。あの鰐瓜の料理は戦況をひっくり返すレベルの発明だし、あれが量産できるなら騎士団としてもありがたい。が……とりあえず視察だけだと言ってなかったか? それがなぜ……。俺も騎士団棟に詰めてばかりいるが、コーラルも帰ってこなくなるとか、それはそれでこう……予想外だ……」
「団長、寂しいって素直に言えばいいのにぃ」
「五月蝿いぞイグナツィオ!」
「はぁい」
手紙を受け取ったジェイドが、なんとも言えない顔でため息をついていた。
◇
「アルプおじさん、この花は取ってしまっても?」
「ああ、いいぞ!」
「バリスおじさん、そっちの籠、取ってくれるかしら」
「はいよぅ、そら!」
「ありがとう! ケーファーさん、次はそっちを手伝いますね」
「おう、頼むわ!」
コーラルは今、鰐瓜の木の摘花という作業を手伝っている。満遍なく実に栄養が行き渡るように、花のうちに少し間引いておく必要があるのだとか。摘んだ花も食べられるらしいので、捨てずに集めていく。
もしかしたら、花にも何か特殊な効果があるかもしれないし、そうでなくても甘くて華やかでとても良い香りだから、お茶にしても良いかも知れない。
「奥様はなんというか……凄い方ですねえ」
「ジャンさんでもそう思われますか?」
ジャンと護衛に付いてきたラウロは、木の周りの雑草取りだ。若いラウロはともかく、ジャンは時々腰が痛むなどと言っているのに大丈夫なのだろうか。コーラルが無理を言って連れて来てもらったのだから、作業は任せてくれてもいいのに、悪いことをしたわね──
などと思っているコーラルは、ジャンが未だに訓練を欠かしていないことも、新人騎士のラウロよりよほど腕が立つことも知らなかった。
そしてあれほど貴族を嫌悪していた村の男たちは、てきぱきと調理をして美味しいスープを作り、粗末なベッドも「草のいい匂い!」などと笑い。朝は誰よりも早く起きて水を汲み、颯爽と仕事を手伝うコーラルに陥落した。
借りた家は本当に興味深い造りだった。中心に1本の柱が立っていて、壁に当たる部分は木組みで格子状に組み合わされており、伸び縮みするようになっているのだ。その伸ばし具合で部屋の広さを変えられるのだろう。また、畳めば非常にコンパクトに収納できる。その壁と柱を繋ぐように放射線状に梁が渡されていて、出来上がった骨組みに動物の毛で作ったふかふかの布が被せられている。雨を防ぐためにその上から更に動物の皮のカバーが重ねられていて、見た目以上に暖かい。夏はカバーを下側から捲って風を通すのだそうだ。
この国では、土地に税がかかる。貴族の邸や商店など、建物の面積に応じて税を納めなければならない。このため税を払えない平民は、長屋のような集合住宅に住むのだ。この場合税は土地の持ち主、つまり地主が払うことになる。もちろん借りて住む者も家賃は払わねばならないが。
では、その家賃さえ払えない人たちはどうしているのかというと──領都では、大通りから中に入った薄暗い通りに、浮浪者がいる。この辺境領は冬が長く寒さが厳しいため、冬は彼らが凍えないように、寝る場所だけは教会や修道院が提供する。また子供であれば、孤児院が保護することもある。簡単な教育を施して、住み込みの働き口を斡旋するのだ。
これらの仕組みも、3年前の戦で増えた戦災孤児を保護するためにジェイドが整えたものだ。これまでも仕組み自体はあったが、視察なども行われておらず、適正に運営されているのか不明瞭だったのである。
現在コリーナ村と呼ばれているこの土地は元々、ただの荒地だった。麦や芋が育たない土だったため畑が作れなかったことと、交通上なんの利点もない場所だったからである。
それが、30年ほど前。ある小さな村が伝染病によって壊滅的な被害を受けた。多くの村人が死に、残った者たちもそのまま村で生活を続けることが難しくなった。新たな住処を探して旅に出た彼らは、小さな村で代々育ててきた木の苗を持って来ていた。これが根付く所を次の住処にしようというのである。
この実が、鰐瓜。これが唯一根付いたのが、コリーナの土だったのだ。鰐瓜は元の村で作っていた時点から風邪の時に食べる苦い実として重宝されていたから、買い手は多かった。そこに目を付けた貴族がいたのである。
村人たちには、鰐瓜を育てるノウハウはあったが、学はなく、善良だった。元々こういった交渉を担当していた村長は病で死んでしまった。「税の管理を手伝う」「交易をより有利にしてやる」など言葉巧みに擦り寄ってきた貴族を、疑うこともなく受け入れた結果──鰐瓜の実の売上は殆どが中抜きされて村人には渡らず、ただただ搾取される日々。土地の税さえも払えない為、彼らは知恵を絞り、この家を造り、住むようになった。
彼らの家は折りたたんで収納することができるから、国の土地を借りてはいない。遠出の際に天幕を立ててちょっと野営をするのと同じことでしょう、と。
木の世話を手伝いながらこの話を聞いたコーラルは非常に憤り、その貴族を絶対に許さないと言った。不正を正して、コリーナ村に正当な金銭と地位を与えます、とも。
突然村に乗り込んできて、颯爽と家事や農作業を手伝い始めた赤毛の美人は、粗末な村の環境に文句を言うこともなく、横暴な振る舞いは一切しなかった。礼儀を知らない自分達に対しても極めて丁寧で、穏やかで、むしろ教えを乞う側としての謙虚さがあった。
その赤毛の美人が、知性的な藤紫の瞳を鋭く光らせ、土に汚れた指をぎゅっと握りしめて怒っている。自分達のために、怒ってくれている。
それと同時に、当然のように貴族を罰する側の立場に立った彼女は、凛とした威厳を纏っていた。
今更になって、彼女は一体何者なんだろう、と疑問に思う。
「鰐瓜は勿論だけど、この家もね、おじさん達の工夫が詰まってるでしょう? 貴族がおじさん達を騙したことは本当に申し訳ないし、恥ずかしい。けれど、その結果としてこれが生まれたんだとしたら……それもちゃんと生かしてあげたいのよ。酷い目にあっても挫けなかったその日々を、この村ごと拾い上げたい」
「嬢ちゃんは──俺たちが知っている貴族とは違うんだな」
「ああ、確かに。貴族は好かんが……俺たちは、嬢ちゃんは好きだ。だから、信じるよ」
「いつでも来てくれ。あの家は嬢ちゃん用に置いておくから」
「ありがとう……! 旦那様に許可を貰ったら、必ずまた来るわね。絶対におじさん達の、コリーナ村の誇りを取り戻してみせるわ」
こうしてコーラルの視察は幕を閉じた。彼女の言う「旦那様」が、この辺境領の領主であったことを村人達が知るのは、まだ先のことである。




